第6話 権力の内幕
6-1 実弾発射
「38式歩兵銃は、我が皇軍の主力兵器にして、恐れ多くも、天皇陛下から下しおかれた御用具・・・・・」
橋田の演説が、グラウンドに響き渡っていた。先日、言われていた38式歩兵銃による軍事教練の日である。橋田の怒声と場合によっては体罰が恐ろしいので、一応、皆、「真面目」な態度になってはいた。妙子も無論、その一員である。涼子や富子も同じであった。
彼女等にとっては、38式歩兵銃は、初めて担ぐ実戦用兵器であった。実弾も初めて触るのである。列の先頭にいる者から、順番に実弾が渡された。狙うべきは数10メートル先にある標的である。先頭の生徒から、腹這いになって、その標的を撃つのである。
数人の生徒が38式歩兵銃を撃った。3人が同時に撃ち、2人が標的に当てたものの、1人の生徒が的を外した。妙子は上出来ではないか、と思った。暑い夏の中の軍事教練である。初めてなのだから、3分の2も当たれば良い方ではないか。
しかし、橋田は満足しなかったらしい。橋田の怒声が響いた。
「貴様、そんなことで、銃後を担えると思っているのか」
その女子生徒とて、真剣になって、銃を撃ったのである。責められるのは酷な話であった。しかし、言い訳することは勿論、出来ない。彼女は、橋田の怒声とすごむ表情に圧倒されたのか、すぐに立ち上がって、
「申し訳ありません、隊長殿、今後、間違いなきよう、一層精進いたします」
と必死の様相で言い、敬礼した。
妙子は、内心、この生徒が叩かれるのではないかと恐怖した。生徒が教師に、ことに橋田に叩かれる様子は、何度見ても慣れることの無い光景である。その度に、鋭利な刃物で精神を傷つけられるのである。体罰は身体を傷つけるのと同時に、精神面をも傷つける行為であった。
しかし、体罰はなかった。橋田は自分への最敬礼に免じて、許してやったらしい。最敬礼に「皇軍」や「大東亜共栄圏」への敬意を認めたのか、それとも、自分への敬意を良しとしたのか。それは橋田本人に聞いてみるしかないのであるが、妙子をはじめ、彼女等にそんなことを聞く勇気は無論、ない。彼女等にしてみれば、ただとにかく橋田の下での軍事教練という嵐が過ぎ去るのを、内心、首をそすぼめて待つしかないのである。
そうしている間に、妙子の順番が回って来た。先の生徒達と同じように、腹這いになって、38式歩兵銃を構え、槓桿を引き、実弾を装填した。何しろ、初めての体験である。標的にうまく当たるかどうかは分からない。果たして、結果は如何に?
上手く当たった。とりあえず、妙子は、体罰を含め、橋田の制裁を受けることは避けられた。後は、妙子の後の順番になっている涼子と富子が上手くいくことを祈った。上手くいかなければ、橋田の体罰があるかもしれない。そんな光景は見たくない。自分といつも、弁当を共にする2人がそんな目に合うのを見るのは耐えられそうにもなかった。
妙子は、心中にて2人を応援した。
「涼ちゃん、富ちゃん、間違わないように。慎重に引き金を引いて、とにかくも的を外さないように」
いよいよ、涼子の番が回って来た。妙子は祈るような気持ちで、彼女を含めた3人の射撃を見守った。
銃弾は無事、標的に当たった。妙子の心中で、少しく緊張がほどけた。しかし、喜ぶのはまだ早い。富子が残っている。富子はどうか。彼女も腹這いになり、槓桿を引いて、弾丸を装填した。橋田の声で一斉に引き金を引いた。弾丸が発射される。
結果は、というと、富子達も標的を撃ちぬくことができた。漸く、ほぼ完全に安心の領域に入ることができたようである。
その後、数組の射撃が終わり、最後の一組である。
「放て!」
橋田の号令で、一斉に3人の女子生徒が38式歩兵銃を放った。2人は上手く標的に当てることができたが、1人が外してしまった。
橋田が怖い口調で言った。
「おい、お前、ここへ来い」
「はい」
彼女はおびえながら、橋田の元へと動いた。
「貴様、なぜ外した?」
しかし、初めての体験なのである。先程も的を外した生徒はいたし、外すものがいて不思議はないはずである。その生徒は何と答えてよいか分からない様子である。彼女は、おびえて困惑していた。妙子等は、その子がどうなるのか、固唾を飲んで見守った。
