第2話 昭和30年夏・某日
2-1 起床
昭和30年夏の某日である。藤倉妙子・17歳は、いつものように布団の中で目を覚ました。東京某所の女学校に通う彼女は、いつものように通学の準備を始めんとした。妙子は呟いた。
「今日も暑いわね」
いかにも、今日も暑い。夏が暑いのは当然だが、昨晩も中途で扇風機が止まったりした。暑い日には扇風機が止まるのはかなわない。妙子の家では扇風機を大切に使っている。戦時体制に入る前に買ったものだった。父・峯雄が買ったものらしかったが、今年17歳の妙子には、物心つく前に戦死した峯雄の記憶はほとんどない。強いて言えば、幼かった頃、一緒にカルタ遊びをしてくれたこと、一緒にちゃぶ台を囲んだこと等が記憶として残っている。しかし、その峯雄は今や、居間の仏壇の中の存在であった。
妙子は学校の制服に着替えると、仏壇に手を合わせた。そこに母・静江が来た。静江は今、起きて来たらしい。
「妙ちゃん、おはよう」
「あ、お母さん、今、起きて来たのね。今日も工場の仕事?」
「うん、戦争に勝ったとはいえ、まだまだ、厳しい状況よ。皇軍は各地で頑張っている
けれど、その維持のために銃後の私達、婦女子も頑張らなくてはならないのよ」
「誰が言っていたの?」
「母さんの工場の班長さんよ。あの人は元軍人なのね」
妙子は、居間にかけてある時計を見た。もうそろそろ、朝食をとって、学校に向かわねばならない時刻になりつつあった。
静江が言った。
「雄一、まだ起きて来ないわね」
妙子が言った。
「雄一、また、私達に迷惑をかける気?」
雄一は、どうも朝に弱いようである。妙子は雄一の部屋のしょうじを無遠慮に開け、声を張り上げた。
「雄一、何時まで寝ているの?」
雄一は寝ているところに、姉の雷声が響き、漸く目を覚ました。
「うるさいな」
「うるさいな、じゃないわよ。いつまで寝ている気?さっさと着替えて居間に出
てらっしゃい。母さんが朝ご飯を用意して待ってるわよ」
妙子はぴしゃりと障子を閉めた。
雄一は暫くして居間に出て来た。これから、藤倉家の朝が始まるのである。
ちゃぶ台の上に朝食が置かれている。献立は、じゃがいもとサツマイモをふかしたものである。雄一が言った。
「お米ないの?」
静江が厳しく言った。
「贅沢言いなさんな。今、皆、何処も生活が苦しいには分かっているでしょ」
雄一は仕方なく、芋飯をほおばった。雄一には妙子と違って、父の記憶は全くない、といっても過言ではなかった。物心ついた時から、父は仏壇の存在であった。又、米の飯は殆ど口にしたことがない。物心ついた時には、米は誕生祝等、特別な時にしか口にできなくなっていたのである。それでも、毎日が芋飯では、少しは不満も出るというものである。それに量も少ない。育ち盛りの雄一には厳しいものがあるのは確かであった。しかし、それでも、それが既に生活の常識になっていた。
妙子が言った。
「ごちそうさま。じゃ、私、学校に行くわね」
「行ってらっしゃい。ほら、雄一、さっさとあんたも準備なさい」
雄一は、不満げの表情で、登校の準備にかかった。静江にとっては、この雄一がしっかりしていないことがイライラの種の1つである。しかし、イライラは、最早、色々な火種があると言って良かった。隣組での配給の少なさ、工場での労働報酬の減少等である。そして、何よりも、こんな生活状況が何時まで続くのかが分からいのが、心中に不安の霧をかけている、と言っても良かった。
妙子、静江、雄一の3人は、それぞれ、家を出、妙子と雄一は学校へ、静江は職場へと向かった。妙子は自転車、雄一は徒歩、静江は路面電車である。
妙子と静江は、途中まで方向が一緒なので、一緒に歩いた。その間、妙子は自転車を押して歩くのである。
いつもの慣れた道を歩く2人であったが、途中、少々、ドキリとなった。戦時中からの地元の隣組長・山村太造が姿を現したのである。
山村は、藤倉家にとって、ある意味では生命線を握っていると言っても良い存在であった。食料の配給は、隣組長を通じて、各戸毎になされている。山村の機嫌を損ねるわけにはいかないのである。かと言って、深く付き合いたいとも思えない相手である。妙子と静江はそれまで、他の話題、つまり、職場での環境がどうだの、学校生活がどうだの、と話し合いながら、歩いていたのだが、それらの話の延長線上で、山村の話が出そうになっていた。しかし、話す前に山村が現れたのであった。
