マリアンナの気持ち
マリアンナはとなりを歩く獣人のシュラを盗み見た。マリアンナの見立てた服は、シュラによく似合っていた。シュラは背が高く、細身ながらしっかり筋肉がついていてスタイルがいい。服を変えた事により立派な紳士になっている。
先ほどからシュラとすれ違う女たちは、皆シュラを見て頬を染めている。だがシュラは女たちのぶしつけな視線が、獣人である事がバレたのではないかと不安なようで、あたりをしきりにキョロキョロしていた。マリアンナはシュラに声をかけた。
「堂々としていろ、シュラ。お前は今立派な紳士だ、女たちはお前に見とれているだけだ」
シュラはクスリと笑った。どうやらマリアンナがシュラの事を慰めたと思ったようだ。
「マリアンナは?君は僕に見とれてくれないの?」
マリアンナは自身の顔がカァッと熱くなるのがわかった。
「こら、からかうな!そういう事は軽々しく女に言うものではない」
「?、どうしてマリアンナ、僕は知らない女の人より君に見てもらいたい」
「もぉ、この話はお終い!」
マリアンナはプィッと、シュラからそっぽを向いてしまった。子供っぽい仕草だが仕方がない、マリアンナはそむけた顔の熱が冷めるのを待った。シュラと話していると、どうも噛み合わない。
シュラを見ていると、かつての恋人イアンの事を思い出してしまう。シュラはイアンによく似ていた。顔が似ているわけではないのだが、甘い容姿、柔らかな声、優しい仕草。そしてどこかズレている。
マリアンナが学生時代、最初に声をかけてきたのはイアンからだった。当時マリアンナは勉強一筋の学生で、回りに友人を作る事もなかった。そんなマリアンナが面白くなかったのか、ザックという少年が、よくマリアンナにからんできた。マリアンナは当然ザックを完全に無視した。そのザックを止めていたのがイアンだった。
しばらくして、イアンが一人でマリアンナに声をかけてくるようになった。当初はザックの嫌がらせの趣向が変わって、イアンを使ってやらせているのではないかと警戒していたが、イアンはマリアンナに誠実で優しかった。思い切ってイアンに、何故自分に構うのか聞いてみると、マリアンナと友達になりたいのだと答えた。
マリアンナは舞い上がってしまった。まるで王子さまみたいにハンサムなイアンから友達になりたいなどと言われたら期待してしまう、自分に気があるのではないかと。告白したのはマリアンナからだった。だがイアンはとても困った顔をしていた。自分は恋人ではなく友達になりたいの一点張りで、好きな人がいるのかと聞くと、いないと言う。マリアンナは粘った、押し問答の末、イアンに好きな人ができるまでの条件付きで恋人になったのだ。だからイアンは最後までマリアンナに誠実だったのだ。水の精霊ウィンディーネに出会ってマリアンナと別れたのだから。
だが頭でわかっていても、心では納得できなかった。いまだにイアンに会うと、愛情と怒りとわだかまりで、おかしな態度を取ってしまう。そのため側にいるザックに八つ当たりをしてしまうのだ。
イアンとの恋愛はマリアンナを臆病にした。誰かを好きになっても、また裏切られてしまうのではないか。シュラという気になる男性が現れてもちゅうちょしてしまうのだ。マリアンナは深呼吸をすると自身の気持ちを落ち着けた。今は自分の惚れた腫れたの話ではない。シュラたち獣人の今後について重大な時なのだ。シュラはマリアンナがそっぽを向いてしまった事をしきりに気にしている、観念してマリアンナはシュラに声をかけた。
「なぁシュラ、何故人間が獣人をさげすむのかわかるか?」
シュラはわからないのか何も答えない。マリアンナは話を続ける。
「人間が獣人を下に見ようとするのは、獣人を恐れているからだ。人間より獣人の方が優れているから排除しようとするのだ。堂々としていろ、シュラ。お前はどんな人間より強い」
シュラはマリアンナを見つめると微笑んだ。
「ありがとうマリアンナ、君は優しいね」
「勘違いするなシュラ、私はお前の能力に嫉妬しているのだ」
マリアンナは皮肉めいた笑顔で言った。シュラが何も言わないでいるのでマリアンナは再び話し出す。
「私は魔女になりたかった。自身の魔力のみで強大な力を操る魔女に。だが私に宿る魔力はとても微量なものだった。いくら努力しても魔女にはなれなかった」
マリアンナは花屋の露店を見つけると、近づいていき、可憐な百合の花を一本手に取った。
「私自身が操れる魔法はただ一つ。
マリアンナの手にした百合の花が、途端に三本になる。マリアンナは自嘲気味に笑うと百合を花桶に戻そうとした。その手をシュラが止める。シュラはマリアンナから百合を取り上げると、ポケットから金の入った巾着袋を取り出し、花屋の店主に銅貨を出して会計する。シュラは手にした百合の花の茎を適当な長さに切ると、マリアンナの髪にさした。
