メアリーの危機

アリメーは真夜中にパチリと目を覚ました。これはアイシャが同室になった時からの習慣だ。ベッドから起き上がり、となりのアイシャのベッドを見る。案の定アイシャとミナは毛布から飛び出していた。しかもアイシャの足がミナのお腹の上にあってミナは苦しそうだ。アイシャはとても寝相が悪いのだ。メアリーはアイシャの足をミナからどけてやり、毛布を二人の胸元までかけてやる。


アイシャは教会で自分が一番年上だから、下の子供たちの面倒を見ていたのだと得意げに言っていたが、この調子では神父のロナルドが夜中にアイシャたちの毛布をかけ直していたに違いない。メアリーはアイシャたちのベッドの下の方にうずくます黒猫のドロシーに目を向ける。ドロシーは寝相の悪いアイシャにけられないように、いつもはしっこの方に寝ているのだ。メアリーがアイシャの毛布を直しにくると、いつも耳をピクピクさせている。


「おやすみドロシー」


メアリーの言葉にドロシーはしっぽを一つパタンとさせる。ドロシーなりのおやすみの合図だ。メアリーは自分のベッドに戻り、目をつむる。だが再び眠りがおとずれる事はなかった。


この日の午後メアリーはマリアンナの自室に呼ばれた。呼び出された原因は分かっていた。次の召喚士適正試験の事だ。メアリーはこの試験に二度も落ちている。そして今回が最後のチャンスなのだ。この試験に落ちればメアリーは召喚士養成学校を退学しなければならない。


「メアリー、分かっているとは思うが、今回だめだったら退学だぞ」


マリアンナはため息をつきながら言った。メアリーはじっと自身の手の甲を見つめていた。


「はい、今回だめだったら潔く退学します」


マリアンナはもう一度ため息をつくとメアリーに話しだした。


「なぁメアリー、これは何度も言った話だが、召喚士の適性とは心の清らかさもあるが、何より魔力が弱い者なのだ。メアリー、お前には強い魔力が備わっている。私がうらやむくらいにな」

「・・・、私は先生の方がうらやましいです。スノードラゴンと契約したんですから」

「ああ、今となってはスノウのいない人生は考えられない。スノウは私の半身だ」


メアリーとマリアンナは向かい合って座っているが、メアリーはマリアンナの顔を見ようとはしなかった、ただただジッと自分の手の甲を見つめたままだった。マリアンナ以外の教師は、メアリーの強い魔力を惜しみ、召喚士養成学校を辞して、魔法学校に編入する事を強く勧めていた。


だがマリアンナはメアリー自身が納得しなければ悔いが残ると、メアリーの意思を尊重し、メアリーをマリアンナのクラスに留め置いてくれていたのだ。だがそれも限界だった。


メアリーはつらつらと、自分が何故召喚士になりたかったのかを思い出していた。メアリーは貴族の家に生まれ、なに不自由なく育てられた。父と母はメアリーをとても可愛がってくれた。メアリーの将来の夢は魔女になる事だった。


メアリーの父は彼女の夢を応援するため、メアリーが九歳の時に、魔女の家庭教師をつけてくれた。魔女の家庭教師は五十代くらいの女性だった。魔法使いはプライドが高いとは聞いていたが、彼女は傲慢で高飛車な性格で、メアリーはあまり好きにはなれなかった。家庭教師はメアリーの魔力が強い事をほめそやし、自身が家庭教師である事を誇るようにと言った。メアリーはこの家庭教師の元、火のエレメント契約と、水のエレメント契約を果たした。エレメント契約とは、自然界に存在する火、水、土、風の四つのエレメントと契約し、魔法を使う事ができるようになるのだ。魔力の少ない者だと四つ全てのエレメント契約をする事ができず、自身と親和性の高いエレメント契約しかできない事が多い。だがメアリーは全てのエレメント契約ができる素質があると、家庭教師に太鼓判を押されたのだ。


メアリーは特に火のエレメントとの親和性が高く、次に水派生の氷魔法と相性が良かった。その後土、風のエレメント契約をしようとしていたが、そこでメアリーは家庭教師を辞めさせてしまった。両親は驚いて、何故家庭教師を辞めさせたのか原因を知りたがったが、メアリーは頑なに話す事を拒んだ。家庭教師はメアリーの両親を魔力が低いといって馬鹿にしたのだ。家庭教師は人間の価値は魔力の多さで決まると言い放った。メアリーの両親は魔力は低いが立派な人間だ。メアリーは魔女という存在に幻滅してしまった。


