第4話 事件発生

4-1 遺体発見

 妙子は朝になり、目を覚ました。昨夜は幸いにも、電力不足による夜間の停電はなかったようだった。扇風機も中途で止まるようなことはなかったらしい。

 妙子はふすまを開けて、居間に出てみた。静江が既に居間に起きて来ていた。

 「母さん、おはよう、雄一は?」

 「雄一なら、外に出たみたいよ。朝の散歩じゃない」

 いつもの見慣れた町内を散歩していたところで、新たな発見があるとも思われないが、雄一としては、他になすべきこともないのである。町内を歩けば、「聖戦・大東亜戦争」、「守れ!日本の生命線!」といった標語が見えるくらいである。妙子は幼かった頃、父・峯雄に連れられて、近所の駄菓子屋で菓子を買ってもらった記憶が、おぼろげながら、ある。しかし、雄一には物心ついた頃から、そんな経験もほとんどなかった。妙子は改めて思い、静江に言った。

 「雄一は何のために、よく外を散歩するのかしら」

 「さあね、何のためかしら」

 妙子と静江は、互いに、14になる、そして、今では藤倉家の中では唯一の男である雄一の心中を測りかねていた。峯雄がいれば、男親として、雄一の心中をある程度は理解してやれる面もあったのかもしれぬが、それはかなわぬ望みであることは言うまでもない。実際、そんな家は少なくないし、だから、昨日のような喧嘩騒ぎも起こるのである。

 静江は台所に入って、朝食の支度を始めた。きっと、今朝も、芋類とカボチャのみである。静江は朝食の支度をしつつ思った。育ち盛りの雄一に対して、米飯もパンも食べさせてやれない。雄一の健康状態は大丈夫だろうか。近所の顔見知りの主婦と会った時、彼女がこう言っていたのを思い出した。

 「藤倉さん、子供の生活大変ですわよね。うちの子にもご飯が足りなくて」

 「本当にそうですわよね」

 「うちの子ったら、大東亜戦争前には、白いご飯が食べられただの、わがままを 

 言ったものですから、飲まず食わずで、この日本を護っている兵隊さんに顔向けで

 きないじゃないのって、ぴしゃりと言ってやってやったわ」

 その時、静江は、

 「それは大変でしたわね」

 と言って、笑っているしかなかった。しかし、雄一はすでに14歳、そんな言葉のみで抑え込めるような年齢でもないようであった。正直、同じような質問をされたら、抑え込める自信は静江にはなかった。

 静江がそんなことを考えているところに、雄一が帰って来た。玄関に入るや、雄一が言った。

 「母さん」

 朝からびっくりするような声である。表情には興奮の色が現れていた。反応したのは居間にいた妙子だった。

 「朝から、どうしたのよ」

 雄一は興奮しつつ言った。

 「深本さんちの喜八さん、近所の水路で死体になっていた。近所の人も集まってい

 るし、警察も来ている」

 妙子は昨日のことを思い出した。多江が、喜八が行方不明になっていると言ってはいたものの、まさか死亡だなんて。妙子はすぐに言った。

 「喜八さんが見つかった現場は?」

 「こっち」

 雄一に続いて、妙子も玄関から駆け出した。

 妙子が現場についてみると、大勢の人々がまだ居た。昨日同様、多江が警官の質問に答えていた。多江は流石に、夫の死を前にしているからか、涙を流しながら、警官の質問に答えていた。喜八の遺体は、まだ布の上に置かれたままであった。水路から引き揚げたのだから、当然、全身が濡れている。

 妙子にしても、雄一にしても、これが初めて見る死体であった。

 現場には、隣組会長の山村太造と使用人の倉本芳江も来ていた。涙を流しながら答えていた多江に続いて、警官は山村にも質問した。

 「山村会長、深本さんは、会長の下で、秘書のようなことをなさっていたんです

 ね。奥さんによると、3日程前から、行方不明だったとのことですが、何か変わっ

 た様子はありませんでしたか」

 太造は、優秀な部下を亡くして悔しい、といった態度で答えた。

 「いえ、特に何も」

 「そうですか。深本さんが行方不明になった3日程前、何か、仕事については言わ

 れましたか」

 「所用で、農家の方に、それだけです」

 最近は、農家の方に行く、と言えば、農家からの食料の買い出し、つまり、闇食料であることを指していた。しかし、この慢性的食糧難の折、闇のそれに頼らねば、生活できぬといった一面があった。公的機関である隣組も、半ば、闇食糧によって物資供給源となっている一面もあった。妙子は傍で、警官と山村の会話を聞いていたが、闇食糧等の言葉は出て来なかった。警官も闇食糧の恩恵にあずかっているのであり、黙認しているのであろう。続いて、警官は、喜八の死の状況について、上司らしき刑事に話した。

