アイシャ入学
アイシャは慣れ親しんだ教会を出て、召喚士養成学校に入学した。神父や弟や妹たちとの別れは辛かったが、立派な召喚士になって家族に楽をさせてやりたい一心だった。アイシャは学校の寮に入る事になった。懐いて離れない黒猫と一緒に。
召喚士養成学校はアイシャのように孤児の子供や一人親、貧しい子供は学費が免除され、衣服や勉強に必要な物を購入するために、月に一度学校からお金が支給される。その反面学費が払える生徒の授業料はとても高い。そのためアイシャなどの学費が免除されている学生は、他の学生にやっかまれる事があるのだ。
アイシャは学校からもらったお金を大切にとっておいた。アイシャの服は教会にお祈りにくる優しいおばさんたちが、使い古したこげ茶のカーテンで作ってくれたワンピースが気に入っていたし、ほつれができれば慣れない手つきで自分で縫ってしゅうぜんして着ていた。それよりも教会に残っている弟や妹たちにお菓子を買って持って行きたかったからだ。
「私はメアリー、わからない事があったら何でも聞いて?」
アイシャと同室のメアリーは、アイシャより二つ年上の十五歳だった。つまりメアリーは二回落第して、未だに一年生だという事になる。しかしメアリーは、落第生という事で引け目を感じてはおらず、凛とした少女だった。
アイシャはメアリーを強くて綺麗な人だなと思った。メアリーは長いブロンドの髪を伸ばして、肌は白く、瞳はアイスブルーだった。それに比べて、アイシャはくせっ毛の黒い髪、日に焼けた小麦色の肌、黒い瞳。メアリーと全然違う、無い物ねだりだ。
アイシャとメアリーの今日の授業は実技授業だった。一年生たちは全員校庭に集められた。校庭には担任のマリアンナという女性召喚士と、副担任のメグアレクがいた。
「今日はお前たちに霊獣の恐ろしさ、神々しさを実地で体験してもらう」
担任のマリアンナは高らかに宣言する。マリアンナは霊獣を呼ぶ祈りを素早く呟く、途端、巨大なドラゴンが姿を現わす。マリアンナの召喚霊獣だ。召喚士一年生は巨大なドラゴンに恐れをなして、尻もちをつく者、逃げだす者、様々だ。
しかし、クラスの中の二人だけは違った。メアリーとアイシャだ。メアリーは一年生が三回目の為、霊獣を目にした事は何度もあるのだ。アイシャは突然現れた霊獣に驚きはしたが、その美しさに驚嘆した。ドラゴンは全身青白い鱗に覆われていて、日の光を浴びて輝いていた。
「わぁ、何て綺麗なの」
アイシャは嬉しさのあまりドラゴンの前まで走っていってしまったのだ。そこで焦ったのはマリアンナだ。大体の生徒は霊獣を見ると怖がって逃げだすのに、アイシャの行動は想定外だった。霊獣は通常、召喚した召喚士にしか従わない。慌ててドラゴンに待機の命令をしようとする。
だが、驚いた事にドラゴンは近づいたアイシャに驚くそぶりもなく、顔を寄せてアイシャにすり寄ったのだ。マリアンナは直感した。アイシャは霊獣に愛される類稀なる人間なのだ。アイシャの足元には構ってもらえなくて、しきりにアイシャにじゃれつく霊獣の幼体がいた。
「だけど、貴女にはびっくりしたわ。ドラゴンの前に走っていくなんて」
メアリーはため息をついた。ドラゴンは霊獣の中でも特に気性が荒い。召喚士でも指示を誤ると危険なのだ。そんな霊獣にアイシャは無邪気に駆け寄ってしまったのだ。
「ごめんなさい、でもあんまりにも綺麗だったから」
アイシャは悪びれて頭をかく。だがメアリーは気づいていた、アイシャは霊獣に好かれている、それもこれでもかっていうくらい。メアリーはアイシャの膝の上で丸くなっている黒猫のような霊獣に手を伸ばす。黒猫はメアリーの手を瞬時に察知したのか、シャーッと威嚇された。