両親はエレメント契約が途中なのを惜しんだが、いずれ十三歳になれば魔法学校に入学し、エレメント契約するだろうと思い直し、それ以上メアリーを追求する事はなかった。家庭教師はいなくなったが、メアリーは独自に魔法の腕を磨いた。炎魔法に、水派生の氷魔法はどんどん強力になっていった、メアリー自身が不安を感じてしまうくらいに。


しばらくはメアリーの周りは穏やかな時が流れた。だがメアリーが十一歳の時、家庭内に不和が起こった。父が外に愛人を作ったのだ。父は面倒見のいい人で、夫を亡くした貴族の未亡人の世話をしているうちにねんごろになってしまったようだ。感の鋭い母は父の不義に気づき、激しく憤った。暖かだったメアリーの家は崩壊しそうになってしまったのだ。


メアリーは両親の不仲に傷つき、家出を決意した。メアリーは自分の魔力に自信を持っていた。家を出て、街に行き、魔法を使って働こうと思ったのだ。今思えば幼さからくる無謀な計画だった。メアリーはリュックサックに水筒とサンドイッチとビスケットやチョコなどの日持ちのする菓子を詰め、着替えと毛布を入れた。両親と夕食をとった後、早めに自室に入り、以前から準備していたシーツをちぎって結んで作ったロープを二階の窓からたらし外に出た。一応両親が心配するといけないので、私は街に出て一人で暮らします、心配しないで下さい。という手紙をしたため、机に置いておいた。


外はそろそろ日が暮れようとしていた。メアリーが外に出て街に行く時は、いつも両親と馬車で行っていた。馬車と同じ道を行くには長い馬車道を歩いていかなければならない。そのためメアリーは最短距離で街に行ける森を抜けて行こうと計画していた。メアリーは初めて一人で外出する不安よりも、目の前に始まる冒険のワクワク感の方が強かった。メアリーは早足に森へかけだした。日が暮れる前に野宿の場所を確保したかったからだ。森には獲物を狙う肉食獣がうようよしているかもしれない。だがメアリーはちっとも怖くなかった。メアリーの強力な炎魔法があれば獣も逃げて行くはずだった。


メアリーは薄暗くなった森の中を歩き続けた。しばらくすると野宿をするのにちょうどいい平地があった。メアリーは今夜の野宿場所をここに決めた。まずは火をおこさなければ、メアリーは木の枝を集め始めた。メアリーは家出するにあたり、あらゆる知識を本から覚えたのだ。火起こしの仕方、森での過ごしかたを。メアリーは拾ってきた木の枝を空気が通りやすいように立てて並べ、自身の炎魔法で火をつけた。だが炎は中々木に燃えうつってくれなかった、何故だかわからずメアリーが炎の火力を上げると、パチンッと木が爆ぜてメアリーの手の甲に当たった。メアリーは悲鳴を上げた。手の甲を見ると大きな水ぶくれができていて、ズキズキとうずくような痛みがあった。メアリーは途端に不安になり泣き出してしまった。


火はつかないし、辺りはどんどん闇に包まれていく。この状態で獣に襲われたらひとたまりもないだろう。メアリーはそこで気づいたのだ、自分はいくら魔力が強くても、ただのか弱い子供にしか過ぎないのだと。高飛車な魔女の家庭教師をさげすんでいたのに、いつのまにか自分自身も魔力が強い事を鼻にかけ傲慢になっていた事に。メアリーは自分が情けなくなり、シクシク泣き続けた。


突然、ガサリと何かがメアリーに近づく気配がした。メアリーはびくりと身体をすくめた。もしかしたらどう猛な獣かもしれない。だがしばらくすると、暗闇の中に、淡い光が広がった。ランプだ、ランプの光が近づいてきてメアリーを照らした。そこには二十代くらいの女の人が立っていた。暗闇の中にいきなりメアリーがいたから驚いたのだろう。


どうしたの?優しい声でメアリーにたずねてくれたが、メアリーは恐怖で声が出なかった。女の人は、泣いているメアリーと、焚き火のざんがいを見て納得がいったらしく、メアリーを驚かさないようにゆっくりと近づいてきた。


