マリアンナ先生の過去

城の外は昨夜の侵入者を許したとあって、物々しい雰囲気に包まれていた。城外の警護の兵士たちは皆ピリピリと殺気立っている。アイシャはマリアンナに連れられ、城内に入った。城内の広場には一人の青年が立っていた。入城したマリアンナに気づくと大きく手を振っている、どうやらマリアンナの知り合いらしい。


「やぁ、マリアンナ久し振りだね。おや、そこの可愛いお嬢さんは君の生徒かい?」


「ああ、アイシャは私の生徒だ。イアン、アイシャにちょっかいだすなよ」


マリアンナはイアンと呼んだ青年を冷たくあしらうと、サッサと歩いて行ってしまった。アイシャは面食らいながらも、目の前の青年に挨拶をした。


「初めまして、アイシャです」

「やぁ、僕はイアン。君の先生のマリアンナとは召喚士養成学校での同級生だったんだ」


イアンは腰を屈めてアイシャに手を差し出した。握手を求められている事に気づいたアイシャは、慌ててイアンの手入れの行き届いた手を握る。イアンはアイシャに微笑んだ、イアンはいわゆるハンサムな色男だった。子供のアイシャでもドギマギしてしまった。




「そして彼女はウィンディーネ。ウィンディーネ、ご挨拶を」


イアンは素早く呪文を詠唱する。イアンの呼びかけに、突然美しい女性が現れた。彼女の身体は太陽の光に照らされて透けていた、ウィンディーネは水の精霊なのだ。


「わぁ、綺麗。アイシャです」


アイシャはウィンディーネの美しさにため息をついていた。ウィンディーネは微笑んでアイシャの頬にキスをした。それに驚いたのはイアンだ。ウィンディーネはとにかく嫉妬深い。イアンに近づく女性は、例え赤ん坊ですら激怒するのだ。そのウィンディーネが、アイシャという少女に好意を示したのだ。イアンは何故マリアンナがアイシャを連れて来たのか理解した。アイシャは精霊に愛される特異な少女なのだ。


「なんだ、マリアンナ来ていたのか。相変わらず田舎臭いな」

「聞いたぞザック、王に仇なす暗殺者を取り逃がしたそうだな」


前を歩いていたマリアンナに声をかける男がいた。険しい顔の男にアイシャはびっくりしているようだ。マリアンナはまたもや目の前の男にもキツイ態度で応酬した。


「っ、逃した訳では無い。暗殺者の動向を探るために泳がせているのだ」

「はっ、言い訳だけは立派だな」


マリアンナとザックと呼ばれた男のギスギスしたやり取りに、ハラハラしているアイシャに、イアンが穏やかな声で言った。


「心配ないよアイシャ。ザックとマリアンナは会うといつもこうなんだ。昔から何かと衝突してね、ザックも僕らと同期なんだ」

「イアンさんは?イアンさんもマリアンナ先生と何かあったの?」


イアンは口ごもった、正直痛い所をつかれた。アイシャのような子供にすら、イアンとマリアンナの関係はいびつなものに映るのだろう。イアンとマリアンナは召喚士養成学校の学生時代、恋人同士だった。美男美女のカップルで、周りからはお似合いだともてはやされた。お互い学校内での成績も優秀で、将来を期待されていた。マリアンナとは優秀な召喚士となって、将来王を警護する者になろうと誓い合った。


しかし、その約束は卒業式の日に破られる事になった。イアンとマリアンナは卒業式の日、召喚術を行った。イアンは自らが呼び出した水の精霊、ウィンディーネに一目で恋に落ちてしまった。マリアンナという恋人がいるのにもかかわらずだ。ウィンディーネのイアンに対する対価は、『永遠の愛』だった。イアンはウィンディーネと契約した、マリアンナを捨てて。


次に召喚術を行ったのはマリアンナだった。マリアンナはイアンに捨てられたのに毅然とした態度で召喚術を行った。マリアンナが召喚したのはスノードラゴンだった。ドラゴンと契約した召喚士は召喚士養成学校始まって以来の快挙だった。それからイアンは王の目にとまり、王直属の召喚士となったが、マリアンナは王の要請にもかかわらず、召喚士養成学校の教師となってしまった。


イアンが過去の記憶に思いをはせていると。マリアンナとザックの言い争いはエスカレートしていた。二人の召喚霊獣まで出現していた。すなわち、マリアンナのスノードラゴンと、ザックのファイヤーライオンだ。スノードラゴンは氷属性、ファイヤーライオンは火属性のため、相性は最悪だ。一触即発の場面に躍り出たのは、今までイアンの目の前にいたアイシャだ。危険極まりなく、アイシャはどう猛なドラゴンとライオンの間に立っている。


「先生も、おじさんもケンカしないで!」


マリアンナとザックは、急に飛び出してきたアイシャに驚いた。マリアンナとザックの隣には、どう猛なドラゴンとライオンが唸り声をあげているのに。


「ア、アイシャ」

「おっおじさん?!俺の事か?」


スノードラゴンとファイヤーライオンは、突然間に入ってきた少女が悲しそうにしているのを見て、いがみ合うのをすっかり止めてしまった。スノードラゴンはアイシャに顔を擦りよせ、ファイヤーライオンはまるで猫のようにアイシャに頭をこすりつけてゴロゴロ喉を鳴らした。アイシャの足元にいた黒猫のドロシーは、アイシャに擦り寄る霊獣が気に食わないようで、シャーシャーと威嚇をしていた。


