心の支配

「んで? その後進展は?」


 昼休み。机に肘を突いて100円パックのコーヒー牛乳を飲む俺の友人、花菱慶悟はなびしけいごが聞いてくる。


「あったら苦労しないよ」

「なぁぁぁんだそれ! 恋は爆発だ噴火だとか語ってたくせに何もないのかよ!」

「無理に決まってんだろぉぉぉ! あれ以来話し掛けるどころか近づくことすら出来てないんだからぁぁぁ!」


 俺、仲嶋寿なかじまたもつは頭を抱えて泣き崩れた。


「いやいやいや! あれから一ヶ月経ってるんだぞ? 何もないわけないだろ!」

「本当に何もなかったんだよぉぉぉ!」 

「その子は毎日同じ電車で同じ車両に乗ってきてるんだろ? チャンスなんか毎日あるじゃねぇか」


 チャンス。そう、チャンスはいくらでもあった。あの子に話し掛けるチャンスが。


 俺は現在進行形で絶賛恋心真っ最中なのだ。想い人は下校の電車で会う同年代の女の子。滑らかな艶のあるストレートの黒髪、光に反射するぐらい決め細やかな白い肌、そして凛々しくも優しさを漂わせる麗しいあの姿。電車で見た俺はその子に間髪入れずに一目惚れしてしまったのだ。


 俺はなんとか彼女とお近づきになりたいと思い、クラスメイトである慶悟に相談していたのだった。ただ、時は一ヶ月を過ぎ何の進展もなし。慶悟が怒鳴るのも無理はない。


「チャンスはピンチ、って言うじゃん」

「ピンチはチャンスだ! 逆だ!」

「いや、ピンチはチャンスってことはイコールが成り立つわけだろ? ということは、チャンスはピンチということでもあるじゃん」

「そんな屁理屈聞いてねぇ! 話し掛けろ、って俺は言ってんだ!」

「何て声掛けたらいいか分からない」

「話題なんかいくらでもあるだろが!」


 椅子から立ち上がり、今にでも机をひっくり返しそうな勢いの慶悟。寸前のところまで来ていたのだろうか、落ち着こうと深く深く息を吐き、それからゆっくり椅子に座り直した。


「寿がそこまでチキンとは思わなかったわ」

「俺も自分で自分が情けないよ」

「分かってるなら行動しろよ」

「分かってても動けないから困ってるんじゃないか」


 頭では計画を立てている。心にも嘘偽りない。しかし、いざ行動しようとなると脳からのアクセスエラーが起きるのか思うように動けない。まさに恋、って感じだろ?


「何だ、そのドヤ顔は?」

「えっ? ああ、いや何でもない」

「お前あんだけ恋について熱く語ってたのに、何でその情熱が行動に移せねぇんだ?」

「語りと行動はイコールじゃないぜ?」

「よく堂々と言えるな? 口だけで行動しない。世間じゃそれを無責任と言うんだよ」

 

 呆れたように慶悟が項垂れ、飲み干したパックをゴミ袋に入れた後、真剣な顔で俺に向き直る。


「この際だからきちんと言っておくぞ? 俺はお前がその子と仲良くなりたいと本気でお願いしてきたから貴重な昼休みを潰してまで話を聞いてやってるんだぞ? しかも一ヶ月も。やる気がねぇんならもう付き合わんぞ」

「や、やる気はあるさもちろん。俺だって何も考えていなかったわけじゃない」

「じゃあ、どんな考えがあったんだ?」


 俺は姿勢を正し、咳払いを一つしてから語り始めた。


「まず、その子が電車に乗ってくる時間、車両、そしてどの辺りに身を置くのか一週間観察して把握した」

「ほう。で?」

「彼女が降りる駅は六つ隣の平沼駅。時間にして約二十分。二十分となれば世間話や趣味の話など十分に話せる時間だ」

「たしかにな。それから?」

「彼女はいつも本を読んでいる。表紙はブックカバーをしているからどんなものなのかは分からないが、それさえ知れれば話し掛ける口実が一気に増えるんだがそこまでは至ってない」