「あなた焚き火で火傷したのね?みせて」


メアリーは、痛みのため握りしめていた手首をおずおずと女の人に差し出した。女の人はメアリーの火傷をランプに照らして確認した。


「ああ、あなた生木を焚き火にくべたのね?だから生木が爆ぜて火傷してしまったのね。ちょっと待ってて」


そういうと女の人は、何やら呪文を詠唱した。すると女の人のとなりに、突然愛らしいうさぎが現れた。白い毛がフワフワで、瞳が真っ赤の愛らしいうさぎだ。だがただのうさぎではない、このうさぎのおでこには小さなツノが生えていた。このうさぎは霊獣だ、メアリーはこの時初めて霊獣というものを見たのだ。


「この子はピピといって私の相棒なの。ピピ、この女の子が火傷してしまったの、お願い」


女の人は優しくうさぎの背中を撫でながら言った。ピピと呼ばれたうさぎは鼻をヒクヒクさせると、急に何かの植物が生えだしてきた。その植物はトゲトゲしていて、メアリーは初めて見るものだった。びっくりしているメアリーに、女の人は笑顔で言う。


「これはね、アロエといって、中の果肉を火傷につけると早く治るのよ」


女の人は、アロエという植物をナイフで切り、トゲを切りとって縦に割ると、中の透明な果肉を出した。その果肉をメアリーの火傷に当て、布で巻いてくれた。すると、先ほどまでズキズキとうずいていた火傷の痛みが少し引いてきたのだ。そこでメアリーは初めて、自分は礼も、名乗る事もしていなかった事に気づいた。メアリーはおずおずと女の人に声をかけた。


「あ、ありがとうございます。私メアリーです」


女の人はほほえんで答えてくれた。


「私はエイミー、よろしくね」

「エイミーさんは召喚士なんですか?」

「エイミーでいいわ。ええ、私自身は魔力が弱くて植物の成長を少しだけ促進させる土魔法しか使えないんだけど、ピピと契約して色々な魔法が使えるのよ」

「すごい!あの、ピピに触ってもいいですか?」

「ええ、ほらピピ、メアリーにご挨拶して」


メアリーは先ほどからフワフワのピピに触りたくって仕方なかった。メアリーがゆっくりとピピに手を伸ばすと、ピピはピョンと飛び上がって、メアリーにお尻を向けてしまった。エイミーはそんなピピをみて困った顔をした。


「あらメアリー、あなた魔力が強いのね。霊獣は魔力の強い人間があまり好きじゃないみたいなの。ごめんなさいね」


メアリーは何だか落ち込んでしまった。魔力が強くっても何もいい事がないと思ったからた。その時メアリーのお腹がグウッと鳴った。メアリーは恥ずかしくなって顔が真っ赤になった。エイミーはクスクス笑ってから、何か食べましょうと言って焚き火の支度をし出した。


焚き火をするには枯れ木がいいのよと言って、辺りから枯れ木を拾って、火打ち石と綿で、あっと言う間に焚き火をつけてしまった。エイミーは大きなリュックサックからポットを取り出すと、湖まで水をくみに行こうとした。それをメアリーが止める。メアリーは氷魔法でポットの中を氷でいっぱいにしてエイミーに渡した。エイミーは喜んでくれた。


焚き火の側に石を並べてポットを置き、お湯が沸くまで待つ。その間メアリーは両親の不仲が嫌になって家出をしてしまった事をポツポツと話した。エイミーはとても聞き上手だった。そしてエイミー自身の話もしてくれた、エイミーは旅人なのだ。霊獣のピピに作ってもらった薬草や果物を売りながら、あらゆる土地を旅してまわっているのだ。


メアリーはエイミーの生き方に強い憧れを抱いた。お湯が沸くとエイミーは温かい紅茶を入れてくれた。ジャムも入っていて、とても美味しかった。エイミーは干し肉とクラッカーを分けてくれて、お返しにメアリーはサンドイッチとお菓子をあげた。ピピにもお菓子をあげたかったが、ピピは草しか食べないのだと言われてしまった。


