第19話 ガトラ、約束を守る。
北の大地の近くの街『トッテ』で、フルララ達と別れたガトラ達は32日後の夕刻に王都に到着していた。
バイアトロンの馬車ではなく、2頭のバイアトロンにガトラ、オリファとフルラージュが跨り、帰路は半分ほどの日数で走って来たのだった。
そして、その足で冒険者ギルド向かったガトラ達3人、特級クエスト『北の大地の探索』の失敗をフルラージュが報告する。
「少しお待ちください。」
受付カウンターでその報告を受けた女性は、ほぼ一年前の依頼書を棚の奥からやっと見つけ出す。
「これですね。王立騎士団の騎士2名と神官1名の探索チームと同行。…受注したのはフルラージュ・ビアルトさん一人ですね。」
「はい。依頼は失敗しました。」
「そうですか、判りました。やはり北の大地には辿り着けませんでしたか。」
女性は淡々と依頼書に『依頼失敗』の朱印を押す。
「では、依頼者にこちらの書類を送りますので、サインをお願いします。」
フルラージュに渡そうとした書類を、ガトラは手の平で壁を作り、受け取りを拒否する。
「その依頼主は探索チームの一員になっている一級神官のフルララ・リテラになっているはずだ。だが、北の大地で行方不明になってしまった。だから、俺達は北の大地に辿り着いたが失敗したのだ。」
「え! 行方不明?! えっ? 北の大地に辿り着いた?!」
「まあ、落ち着け。詳しい事はこれ以上言えないが、依頼は失敗したという事だ。そして依頼主は居ない。だから、クエスト経過などを話す事は出来ない。」
「そっ、そうでした。皆様、失礼しました。では、書類はこちらで処理させて頂きます。」
ガトラは、依頼の規約的な約束を口に出し、受付嬢が騒ぎ出すのを止めた。
北の大地に着いた事は話さなくても良かったのだが、『フルララが行方不明になった。』という信憑性を得る為に、ディムからの提案で決めていた事だったのだ。
「それじゃあ、荷物と郵送品を取りに行ってきます。」
フルラージュはギルドホールの奥にある通路に、一人で入って行く。
そこは冒険者ギルドの預かり所で、普段の郵便物の受け取り先として利用出来き、また宿暮らしをしている冒険者が、長期のクエストに出かける時などに私物を預けることが出来る施設でもあった。
「ガトラさん、私はこの後、退団申請を出しに行って来ます。」
「ああ。俺は城に直接行って、兄に報告だな。」
ガトラとオリファは互いに、王都に戻ってきた安堵感の笑みを見せ、そして、まだやり残している事を口に出して気を引き締め直していた。
程なくして、フルラージュの姿を、通路奥から戻ってくるのを二人は確認する。
「お待たせしました。手紙着てましたよ。」
少し大きい手提げ鞄を持ったフルラージュの空いた手には、白い封筒が握られていた。
冒険者ギルドの建物から出たガトラ達は、人の視線が気にならない通りの角に場所を移す。
「確認してみてくれるか。」
ガトラの言葉にフルラージュは小さく頷き、手に持っていた蝋封された手紙を見せる。
古代文字を重ねたような形をしている赤い蝋に押された印璽を、ガトラ達はディムから事前に見せられていた。
だからフルラージュは、ディムから自分宛に着た手紙をガトラ達に教え、そしてその場で開けずに外に出たのだ。
フルラージュは手提げ鞄の中にあるペーパーナイフを使って、手紙の中身を取り出す。
「クラリムの住所が書かれていますね。それと、「花は咲いた。」と。」
フルラージュは、言葉を発しながら笑みを溢す。
「そうか。」
ガトラは、その言葉を聴いた瞬間、熱いものが溢れ涙を浮かべていた。
「良かったですね。」
オリファもまた、安堵の顔を浮かべ、すぐに喜びの笑みに変わっていた。
それから、フルラージュから住所の写しを受け取ったガトラは、背負っていた鞄に入れる。
「後は俺が、兄と話をつけてくるだけだな。」
「頑張って下さい。僕とラージュは明日にでもクラリムに向かうと思いますので。」
「予定よりだいぶ早く着いたが、もう行くのか?」
ガトラの問いに答えたのはフルラージュだった。
「あの人達ですよ。何があっても不思議じゃないですからね。だから早く行かないと。」
真面目な顔で話すフルラージュに、ガトラは納得し頷く。
「ああ、そうだな。」
そして3人は視線を合わせ、笑い声を出していた。
ガトラは王城の正門から入り、兄の居る執務室に向かう間、ずっと近衛騎士などから沢山の声を掛けられる。
そのほとんどが、無事に生きて帰ってきた事への賛美と安堵の声だった。
