アイシャとシドの約束

マリアンナはスノードラゴンに乗りながら、イアンに作ってもらった手鏡を見た。手鏡はシンドリア国の地図が映し出されている。赤い光がアイシャの居場所だ。そこでマリアンナはおかしな事に気がついた。アイシャが連れていかれている場所は召喚士養成学校の近くなのだ。赤い光はますます学校に近づく、赤い光が止まった。何とそこは学校の学生寮だった。マリアンナは慌てて学校の寮に向かった。



メアリーは嵐のように騒がしいアイシャたちが去った後、再び勉強に集中する事にした。しかしその静寂はすぐさま破られる事となった。


「メアリー!」


窓の方から声がする。メアリーは窓を開けたままにした事を激しく後悔した。渋々窓の方に向くと、予想通り担任教師のマリアンナが、髪を振り乱して窓のさんに足をかけて立っていた。


「先生、お城の用事はもういいんですか?」


マリアンナはメアリーの質問には答えず早口でまくし立てた。


「メアリー!アイシャは!?」

「アイシャならもう出て行きましたよ。シドの仲間を迎えに行くって」

「シド?」

「狼ですよ」

「狼は、アイシャに乱暴したりしていなかったか?」

「いいえ、まるで飼い犬みたいにアイシャに懐いてましたよ」

「・・・、そうか」


メアリーは部屋に置いてある水差しからコップに水を注いで、マリアンナにコップを差し出した。マリアンナはそこで初めて喉が渇いている事に気づいたようで、一気に飲み干した。飲み終えたコップをメアリーに渡すと、一言行ってくる。と呟き、マリアンナは窓から出て行った。きっと窓の外にはスノードラゴンがマリアンナを待っているのだろう。


メアリーは、シドが全裸の変態男になるという事は伝えなかった。マリアンナは厳しくて怖い教師だが、その実生徒思いの優しい女性だという事をメアリーは知っている。なので、この事を言ったらマリアンナは怒り狂うに違いない。メアリーは、今度こそ誰も入ってこないように窓を閉めて、勉強を再開させた。



シドはアイシャを乗せて風のように走った。布で作ってもらった手綱をすると、アイシャがしっかり掴まれるので、断然走りやすくなった。シドはシンドリア国を抜け、ギガルド国の国境付近までやってきた。その時にはすでに日は落ちて、辺りは闇に包まれていた。


シドはアイシャを休ませるため、小さな洞穴に入った。人型をとり、アイシャをあぐらをかいた膝の上に乗せてやる。アイシャは人間の子供のため、体温を下げてはいけないからだ。アイシャは持ってきたリュックから布に包まれまれたものをシドに手渡した。シドが布を開くと、中は食べ物だった。シドの鼻にいい匂い広がる。アイシャは微笑んで言った。


「サンドイッチだよ。メアリーが持たせてくれたの、シドの分だよ」

「サンドイチ・・・、本当にオレが食べていいのか?」

「?、うんシドが一番大きいから、一番大きいサンドイッチ。あたしとドロシーはこっち。ハムとチーズが入ってるんだよ」


シドは恐る恐るサンドイッチを口に運ぶ、シドは驚いた。こんなに美味しい食べ物を生まれて初めて食べたからだ。シドがギガルド国で食べていたものは、べちゃべちゃして吐き気がするほど不味いモノだった。だが食べないと死んでしまうので、息を止めて食べていた。


たまに肉を食べられる時がある、それは任務の時だ。ギガルド国にとって邪魔な人間を殺しに行く時には、途中で空腹で動けなくならないように肉を食べさせてもらえるのだ。肉が食べられるが、人間を殺しに行かなくてはならない。美味しいけれど、美味しくなかった。シドは大きなサンドイッチを三口で食べてしまった。アイシャはゆっくり食べながら、黒猫のドロシーが食べやすいようにちぎって食べさせてやっていた。


「こんなうまいモノ初めて食べた。・・・、仲間にも食わせてやりたい」

「ねぇシド、仲間の話して?」


アイシャの言葉に、シドはゆっくりと話し出す。思えば仲間以外で会話をしたのは、アイシャが初めてだった。


「仲間は四人、一番上はシュラ。シュラは人間の飼い主がいた事があって、勉強をしていたんだ。だからオレたちの中で一番頭がいいんだ。オレたちに言葉や文字を教えてくれた、人間の話もしてくれた。次がオレで、その次かリク。リクはお調子者でいつもオレたちを笑わせてくれる。最後はミナ。ミナは臆病で泣き虫な女の子なんだ。でもとっても優しい、アイシャみたいに。ミナは任務をいつも失敗して帰ってくる。任務に失敗するとオレたちは兵士にボコボコに傷つけられた。それを見てミナはいつも泣くんだ。私が失敗したせいで、皆に怪我させてごめんなさいって。でもオレたちは怪我なんて何ともない、すぐに治ってしまうから。それよりもオレたちは、優しいミナが人間を殺さないでいてほしいと思っている」