「メアリー、りんご好き?」


エイミーの質問にメアリーはうなずくと、エイミーはピピにお願い、と言った。するとピピはまた鼻をヒクヒクさせた。ピピの前の土から植物がにょきにょきと生え出し、どんどん大きくなる。メアリーが口を開けて驚いている間に、たわわに実ったりんごの木になった。エイミーはピピに礼を言うと、りんごを数個もぎ取り、一つをナイフで食べやすいように切って、メアリーに渡してくれた。残りはリュックサックの中のに入れた。すると、りんごの木はみるみる縮んでなくなってしまった。


身体が温まり、お腹も満たされると、メアリーは眠くなってきた。それを見たエイミーは、そろそろ寝支度をしようと言った。そしてまたピピにお願い、と言うと、メアリーたちが座っていた場所の土から勢いよく草が伸び出して、フカフカの草のベッドになった。エイミーは大きなリュックサックから毛布を取り出すと、メアリーにもかけてくれた。うさぎのピピもピョコンと飛んで、エイミーの側でうずくまる。メアリーは獣に襲われるのではないかと心配したが、エイミーは安心させるように言った。


「大丈夫よ、何かあったらピピが教えてくれるし、ピピが守ってくれるもの。安心しておやすみなさい、メアリー」


メアリーは、エイミーの柔らかな声を聞きながら、長い一日の疲れもあり深い眠りに落ちていった。



メアリーは小鳥のさえずりで目を覚ました。ここは一体何処だろう、そこでメアリーは自身が家出の真っ最中だという事に思いいたった。メアリーはがばりと起き上がると、となりにいたはずのエイミーとピピの姿はなかった。メアリーが辺りをキョロキョロしていると、枯れ木を両手に持ったエイミーがやって来た。


「おはようメアリー、よく眠れた?」

「はい」

「じゃあ火をおこすの手伝ってくれる?」


エイミーはテキパキと拾ってきた枯れ木を積み上げていく、メアリーは昨日のように火傷しないか不安だったが、エイミーにうながされるまま炎魔法で焚き火に火をつけた。昨日とはうって変わって無事に火をつける事ができた。エイミーはほほえんでメアリーにありがとう、と言ってくれた。メアリーは心がぽかぽかと暖かくなるのがわかった。


メアリーは何故自分が必死になって魔法の訓練に力を入れていたのかわかった気がした。自分の魔法で誰かの役に立ちたかったのだ。メアリーは昨日と同じようにポットの中に氷魔法で氷をいっぱいにした。エイミーはまたありがとう、と言ってくれた。エイミーとメアリーはクラッカーとりんごと紅茶の簡単な朝食を済ませた。エイミーはメアリーに家まで送っていくと言ってくれた。


メアリーはちゅうちょした、もう家には帰らないつもりでいたのに、今家に帰ったら両親にものすごく怒られると思った。しぶるメアリーに、エイミーは優しく諭してくれた。きっとご両親はメアリーの事を心配してるから帰ろうと。メアリーはしぶしぶうなずいた。エイミーは大きくうなずくと旅支度を整え、リュックサックの中からくらを取り出した。いわゆる馬に使うものだ。メアリーは一体何に使うのかわからず目を白黒させていると、エイミーはピピにお願いと声をかけた。するとピピがどんどん巨大化しだした、口を開けて驚くメアリーを尻目にピピは牛ほどの大きさになった。


エイミーは巨大化したピピの背中にくらをつけ、顔には手綱をつけると、メアリーを呼びよせた。エイミーはメアリーの腰に縄を巻きつけると、同じ縄のはしを自身の腰にも結びつけた。そしてメアリーを抱き上げると、ピピの背中に乗った。


「口を閉じていてね、舌噛んじゃうから」


エイミーはそれだけ言うと、ピピの顔につけた手綱を握った。ピピはエイミーの手綱の合図で全力で走りだした。メアリーはキャアッと小さく悲鳴をあげた。目の前には森の木々が迫っていたからだ、このままではピピと一緒に木に突っ込んでしまう。メアリーは思わず目を固くつむった。


だがいくら経っても、木に激突する事はなかった。メアリーはおそるおそる目を開けると、驚いた事に木々がグニャリと曲がって、ピピたちを通してくれているのだ。ピピは風のように早く走り、あっと言う間に森を抜け、メアリーの屋敷に着いてしまった。