結局、彼女は平手打ちに遭ってしまった。一同の心は凍り付き、妙子もほどけていた緊張が一気に凍結してしまった。橋田はその生徒に言った。
「列に戻れ」
その生徒は涙ぐみながら、列に戻った。
「いいか、残りの時間で、校庭を分隊行進する。かかれ」
残りの時間を、橋田の言う通り、行進させられることになった。数人の生徒が、先程射撃訓練に使った38式歩兵銃を担がされていた。38式歩兵銃は肩に食い込むように重い。不運なことに、妙子はその一員になってしまっていた。
グラウンドを行進している間、相変わらず、橋田の怒声が響いていた。
「そんな力のない行進でどうする」
「前線の皇軍兵士に申し訳なく思わないのか」
妙子はいらいらしながら行進していた。重い38式歩兵銃を担いでいる上に、毎日、芋類ばかりの食事、さらには暑い夏の太陽が頭上から照り付けているのである。数段の責め苦を背負いこまされた拷問のようである。
妙子は思った。
「一層のこと、この銃にまだ銃弾が残っていたら、橋田を標的にしてやりたい」
行進は果てしなく続くかのように思われた。橋田が
「止め」
の号令をかけない限り、そのまま暑い中を行進し続けなければならない。妙子は、校舎の壁にかかった時計を見た。終業のベルが鳴るまで、残り後10分程であった。その時、橋田の
「止め!」
という号令がかかった。隊列が一斉に止まった。しかし、まだ、緊張はほどけない。まかり間違えると、先程の生徒のようになりかねなかった。
橋田の怒声演説が続いた。
「我が聖戦・大東亜戦争とその遂行による大東亜共栄圏の死守は・・・・・」
橋田は皇軍の奮闘による「平和」を強調したいのだろうが、妙子や涼子、あるいは富子、その他大勢の女子生徒達は、さっさと橋田の支配から解放されたいのである。それが、彼女等にとっての今、現時点での求めるべき平和であった。内心、それぞれ、そう思いつつも、しかし、橋田の暴力が怖くて、とりあえず、神妙な面持ちで「演説」を聞いてはいた。
終業のベルが鳴った。
「以上、解散!」
彼女等はやっと、解放された。とりあえず、「平和」にはなった。
6-2 2人の会話
「今日も大変だったわね」
帰り際、下足箱の近くで、富子が妙子に話しかけた。
「そうね」
妙子は返事した。やっと、1日が終わった、という解放感よりも、橋田の件で傷つけられ、疲れていたので、嘆息混じりの返事となった。富子も同じような心中だったのか、妙子の心中を察した。
涼子が来ていなかったので、妙子は問うた。
「涼ちゃんは?」
富子は少し暗い表情になった。
「涼ちゃんね」
そう言って、富子は続けた。
「ほら、今日の教練の時、橋田にぶたれた子がいたじゃない。あの子、絹子って
いうんだけど、涼ちゃん、あの子とも友達だから、慰めるのに大変みたいよ。
涼ちゃんも、この件で傷ついてしまったみたいだから、何も言わずにそのまま来
たのよ」
「そっか」
妙子は再び、嘆息交じりに返事をし、空を見上げた。妙子は思った。
「今日、私達は38式歩兵銃を撃った。勿論、撃ったのは単なる標的だ。教師は鬼
畜米英とは言う。だけど、鬼畜米英って、どんな人達のことなの?私達は見たこと
もないじゃない。新聞は、私達、若い世代に大東亜共栄圏を支える銃後の守り、な
んて言っているけど、一体、誰と戦っているのだろうか」
妙子は何かしら、ぼんやりとした表情になった。
「どうしたの?」
富子が問うた。
「え、あ、いや、何でもない。途中まで、一緒に帰ろうか」
妙子の提案に、富子は同意した。2人は自転車を押して、校門を出た。2人は自転車を押して歩きながら、今日1日のことを話した。
妙子は、先程、校門を出る前に思っていたことを口にした。
「私達、誰と戦っているのだろう」
「誰って、大東亜共栄圏と皇国を脅かす敵とでしょ」
無論、建前としてはそうなのである。しかし、先程、妙子が心中で思っていたように、それが一体、どういう人々なのか、分からないのである。
「鬼畜米英って、どんな人たちなのかな?」
「私達の敵よ」
「そうだけど、富子ちゃん、どんな人か、具体的に説明できる?」