2人は、ある意味、この時点で、山村が現れてくれて良かったと思った。山村の存在に気付かず、山村の悪口を言って、それが山村の耳に入っていたら、と思うとぞっとする。食料の配給等で差別的に扱われるかもしれないのである。とりあえず、2人は愛想笑いを浮かべて、山村に会釈した。そんな2人に、山村は挨拶のつもりなのだろうか、言った。
「いやあ、今日も暑いですな。妙ちゃんもいよいよ、美しくなりましたな」
山村は愛想笑いのつもりで言ったらしいが、妙子には嫌らしく響いた。出勤、登校という朝の予定が入っている時間から、山村にからまれるのは不快である。遅刻するかもしれないし、朝はそうでなくても、イライラが募っている昨今である。少しは快い1日の出発点としたい。
静江が言った。
「山村さんも、お元気で良い感じですわね。私達、そろそろ、工場と学校に行き
ます。今後とも、隣組会長として、私達の生活を宜しくお願いしますわね」
静江達は、早く山村から脱出したかったが、不審がられないように、「褒め言葉」をそえた。山村は言った。
「そうですか。皇国の隆盛と前線での皇軍の健闘のために頑張ってください」
「それでは、失礼します」
静江は、そう挨拶すると、妙子と共に、その場を去った。それから暫く歩いて、静江は妙子と分かれ、妙子は自転車にまたがると、自分の学校の方向へと自転車を走らせた。
2-2 回想
静江が市電を待っていると、路面電車がやって来た。以前は、バスも走っていたものの、ガソリンを食う自動車類は、米国との開戦(昭和16年12月8日)以来、前線での軍の使用に優先的に回されていたので、戦時体制が厳しくなるにつれて、運行が停止されていた。故に路面電車と自転車が庶民の主たる足だった。
静江は、空いている席に腰を下ろすと、いつもの外の風景を眺めていた。朝の通勤時間帯だからか、多くの人が街を往来している。静江は、自分の娘・妙子と同じくらいの年齢の頃を思い出していた。
静江が若い頃は昭和の初めだった。昭和6年には満州事変が始まったとはいえ、まだ、喫茶店で、学友等と楽しむ余裕があった。銀座のお気に入りの喫茶店で、コーヒーとケーキをたまに楽しむのがそれこそ、大きな楽しみだったし、若い頃のおしゃれでもあった。その後、日華事変、対米開戦と進むにつれて、戦時色が強まり、喫茶店で楽しむ余裕もなくなって行った。
「聖戦・大東亜戦争」とか「鬼畜米英」といったことが盛んに言われて来た。昭和17年のミッドウエー海戦での日本海軍の勝利によって、対米開戦の目的とされた「大東亜共栄圏」が完成を見た。しかし、静江の夫・峯雄は戦死してしまった。27歳の若さであった。
静江の職場では、-或いは、彼女の職場以外の殆どの職場でもそうなのだろうが‐大日本帝国のために命を懸けて戦った皇軍兵士に感謝せねばならない、ということが職場の集会等で言われたりする。
静江も、夫・峯雄には感謝しているつもりである。日本が戦争に負けていたら、それこそ鬼畜米英に蹂躙されていただろうからである。実際、その鬼畜米英に爆撃され、東からソ連軍に攻撃、突入されたドイツの悲惨な状況は、新聞報道を通して、日本にも伝えられていた。一般庶民にとっては、新聞、ラジオといったマスコミによってしか状況を判断する材料はないのである。庶民はマスコミによる報道を通して、判断するのみであった。
「蹂躙されたドイツ」について、静江が心中で想像している間に、彼女の乗った市電は、職場の最寄りの停留所に近付きつつあった。
2-3 学校
自転車にまたがった妙子は、学校に向かって自転車を走らせていた。暫く走って学校の正門が見えて来た妙子は、正門から校内に滑り込んだ。
いつもの自転車置き場に自転車を置くと、妙子は教室に向かった。戦前からの木造校舎を歩いた。いつものことであるから、朝、特に何かを感じることはない。妙子と同じように登校して来た生徒達で、廊下は混雑していた。
正面から、1人の女性教師が歩いて来た。崎田晴子である。崎田は、大東亜戦争当時から、学校等、公共の場所ではモンペ着用が奨励されていたにもかかわらず、できるだけ、スカート姿で、おしゃれに気を使っていた、という噂だった。そのせいで戦時中は、かなり、周囲から非難される等、辛い思い出もあったらしい。崎田は妙子の姿を認めると言った。
「藤倉さん、おはよう」
妙子は返した。
「先生、おはようございます」
妙子は、崎田を尊敬できる女性だと思っている。戦時中でも、それが真実か否かはわからないが、それなりにおしゃれに気を使って、自分を主張していた、とされることに対して、である。自分だったら、それができるか否か、と問われれば、「否」であろう。暴力に屈しない、と言い得る自信はまるでなかった。
