第8話 空白

8-1 届かぬ食糧

 その約1ヶ月後の日曜日は、食料の配給日であった。人々は、隣組会長・山村の家の前に集まり出した。藤倉家では、静江が妙子に食料をもらいに行くように言った。妙子は山村宅前に向かった。

 山村宅前には、既に町内の人々が集まって来てはいたが、いつもは、人びとの前に姿を現す太造が姿を現さず、妻の喜久子が代わりに現れた。

 喜久子は申し訳なさそうに人々に言った。

 「すみません、うちの主人が朝から行方不明でして、私としても何と申し上げてよいのやら」

 群衆の中の男性の1人が言った。

 「困るなあ、俺達の生活が懸かっているんだぜ。俺達は配給が頼りなんだ」

 さらに他の男性が言った。

 「山村会長から、食料を配給してもらえなかったら、隣組の意義はあるのかい?」

 しかし、その発言を彼の妻がとがめた。

 「ちょっと、あなた」

 隣組は、大日本帝国の「平和」を支える臨戦態勢の末端の組織である。男性は食料への不満から、

 「隣組の意義」

 について口にしたのだが、このような隣組に批判的な発言は、即ち、大日本帝国による大東亜共栄圏を根底から否定するにも等しい発言とも解釈できよう。事実、不用意な発言が原因で、先日の幸長のようにされないとも限らなかった。

 男性はぎょっとなって、周囲を見まわした。周囲には、隣組の歌が言うところの

 「格子を開ければ顔なじみ」

 の人々がいた。しかし、

 「知らせられたり、知らせたり」

 する間柄でもあるのである。場合によっては、隣組内で

 「○○が大東亜戦争の勝利によって得られた大東亜共栄圏の成果を否定している」

 等々、警察に密告する者がいるかもしれない。

 さらに、食料が不足している昨今である。より多くの食料を手に入れようと、誰かが村八分等の制裁を受けて、食料の供給を減らされれば、その分の食料が得られるだろうとの計算から、不用意な発言をした者を密告しようという動きも出るかもしれない。

 この他にも、密告すれば、警察から、何らかの報酬が得られるかもしれなかった。食料不足をはじめとする配給品の不足によって、市民生活は状態的に苦しい状態にあった。警察では、そのため、市民の反体制的言動に目を光らせているのである。

 妙子は、傍の看板にある

 「防諜」

 の2文字に目をやった。

 この標語は勿論、敵国たる鬼畜米英、赤魔たるソ連等にたいする市民生活の心構えを謳ったものである。しかし、それ以前に、妙子を含めて一般市民は、自国の警察に対して、

 「防諜」

 せねばならない状態になっていた。

 妙子とて、日々、

 「大日本帝国の大東亜戦争勝利は本当に良かったのか」

 という疑問を抱きながら生活している事実がある。先の男性の発言とそれをとがめる妻の姿を見なければ、妙子自身が、いつもの不満等から、先の男性のような発言をしていたかもしれない。そうなれば、藤倉家そのものがどうなるか分からない。

 妙子は、不用意な発言をしなくて良かった、と思うと同時に、まともに食べられないことに不満な雄一のことが思い出された。 

 どうも、口の軽そうな雄一のことである。一緒にいたら、そのまま、隣組への不満を同じく口にしたかもしれなかった。

 「ほんと、雄一がいなくて良かった」

 そのように妙子が思っていると、群衆の中から多江が口を開いた。

 「それで、奥さん、今日の配給品は、いつ、頂けるのですか?」

 喜久子が答えた。

 「配給品はあるにはあります。主人に代わって、私がお配りしますので、受け取ってください」

 そう言って、喜久子は人々に配給品を配り始めた。各自への配給量は、前回に比べて明らかに少ない。人々は量の少なさに不満を感じると同時に、何かが起きてることを感じざるを得なかった。

 妙子も僅かな食料、石鹸等を受け取ったものの、他の人々同様に不満である。楽しみのない毎日の生活の中で、食べることは大きな楽しみである。又、先日のように雄一が衣服等を汚すこと等を考えると、帰宅したら、静江にどのように説明すべきかと頭を悩ませた。