 なんだろう、この感じ。洋画なんかで観るスパイものとかでこんな感じで作戦会議するシーンがあったよな? やべっ、なんかテンション上がる。


「お前は深く考えすぎだ。口実なんかあの出来事で十分だろ。“この前は拾ってくれてありがとう”って」


 実は彼女とは全く接点がないわけではない。電車の席でウトウトしていた俺は握っていたスマホを落としてしまい、たまたま隣にいたその子が拾ってくれたのだ。その時の笑った顔……ああ愛しい!


「キモイキモイキモイキモイ! 過去に耽ってにやけるな!」

「おお、すまん」

「ったく。話を戻すぞ。今も言ったが、口実はその時のお礼を伝えるで十分だ。これなら何も不自然なところはない」

「でも、それ一ヶ月も前の話だろ? 今さらな感じしないか?」

「ええ、ごもっともです! お前がモタモタしてなけりゃあな!」


 やぶ蛇だった。もう余計なことは言わないようにしよう。


「その話題はたしかに今更感が否めん。けど、別に使えないわけじゃない。“ずっとお礼が言いたかったけど中々会えなかった”とでも付け加えれば問題ない」

「なるほど」

「でも、寿の十分分析してあとは行動移すのみのところまで来てんじゃん。何でやらなかった?」

「いや、条件が合わなくてな」

「条件?」


 同じ車両に乗ったとしても、彼女との距離が遠いのにわざわざ近付くのも怪しい。だから、俺はある条件を自分に課した。


「彼女が俺の“横に座ったら”声を掛けよう、と。でもそう簡単に事が運ばないのが人生なんだな。人が集まりすぎて隣を他の人に座られたりしてさ。『彼女を横に座らせたいんで譲ってくれませんか?』なんて常識的に言えないしさ」

「なぁぁぁんだその条件!? それが原因じゃねぇかぁぁぁ! 俺の一ヶ月返せぇぇぇ!」


 ついにキレた慶悟が俺の胸ぐらを掴んでブンブン振り回してきた。


「さっきから何の話してるの?」


 慶悟にブンブン振り回され吐き気が催してきた頃、もう一人のクラスメイトの神永麻里かみながまりが近付いてきた。頭部を丸く束ねた髪型に赤縁眼鏡。言いたいことは隠さず口にし、それが災いして近づき難い人物として広まっている。まるでザ・委員長という出で立ちだが、実際は俺と同じ帰宅部である。


「神永! 寿を今から窓から落とす! 手伝ってくれ!」

「殺す気か!?」

「当然だ! 俺の一ヶ月を死で償え!」

「神永! 助けて!」

「私、この歳で犯罪者にはなりたくな――」

「駅前の新装オープンしたデザート食べ放題店はどうだ?」

「あら? 偶然にも指紋が付かないための手袋がここに」

「何でそんなもん持ってるんだよ!?」


 というか神永関係ないのに何でそんなノリノリなの!?


「まあ、冗談は置いといて。二人は何の話をしていたの?」

「興味あるのか?」

「そりゃあ、そんな真剣な顔して話してたら気にはなるわよ」

「神永には関係ない」

「いや待て、寿。ここは女子目線の意見も取り入れた方がいいんじゃないか?」

「……なるほど。一理あるな」


 納得した俺は神永に俺が恋のハリケーンを発生させ、そして意中の彼女をどうにかその中心に入れたいという想いを包み隠さず話した。


「……まず最初に言っていいかしら?」

「おう。気付いたことがあったら何でも言ってくれ。参考になる」

「どうしたらその子と近付ける、神永!」

「え~と、近付けるというかその前に……」


 困ったような、もしくは嫌悪を抱いたような複雑な顔で神永ははっきりとこう口にした。


「仲嶋のやってることって、ストーカーじゃない?」


 渾身の正論ボディブローが俺に炸裂し、床に崩れ落ちた。

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