「藤倉さん、今日も暑いわね」
「はい、先生」
「藤倉さん、今日は、軍事教練があるわね。暑い中、ご飯も然程ない毎日だけど、
大丈夫?」
崎田からのこの質問は、この国の若者が置かれた現実についての問いに他ならなかった。
妙子は内心、思った。
「確かに・・・・・」
日本は大東亜戦争に戦勝したにもかかわらず、相変わらず、軍事管制的体制が続いていた。新聞等の、マスコミを見ても、満州から東南アジアにかけての日本軍占領地区への反日ゲリラ、米軍の反攻の予兆、ソ連の脅威等が強調されていた。これらの脅威への対抗力として、若者は鍛えられているのである。
妙子はとりあえず、返事した。
「まあ、とにかく、頑張ります」
「藤倉さんは若くて良いわね。私なんか、既に40も後半だから」
「そんな、先生もまだお若いですよ」
「藤倉さん、ありがとう」
2人は廊下で別れた。妙子は思った
「軍事教練か。朝から現実を突きつけられてしまったな」
今日、軍事教練があることは予め分かっていたことだった。学校まで、自転車を飛ばしながら、このことは考えまい、ともしていた。しかし、「軍事教練」という現実からは逃れられない。「逃れる」といったところで、何処に逃れるのか。軍事教練をさぼりでもしたら、きっと、学校から家庭に連絡が行くのみならず、隣組でも問題になるだろう。隣組内で問題にでもなったら、食料の配給等に悪影響が出るであろうことは、容易に想像できた。さらには、非国民呼ばわりされて、隣組内で村八分のような扱いになるかもしれなかった。家庭も学校も「聖戦完遂」、「皇国必勝」のスローガンの下、国家に統制され続けていた。これが、妙子が物心ついた頃からのこの国の現実であった。
妙子は思った。
「それにしても、嫌なのは・・・・・」
何が嫌か。軍事教練担当教師の橋田至誠である。橋田は、元陸軍の軍人で、南方に出征したこともある経歴の持ち主であった。ことあるごとに、
「大東亜戦争の正義」
を唱え、昭和17年のミッドウエー海戦での日本の勝利への道を
「日本の正しさ」
として、熱く唱える男だった。そこには、有無を言わせぬ圧倒的強さがあった。反論などできそうにもなかったし、妙子は反論したこともなかった。まだ、人生の半部をも知っていない17歳の女学生には反論する材料にも乏しかった。
「しかし・・・・・」
軍事教練の時、
「へっぴり腰だ」
「気合が入っとらん」
等、ことあるごとに怒鳴られるのはたまったものでなかった。妙子等は、教練の時は、空中に向けて竹槍をふるい、藁人形を突き刺した。それは見たこともない敵に向けて戦っている姿でもあった。
「一体、誰と戦っているのか」
昭和18年の戦勝から、既に12年の歳月が経っていた。ミッドウエー海戦での勝利への転機をつかんだ世代とは、徐々に世代間格差が出来つつあった。
廊下を歩いていた妙子は教室に入った。午後からの軍事教練のことを思うと、どうも気が重くなる。胃が重くなり、もたれるような感触があった。
2-4 昼食
午後の軍事教練の前に、弁当を食べ、昼食にしておかねば、無論、身体がもたない。
妙子は同学年の友人・柴崎富子、江口涼子の2人と弁当を広げた。
弁当はいつものように、ふかしたジャガイモとサツマイモ、カボチャであった。白米は勿論ない。富子も涼子も同じかと思ったら、涼子の弁当には卵焼きが入っていた。
「涼ちゃん、それどうしたの」
「私の親戚が小さいけど農家なのよ。親戚の縁で、少し、卵を分けてくれた」
妙子は思った。
「農家か。私にも、親戚に農家の人がいるみたいだけど、付き合いもないしね。こ
の食糧難の時代には農家も悪くないのかもしれない」
母の静江は、都会の暮らしに憧れて、東京に出て来た女性だった。そこで、父となる峯雄と出会い、そして、妙子が昭和13年にこの世に生を受けたのだった。しかし、母の都会への憧れが、昭和30年の今になっては、仇になった感じでもある。
涼子が言った。
「母が私のお弁当に卵を入れてくれたのは、今日、軍事教練なので、体力が要るだ
ろうからって、ことだったの」
涼子にとっては、今日は、ささやかな特別のごちそうだったと言えるかもしれない。国家に流通を握られている状態では、何処に逃げ口を持っているか、で、「食」という毎日に欠かせないものにさえも、違いが出た。
富子が言った。
