穏やかな日常

当初は気を張っていたシュラだったが、シュラの予想に反して、穏やかな日々が続いていた。獣人のリクとミナは、アイシャだけではなく、マリアンナとメアリーにも懐くようになった。マリアンナとメアリーはリクとミナの可愛さにメロメロだ。


今日もアイシャたちの部屋でリクとミナは、メアリーのお下がりのドレスで飾り立てられていた。ミナは女の子なので、綺麗なドレスを着たり、髪を編み込んでもらい、髪飾りをつけてもらってとても嬉しそうだった。だがリクは、だんだんドレスを着たり、頭にリボンをつけられたりする事に嫌気がさしたらしく、ぐずってシュラの首に抱きついたままだった。マリアンナとメアリーは、リクが着ているピンクのドレスと同じ色のリボンをつけようとがんばっていた。


シュラは喜んでいるミナを見るのは嬉しいし、とても似合っていて本当のお姫さまみたいだと思った。そしてリクもピンクのフリルがたくさんついたドレスがよく似合っていて、シュラは少し心配になった。人間の世界では、男の子は男らしく、女の子は女らしくしなければ人間に怪しまれてしまうのだ。リクはシュラとシドが着ている、シンプルな麻のシャツとズボンを着たいと言い出した。


シュラとシドが着ている服は、召喚士養成学校の男子生徒が野外授業で身につける服を借りたのだ。シュラは細身だが筋肉がついているので肩はばはキツイし、ズボンのすそは短く足首が出でいる。シドにいたっては筋肉質な体型のため、上着もズボンもピチピチで、足のすそはつんつるてんだ。だが不満は言えない。シュラはリクのおねだりに困ってしまった。人間の世界で衣服が欲しい場合、衣服を売る店に金銭を払って購入するのだ。シュラはこれまで金銭を得る仕事をした事がない。


人買いに捕まった時は、人間になったり狼になったりして見世物として金銭を稼いでいたが、今シュラがそんな事をすればすぐさま捕まって、またどこかに売られてしまうだろう。シュラは心底情けなくなった。シュラが物思いにふけっていると、メアリーがアイシャに話しかけた。


「ねぇアイシャ、私が小さい頃の服を実家から送ってもらうから、アイシャも私のお古を着てね?」


それまでミナの髪どめはどれがいいかとはしゃいでいたアイシャが急に静かになった。シュラは不思議に思った、いつも元気なアイシャには珍しい事だったからだ。


「いいよ、メアリー。あたしがメアリーの服着たって似合わないもの」

「そんな事ないわよ、アイシャ可愛いからきっと似合うわ?」


メアリーの言葉にアイシャは首を振って否定する。


「あたしはメアリーみたいじゃないもの」


アイシャのおかしな態度にマリアンナが声をかける。


「どうしたアイシャ?私もメアリーの服はアイシャに似合うと思うぞ?」

「あたしはメアリーみたいに綺麗なブロンドの髪じゃないし、目もブルーじゃないもの」

「なんで?アイシャの黒い髪も、黒い瞳もとっても素敵じゃない?」


不思議そうに聞くメアリーに、アイシャはうつむいた。シュラはアイシャの気持ちが痛いほどよく分かった。アイシャは何故か容姿にコンプレックスを持っているようだ。シュラから見たアイシャは、大きな黒い瞳に、小さな鼻と口。将来はきっと美しい女性になるだろうと思うが、アイシャは黒い髪と黒い瞳が好きではないらしい。


もしかすると、以前に黒い髪と瞳が元で嫌な思いをしたのかもしれない。確かにこの中で黒い髪と瞳はアイシャだけだ。シュラも同じだ、シュラは獣人である事に強い劣等感を持っていた。人買いの所にいた時、人買いはよくシュラに、獣人のくせに。とか、獣人だから仕方がないな。と、獣人であるシュラを否定する言葉を暴力と共に投げつけていた。