富子は押し黙ってしまった。富子にも説明できるはずもなかった。彼女にとっても、「敵」がどんな人々か、については分かるはずがないのである。すべては想像の世界でしかなかった。今日、38式歩兵銃を撃った彼女等ではあるが、考えてみれば、誰に向かって銃を撃っているか分からない。そんな疑問さえ湧く。
暫く、黙って自転車を押しながら歩いていた2人ではあるが、妙子が口を開いた。
「この前ね、私、大東亜戦争に勝ったことは本当に正しかったのかっていう疑問を
母さんにぶつけるような形になったら、家の中で母さんと喧嘩する形になっちゃっ
さ」
話の延長で、自分自身の家庭内の事情をこぼす形となった。
この言葉に思わず、富子はぎょっとなった。周囲を一瞬、見回した。
「聖戦・大東亜戦争」は大日本帝国の国家的目標である。参政権のない婦女子と雖も、銃後の守りの担い手であり、この国家的目標に対して疑問をさしはさむことは許されないことだった。だから、軍事教練に異議申し立てなく動員されている学校生活があるのである。
富子は思わず言った。
「妙ちゃん、滅多なこと言わないで。もし、聞いている人でもいたらどうするの」
確かに、そうである。彼女等2人は、夕暮れの下町を帰りつつあった。彼女ら2人以外に周囲に人はいない。しかし、どこの町内にも隣組が組織されている。今の妙子の発言が密告されたら、ただでは済まない。妙子だけではなく、富子も大変な目にあうだろう。それぞれが属する隣組の中で、村八分のような制裁にあったら、食料の配給は止められ、生死にかかわる問題にもなるだろう。妙子は我に帰った。
「ごめん、言いすぎちゃったね」
「滅多なこと言っちゃって、脅かさないでよね。私達、学校で勉強できるだけ、ま
だましかもしれないのよ」
「そうね」
しかし、富子とて、まさにその日々の学校生活を通して叫ばれる「聖戦・大東亜戦争」や「大東亜共栄圏の死守」といった掛け声に疑問を抱かないではないのである。
富子は以前、崎田晴子から戦時色が濃くなる以前は、洒落たカフェでコーヒーとケーキを注文するのが楽しみの一つであった、と聞いたこともあった。大東亜戦争に勝利した現在は、勿論、それもない。前よりも生活が貧窮してしまった、という意味では、大東亜戦争の勝利が良いことだったのか、ということについて、疑問を抱かざるを得ないのも確かであった。
歩いているうちに、2人の家への分かれ道である十字路にさしかかった。
「とにかく、今日も疲れたわね。家に帰ったら、ゆっくり休みましょう。じゃあ
ね」
富子は、自転車にまたがると、十字路を右に走って行った。妙子は、その姿を見送ると、思い切ったように、自転車にまたがり、左に走った。世代間対立をしている母・静江の待つ自宅ではあるものの、他に帰る場所もない。
「大東亜戦争の勝利が正しいのか否か」
については、相変わらず、疑問である。しかし、夕方を過ぎて、妙子も空腹だった。まずは、現実の問題として食べねばならなかった。どうせ、芋類やカボチャといったいつもの献立しかないのであろうが。
家に着いた妙子は自転車を片付けると、玄関を開けた。
「ただいま」
「お帰り」
奥から、静江の声がした。これまた、いつもと変わらぬ日常の風景である。
6-3 世のからくり
案の定、ふかし芋とカボチャのみの夕食であった。
夕食中、静江が言った。
「山村会長の所の倉本さん、山村家の女中をやめて、よそに引っ越すそうよ」
雄一が言った。
「なんで」
「なんでか分からない。だけど、隣組の回覧板にそう書いてあった」
妙子にとっては、山村家の使用人・倉本芳江は、あまり接触のある女性ではない。芳江は、使用人として、山村家に囲われ、普段は山村家内にいるからであろう。
妙子は、いつぞやの朝、通学のため、静江と歩いていた時の山村太造の姿を思い出した。嫌らしさを感じるニヤケ顔を浮かべていたあの姿を、である。
太造には勿論、妻がいる。しかし、かの太造には、芳江を秘書、或いは女中の名目で雇い、自宅に囲うことで、妾にしている、という噂もあった。あくまで、噂の話ではあるものの、あのニヤケ顔からすると、あり得ない話でもないように思われた。