「ごめん。ドロシー、人間にイジメられた事があって」
ドロシーと名付けられたこの霊獣の幼体は、アイシャにべったりくっついて離れない。アイシャは持っているのだ、メアリーが欲しくて堪らないものを。メアリーは優秀な生徒だ。教科も、魔法学も首席だ。しかし肝心の実地、霊獣、精霊との友好関係が出来ないのだ。その為メアリーは年に一回の進級試験に落ち続けている。
メアリーは自室でアイシャに勉強を教えていた。アイシャは霊獣にすこぶる好かれるが、勉強はてんで出来ない。それどころか文字がやっと書ける程度だ、スペルミスもかなり多い。聞いてみると、アイシャは捨て子で、勉強は養父である神父に教わったようだ。しかし神父は嫌がる子供に勉強を強制する大人ではなかったらしく、アイシャはあまり勉強が好きではなかったようだ。貴族の娘であるメアリーには到底理解できないような過酷な半生だ。
「ねぇ、メアリー。このよく出てくる、使役に対する対価ってどういう意味?」
「貴女、召喚士の事本当に何も知らないのね」
「ごめん」
「まぁいいけど。召喚士は精霊や霊獣と契約するけど、契約には対価が必要だという事よ。対価は召喚士それぞれだけど、使役する精霊や霊獣の位によっても違うの。位の低い精霊や霊獣なら髪の毛とか、爪とかでもいいんだけど、位の高い精霊や霊獣なら、その召喚士の寿命な場合もあるわね」
「寿命?!それって早く死んじゃうって事?」
「ええ、でもそれは本当に位の高い精霊や霊獣だけよ。マリアンナ先生のスノードラゴンの対価はぶどう酒よ」
「お酒でいいの?良かったぁ」
「結構大変よ、あんなに大きいんだもの」
「それじゃさ、こっちの訳のわからない言葉はなに?」
メアリーは頭を抱えた。アイシャは筆記教科にまるでついていけていなかった。アイシャが指差している教科書は、精霊語霊獣語大全集だ。召喚士は精霊、霊獣と対話する時に精霊語、霊獣語を使う。その為ヒアリングとリスニングは不可欠だ。メアリーはふと思った。
「ねぇ、アイシャ。貴女はドロシーとどうやって会話するの?」
「ドロシーと?うーん、何となくかなぁ」
黒猫は自分が呼ばれた事に気づいて、顔を上げる。アイシャは膝の上のドロシーを優しく撫でる。アイシャのこんな姿を見ていると、精霊語と霊獣語を血眼に勉強している自分がバカバカしくなってくる。しかし、これはアイシャだけが持つ才能なのだ。凡人の召喚士見習いであるメアリーは地道に頑張るしか道はないのだ。アイシャはとてもいい子だ。素直だし、大きな黒い瞳も愛くるしい。一人っ子のメアリーは、妹がいたらこんな感じかなと思った。クラスメイトの中にはメアリーが落第生だという事を揶揄する生徒もいる。
「メアリー、お前みたいな落ちこぼれ、召喚士になれる訳ないだろ。早く学校辞めちまえよ」
クラスメイトの男子に言われる言葉に傷つかない訳ではなかったが、へこたれたら負けだと思った。そんな時は決まってアイシャが、メアリーと男子の間に入ってくるのだ。
「あら、メアリーの勉強の教え方は、マリアンナ先生とメグアレク先生より上手よ。あんたも試験の時にメアリーにお世話になるかもしれないのにそんな事言っていいの?」
「アイシャ、お前だって万年ドベじゃないか。お前だって落第決定だ」
「メアリーがいてくれるから大丈夫よ」
メアリーは何度もアイシャに救われている。だが、心の中に小さな棘が刺さっている事を感じずにはいられなかった。
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