 「深本喜八氏は、鈍器のようなもので、頭をやられていますね。傍に硬貨が散らば

 っていましたから、物盗りじゃないでしょうか」

 鈍器で人を殴り、殺すと言った残虐な事実にいたたまれなくなった妙子は、雄一を促して、自宅引き揚げた。

 自宅に引き上げてみると、静江が朝食を用意して待っていたものの、2人とも食が進まない。具合の悪くなった妙子は、とうとう、朝食をとらず、自室に戻った。雄一も同様だった。

 今朝は扇風機が止まらず、快いと思ってもいたものの、気分は一気に奈落まで落ちたようであった。ふすまが開き、静江が声をかけた。

 「妙ちゃん、大丈夫?」

 「ああ、お母さん」

 妙子は、そう言ったきり、何も言えなかった。衝撃的な場面‐現実に目撃するとは思ってもいなかった‐を見て、妙子はどのように反応してよいか、分からなかった。

 「朝から大変なものを見てしまったわね」

 静江が同情するように言った。静江は続けた。

 「深本さんち、2人のお子さんを抱えて、今後、どうなるのかしら」

 勿論、この言葉は多江に対する同情の言葉ではあった。隣組では

 「格子を開ければ、顔なじみ」

 という歌にもあるように、隣組は、相互扶助の役割をも果たしているはずであった。しかし、芋類とカボチャばかりの生活に象徴されるように、藤倉家も、生活は苦しい。相互扶助などできそうになかった。多江の2人の子供はどうなるのであろう。

 「お父ちゃん、お父ちゃん」

 と泣きわめき、多江はそれをなだめるのに精いっぱいなのであろうか。それとも茫然自失なのだろうか。静江は言った。

 「妙ちゃん、しんどいなら、今日は部屋でゆっくりなさい。明日又、学校でしょ」

 そう言って、静江はふすまを閉めた。妙子は何もする気になれず、何時の間にか、又、眠ってしまった。


4-2 目覚め

 「父さん、こっち、こっち」

 「あはは、元気がいいな、妙子」

 「これこれ、このお菓子欲しいな」

 「そうか、ようし、買ってやろう」

 峯雄は、駄菓子屋の主人に対し、硬貨を払い、菓子を妙子に渡した。

 「お父さん、有難う」

 「妙子、お父さん、戦争に行くからな。憎いアメリカやイギリスをやっつけたら、

 又、家に帰って来るからな。それまで、わがまま言わず、お母さんに迷惑をかける

 んじゃないぞ」

 「うん、お父さん、元気でね」

 峯雄は霧がかった世界へと消えて行った。妙子は、その時、父との別れを幼いながらに、理解したのか、叫んだ。

 「お父さん、何処行くの?」

 妙子は峯雄を追おうとしたものの、峯雄は霧の中へと消えて行った。消えてしまった峯雄を追おうとしていた妙子に対して、怒声が響いた。

 「貴様、帝国を担う婦女子たりながら、その半泣き顔はなんだ」

 びっくりした妙子ではあったが、その瞬間に目が覚めた。今までの光景は夢の中の世界であったのだ。

 扇風機は動いてたが、妙子はびっしょりと汗をかいていた。なぜ、夢の中に、父・峯雄が現れたのだろう。妙子は自身に分からなかったが、最後の怒声のみは、はっきりと、その主が分かった。例の橋田である。

 妙子は思った。

 「橋田は何のために、夢の中にまで現れたのか」

 夢の中にまで、橋田に侵入されてはたまったものではない。妙子は、全てが支配されているよう気がした。どこにも逃げ場はないようだった。その橋田が実際に待っている学校に行かねばならないかと思うと、心に重い鉛が乗っているように思えた。

 ふすまが開いた。静江が入って来た。

 「妙ちゃん」

 「あ、お母さん」

 「随分と汗をかいているわね。一体どうしたの?」

 妙子は正直に答えた。

 「お父さんと夢の中で会ったのよ」

 「そう」

 「お父さんって、どんな人だったの」

 大東亜戦争によって、父をなくした家庭も多い。妙子にも父の記憶はかなり薄い。妙子の夢の中で峯雄が出て来たことを不思議に思っていた。

 静江は言った。

 「父さんはね、優しくて格好良い人だったのよ」

 故に、先程のように、峯雄が現れて、妙子に構ってくれたのかもしれなかった。しかし、静江は、それ以上、答えようとはしなかった。短い新婚生活だったので、答えるネタがないのかもしれなかった。妙子はそれ以上、問おうとしなかった。

