獣人との出会い

アイシャは焦っていた。急ぎ足で走ってハァハァと息が荒くなる。足元では黒猫のドロシーが一生懸命アイシャについて走っている。可哀想だが抱き上げて走る訳にはいかない、学生寮の門限が近いからだ。


昨日からアイシャは休日で実家の教会に帰っていた。久しぶりに神父や弟や妹に会って帰り難く、ついつい長居をしてしまい、門限間近になってしまった。暗闇の街をひたすら走る、学校へはまだ遠い。


今の時間外を歩いている者はほとんどいない。城下街の家々はみな石造りの家だ。窓からは淡い光がもれている、きっと家族の団らんの光なのだろう。


ふとアイシャはおかしな事に気づく。人気のない小道に何かの気配があった。小道を覗くと、暗闇の中に輝く光が二つ。何かの動物だ。アイシャは恐る恐るその動物に近づく、そこには巨大な犬がいた。犬はアイシャを威嚇するように低く唸り声を上げる。アイシャは注意深く犬のを観察する、そこで犬の前足に怪我がある事を見つける。


「可哀想に、怪我をしたのね。あたしは敵じゃないわ、信じて」


アイシャは犬を驚かせないようにゆっくりと近づく。犬の唸り声が大きくなる。黒猫のドロシーはアイシャを守ろうと、アイシャの前に出て、シャーッと威嚇する。


「ありがとう、ドロシー。大丈夫よ」


アイシャはドロシーを下がらせて、犬の側にひざまずく。アイシャは犬の怪我の傷口に手をかざすと、手が光だす。犬の怪我がみるみる治癒していく。


「さぁ、もう大丈夫よ。あなたは一人なの?飼い主はいないの?」


犬はアイシャの顔をジッと見てから、スクッと立ち上がり、軽やかに跳躍して、石造りの家の屋根に登り、そのまま姿を消してしまった。


「良かった。ああっ、門限!」


アイシャは我にかえって慌てた。門限破りは確定、担任のマリアンナに激怒される事間違いなしだが、不思議と怖くはなかった。先生に怒られる事より、犬が元気になった事が嬉しかったからだ。




シドは走っていた。前足に受けた傷がズキズキ痛む。これはただの傷ではない。魔法使いめ、何かしらの毒を使ったな。何故ならシドは大抵の傷はすぐに治ってしまうからだ。


身体全体が痺れてきた、不味いかもしれない。シドは自分が死ぬ事はどうでも良かった。だが、国に残してきた仲間を死なせる訳にはいかない。


シドは狼だった。艶やかな灰色の毛並みの大きな狼だ。だが、ただの狼ではない。シドは獣人だ。希少性が高く、獣の姿にも、人間の姿にもなれる。身体能力が高く、その力は一兵団と同等とも言われる。その為生物兵器として、多くの国が欲しがるのだ。シドは好戦的なギガルド国の所有物だ。シドは小さい頃に人間に捕まって、獣人である事がバレてギガルド国に売られた。


ギガルド国には獣人が、シドの他に三人いた。シュラはシドより年上の少年で、リクはシドより年下の少年だった。一番下のミナは女の子で臆病でとても優しい女の子だった。


シドたちは小さな頃からひたすら訓練を強要されていた。人間を殺す為の訓練だ。やりたくはなかったが、訓練をしないと仲間が傷つけられるのだ。シドは仲間の中で一番能力が高かった。


ある時シドはギガルド国から命令を受けた。シンドリア国のエドモンド五世の暗殺だ。人殺しなんてしたくはない。だが、それをしなければ仲間を殺される。それだけはダメだ。仲間はシドの全てだ、どんなに辛い事があっても四人で励ましあってきた。だからシドはやり遂げなければいけない。エドモンド王の暗殺を。


シンドリア国の城は多くの兵が警護していたがシドの相手ではなかった。夜の闇に紛れてシドは軽々と城の城壁を飛び越え、城内に侵入した。城内には警護の魔法使いと召喚士がいる。シドは耳をピンと立てて辺りをうかがう。シドの耳に何者かがい近づいてくる音がする。人間と獣の足跡。


「獣臭いと思ったら珍しい獣人じゃないか」


シドの目の前に現れたのは召喚士と霊獣だ。ライオンに翼が生えたような霊獣は、グルグルとシドを威嚇している。霊獣は霊力で自然の力を操る事が出来る。この霊獣の操る能力を見極めなければ勝ち目はない。ライオン型の霊獣は咆哮と共に炎を吐き出した。この霊獣は炎を操るようだ。シドは飛び上がって距離を取る。しかし一つハッキリしたのは、召喚士がシドの前に現れるという事は、王の寝所はこの付近だという事だろう。