エイミーはメアリーをうながして屋敷のドアを叩いた。召使いがドアを開け、メアリーに気づくと、慌てて主人たちを呼びに行った。間も無くしてメアリーの両親がやってきた。母はメアリーを抱きしめると大声で泣きだした。母はいつもはお化粧をして綺麗なのに、涙で化粧が落ちてすごい顔だ。父も顔に疲労の色が見え、一気に老けて見えた。


両親はメアリーを連れてきてくれたエイミーに心から礼をのべ、感謝の礼金を受け取ってほしいといったが、エイミーはかたくなに辞退した。そして両親にメアリーの事を叱らないでやってほしいと切々とうったえてくれた。両親はそれを了承した。エイミーとピピとの別れの時、エイミーへたずねた。


「エイミー、ピピ、ありがとう。ねぇ、また会える?」


エイミーはほほえんで答えた。


「ええ、きっと」


メアリーは嫌がられると思いながら、ピピの顔に手を伸ばした。驚いた事にピピはメアリーの手を嫌がらず、なでさせてくれたのだ。メアリーはとても嬉しくなった。それを見たエイミーも笑顔で言った。


「ピピはメアリーが心の綺麗な女の子だってわかってくれたのね、貴女の事が好きになったのよ」

「・・・、ねぇエイミー、私も召喚士になれるかしら?」

「メアリーは魔力が強いから、霊獣に受け入れられるまで時間がかかるかもしれない、でもメアリーが心の綺麗な人間だってわかってもらえればなれるかもしれないわ」


メアリーの胸がドキドキしだすのがわかった。メアリーの将来の夢は召喚士になった。




過去の記憶を思い出して、メアリーはふたたび目を開いた。もう眠る事は諦めた。メアリーはネグリジェの上にガウンをはおると、自室を出ようとした。それに気づいた黒猫のドロシーが顔を上げ、メアリーを見る。メアリーは一言大丈夫、と言って静かにドアを開けた。ドロシーはまた目を閉じて丸くなってしまった。


メアリーは足音をしのばせながら学校に隣接された教会に向かった。このざわめいた心を落ち着けるのに教会で祈りを捧げようと思ったのだ。この教会には生徒なら自由に出入りしてよく、いつもドアが開いているのだ。教会の室内は暗く、ステンドグラスからもれる月明かりだけがぼんやりと壇上の聖母子像を照らしていた。メアリーは教会のげんしゅくな雰囲気が好きだった。最前列のイスに座り、手を組んで目をつむる。メアリーはささくれだった心が穏やかになっていくのがわかった。落ち着いたメアリーの心の中に、召喚士になりたいと思うきっかけであるエイミーとピピの事が思い浮かぶ。


メアリーが目を開けると、目の前の聖母の顔が月明かりに照らされていた。この聖母の顔は見るたびに表情が違って見える。メアリーがつらい時は悲しそうに、メアリーが嬉しい時はほほえんでいるように見えるのだ。今日の聖母像は慈愛に満ちた表情をしていた。最後のチャンスの召喚士適正試験、悔いのないようにやりきろう。マリアンナがメアリーのために作ってくれた機会だから。その時ガチャリと無粋なドアの開く音がした。見回りの教師だろうか。


「おや、誰かと思ったらメアリーじゃないか。ダメだよこんな遅くに出歩いちゃ、早く部屋に戻りなさい」


教会の中に入ってきたのは、メアリーのクラスの副担任メグアレクだった。メアリーはこのメグアレクが苦手だった、人間を見た目で判断する事はおろかな行為だとわかってはいるのだが、このメグアレクという男のニヤニヤと笑う細められた目と、それは決して本当に笑っている目ではない。顔にはりついたようないやらしい笑いを見ていると、背筋がゾゾッと震えるのだ。


「申し訳ありませんメグアレク先生、すぐに部屋に戻ります」


メアリーはこの男と二人きりになる事が嫌で、すぐに謝り教会を出て行こうとすると、メグアレクに呼び止められた。


「そうそう、実はメアリー、君に頼みたい事があったんだ。これは魔力の強い生徒の君にしかできない事だ。いやなに簡単な事さ、このペンダントの魔法具を肌身離さず身につけておいてくれないか」


メグアレクはポケットから大きな宝石がはめ込まれたペンダントを取り出した。メアリーは手のひらにのせられたペンダントを見ると、宝石はスピネルのような澄んだ赤色で、まわりを形取る金の装飾はメアリーの好みに合わず、古臭いデザインだった。第一メアリーの持っているお洋服にちっとも似合わない。