 外は暗くなりつつあった。妙子が寝ている間に、日が落ちていたのである。この後は、いつも通り、芋類とカボチャのみの夕食である。

 居間に出てみると、雄一がいた。今日はどこにも行っていないらしい。

 「雄一、あんた、どこにも今日は遊びに行かなかったの?」

 「うん、何か、喜八さんの遺体を見たら、どこにも行く気がなくなっちゃった」

 「そうね」

 そこに、夕食の支度をした静江が来た。

 「夕食にしましょう」

 3人で、いつものような夕餉であった。雄一が言った。

 「深本さんち、どうなるのかな」

 妙子が言った。

 「気の毒だわね。誰があんなことしたのか」

 雄一が言った。

 「誰だかわからないよ、俺達、刑事さんじゃないんだから」

 犯人捜しは警察の仕事であることは無論である。妙子や雄一には手の出せない範囲の話である。静江が言った。

 「犯人が誰かなんて、言い合うのはおよしなさい。とにかく、私達の生活が平和で

 あれば良いのだから」

 妙子は考えた。

 「たしかに、私達の生活が平和ならば良いのかもしれない。だけど、本当に平和な

 のだろうか」

 軍事教練でしごかれていること等を考えれば、どうも平和とも言えないような一面もあるような気がした。しかし、妙子はそのことを静江にぶつけることなく、夕食を終えると、食器を片付けて、自室に戻った。


4-3 自問自答

 部屋に戻った妙子ではあったが、昼寝してしまったせいか、遅くまで、寝付けないかもしれない状態だった。

 妙子には、先程の静江の「平和」という言葉が引き続き、ひっかかっていた。

 銃後の人間である妙子等は、戦争によって殺されていない。米、英軍による大空襲と、ソ連軍による侵攻によって徹底的に蹂躙されたナチ・ドイツでは、家々が焼かれ、死体がそこら中に転がり、死臭が漂っているに違いなかった。新聞報道等を見ても、それは分かることだった。故に、新聞の社説は、「皇軍による皇土守護」や、それへの感謝、又、「婦女子による銃後の守り」を呼びかけ、強調するのである。妙子は「銃後の守り」の担い手として、橋田に日々、しごかれているのである。

 日本は、銃後をも含めて、全力を挙げて、平和を守っているのだから、日本は空襲で焼かれることもなく、米軍が上陸してくることもないのである。かように平和であるから、喜八の遺体を見た時、妙子等は衝撃を受けたのであった。

 しかし、と妙子は思った。

 食料は配給だし、量も少ない。菓子類のぜいたくは、幼い頃の思い出でしかない。石鹸のような生活物資も不足している。煮炊きのためのマッチや練炭も、この先、配給がどうなるかは分からなかった。もし、マッチや練炭も配給量が減ったり、場合によってはなくなってしまったら・・・。いよいよ、生活が立ち行かなくなり、「平和」もなくなってしまう。

 だから、「大東亜共栄圏」の維持による日本の「生命線」の維持は絶対の任務とされた。学校でも、そのように教わって来た。

 学校教師等は、この「使命」について、言う時、そこには有無を言わせない響きがあった。橋田は特にそうである。

 妙子は居丈高な教師等のそうした態度に反発を覚えていた。自分自身を一方的に否定された上に、一方的な「使命」を押し付けられている、と感じざるを得ないからである。きっと、富子や涼子も同じ思いであろう。

 色々と考えているうちに、時計の針は午前零時を回っていた。日付けが既に代わっていた。明日‐正確に言えば今日だが‐は、学校に行かなければならない。自問自答して、考え事をしている間に、少し疲れてきたようであった。そのせいか、少し眠くなって来た。「銃後の護り」の担い手が、学校現場で居眠りなどしていてはいけないのであろう。そんなことをしていたら、学校でこっぴどく怒られるに違いなかった。その恐れから、妙子は眠らねばならなかった。そのために、疲れが出て来たのはよいことだった。不時の停電等によって頼りにならぬかもしれない扇風機の傍で、妙子は床に就いた。

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