シドは天井に大きく咆哮する、空気の弾丸を作り、天井に穴を開けたのだ。シドは天井に開いた穴にひらりと飛び上がる。真っ暗な廊下をひた走る。シドの鼻に何者かの匂いがした。薬草臭い人間だ、三人いる、多分魔法使いだろう。炎の魔法だろうか、暗かった廊下に光が灯る。明るくなった廊下の先には三人の男が立っていた。


「珍しい、獣人じゃないか」

「欲しい、捕まえたら俺の物にする」

「待て待て、まずは捕らえてから王に献上するのだ」


三人の魔法使いたちは言いたい事を言っている。シドは舌打ちした。獣人は何処へいってもモノ扱いだ。魔法使いなど魔法を封じてしまえばただのか弱い人間だ。恐るに足らない。魔法使いたちは、魔法でシドに向けて次々に矢を放った。シドは矢を華麗に避けながら、時には咆哮により、矢を落とした。


あと少しで魔法使いに近づいた時、前足に痛みを感じた。矢が前足にかすったのだ。だがシドは怯まなかった、こんな傷など瞬時に治ってしまうからだ。違和感に気づいたのは、あと一歩で魔法使いの喉笛に噛み付こうとした時だ。身体に痺れが出たのだ、矢に毒をが塗られていたか。シドは詰めた間合いから遠ざかった。痺れはどんどん酷くなる、グズグズしてはいられない、一時退却しなければ。


シドは窓から躍り出た。早く城から距離を取らなければ、いずれ追っ手が来るだろう。シドは懸命に走った。石造りの民家の屋根の上を飛び跳ねる。しかしそろそろ身体がいう事をきかなくなってきた。シドは小道に身体を横たえた。毒を体内で解毒させるにはどの位の時間がかかるだろうか、せめて隠れ家にしている場所まで行きたかった。


シドは辺りに気を配りながら、息を殺していた。そんな時にあの娘と会ったのだ。娘はシドに恐怖心を感じている様子だったが、シドの怪我に気づくと、恐る恐る近づいて来た。


「可哀想に、怪我をしたのね。あたしは敵じゃないわ、信じて」


シドは娘の前から逃げようとするが、身体が痺れて動けなかった。娘はシドの前にひざまずくと、シドの傷口に手をかざした。娘の手が光る、治癒能力ヒーリングだ。娘の親切はありがたいが、シドを苦しめているのは毒の痺れだ。治癒能力ヒーリングでは治せない。


しかしシドの予想に反して、身体の痺れがどんどん引いていく。この娘の魔法はただの治癒能力ヒーリングではない。毒すら浄化してしまうようだ。シドは娘をジッと見つめた。大きな黒い瞳の愛らしい娘だった。娘の顔が仲間のミナと重なる。シドは心の中で礼を言うと、身体を起こし跳び上がった。身体が軽い、毒は抜けたのだ。


シドは屋根を跳び越えながら先ほどの娘の事を思う。あの娘は今までの人間とは違った。シドは仲間以外で初めてあの娘に暖かさを感じた。あの娘なら、シドの力になってくれるのではないか。地獄のような生活からシドたちを助けてくれるのではないか。そんな幻想を抱いてしまう。シドはエドモンド王の暗殺に失敗した。きっとこの後はさらに警備が厳しくなるだろう。シドが失敗すれば、仲間が危険にさらされる。


駄目だ、娘は恩人だ。こんな事に巻き込んだらいけない、シド一人で何とかしなければ。シドは街を抜けて、林を抜けると、ある小屋に入っていった。シドが王の暗殺をする為のアジトだ。色々な物が積み上げられている物置小屋だ。


シドの荷物の中がピカピカ光っていた。シドは小屋に入ると、二本足になり人型をとった。褐色の肌の美丈夫な若者だ。シドは全裸のまま、荷物を探って小さな手鏡を取り出す。光っているのはこの手鏡だ。シドは手鏡を耳に当てる。手鏡からはくぐもった男の声がした。


「シド、結果はどうなった?」

「申し訳ありません、失敗しました」


シドは手鏡に声をかける。手鏡の声の相手は憤って叫ぶ。


「失敗だと?!キサマ、仲間の命がどうなってもいいのか!」

「次は必ず」

「いいか次に失敗したらキサマも仲間も殺すからな!」


手鏡の声はそれきり聞こえなくなった。手鏡の相手はシドにつけられた監視者だった。シドは拳を握りしめた。手鏡がみしりと音をたてた。

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