第14話 遭遇
「少しだけ待っていてください」
考えてみれば異性の家に上がることなど、今まで経験がない。
額の汗をぬぐい、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
武井さん実はこれが狙いで、面白がって待たせているんじゃないかとさえ思ってしまう。
現に招き入れてもらった時は、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
もう何度目かさえも数えていないが、迂闊にも見惚れてしまい緊張はさらに高まってしまう。
「すいません、遅くなりました。どうぞ」
「……お、おじゃまします」
玄関には武井さんの靴しか置かれていないのを見て、少しだけ安心する。
ほんとに1人暮らしをしているようだ。
「今、お茶を入れてきますから」
「いや、お構いなく。すぐ帰るから」
「2人きりでは退屈だということですか?」
「そ、そういうわけじゃない」
「では、紅茶でいいですか?」
「は、はい……」
広々とした室内に立ち尽くしているのは恥ずかしいと思い、ソファに腰掛ける。
部屋の端っこに開封されていない段ボールが置かれていいるのが目につくが、掃除は行き届いていて清潔感のある部屋だった。
武井さんの匂いも微かにして、ここが彼女の部屋なのだと思うと――
くそう、卑怯な。
「あれ……愛犬、いなくない?」
あまり見て回るのは失礼かなとも思い、少し見回すだけにした。
犬を飼っている気配なし。教科書を食いちぎられたと言うから、どんな凶暴な犬かと思ったが――
「おまたせしました」
エプロン姿の武井さんが、湯気の上がるティーカップとクッキー皿をテーブルに置いた。
「いただきます……」
緊張で喉が渇いていたためにカップに手を伸ばす。
持つ手がすごく震えるが緊張を悟られたらまた何を言われるか……気づかれてはならない。
そう思ったのに――
「あらあら、女の子のお部屋は初めてですか?」
「うっ……」
「独り暮らしのお部屋です」
「ううっ……」
「この前の放課後の続き、してみます?」
「ちょ、なに言ってんだよ?」
武井さんは口元を心底緩め、からかうようにこちらを見た。
紅茶を一口飲む前に、動揺とさらなる緊張が走る。
武井さんを甘く見てはだめだな。
油断してると一気に攻められることになってしまう。
「い、犬って飼ってないの?」
「ここでは飼ってはいないですね。翔太君は猫好きですよね。実家には猫も飼っています」
「そうだな、俺は猫が……そんな話はいいよ」
「そちらから、話題にしたのに。ペットトークでは緊張はほぐれませんか、困りましたね。私だけが楽しんでしまって、申し訳がありません」
「……」
どうみても申し訳なさそうな顔ではない。憎たらしくも可愛らしい笑顔だ。
紅茶をぐびぐび飲んで、出されたクッキーを摘まんでみる。
あっ、これ美味しい。
「昨日、焼いたんですよ。よかったです、お口に合ったみたいで」
「ま、まあまあかな」
「素直じゃありませんね」
「……美味しいです」
「agréable(楽しい)」
武井さんの家という不利な状況下では、こちらから攻めることは容易ではなく、終始受けっぱなしだった。彼女がそのことに満足したころには、紅茶のお替わりもクッキーも空になる。
長居しすぎるのも悪いと思い、帰るタイミングを見計らっていた俺は立ち上がった。
「ご、ご馳走様でした」
「お粗末様でした……しょ、翔太君、連絡先を交換してくれませんか?」
それはこっちから申し出ようと思ったのに、先を越されてしまった。
「独り暮らしというのは何かと物騒で……困ったときは相談させていただければと……」
「わ、わかった」
指先を震えさせながら連絡先を交換すると、武井さんは少しヘーゼル色の瞳を潤ませてスマホの画面を見つめる。
「勇気を出した甲斐がありました」
そんな顔でそんなこと言葉にされると、恥ずかしくなってしまう。
マンションを出た時には外は暗くなり始めていた。
浮かれる気持ちを抑えながら、家に帰ろうとしたところで声を掛けられる。
「……すいません」
「はい?」
「少しお話を伺えないでしょうか?」
「……えっと、どちら様ですか?」
ロングの黒髪と勝気な黒い瞳が印象的なお姉さんを俺は首を傾げながら見つめたのだった。
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