「あ~あ、何で、橋田の顔を見なければならないのよ。一体、私達、何と戦ってい
るのかしら」
涼子が言った。
「それは皇国日本の敵としての鬼畜米英とかでしょ。私達も頑張らないと」
富子が言った。
「鬼畜米英って、どんな人達?私達、見たことすらないじゃない」
富子は内心思った。
「涼子、今日、あんた、卵持っているわよね。あんたは少しでも恵まれているかも
しれないけど、みんな飢えているのよ。気安く、鬼畜米英との戦いなんて、言わな
いで」
何となく気まずい雰囲気になった。
それを察した妙子は言った。
「もうよしましょう。橋田に聞かれたりでもしたら、滅多なことじゃすまなくな
るわよ」
2人とも、
「橋田」
の名を聞いて、納得したのか、静かになった。
「さあ、もう早くしましょう。軍事教練に遅れたら、それこそ、大目玉を喰うわ
よ」
妙子は2人を急かした。午後の教練の時間が迫っていた。それは間違いのない事実であった。
2-5 軍事教練
「そんなへっぴり腰でどうするか!」
グラウンドには指導教官・橋田の声が響いていた。妙子、富子、涼子も必死に力いっぱいに竹槍をふるっていた。
夏の暑い盛りである。全身に汗がしたたる。誰を相手に戦っているのか。「鬼畜米英」という見えぬ敵に対してではあったものの、妙子等にはイメージがつかないのが現実であった。
太陽は、妙子等に容赦なく照り付けていた。そのうちに、軍事教練に参加している女学生のうち、1人が倒れた。暑さに参ったらしい。ひょっとしたら、食糧難での空腹も追い打ちをかけたのかもしれない。
傍の生徒が叫んだ。
「先生、〇〇さんが倒れました」
妙子はちょっと、怖くなった。
「あのさんはどうなるのかしら。ひょっとして、橋田に『気合が足りない』なん
て、怒鳴られて、叩かれるんじゃないかな・・・・・」
橋田は言った。
「おい、そこの奴、そいつを医務室に連れて行ってやれ」
「はい」
2人の生徒が返答すると、肩に担いで、その倒れた生徒を校舎内に運び込んだ。その後、何10分かして、教練は終わった。
教練の後、いつものごとく、橋田の訓示があった。
「今、日本は非常時の只中にある。我が皇国を支えるべきお前らは気合が足りぬ。
前線で戦う皇軍兵士に申し訳ないと思わぬのか!」
相変わらずの怒声である。照り付ける太陽と並んで、二重の責め苦であり、或いは、拷問であった。それ故に、橋田の話の内容は、かえってまるで頭に入らない。先の倒れた生徒のように、自分達もどこかで倒れてしまえば良かったのかもしれない。そうすれば、涼しい場所に連れ込んでもらえるかもしれないのである。きっと、涼子や富子もそう思っているのかもしれなかった。
「・・・・・であって、我が皇国の聖戦たる大東亜戦争完遂と大東亜共栄圏維持
の意義は・・・・・」
相変わらず、橋田の怒声が続いていた。妙子等は、さっさと終わることを祈るばかりである。人間は、照りつける太陽という自然の前では無力である。
「以上!」
漸く、橋田の怒声演説が終わったらしい。
「では、宮城の方角に向かって、全員で捧げ銃!」
四角く並んでいる女学生達が一斉に向きを変え、竹槍によって、捧げ銃を行なった。1時間弱の、しかし、ひどく長く感じられた軍事教練は終わった。
生徒達は、各自、教室に戻り始めた。富子が妙子に話しかけた。
「妙ちゃん、お疲れさん。今日は暑くて、本当に大変だったわね」
「そうね」
妙子は肩で息をしながら答えた。
富子が続けた。
「今日は、ひどく暑くて、かえって良かったんじゃない。こんなに暑くなければ、
橋田が、今日の訓示の内容を言ってみろ、なんて言ったかもしれない。暫く前に、
列の先頭にいた子で、ぼんやりしていて、訓示の内容を十分に言えず、ぶたれたこ
とがあったじゃない。涼ちゃん、今日、列の先頭の方にいたから、ちょっと、心配
だったのよ」
「そうね、何もなくて良かった」
「何もなくて」という妙子の言葉には、とにかく、橋田の暴力という嵐が過ぎ去ってくれて良かった、という安堵の気持ちが表れていた。軍事教練が終われば、とにかく、1日は無事に終わったというところであろう。
その後、1日を何とか無事に終えた妙子達は、夕方、下校の途についた。空腹ではあるが、快走する自転車の顔を打つ風が心地良い。自転車で自分の町内に近付いた時、妙子は道端で何かが起きているのに気付いた。人々が集まって来ている。制服姿の警官も来ていた。
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