 しかし、この問題は、悩んでいても仕方のないことでもあった。妙子には責任の取りようのないことだったからである。山村家に何かが起きたらしいことも妙子にはやはり、知りようのないことであった。

 妙子には、これらのことを説明することしかできないのである。

 「ただいま」

 妙子は自宅の玄関をくぐった。

 「お帰り」

 静江が迎えに出た。静江は、妙子が持ち帰った配給品の量が少ないことに気づいた。

 「ちょっと、どうしたのこれ?今月の配給品、これだけ」

 「そうよ、でも、私のせいじゃない」

 静江は、困り果てた表情を浮かべた。

 自分がとがめられているような気がした妙子は言った。

 「山村さんの所に行ったら、今日、会長の太造さんはいなかった。奥さんの喜久子さんが、配給品を配っていたけど、本当に少なくて」

 妙子は、

 「これは、私のせいじゃない」

 ということを強調するかのように強い調子で言った。自分の責任でないことを責められてはかなわない。

 「ご苦労さん、とにかく、上がりなさい」

 静江は、妙子に家に入るように促した。

 居間には雄一がいたが、静江の顔を見るなり、ただならぬものを察したようであった。

 「母ちゃん、どうしたの?」

 「見てよ、この配給品の少なさ」

 静江に配給品の少なさを見せられた雄一は、顔色を変えた。

 「やってらんねえよ、何だよ、この量」

 居間に入った妙子は改めて思った。

 「ああ、雄一があの場にいなくて良かった。あそこにいたら、一体どうなっていたことか」

 月一度の配給を楽しみにしていただけに、藤倉家の面々はかえって落胆してしまい、暗い一日の始まりとなってしまった。

 静江が、妙子に話しかけた。

 「妙ちゃん、これからどうしよう」

 「どうしようって、どうするのよ」

 妙子にも、答えがあるはずはなかった。しかし、食べることは、日々の生活に不可欠な話である。

 静江が言った。

 「誰かが買い出しに行くべきね」

 買い出しは、闇の食料に手を出すことである。違法な行為であった。しかし、山村太造の隣組会長としての権力と権威が、闇食料の買い付けによって支えられているところがあるように、最早、闇経済は国中に蔓延していた。先日の涼子の弁当の卵の件もそうだった。

 買い出しにて、まず考えなければならないのが、農家への付け届けである。何を持って行けばよいのか。又、警察は‐彼等も闇食糧には手を出しているはずだが‐取り締まろうとするだろう。警察関係者も飢えているであろう。取り締まり名目で食料を奪いかねなかった。農家と警察という2つの関門が静江の前にぶら下がっていた。


8-2 静江の決意

 静江は、東京の隣県にある田舎に妙子を米の買い出しのために、お使いに出そうと考えた。そこには、静江の姉の春江が嫁いだ中小地主の中岡家がある。峯雄の戦死の時に静江を訪ねて来て以降、春江とは殆ど連絡を取ることのない状態であった。物資不足で、紙も不足し、ここ数年は正月の賀状のやり取りもなかった。 

 しかし、食料という問題となると、ここ数年、会っていない相手であっても、頼らざるを得ない。事実、表経済の看板を掲げて、闇食糧を供給していた太造のルートがまともに機能していないようでは、それも仕方のないことである。

 だが、この食糧難の折である。親戚に対してとはいえ、妙子に何も持たせずに訪問させるというわけにはいかなかった。しかも、貴重な食料ということになれば、かなり高価な物を持たせねばならない。

 1人で居間にいた静江は押し黙ったまま、傍のタンスを見つめた。

 そのタンスの中には、静江が峯雄との結婚の時、親から買ってもらった嫁入り道具としての高価な和服があった。峯雄との結婚生活の僅かな思い出として、大切に保管して来たものである。

 静江は、暫く、タンスを見つめ続けていたものの、決心したように立ち上がると、まず、仏壇に手を合わせた。

 「ごめんなさい、あなた。いつも言ってますよね。妙子も17歳になりました。雄一も14歳です。大きくなった2人をあの世から見守ってくれていてありがとうございます」

 まずは、峯雄にお礼を言い、静江は続けた。

 「私達の家も食糧難で困っているのよ。背に腹は代えられない。貴方との思い出として、大切にしていた嫁入り道具の和服だけども、妙子に持たせて、後日、食料と交換しますわね」