そんな彼らも、ガトラの足を引き止めるまでの行動に出ることはない。
ガトラが足を運ぶ先を皆が知っているからだ。
執務室の前に立つガトラに、入り口を警備している近衛騎士が儀礼で応える。
「イデナルト殿下は居るか?」
「はい。御在席です。」
近衛騎士は、ガトラに答えるのとほぼ同時に扉を開けていた。
「なに! ガトラじゃないか! 無事だったのか。」
ガトラが声を掛ける前に、執務室の机に手を着いて立ち上がる男性。
そして、その横に居た若い女性2人が男の声に驚き、身を強張らせていた。
「はい、兄さん。奇跡的に生きて帰って来れました。」
「そうか、それは良かった。で、何があった。」
ガトラの鍛え抜かれた筋肉とは対象的な中年太りのイデナルトは、ガトラと同じ栗色で少し白髪の混じった乱れた髪を直し、部屋にあるソファに座る。
当然、ガトラはそれに続いて対面のソファに座った。
「北の大地には入る事が出来ました。しかし、得体の知れない魔物に出会い…フルララが攫われました。」
「なに! 攫われただと?」
ガトラは、イデナルトの息子アデルドの婚約者になっていたフルララの事を話す。
「俺達が北の大地に辿り着いた日、狼型の魔獣を倒した後にその魔物に出会いました。それは巨大な黒い塊に小さな子供が乗っているような姿、だとしか認識出来ない魔物だったのですが、その魔物が一瞬で消えた後、フルララも消えてしまいました。」
「なんてことだ…レファルラの生き写しだぞ。どれほどの価値があると思っている。」
「だったら何故、フルララの言葉を聴かなかったのですか。騎士団の中隊ほどを動かせば良かった。いや、大隊クラスは必要だったかもしれない。」
ガトラは、フルララの見た目だけに執着していた兄とその息子の事を、良くは思っていなかった。
次期国王として、政務に励む兄を認めているものの、フルララに関してだけは、許せない気持ちがあった。
「その後俺達は、北の大地でフルララの手がかりを探しながら厳しい冬を半年間過ごしたが、なにも見つける事が出来なくて断念し帰る事にしました。」
「そうか…もう、起きてしまった事を覆すことは出来ないからな。アデルドには俺から伝えておく。」
「そうしてくれると、助かります。」
ガトラは座ったまま一礼を見せ、席を立つ。
「レファルラ姉さんには、俺から直接伝えようと思っています。」
「ああ、そうしてくれ。」
ガトラが席を立とうとした時、執務室の扉が開く。
「叔父さん!」
ガトラを見て叫んだ青年は、イデナルトの一人息子のアデルドだった。
息を切らせている姿から、急いで駈け付けたことは、誰の目にも見て取れる。
「すまなかったな。フルララを守れなかった。」
「え? 今なんて?」
ガトラは、アデルドが駈け付ける程の理由はフルララの事しかないと確信していたから、聞かれる前に伝えたのだった。
「フルララは、魔物に連れ去られてしまった。」
「どぉおして! なんであんたは生きて帰って来てるんだよ!」
肩を張り、両拳を強く震えるほど握り、当然の怒りを表すアデルド。
「アデルド、気持ちは判るが口に出す言葉ではないぞ。」
イデナルトが哀れむような顔でアデルドを叱る。
その言葉を聞いても、アデルドの感情は収まる事はなく、ガトラを睨み付けていた。
「くそ! こんなことになるなら、無理やりにでも、」
「こら、アデルド! 口を慎め。それと、部屋を出ろ! 喚いても、どうしようもないだろ!」
「っちぃ!」
それでもアデルドの態度は変わることなく、ガトラを睨み付けながら部屋を出て行く。
「済まなかったな。だが、息子の気持ちも察してやってくれ…」
重しを背負ったように項垂れるイデナルトに、ガトラは掛ける言葉が無かった。
フルララに固執しておきながら、フルララを軽く見ていたイデナルト。
フルララが望まない婚約をいつまでも取り消さず、「父が王位を継げば判るだろう。」とフルララを安く見ていたアデルド。
結局、最後までフルララの為に行動しなかった親子に、ガトラは無情の念しか生まれなかったのだった。
執務室を出たガトラは、85歳でいまなお国王としての地位を譲らない父親に会いに向かった。
この時間の父親に会うには、家族と言えども謁見の間で会うことになる。
だからガトラも、謁見者達に誇示する為だけに造られた、歴代国王の銅像が並んでいる廊下を歩いていく。
そして、廊下の突き当たりにある部屋で、面会の取次ぎを行う女官に言葉を伝えたガトラは静かに待機部屋で待っていた。
「ガトラ様、謁見の準備が整いました。どうぞ奥へ」