「マリアンナ、君の魔法に僕たちは助けられた。そして、君の勇気と優しさが僕らを地獄から救ってくれた」
マリアンナは自嘲気味な笑顔を浮かべながらシュラに言う。
「シュラ、お前は本当に武人には向かないな。リクもミナも向かない。唯一シドは武人としての素養がありそうだ、だがどうにも甘さがある」
シュラは困ったように笑うとマリアンナの手を取り、うながした。マリアンナはその手を振り払う事なく大人しくついて行く。周りから見れば、マリアンナとシュラは、仲睦まじい恋人同士に見えるかもしれない。マリアンナはシュラが一番聞きたがっていることがらを話し出す。
「学校長はシュラたちの境遇に大いに同情して、いつまでも学校にいてくれて構わないと言ってくださっている。だが、シュラたちの事は城に報告するのが条件だ。シンドリア国のエドモンド王は、私も何度かお会いしたが、慈悲深いお方だ。王がシュラたちの境遇を知れば、シュラたちを保護し、救って下さるかもしれない。だが、王の側近の大臣たちはそうはいかないだろう。シュラとシドは国のために働かされる。リクとミナはまだ子供だから免除されるかもしれんが、大人になればいずれ国のために働かされるだろう。しかもミナは女の子だ、今でもあんなに可愛いんだ、将来はもっと美しくなるだろう。美しいミナはきっとどこにでも怪しまれずに入り込める。そして獣人のミナは人間よりもはるかに強い。私はあの優しいミナに残酷な事をさせたくない。ミナには穏やかに暮らしてほしい」
マリアンナはそこで言葉をくぎり、唾を飲み込むと、また言葉を続けた。
「私が王にシュラたちの事を話して、確固たる庇護を受けられるならば、シュラたちはこのシンドリア国で暮らしていけると思う。だが、そうでなければこの国を出た方がいい。シンドリア国と友好のあるエストラード国はどうたろうか?アイシャが証明してくれただろ。シュラたちは何だってできる」
マリアンナは話しているうちに、だんだんシュラの顔が見られなくなっていった。シュラたちがエストラード国に行けば、もう会うことができないだろう。シュラはマリアンナのつないだ手をギュッと握りながら言った。
「ありがとう、マリアンナ。僕たちの事を考えてくれて」
それからマリアンナとシュラは一言も話さず、手をつないだままひたすら城下町を歩きまわった。それは口実にしたぶどう酒を買うという事も忘れて、学校に着くまで続いた。
マリアンナは自室で文机に座り、百合の切り花を見つめ、ため息をついた。そして、自分一人しかいない室内に声をかけた。
「ねぇ、スノウ」
「あの男はやめておけ、獣人だぞ」
するとすかさず返事が返ってきた。マリアンナの部屋に、こつぜんと背の高い男が現れた。マリアンナの召喚霊獣のスノードラゴンが人型をとった姿だ。
「まだ何も言ってないじゃない。それに思うだけなら自由じゃない、シュラが私の事相手にするわけないんだもの」
マリアンナは百合の花から目をそらさずに言う。マリアンナはスノードラゴンの前では少しだけ幼くなる。スノードラゴンは、自分の前でだけくつろぐマリアンナを気に入っていた。スノードラゴンはマリアンナに幸せになって欲しかった。マリアンナの男の好みは甘やかな美青年だ。だが顔だけではない、マリアンナが惹かれるのは心の清い青年だ。
以前恋人だったイアンという青年は、心の汚れを極端に嫌う水の精霊が一目惚れするほどだ。シュラという獣人の青年も心は澄み切っている。マリアンナの目は正しい。だがイアンもシュラもマリアンナを一番にはしてくれない、マリアンナよりも大切なものがあるからだ。シュラもきっとマリアンナよりも獣人の仲間をとるだろう。スノードラゴンはマリアンナの相手は、マリアンナを一番に思ってくれる男でなければ認められないのだ。マリアンナはスノードラゴンに再び声をかける。
「ねぇスノウ、この花氷に閉じ込めて。ずっと溶けない氷に」
スノードラゴンは右手の指を鳴らす。するとマリアンナが持っていた百合の花はみるまに氷に閉じ込められた。マリアンナはスノードラゴンに礼を言うと、嬉しそうに飽きずに氷のケースに入った百合の花にみいっていた。スノードラゴンは、そんなマリアンナを見つめながらつらつらと思考をめぐらす。マリアンナは気づいていないが、シュラはマリアンナに惹かれている。だがスノードラゴンは二人のほのかな恋を応援する気にはなれなかった。
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