 峯雄がそれをどう思うか、について、勿論、回答はない。しかし、決心した静江は妙子を居間に呼んだ。

 「妙ちゃん、ちょっと」

 「何?お母さん」

 妙子が居間に出て来た。

 「妙ちゃん、後日、お使いに行ってくれる?」

 「どこへ」

 「親戚の春江おばさんのところへ」

 「え、何のため?」

 「食料を手に入れるためよ」

 妙子は急な話に驚いている。

 「いつ?」

 「まだ分からない。でも、お母さんが速達で手紙を書くから、その後に、私の和服を持って、春江おばさんの所へ行ってちょうだい。そこで和服を譲る代わりに、食べ物をもらって来るのよ。ひょっとしたら、お米が手に入るかもしれない」

 「お米が手に入るかもしれない」

 という静江の言葉に、妙子は一瞬、嬉しさというか期待のようなものを抱きつつも、同時に戸惑いを感じた。

 「でも、お母さん、あの和服、大切な嫁入り道具だったんじゃ」

 「仕方ないのよ。このままじゃ、私たちみんな生活が立ち行かなくなるでしょ」

 「分かった。私があの和服を持って、お使いに行く」

 「ありがとう、妙ちゃん」

 静江の御礼には、妙子が

 「大切にして来た嫁入り道具を食料のために譲っても良いのか」

 という意味の静江の心中への配慮をしてくれたことへの感謝の意味も含まれていた。これが雄一だったらどうだろう。

 静江の心中のこと等はお構いなしに、

 「わ~い、もうすぐしたら、米が食えるぞ」

 等と歓声を上げたかもしれない。

 話し終えると、妙子は自室に戻った。

 とにかく、妙子をお使いに行かせる前に、事情を説明する手紙を書かねばならない。静江は、同じタンスに入れてある紙と封筒を取り出した。


8-3 手紙

 便箋とすべき紙も封筒も、いずれも黄ばんだ感じの粗悪品である。「平和」を言いながらも半ば戦時体制が続いていることの影響はこんな所にも出ていた。 

 静江はペンをとり、手紙を書きが始めた。

 「拝啓

 長らくご無沙汰しております。

 春江様他、皆様、最近は如何お過ごしでしょうか。最近の夏は日夜暑いですが、私の町内でも不時停電が少なくなく、暑い時には困ってしまうことが少なくありませんが、聖戦完遂と大東亜共栄圏維持のため、最前線で頑張ってくださっている将兵の皆さんのご苦労を思えば、この程度のことは、私達銃後の庶民も耐えねばならぬことなのでしょう。

 我が家の妙子と雄一も大きくなり、それぞれ、17歳と14歳になりました。特に雄一は、学校でお友達と喧嘩して、制服を汚すこともあるなど、この物資不足の折、困ったこともあるものです。女親には、男子についてはわからないところもあるようで、年頃の男子の躾と申しますか、共同生活には難しいものもあるものです」

 ここまで、静江は、所謂、建前から始まりつつも、手紙の内容が、日々の生活の話題へと移ってきたことに気づいた。「建前」があることを踏まえつつも、その「建前」に苦しめられる生活という本音が手紙の文面に率直に出て来たのであった。静江とて、1人の女性であり、人間である。本音があって当然である。

 ここまで書いて来て、この後、どのように続けようか、と静江は悩んだ。食料が欲しいのである。しかし、だからと言って、

 「食料をください。特に米が欲しい」

 という表現はあまりにも失礼かとも思われた。かと言って、婉曲な表現で大丈夫だろうか。おそらく、先方も農家とはいえ、食料不足に苦しんでいるだろう。婉曲な弱い表現では、断られるかもしれない。かと言って、率直な強い表現では、かえって、先方を怒らせ、

 「失礼な奴」

 となり、やはり、断られるかもしれなかった。どのように表現したらよいのか分からない。しかし、やはり、失礼の無いように、婉曲な表現にすることにした。

 切り札は、静江の和服である。静江は手紙を続けた。

 「妙子に、私の嫁入り道具だった和服を持たせて、後日、お使いに行かせようと思います。この食糧難の折、誠に勝手を申すようで申し訳ありませんが、食料を僅かばかりでも、お裾分けいただけないでしょうか。