ザックは目の前の光景が信じられなかった。ファイヤーライオンはとてもプライドが高く、ザック以外の人間には絶対に気を許す事は無かったのだ。マリアンナは、やはりなと思った。アイシャは精霊や霊獣に好かれる特別な少女なのだ。


「マリアンナ、悪かった。俺が刺客を取り逃がしたのは事実だ、共に王の警護をしてほしい」

「ああ、私こそ悪かった。久し振りに貴様らの憎らしい顔を見たら途端に怒りが湧いてな」

「・・・。マリアンナ、そういう事は本人たちの前では言わないものだぞ。本当にお前は変わらないな」


マリアンナとザックがやっと落ち着いた矢先、それは突然だった。彼らの中心にいたアイシャが忽然と消えたのだ。皆ポカンとして、その状況が理解できないでいた。その状況から一番に脱したのはイアンだった。


「アイシャ!」


イアンは大声を上げて城の高い城壁を指差した。遅れてマリアンナたちが、イアンの示す先を見ると、そこには昨日の侵入者である大きな狼と、狼に咥えられたアイシャの姿だった。


「キャアア!アイシャ!」


我に返ったマリアンナは悲鳴をあげた。侵入者である獣人は何故アイシャをさらったのだろうか。王の命と引き換えにするのだろうか。それとも腹が減ってアイシャを捕らえたのだろうか。獣人はどう猛な性格だと聞いている、マリアンナの脳裏には最悪の結末が浮かんできた。自分が目を離したせいでアイシャを危険にさらしてしまった。


マリアンナは激しい後悔で、その場に崩折れてしまった。瞳からははらはらと涙が溢れ出る。スノードラゴンが心配そうにマリアンナに擦り寄る。そこでたじろいだのは元同級生の男二人だ。マリアンナは、突然現れた水の精霊に恋人を奪われても、涙一粒見せない女傑だった。そのマリアンナが幼い少女のように泣いている。


ザックはどうすればいいのか分からず固まったままだったが、先に行動を起こしたのはイアンだった。イアンはマリアンナの前にツカツカと歩み寄ると、彼女の腕を引っ張り無理矢理立たせると、頬をひっぱたいた、パシンッと乾いた音が響く。そこで驚いたのはザックだ。イアンはとても優しい男で、女性に手をあげるのを初めて見たからだ。


「しっかりしろ、マリアンナ。アイシャは君の生徒だろう、君がアイシャを助けに行くんだ」


水の精霊ウィンディーネは、イアンが自分以外の女に触った事に激怒して、水精霊魔法でイアンに水をぶっかけた。イアンは毎度の事なので気にしない。やっと我に返ったザックはすかさず言葉をはさむ。


「娘をさらわれたのは俺にも責任がある、俺も助けに行く」

「いや、ザックはダメだ。王に仇なす者が一人とは限らない。ザックは僕と王の警護をしてもらう」


ザックの言葉をさえぎり、イアンはすかさず言う。冷たい言い方に聞こえるが、本来イアンとザックは王の家臣なのだ、この決断は当然の事だ。


「ウィンディーネがアイシャを気に入ってキスをしたのは僥倖だった」


イアンはそう呟くと、水魔法で小さな手鏡を出現させた。その鏡をマリアンナに手渡す。


「この鏡を見れば、アイシャの居場所がわかる。それとウィンディーネ」


ウィディーネはぷっと頬を膨らませてそっぽを向く、イアンが何を言うか分かっているからだ。


「ウィンディーネ!」


ウィンディーネは渋々マリアンナの前に立つ。ウィンディーネはマリアンナが大嫌いだ。マリアンナがイアンの元恋人なのも癪に触るが、何よりイアンが今なおマリアンナを大切に思っている事を知っているからだ。ウィンディーネがマリアンナの顔を覗き込むと、いつもの鉄面皮ではなく目を真っ赤にした泣きはらした顔だ。可哀想で、少しだけ可愛いと思った。ウィンディーネはマリアンナのおでこに祝福のキスをする。


「マリアンナ、これで君は一回だけウィンディーネの水魔法が使える。君の魔法は水派生魔法だからウィンディーネと相性がいいはずだ」


マリアンナは力強く頷く。先ほどまでの弱々しい姿はそこにはなかった。マリアンナはスノードラゴンにまたがり、空中に飛び立った。マリアンナとスノードラゴンが肉眼で見えなくなるくらい遠ざかると、ザックはおずおずと言った。


「娘は大丈夫だろうか?」


ザックは顔は悪人ヅラだが、実際は優しい男なのだ。イアンは安心させるように頷く。イアンは見ていたのだ、昨日の侵入者である獣人は、口にくわえたアイシャを城壁の上で降ろすと、背中にまたがれと催促したのだ。アイシャは嬉しそうに従った。アイシャと獣人は初対面ではなさそうだった。少なくとも獣人といる間はアイシャは無事に違いない。


「マリアンナ一人で大丈夫だろうか?」


ザックの言葉にイアンは息を飲み込んでから答える。


「ああ、僕らの中で一番強いのはマリアンナとスノードラゴンだ」


マリアンナを信じて待つしかない。イアンはすでに見えなくなったマリアンナとスノードラゴンが消えた空をじっと見つめた。





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