幼いシュラは、次第に自身が獣人である事をひげするようになった。それは、シドとリクとミナに出会って、かけがえのない仲間ができてからも、シュラの心の奥底にドロリとした汚泥のようにたまっていたのだ。そんな重苦しい空気を吹き払ったのは、着飾ったミナを退屈そうに眺めていたシドだったのだ。


「そうだ!アイシャは可愛いぞ!この中で一番だ」


シドは大声でそういうと、いきなりアイシャを抱き上げて、アイシャの顔に頬ずりした。アイシャはそれがくすぐったかったのかキャアキャア笑い声を上げた。重かったその場の空気がフッと軽くなるのがわかった。その事に気づいていないミナはシドに言う。


「シド、シド、私は?私は何番目に可愛い?」

「ミナも一番だ!一番可愛い!」


シドはアイシャを抱えたまま、ミナも抱き上げる。同じく、その場の状況に気づかないリクもシドに聞く。


「シド、オイラは?オイラは何番目?」

「おお、リクも一番だ!一番可愛い」

「かわい?オイラかわい?やったぁ!」


リクはシドの首に抱きつく。シドはアイシャとミナを抱き上げたままグルグル回りだす。子供たちはキャアキャア喜ぶ。ミナはシドに続けて聞く。


「シド、じゃあメアリーは?」

「メアリーは、口うるさいから二番だ!」

「何ですって!!」

「シド、マリアンナは?」

「マリアンナは、大人だから二番だ!」

「何だと!!」


シドの適当な答えにミナは大笑いした。続けてリクが聞く。


「シド、シュラは?シュラは何番?」

「ああ、シュラは勿論一番だ!一番可愛い!」

「おい!違うぞシド、シュラは可愛いじゃない、カッコいいだろ!?」


シドと子供たちの会話に急にマリアンナが突っ込みを入れた。生徒のメアリーは教師のマリアンナをいぶかしげなジト目で見ている。無論シドは容姿が一番と言っているわけではない。シドの一番は仲間であり、家族だという意味だ。メアリーとマリアンナは気分を害してしまったようだが、人間嫌いのシドが二番というのは、シドの最大の賛辞なのだ。そしてどうやらマリアンナはシュラの容姿を褒めてくれたようだ。シュラはマリアンナに言った。


「マリアンナ、僕の事を褒めてくれたんだね?ありがとう」


シュラがそう言うと、マリアンナの白い肌がみるみる赤くなった。


「ちっ違うぞ、私がそう思ったのではなく、客観的に見て意見を言ったまでだ」

「先生顔が真っ赤よ」

「メアリー、うるさい!」


ニヤニヤ笑いながら指摘するメアリーに、マリアンナは反論する。シュラはマリアンナの事をクールな女性だと思っていたのだが、どうやら彼女は存外可愛らしい性格のようだ。微笑ましくてシュラはつい笑ってしまった。マリアンナは気分を害してしまったのか、プイッと横を向いてしまった。シュラはこの明るい場所にいる事がとても嬉しかった。


ある日アイシャがシュラたちに提案した。街にリクの服を買いに行こうというのだ。シュラは困ってしまった、シュラたちはシンドリア国のお金を持っていないのだ。困り顔のシュラに、アイシャは大丈夫だと頷いた。リクとミナは大喜びで、シドは大勢の人間がいる所に行くのは渋々だった。その日は休日だったのでマリアンナも一緒に行ってくれる事になった。メアリーは勉強をするので留守番だ。


シンドリア国の城下町はとても賑わっていた。人々が活気付いていて、たち並ぶ店先には、宝石のように輝く色とりどりの野菜や、見たこともない魚や、大きな肉のかたまりが所狭しと並んでいた。リクとミナは大興奮でチョコマカと走り回るので、シュラは二人が迷子にならないように、手をギュッと握っていた。アイシャには目的地があるようで、先頭に立ってズンズンと進んでいく。アイシャは一軒の屋台の店にシュラたちを連れてきた。


