第20話 緊張

 病院内へと戻り、病室へ向かう武井さんを見送る――

 つもりだったのに、それは許しませんとばかりに、袖をつかまれ引っ張られていく。


「ちょ、まずいって……俺って完全に部外者だろ。家族水入らずの場面に確実に水を差す」

「……早苗もいるから大丈夫です」

「いや、それ大丈夫じゃないやつだろ。鎧塚さん、家族みたいな関係だと思うし……俺たちは幼馴染って言っても、ご両親に会ったことないし」

「あとで私もご挨拶に伺いますから」

「……そういう問題じゃない!」


 抵抗してもより強い力で引っ張られてしまい、エレベーター内に押し込まれる。


「両親には……翔太君のこと、話してありますから……平気です」

「話したって、どんな風に?」

「秘密です。会いに来てくれたんですよね? だったら一緒にいてください」

「……それ卑怯だ」

「楽しい!」


 武井さんはヘーゼル色の瞳を少しだけ潤ませて、だらしないくらい口元を緩め笑顔になる。

 写真に残しておきたいような表情に戻ってくれたのは心底嬉しい。


 循環器内科の6階病棟に着くと、ナースステーションに一礼してさらに俺を引っ張っていく。


「逃げたりしないから。ちょっと落ち着かせて」

「10秒でお願いしますね」


 ご両親と対面。

 こんなことになってしまうとは、学校を出るときは思いもしなかった。

 失礼のない様にしないと。

 今後に影響が――

 あっー、俺、なに考えてんだ!


「落ち着きましたか?」

「いや、まだだめ……」

「では、行きましょう」

「だめだって……」

「では、ここで少し気を静めていてください」


 武井さん、完全にいつも通りを取り戻していた。

 いや、なんかよりからかいに磨きがかかっている気さえする。


 病室前のパネルに触れると――武井正と名前が患者名がわかった。


 入院している病室はどうやら個室らしい。

 俺を廊下に残した武井さんは意気揚々と入っていく。


 逃げたい――


「……あの、失礼ですか、もしかして、松井翔太君ではありませんか?」

「えっ?」


 大げさに深呼吸をしていた俺に誰かが声を掛けてきたので目線を上げると――

 そこには、ヘーゼル色の瞳を瞬きさせ、ブラウンの髪を靡かせている女の人がいた。

 かなり若く見えるその容姿だが、誰なのかは一目瞭然だった。


「は、はい、あ、あの、初めまして」

「Très bien,très bien.」


 興奮したように、武井さんのお母さんは俺に熱いハグをしてくる。


「ふぁ……えっ、ええっ! ……」


 武井さんと同じシャンプーの匂いが鼻をくすぐった。


「Ma.. Maman, que fais-tu ?(お、お母さん、なにしているの!)」


 病室から顔を出した武井さんは唖然とした表情になる。


「Megumi, je suis contente pour toi.(メグミ、よかったわね)」


 武井さんの顔がかあっと赤くなった。


「……もういいから、お父さんのところに行ってください」


 武井さん、家族の前だと喋り方が少し変わるのか――

 緊張しながらも俺も武井さんに手を引かれ、病室内に足を踏み入れる。

 ベッドの上には、仰向けの姿勢で横になっている男性がいた。


 患者衣を着ていてもどこか風格が漂い、それは数々の修羅場を乗り越えてきたことを察するには十分で――

 こっちの緊張感を増し、背中にいやな汗をかく。

 その目が場違いな俺の姿を捉えた。


「おや……」

「す、すいません。こんな場所にお邪魔してしまって……松井翔太と言います。武井さん……じゃなかった。お嬢さんのクラスメイトで、その……」


 そこまではスラスラと発言できたが、そこから何と言っていいのか言葉を詰まらせてしまう。

 武井さんとそのお母さん、鎧塚さんは3人とも口元を抑え、笑いをこらえている仕草で状況を見守っていた。


「君が、翔太君か……」

「は、はい……」

「こんな格好ですまないね、娘がお世話になっているようだな……」

「いえ、そんな……」

「娘を泣かせたことも聞いている」

「へっ、それは……はい、事実です。俺もものすごく反省して、今後そのようなことがない様に肝に銘じて後悔しないように、その……」


 言葉にしていて、何とも言えない気持ちになっていく。

 もう離れたくはない。だからこそ、遠くでも会いに来たんだ……


「お父さん! 翔太くんをいじめないで」

「すまないね。だか、親として言わせてくれ……娘を泣かせるようなことをしたら、許さんぞ」

「は、はい」


 圧の籠ったその声に一瞬ひるみながらもなんとか返事はできた。


「娘の為にこんな遠くまで、ありがとう。今後ともよろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「早苗君、2人のことをよろしく頼む」

「はいっ。心得ています」




 何事もなければ翌日には退院できると言うことで、武井さんたちはホテルに宿泊するというのを横で聞いていたのだが……


 俺の部屋も取ってくれたらしく、病室を出て妹に事情を説明する。今日は帰れないことも伝えた。




 武井さんのお父さんは翌日の土曜日無事に退院し――

 一泊二日の武井さんに会いたいを無事に達成し、家へと戻った。

 ご両親との対面という予想もしなかったことだけど、これだけは言えることがある。


 病院に駆けつけてよかった――武井さんに会えて心底嬉しかったと。


『明日が楽しみですね。最高の一日にしましょう』


 週末に出かけようという約束は消えてなかったようで――


 俺がメッセージを送ろうとしたタイミングで先を越されてしまった。

 この日の夜はそわそわして早めに布団に入る。


 そして、ド緊張の日曜日を迎える。

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