シドは仲間の事をアイシャに話しているうちに、今まで感じた事のない感覚におちいった。どこも痛くもないのに涙が出てくるのだ。


「なぁアイシャ、オレとシュラはいいんだ。もう沢山人間を殺した。人間に殺されたって仕方ない。でも、リクとミナだけは、外の世界で自由に暮らさせてやりたいんだ。なぁ、アイシャ、オレとシュラが何とか隙を作るから、リクとミナを助けてくれないか?」


アイシャはシドをじっと見つめてから、シドの願いには答えないて、別な事を言った。


「シュラとリクとミナは、シドの家族なんだね」

「かぞく?かぞくって何だ?」

「家族っていうのはね、一人でご飯を食べる時よりも、家族で食べるとご飯がもっと美味しくなったり、つらい事があっても家族が一緒なら乗り越えられたり、嬉しい事があったら家族で一緒に喜んだりするんだよ」

「かぞく。そうだ、オレたちはかぞくだ。かぞくに会いたい。かぞくが無事か心配なんだ」


シドは目の奥がツンとして、胸の中がカァッと熱くなって、涙が後から後から溢れ出てきた。


「オレ変だ。どこも痛くないのに涙が出る」

「涙はね、痛い時も出るけど、悲しい時や、嬉しい時にも出るんだよ。シドは家族と離れて寂しくて涙が出て、家族の事を思い出して嬉しくて涙が出るんだよ。だからね、シド、一人もかけちゃダメだよ。シドたち四人家族で逃げよう」


アイシャの優しい声にシドの涙は益々止まらなくなった。シドたち四人でギガルド国を脱出する。それは到底不可能に思える。だがアイシャの言葉に、少しの間だけ優しい希望を持った。アイシャはシドの膝から立ち上がるとシドの頭を抱きしめて、髪を撫でてくれた。シドは自身の力で、アイシャを傷つけないように抱き込んだ。髪を撫でてくれる手が心地よかった。


リクとミナが寝ている時、たまにシュラがシドを抱きしめて頭を撫でてくれた。年上の者は年下の者を守り大切にしなければいけないと、シュラが教えてくれた。だからリクとミナが起きている時は、シドの方が年上だからリクとミナに優しくしてあげなければいけないのだ。


だけどアイシャはシドよりもずっと小さい、でもとても心地いいのでシドはずっとこうてもらいたかった。しばらくしてシドの涙がようやく止まった頃、アイシャの身体がぐらりと揺れた。シドが慌ててアイシャを抱きとめると、アイシャはスゥスゥ寝息をたてていた。無理もない、小さな手でずっと手綱を握りしめていたのだから。シドは狼になるとアイシャを抱き込んで温めた、黒猫がちゃっかり入ってきたがシドは何も言わなかった。



休憩のために洞窟に入ると、シドは人型になった。アイシャはもう驚かなかった。シドが服を着るのを嫌がるなら無理強いはしないでおこう。それにアイシャはもうシドの裸に慣れてしまった。アイシャは適応能力がものすごく高いのだ。シドはあぐらをかくと、アイシャを優しく抱き上げて膝に座らせてくれた。


アイシャも小さな子供の世話をするから分かるのだ、シドは子供に優しい。アイシャがシドにサンドイッチを渡すと、シドはびっくりしながら美味しいと言って食べてくれた。そして仲間にも食べさせたいと言った。アイシャもそうだ、教会での暮らしはとても貧しくて、アイシャたち養い子はいつも教会の裏の畑で採れたジャガイモを茹でて食べていた。


だからアイシャが召喚士養成学校に入学して、学食の食事を食べた時すごく驚いたのだ。なんて美味しい食事なのだろうと。毎日のようにハムやチーズや卵がふんだんに食卓に並ぶ、アイシャは毎日学食が待ち遠しかった。それと同時に、教会の弟や妹に食べさせてあげたい気持ちが強くなり、自分だけ美味しいものを食べている事に罪悪感を覚えた。シドも同じなのだろう。シドの仲間とは、アイシャの家族と同じなのだ。アイシャがそう言うと、シドはポロポロと涙を流しながら肯定した。洞窟の中にわずかに入り込む月明かりが、端整なシドの泣き顔を照らす。アイシャはとても綺麗だなと思った。


アイシャはシドの頭を抱きしめて、髪を優しく撫でた。シドの髪はツヤツヤしていて触ると心地よかった。シドはアイシャよりずっと年上に見えるが、泣いている姿はアイシャの弟みたいだ。弟のシンは泣き虫の臆病で、雷が鳴るといつも怖がって泣き出すのだ。決まってアイシャが抱っこをして、シンが泣き止むまで頭を撫でてあげるのだ。アイシャは心の中で誓った、シドの家族を絶対に助けると。








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