この国では、未だに女性に参政権がない。女性に生まれた、というだけで、その地位は低く、損をしていた。17歳という多感な年齢となっていた妙子は、現状に対して、様々に疑問を持ってもいた。
「何で、女に生まれたと言うだけで、不利益をこうむらなくてはならないの?女も
銃後の守りだ、なんて言って動員されているのに」
という疑問は、常々抱いていた。しかし、それを口にすると、またもや、静江との間で家庭内世代間戦争へと進む流れになりそうな気がして、この疑問は敢えて口に出さずにいた。代わりに妙子は、芳江が何時、この街を出るのかを問うた。
静江は答えた。
「今度の日曜日って書いてあった」
急なことらしい。今週中に荷造りしないといけないだろう。とにかく、事情は分からない。山村家の中のことなので、外部からはうかがい知れない事情があるのであろう。
「ごちそうさま」
妙子はいつも通り、食器を片付けて自室に入った。
自室の中での1人になると、妙子にはいろいろなことが思い出された。
村田幸長のことがあった。軍事教練の苦しみ、そして、先程知った倉本芳江の急な転出の話等々。そして、何よりも、深本喜八の殺人の容疑者は未だ、逮捕されていない。
一体なぜ、幸長は喜八の殺人の容疑者として、警察に逮捕されたのだろうか。何か、喜八との間で諍いでもあったのだろうか。幸長は温厚な感じで、紳士的な物言いの大学生である。
妙子は思った。
「それとも何か、私にはうかがい知れない事情でもあるのだろうか」
軍事教練にせよ、学校制度にせよ、国家の目標としての「聖戦・大東亜戦争」にせよ、妙子の意志とは半ば無関係に存在し、妙子等の意志を無視して、妙子等を一方的に動員している性格のものである。17歳の女学生がそれに異議を申し立てることはできなかった。いずれにせよ、妙子は、この国の現状について、ぶつけようのない疑問を抱いている、というまさに現状にあった。
しかし、可能な範囲でも良いので、何らかの秘密の真相を知ってみたいというのが多感な女学生の本音でもあるのである。芳江の件に関しては、引っ越し当日、見送りということで、途中までついて行けば、何か分かるかもしれなかった。
このことを思い立った妙子は、居間に行き、日曜日に芳江を見送りたい旨を言った。
静江は言った。
「あら、どうしたの?芳江さんに何かあるの?」
妙子は答えた。
「ううん、特に何もない。だけど、町内の一員だったし、山村さんちには、いつ
も、隣組の長としてお世話にもなっているから、お見送りくらいは、と思って」
「そう、ならば、そうしなさい」
今回は、母子対立はなかった。静江も隣組の中で、山村太造が好きか嫌いかは別としても、山村家に世話になっているという事実を認識しているかもしれなかった。
その後、土曜日の午後、妙子は山村家を訪ねた。玄関で山村の妻・喜久子が応対に出た。
妙子が言った。
「山村さんのお宅の倉本さん、他所に出られるんだそうですね。隣組の回覧板で
知りました」
「そうよ、芳江は明日には、この家を出て行くのよ」
喜久子は何か少し、疲れたようではあったものの、解放感があるような口調で言った。
妙子は続けた。
「最後ですので、良ければ、芳江さんを見送らせて頂きたいんです」
「そう、ならば、明日の午前10時頃にここにいらっしゃい。10時頃には芳江は
ここを出る予定なので、一緒に行ってあげたらよいわ」
「有難うございます」
妙子は礼を言うと、山村家を出た。妙子は思った。
「奥さんは、何で、複雑な表情だったのだろう」
やはり、芳江は、山村太造に喜久子という妻がありながら、妾として囲われていたのかもしれない。それで、妻としてのプライドが傷つき、あるいは、旦那の太造との喧嘩等も起きていたのかもしれない。だから、何かしら、疲れたような表情をしつつも、解放感のある顔をしていたのかもしれなかった。こうした私生活の点でも女性は不利を被っているようなのである。このように考えると、何ともやるせないものを感じざるを得ないのであった。そんな感情を抱きつつ、帰宅した妙子であった。
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