「ここの角煮サンドはすっごく美味しいんだよ」


アイシャが言うにはここの角煮サンドは、もちもちでフカフカのパンに、トロトロに煮込んだ豚の角煮を挟んで食べさせてくれる屋台なのだそうだ。アイシャはシュラたちにこれをご馳走してくれるというのだ。シュラは心配になった。アイシャの身なりを観察していて、彼女はあまり裕福ではないという事が分かっていたからだ。


同室のメアリーは、人間の世界にうといシュラでも裕福な少女である事が知れた。彼女が着ている服はいつも豪奢なドレスなのだ。だがアイシャはいつも同じ服を着ている。持っている服はほつれを修繕して繰り返し着ているのだ。付き添いのマリアンナも気になったのか、自分の分は自分で払うと言い出した。だがアイシャは首を振り答えた。


「マリアンナ先生にもご馳走したいの。ありがとうって気持ちを伝えたい。そしてシドたちと一緒に美味しいご飯を食べたいの。といってもあたしのお金は学校からもらったものだからね」


アイシャは照れくさそうに笑った。マリアンナは頷いた。


「わかった、それならアイシャにご馳走になろう」


マリアンナはそういうと、シュラの背中をポンと叩いた。シュラはハッと我に返った。


「ありがとうアイシャ。僕たちもいただくよ」


アイシャは満足そうに微笑んだ。みんなで食べたご飯はとても美味しかった。リクとミナは美味しい美味しいと口のまわりをベタベタにして食べていた。シドは大きな口で一口で食べてしまったが、アイシャはドロシーに角煮サンドを小さくちぎって食べさせていた。食べ終わると、またアイシャは歩き出し、一軒の店に立ち止まった。その店からは変な匂いが充満していてシュラとシドは顔をしかめた。獣人の鼻は人間よりはるかにきくのだ。顔をしかめているシュラに気づいたアイシャが言った。


「ここは薬草を売るお店なのよ」


そういうとアイシャはドンドン店の中に入って行った、それにリクとミナも続く。店には丸メガネをかけた老人がいた。


「やぁ、じょうちゃん。また来たのかい。今度はどんな品かな?」


アイシャは老人に元気よく挨拶をすると、横がけにしているカバンの中から何かを取り出した。それは麻布に包まれていた。アイシャが麻布を開くと、またその中に麻布に巻かれたものがあった。老人は心得たように、うやうやしく麻布を開いた。どうやらアイシャは度々この薬草店に薬草を持ち込んでいるようだ。マリアンナが少し眉をひそめた。


「こんなにたくさん、じょうちゃんが採ったのかい?」

「リクとミナと一緒に探したの」


そういってアイシャはリクとミナの手をとった。老人はびっくりしたようにアイシャたちを見た。


「子供たちだけで。この薬草は崖に生えていただろう?危ない事をするんじゃうちでは買わないよ」

「はい、分かってます。この薬草は崖の下の方に咲いてたんです」


老人は大きくうなずくと、麻布をゆっくりたたみ直した。


「分かった、いい値で買わせてもらうよ」


老人は引き出しから銀貨と銅貨を出し、小さな巾着袋に入れてアイシャに渡した。シュラはそれを見て驚いた。子供のアイシャたちがお金を稼いだのだ。


店から出ると、アイシャたちは古着屋に行った。古着屋には所狭しと服が並んでいた。アイシャはリクを促して子供服のコーナーに行って、リクの身体にシャツやズボンを当てて、サイズを確かめているようだ。シュラとリクは、ぼぉっと忙しそうにしているアイシャたちを見ていた。シュラの視線にアイシャが気づくと、せかすように言った。


「何ぼぉっとしてるの?シュラはシドの服を探して選んで。マリアンナ先生はシュラの服選んで」

「僕らもかい?」

「わ、私もか!?」


シュラとマリアンナは驚いたが、シドはそのままぼぉっとしていた。仕方なくシュラとマリアンナは大人服のコーナーで服を物色する。アイシャはリクに大きめのシャツと、動きやすいキュロットと、ベストを二着ずつ選んだ。そして一着は試着室で着替えさせた。