「ああ、ありがとう。」
深く頭を下げる女官に見送られながら、ガトラは謁見の間へと入って行く。
近衛騎士が壇上前の両脇に並んでいる。
ガトラはその近衛騎士の間を歩き、壇上前に片膝を付く。
「膝を上げていいわよ、ガトラ。」
壇上には、父親である国王『ドグラス・オールスト』が王座に座り、その隣に、長女でガトラの姉になるティレイルが立っている。
「久しいな。今日はなんだ?」
「はい。北の大地で見た魔物の事を伝えに来ました。」
ドグラスの身体は年老いている老人そのものだが、歴戦の勇士のような鋭い視線がガトラに向けられる。
「そんなところに行っていたのか? で、魔物とは?」
実の父親でもあっても、ドグラスはガトラが北の大地に向かっていたなんて事は知らなかった。
気にする事が無かった。というほうが正しいのだろう。
だからガトラも、父親の心配を取り除く為に会いに来たという事ではなく、ディムとの約束で会いに来ているのだ。
ガトラは、兄のイデナルトに話した事と同じ内容を話す。
「あら? レファルラの娘さんが、連れ去られたの? 可哀想に。」
ディレイルの言葉には、感情など含まれていない事をガトラは知っていた。
「残念な事だが、俺にはどうする事も出来なかった。だから、俺はレファルラ姉さんに謝罪に行って来る。」
「そうね。あなた達はちゃんとした姉と弟なんだから、レファルラも判ってくれるでしょ。」
ディレイルの棘のある言葉に、ガトラは無言で答えた。
国王『ドグラス・オールスト』には妻が二人いた。
今は二人とも他界していないが、正妻が生んだ子供が、長女ディレイルと長男イデナルト、そして次男のグデルダス。
そして、次女のレファルラと三男のガトラは第二婦人の子供だった。
「まあ残念な事だが、その魔物の情報を持ち帰ったお前には感謝する。」
国王としての言葉を受け取ったガトラは儀礼で答え、謁見の間を後にする。
「俺の役目は終わったか…」
魔物の姿を克明に、しかもリリアナまで含めた見た目を、何故国王に話せと言ったのかガトラには判らなかった。
ディムはその理由を、『いずれ必要になる。』とだけ、ガトラに伝えたのだった。
王立騎士団に戻ったガトラを出迎えたのは、沢山の仲間だった。
そんな彼らに笑顔で応えるガトラは、宿舎棟の自分が所属している小隊部屋に足を入れる。
部屋には、1年前と変わらない面子が揃っていた。
「ガトラ隊長! ご無事でなにより。話はオリファから聞きました。」
副隊長のコヴァルが一番に声を出す。
「そうか。今回は長い留守になってしまって、済まなかった。それと、心配掛けたな。」
ガトラの言葉に、部屋いた者達が一斉に儀礼の形で「はい!」と答える。
「しかし、オリファが結婚退職するとは思いませんでした。しかも冒険者になるなど…」
コヴァルが渋い顔で考え込んでいる姿に、ガトラは笑みを溢す。
「まあ、経緯は見てきたからな…あれは尻に引かれるだろうな。」
「なっ! いや…あのオリファだから、そうなるのは自然か…」
コヴァルもガトラと同じように笑みを溢していた。
「皆聞いてくれ! 今日は俺が奢る。俺の居なかった事を色々と聞かせてくれないか。」
ガトラの声に、隊員達から歓声が上がる。
「隊長、今日は朝まで付き合って貰いますよ。」
ガトラは、鎧で身を包んでいるコヴァルの肩当に手を当てる。
「もちろんだコヴァル。色々と世話になったな。」
次の日、騎士団での生活に戻ったガトラは、仲間達との訓練に参加していた。
「ガトラ隊長、さらに強くなってませんか?」
全体訓練を終えた後、ガトラとの撃ち稽古を申し込んだ30人を全て退けたガトラに、副隊長のコヴァルが呟いた一言だった。
「そうか? まあ、無駄な動きが無くなったからじゃないか?」
ガトラは、以前の自分を思い出しながら力を抑えていたが、反応速度だけは抑える事が出来なかったから、もっともらしい言葉で返す。
「やはり、魔獣相手だと鍛えられますか。」
北の大地の魔獣『デビルハウンド』の事は話していたガトラは、コヴァルの言っている意味を理解していた。
「単純だが、あの速度に対処しなければならなかったからな。」
ガトラはディムのアイテムで力を得たのだが、実際に『デビルハウンド』と戦った経験からの言葉を使った。
各地にあるダンジョンで、『デビルハウンド』と同等かそれ以上の魔獣は沢山いる。
だけど、それを正面から戦う者はほとんどいない。
態々、危険な目に合うリスクを背負う意味がないからだ。
数で優位に立ち、または罠に掛ける。
