第8話 彼女はなんて言ったのか

 小さいころ一方的に喧嘩別れしてしまった幼馴染。

 たしかにあいつもヘーゼル色の瞳にブラウンの髪のハーフだったように思う。

 頭にいろんなことが浮かび、武井さんの後ろ姿に声もかけられなかった。


 そのまま真っ直ぐに家には帰らずに、俺は書店へと向かう。

 スマホでフランス語の勉強をしていたが、それだけではカバーしきれない。

 武井さんがこれまでなんて言っていたのかが、なんだかものすごく気になり、その衝動を抑えられず――

 何冊か教材を買い込んだ。



 家に帰ると、早速リビングでフランス語の勉強に取り掛かる。

 ただでさえ聞きなれない外国語だ。

 彼女の発した一語一句を思い出すのは骨だった。


「なんだったか、魚みたいなこと言ったような……マグロ、イワシ、違うな……サバ? そう、サヴァとか言ってた」


 Ça va《サヴァ》……お元気?


 その意味を理解しただけで体が小刻みに震えだしてしまう。

 ただでさえ、怪しいと思ってはいた。

 でも考えないようにしていたのも事実。


「たしか、他にも何か言っていたけど……」


 かれこれ1時間くらいフランス語での日常会話を勉強し、ようやくそれを発見する。


 "Tu m'en (チュマン)veux(ヴ)?――あなた怒ってる?


 昨日の放課後、体操着の匂いを嗅いでいたときそんなことを言っていた。

 俺の体操着を勝手に出したから、そんなことを発したのかもしれない。


 でも――


 俺には別の意味のようにも受け取れる。

 考えすぎか、思考が突飛すぎるか……



 そう考えると妙につじつまが合ってくる。



 だが1つの疑問がぬぐえない。

 名前が違うんだ。だからこそ別人だと思った。


「俺が毎日遊んでたあいつはケイだ。苗字は知らないけどメグミじゃない。周りにもそう呼ばれていた記憶がある」


 うーんと腕組みをしていて、よほど集中していたのだろう、妹が帰ってきたことすら気が付かなかった。


「何唸ってるのかな、お兄ちゃん……ああっ、フランス語。高校生になると英語以外の外国語とも戦わないと行けないの!」

「ちげえよ。クラスにたまにフランス語話す子がいるんだ。それでちょっと気になって」

「なあんだ。びっくりした。言葉が足りないとモテないよ、お兄ちゃん」

「お前が勝手に思い込んだんだろ」


 妹の明子あきこは名前通りとにかく明るくポジティブだ。

 学校では猫かぶりしているというのを聞いたことがあるが、家での様をみたらクラスメイトは驚くかもな。

 勉強するなら運動、宿題するならテレビかゲーム。

 しかもそれで成績は上位という化物だ。

 あんまり考え込んでいるところを見たことがない。


 机に向かわない妹を両親は心配しているようだけど、俺はまるで心配などしておらず、将来は自分で決めた道を突き進むような気がしていた。


「お兄ちゃん、あたし汗臭いかな?」

「そんなに匂わないけど……逆に女子って男子の匂いって気にするもの?」


 それは何気なく聞いた問いだったが――


「男子っというか、好きな人の匂いなら気になる人多いんじゃないかな。いわゆる匂いフェチ」

「はっ……匂いフェチの人って、匂いに敏感な人なんじゃねえの?」

「敏感な人だと思うよ。だから、好きな人の匂いにも敏感かな。ど、どーしたの、お兄ちゃん? 顔が真っ赤だよ、具合悪いならお布団敷こうか?」


 好きな人。まさか――

 まさかな。


「いやなんでもない……なあ明子、この辺に武井って苗字の家あったっけ?」

「武井……なかったと思うけど」

「そっか……」

「とりあえずシャワー浴びてくるね。悩んでるならあとで話くらい聞けるよ」


 明子の手はラケットの素振りで血豆が出来ていて痛々しい感じになっていた


「頑張ってるよな、お前」

「そうかな。お兄ちゃん、あたし、アイスが食べたいなあ……」


 キラキラと輝くような目で妹は俺を見てくる。


「しょうがない。買い物ついでに、買ってきてやるよ」

「さすがお兄ちゃん、大好きだよー」

「今日は生姜焼きにでもするか」

「やったぁ。太らないように注意しないと」


 嬉しそうに妹はお風呂場へ向かった。

 疑問は明日確かめてみよう。

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