 何卒よろしくお願い申し上げます。


昭和30年〇月〇日 敬具 

                               藤倉 静江 」

 手紙を書き終えた静江は、その日はそのまま寝た。午後10時頃、藤倉家からは、全ての明かりが消えた。

 手紙は翌日、学校に向かう途中も郵便局があるので、雄一が登校途中、郵便局に立ち寄り、速達として差し出した。

 それから、数日経って、春江から返信があった。その書簡には次のようにあった。

 「拝復 

 先日のお手紙、読ませて頂きました。

 今は、どこも生活が大変なようですね。

 こちらも大東亜共栄圏護持のため、軍への米の供出等で大変な日々です。しかし、静江様のおっしゃる通り、前線で飲まず食わずでいるであろう皇軍将兵の皆さんのことを思えば、銃後の私達も、こらえるべきところも、こらえねばならないものがあるのでしょう」

 返信も、まずは建前から始まりつつ、日々の生活がつづってあり、その後、次のように続いていた。

 「私達も苦しい毎日ですが、僅かばかり、お裾分けできるかもしれません。〇日から〇日の間なら、応接できます。この期間でしたら、どうぞお越しください」

 とあった。

 静江は嬉しかった。配給という表の経済の看板を掲げる隣組という公的組織が機能しない今、頼れる裏経済があるのは嬉しいことである。最後の頼り得るのは血縁関係のある親戚縁者だけのようであった。

 静江は、妙子を呼び、妙子が中岡家を訪問する日を相談した上で、帰路、食料品、殊に米をどのように持ち帰るかを相談し始めた。


8-4 作戦

 先に挙げた関門のうち、1つは何とか解決したようであるが、もう1点の警察の方をどうするか、という問題が残っていた。

 農家から、食料を勝手に持ち出したことが分かれば、没収される。敵は駅、列車の車内、どこに出没するか分からなかった。

 一体どうすべきか。

 そこで、静江と妙子は相談して、もし、幸運にも米が手に入った時には、リュックの一番奥底に米を置き、その上に薪などを置くことにした。警察官から、リュックを開けて見せろ、と言われた時には、

 「女ながら、担ぎ屋なんです」

 と言い訳してごまかすことにした。勿論、奥底の米は見えないように上手くカムフラージュしなければならない。

 その日が来るまで、妙子はいつものように学校に行き、そのうちに夏休みになった。食料調達に行くことは、富子や涼子にも話さなかった。どこから情報が洩れて、警察の耳に入るかも分からないからである。否、その前に橋田の耳にでも入ったら、一大事ではないか。

 警察云々以前に、「聖戦」、「大東亜共栄圏」を妄信する橋田に、

 「皇軍兵士に失礼だと思わないのか」

 という怒声と共に、場合によっては、平手打ち付の「指導」まで喰らうかもしれない。食料不足の上に、ふざけた「指導」など、真っ平御免である。

 しかし、恐らく、橋田とて、闇の食料に何らかの形で手を出しているに違いないのである。そうでなければ、なぜ、いつも、あんな怒声が出せ、又、生徒達を平手打ちにし得る体力があるのか。

 「聖戦」、「大東亜共栄圏」を妄信する橋田は、それを支える公的機関が半ば機能しなくなり、国中に闇経済がはびこっていること、そして、自身もそれに依存していることを、どのように解釈しているのだろうか。あるいは、自分も元は皇軍兵士であり、学校現場で、「予備兵力」としての銃後の担い手を育成する自分は、重要な大日本帝国軍の一翼を担う者であり、自分こそ、優先的に優遇されてしかるべき、と考えているのであろうか。 

 それとも、これまでの「建前」が崩れてしまうと、自分の立場が危うくなるから、表面的に虚勢を張っているのかもしれない。実際、橋田は軍事教練以外に、能の無い男のようだった。ある種の「臨戦態勢」が続いていないと、生きて行けないのかもしれない。

 そんなことを考えていた妙子ではあったものの、橋田云々よりも、食料の確保の方が至上命題なのである。そのことが最優先なのである。

 そして、数日が経ち、妙子が国鉄に乗って、中岡家を訪ねる日が来た。

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