メアリーは早くこの場を立ち去りたかったのと、メグアレクに夜中に部屋を出ていた事を見とがめられたのとで、ペンダントを首にさげ、ネグリジェの胸元の中に入れ、すぐさま了承してしまった。だから気づかなかったのだ、立ち去るメアリーをニヤニヤといやらしい笑顔で見ているメグアレクの表情を。




それからしばらくして、メアリーは自身の奇妙な変化に気づいた。とにかくイライラして仕方がないのだ、最初は召喚士適正試験への不安からくるものかとも思ったのだが、これは怒りの感情だ。胸の奥からグラグラとマグマのような怒りの感情が噴き出しそうなのだ。


メアリーは自身が感情的になる事を良しとしなかった。常に冷静でいる事を心がけていた、だが今のこの気持ちは抑えがたいものだった。いつもは自身の部屋の中で黒猫のドロシーと狼になったミナが後脚で首をかいて、毛を撒き散らしても、ああまたか掃除しないとと思う事ができるのに、この時ばかりは我慢ができなかった。


「ちょっとドロシー!ミナ!毛が飛び散るから外に行ってよ!」


ドロシーとミナはメアリーの珍しい大声にビックリしてピタリと動きを止めたが、ドロシーはすぐさまアイシャのベッドの下に隠れてしまい、ミナは瞬時に全裸の美少女の姿になると大声で泣きだした。メアリーにごめんなさい、ごめんなさいと泣きじゃくりながら謝っている。


メアリーはそんなミナを可哀想だと思うのに、大きな声を出してごめんねと声をかける事ができなかった。自分の机で勉強していたアイシャはすぐに毛布をミナにかけてやり、ミナに大丈夫だから泣かないでと、優しく声をかけていた。そんなアイシャにも何故か怒りがわいて仕方がない。言ってはダメだと思うのに激しい言葉が止まらないのだ。


「アイシャ!あんた前から言おうと思ってたけど、勉強くらい自分でしなさいよ!いつも私に聞いてきて、私の勉強がちっともはかどらないわ!」


アイシャは信じられないものを見るようにメアリーを見た。アイシャの瞳が大きくなり、そして悲しそうにゆがむ。違う違う、こんな事言いたいわけじゃない。アイシャは確かに勉強が苦手だけど、誰よりも努力しているのはいつも隣りにいるメアリーが一番よく知っているのに。


「メアリーごめんなさい、あたしメアリーに迷惑かけないようにがんばるわ」


アイシャの悲しそうな声に、メアリーは言いすぎたわ、ごめんなさいと謝りたいのに気持ちとは裏腹の言葉が出てくる。


「もう私に話しかけないで!」


メアリーは自分自身のコントロールが全くきかない事にあわて、たまらず自室から飛び出す。アイシャがメアリーと心配そうに呼ぶ声がする。メアリーはバタンと大きな音を出してドアを閉め、一目散に走り出す。早く教会に行かなければ、この暴れ出しそうな感情をしずめるために、そして気持ちが落ち着いたらドロシーとミナとアイシャに謝るのだ、私どうかしていたわ、ごめんなさいと。


メアリーは教会のドアをバタンと開けると、教会の中に走りこんだ。胸がムカムカと熱い、はいずるように聖母子像の前に行くと、聖母の顔は悲しそうにゆがんで見えた。そこでメアリーはある事に思いいたる。メグアレクからたくされたペンダント、一体どのような魔法具なのか聞きもしないで身につけていたが、どうやらこのペンダントがイライラの原因なようだ。


メアリーは引きちぎるように胸元のボタンを外し、ペンダントをもぎとろうとした。だがそれは叶わなかった。ペンダントがぴったりと自身の胸元にはりついているのが分かった。メアリーはおそるおそる自身の胸元に目をやる。そこには、まるで植物のツタが土に根をはるように、ペンダントがメアリーの皮膚にめり込んでいたのだ。しかもペンダントの宝石はそれまでの色とは違い、まるで血のように毒々しいガーネットのような赤色に染まっていた。


「嫌ぁぁ!」


メアリーはたまらず教会内に響きわたるような大声をあげた、それきりメアリーの意識はプツリととだえた。













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