第4話 変貌
放課後の教室に武井さんと2人きり。
俺の様子を見た彼女は獲物を逃がさない狩人のごとく接近してきた。
「た、た、武井さん、ちょ、ちょっと落ち着いて!」
「Tu n'as rien vu(あなたは何も見ていない)」
「えっ?」
「Je te tuerai si tu en parles à quelqu'un(誰かに話したら殺す)」
「ええっ?……」
「Je ne pouvais pas le supporter!(我慢できなかったの!)」
俺は後ずさりするしかなく、一瞬で壁へと追いやられ、
バンッ!
と、俺の顔の横には武井さんの左手が広がった。
退避しようにも武井さんの圧がものすごくて、身動きが取れない。
「ご、ごめん。フランス語よくわからない。それと、ちょ、ちょっと近い!」
「
そのヘーゼル色の瞳は少し潤んでいるがなんとなく熱く、いつになく強い目力を放っている。
ブラウン色の髪からはシャンプーと体臭の混ざった甘い香りが鼻腔をくすぐり、思わず本能を刺激される。
あっ、ああ。武井さん匂いフェチだったりするのか。
だから体操着を――
「……今さっきのことなら、誰にも言わないから安心して」
「言ったらわかってますね?」
武井さんがぎゅっと体操着を持つ手を握るのでその手に持っていた体操着にしわが寄った。
「は、はい……それはそうとさ、何か色々しつこくしちゃってごめんね」
「はあああっ?」
ミチミチっと嫌な音が聞こえる。
「あ、体操着が変な音してる……いや、今日のことだけど、ほら必要以上に話しかけてしまったり、出しゃばったりで……せっかくの隣同士だから、もうちょっと仲良くなれればと思っただけなんだ」
「待って、待ってください。もしかしてまだ気が付いてないんですか? さっきの声聴こえたんじゃ?」
「驚きの声はさすがに聴こえたけど、あとは良く聞こえてないけど?」
キョトンとした顔でぱちぱちと瞬きする。
武井さんの渾身の握力は少し弱まったようで、体操着は破られずにどうやら済んだ。
それにしても、美少女すぎてこんな近くだと真っ直ぐ見られず、なぜか鼓動が波打ってしまう。
「そうですか……」
「不本意だと思うけど、俺はこうして話せてよかった……じゃあ、そろそろ帰ってもいい?」
「ダメです!」
またも俺の体操着にしわが寄る。
「ぎやあぁ、もう預かるよ、それ……ダメかあ、わかった、じゃあ怒りを込めて一発殴ってくれ」
「だから、さっきから何を言ってるの!」
「口調が……」
「おほん……ちょっと松井君にお聞きしたいことがあります」
「ごめんなさい」
「いや、もうほんと何言ってるの! まだ何にも言ってない」
「口調が……」
おほん、おほん。武井さん今度は2回咳払いした。
大層な溜息を吐いてさらに半歩前へ出る。
「勘違いも甚だしいですが、松井君は特に何もしていませんよ」
「えっ……ええっ! ちょまって、その前に、俺もう、つ、つま先立ちだから」
「ちゃんと立てばいいんです。むしろ、謝らなければいけないのは私の方です。気持ちが高ぶってしまい、それが避けるという行動を生んでしまいました。嬉しくてつい……おかげでそれ以上をもらいましたけど」
「ちょっとよくわからないけど、本当に怒っていないってこと?」
「なんで私が怒るの? むか……ごほん。わからない部分はこれから教えます……私のことお嫌いですか?」
「き、嫌いじゃない」
「それならはっきりと言いますね」
武井さんは口元をだらしない様に緩め、真っ直ぐに俺を見据えた。
「今後、私からは避けることは絶対にしません! だから松井君もどんどん話しかけてきてください」
「えっと……」
「いいですね?!」
「は、はいっ」
思わず返事をしてしまうほどの有無を言わさず強い意志をヘーゼル色の瞳からは感じた。
「私の方が松井君を怒らせてしまったかと気が気ではありませんでした……んっ?」
ちょっとだけ首を傾けた武井さんは、はっとしたようにさらに体を寄せてきた。
「なんでまた近づく! これ以上は色々やばいからな」
もう肘のとこに微かに胸が触れている。
吐息さえも肌をかすめてしまう距離に、俺の心臓は信じられないほど脈打つ。
「真っ赤ですね、顔。やばいとは? しょ、いえ松井君、あなたもしかして……」
武井さんの方こそ顔は赤い。そして興奮を覚えたのか、さらに朱に染まっていく。
「そういうことなのですね」
「何を勝手に納得してるんだ。お、俺に怒ってないんなら、そろそろ、帰らせてもらうから」
これ以上は理性が持ちそうもないので、手でブロックされていない右側から抜けようとした。
ありえないくらいの至近距離だから、多少触れてしまうのは覚悟の上だ。
動くことが予想外だったのか、さらに前に出ようとしていた武井さんはバランスを崩し、前のめりになる。
「あぶね!」
声と共に咄嗟に体が動き、武井さんのお腹に手を回して体を支えた。
「
武田さんはまたも潤んだヘーゼル色の瞳を俺に魅せた。
そしてここで事件が起こる。
ガラガラと勢いよくドアが開き、クラスの元気印とも評される白石が来てしまった!
「体操着忘れちまったぜ、お馬鹿さん。汗くせえと女子にきらわれ……」
教室内に俺たちがいると気が付き、さらに俺が武井さんの体を抱きしめている状況に白石は驚愕の顔を浮かべる。
「なんじゃこりゃ! 翔太、すまねえ! 超邪魔したわ。今日はやけに積極的だと思ったら、手を出しちまう畜生だったんだな」
「待て、誤解だ」
「あばよ!」
捨て台詞を吐いて、超が付くほどの全速力で駆け出した白石君はあっという間に見えなくなった。
あっ、これ俺の高校生活完全に終了した瞬間なんじゃ。
「手間が省けました」
「いや、ちょっと意味がわかんない」
「私は覚悟を決めます、松井君も覚悟を決めてください」
「えっ?」
武井さんは俺の腕の中で優雅な微笑を浮かべている。
翌日から、武井さんは言葉通り俺を避けることはなくなった。
だが、それは新たな疑問を俺に生むことになる。
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