リクはやっとドレスが脱げた事に大喜びだった。シドは身体のサイズに合った、余裕のあるシャツとズボンを二着買った。シドはそれまで着ていた動きにくい服から解放されて、この服が気に入ったようだ。シュラはマリアンナに選んでもらったシャツとベストとズボンを二着、そしてネクタイを購入した。古着屋を出るとシュラはアイシャに言った。


「いいのかい?アイシャ、リクだけじゃなくて僕とシドまで服を買ってもらって」


アイシャは満面の笑顔で答えた。


「今シュラとシドが着ている服はね、リクとミナからのプレゼントだよ。リクとミナはね、すごいんだよ。あたしがこの薬草を探してって言ったら。すぐに探してくれたの、それでね、高い崖の上に咲いてる薬草を、すぐに採ってきてくれたのよ」


リクはシュラの腰に思いっきり抱きつくと元気に言った。


「アイシャが教えてくれたんだ、お世話になっている大好きなひとにはぷれぜんとするんだって」


シュラは胸の奥が熱くなるのがわかった。あんなに小さかったリクとミナが大きくなってシュラたちに贈り物をしてくれたのだ。シュラが小さい頃、老婦人からたくさんの贈り物をもらった。新しい服や靴、中でもシュラが喜んだのは本だった。本の中にはシュラの知らない知識がたくさん詰まっていたからだ。シュラはお礼に老婦人に綺麗などんぐりを拾ってあげたのだ。老婦人はとても喜んでくれた。シュラがもらった贈り物は、人買いに売られた時、何もかも取り上げられてしまったのだが。シュラは心からリクとミナに感謝した。


「ありがとう。リク、ミナ大事に着させてもらうよ」

「おう!ありがとうなリク、ミナ。お前たちがくれた服は嬉しい」


シドもミナを抱き上げてぐるぐる振り回す、ミナのドレスの裾がひらひら舞っている。

シュラたちを微笑ましそうに見ていたアイシャがシュラに言った。


「シュラ、きっと何もかもうまくいくよ、大丈夫だよ」


アイシャにはシュラの不安な気持ちを知られていたようだ。アイシャは獣人でも働いて暮らしていける事を実証してくれたのだ。シュラの腰に抱きついていたリクが、服を買った残りのお金の入った巾着袋をシュラに手渡した。


「これはリクたちが稼いだお金じゃないか、リクたちが持っていなきゃダメだ」

「ううん、オイラたちが持ってたら無くしちゃう、シュラが持ってて」

「ああ、わかった。僕が預かっておくよ」


シュラたちはそろそろ学生寮に帰ろうとしたのだが、マリアンナに止められた。


「そうそう、忘れていた。スノウにぶどう酒を買っていかなければいけないのだ。シュラ、荷物持ちを手伝ってくれないか?」


マリアンナの提案にシュラはぐっと息を飲んだ。シュラはマリアンナに話を聞きたかったのだ。きっとマリアンナもシュラのもの言いたげな視線に気づいていたのだろう。シュラは承諾した。マリアンナはうなずくと、シドに声をかけた。


「ではシド、子供たちと無事に学校まで帰るのだぞ」

「おう、任せとけ」


シドはそう言うと、今までシュラたちが着ていた服と、購入した服を詰め込んだリュックを背負い、リクを肩車し、アイシャとミナの手をつないだ。どうやら迷子にさせないか心配なのだろう。


シュラはシドたちと別れた後、引き続き城下町を歩き出した。シュラは横を歩くマリアンナを横目で見た。彼女は一見、線の細い美人だ。だが、強力な霊獣と契約する召喚士だ。シュラたちをギガルド国から救出するため、アイシャと共に助力してくれたのだ。マリアンナはアイシャを助けるため自らの命を盾にしたのだ。マリアンナという人間は信頼に値する女性だ。シュラは自分では気づかずに、彼女に好意を寄せていた。






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