ある程度の戦闘技術を高める為に魔獣を狩る事はあるが、危険な魔獣を訓練相手にするバカはいなかった。
「だからと言って、命を懸けて訓練する事じゃないからな。俺達の相手は犯罪者や魔族だ。獣とは違うのだからな。」
「そうですね。命を懸ける訓練なんてものは、もはや訓練ではありませんからね。」
ガトラ達が訓練を終えた夕刻、城の謁見の間では、レボルク領のプリアム伯爵の使者が3名と、子供2人を連れた女性が、膝を付いていた。
「元ガザルド領の息子がクーデターを起こして、レボルク領の領主を殺害し、政権を奪ったと。で、プリアムに攻め込む可能性があると。」
「はい。正当な継承権を持つハリスタ様を排除するのが目的だと思われます。」
国王ドグラスは思案する為、目を閉じる。
「だとしても、領主連合は干渉する事は出来ないだろう。」
「何故ですか!」
一人の使者は国王に対して声を荒げてしまい、近衛騎士の槍の刃先が使者に向けられた。
それを、ドグラスは手をかざす動作で引かせる。
「相手も公爵だということだ。ガザルド側に立つ領主も少なからず居るだろう。そうなれば、内乱だけでは済まなくなる。表立っては、我が国としても動く事は出来ないのだよ。」
肩を落として城を出た使者達と親子は、最後の希望を託す人物に合う為に、王立騎士団の建物に向かった。
「ガトラ隊長、面会の方が見えてます。」
汗を落とす為、シャワーを浴びていたガトラに小隊仲間の一人が声を掛ける。
「判った。少し待たせておいてくれ。」
昨日の今日で、会いに来る者がいるとすれば、フルララ絡みなのだろうと、ガトラは思っていた。
だから、どんな人物なのかを聞くことをしなかったのだ。
教会か城の者だろうと思い、騎士団の制服に着替えたガトラは襟を正して部屋のドアを開ける。
だが、そこに居たのは3人の騎士と子供を連れた女性だった。
「ガトラ様! お久しぶりでございます。」
声を上げた一人の騎士が立ち上がり、頭を下げて挨拶をするが、ガトラは思い出せないでいた。
しかし、その騎士達が着る鎧には、すぐに気付いていた。
「プリアムの騎士なのは判るが…すまない、顔を思い出せない。」
「いえ、15年振りですし、当時は執事の格好をしていましたからな。」
ガトラはその言葉使いで、懐かしい記憶を思い出す。
「もしかして、カルミアスさんか?」
「はい。思い出して頂いて光栄です。」
15年前とプリアム。
この二つが意味する事と言えば、ガトラとプリアム伯爵の長女『リタニア・プリアム』との結婚の事になる。
そしてカルミアスは、当時のリタニア嬢の執事をしていて、婚約中は二人の世話をしていた人物だった。
「だとすると、貴女はリタニアの妹の…」
「はい、アネルです。そして私の子供達です。」
疲れた表情で挨拶をする二人の子供に、ガトラは表情を硬くする。
「なにがあったんだ?」
結婚して3年が過ぎた頃に、リタニアが流行り病で急死。その後はプリアムとの交流は無いに等しい間柄になっていた。
それが、手紙もなく直接会いに着たことで、ガトラは何かを察していた。
ガトラは逸る気持ちを抑えながらソファに座る。
そして、カルミアスとアネルからレボルク領の話を聞くことになった。
それから、父親である国王との謁見までの話を聞き終わる。
「そうか…よく無事だったな。」
ガトラは真っ先に、リタニアの妹とその子供二人がプリアムに辿り着けた事に安堵していた。
アネルは手の平を重ねて、祈りを捧げる仕草を自然に作っていた。
「はい…奇跡的に…というか…奇跡が起きました。」
「どういう事だ?」
カルミアスと若い騎士二人の顔が、張り詰めたような顔になっているのにガトラは不思議に感じていた。
「これは秘匿事項なのですが、ガトラ様にはお伝えします。」
「ああ、判った。俺は他言しない事を誓う。」
ガトラは胸に手を当てて、儀礼の一つを示した。
「それは…小さな子供を乗せたような黒い魔物が、私達が街道で襲われている時に突如現れて助けてくれました。長男をエレクトラで救ってもくれました。それから私達は、小船に乗せて貰い、空を飛んでプリアム城まで送ってくれたのです。本当によく判らない出来事でした…しかもその魔物は、念話で会話が出来たのです。」
「なっ! …そうか。それは確実に奇跡だな。」
「はい。二度と起きない奇跡だと思います。」
2度も身内を救われた奇跡に、ガトラは感謝の気持ちが胸に溢れていた。
それと同時に、国王と兄に伝えた魔物の見た目と一致する目撃情報が出たことに、一抹の不安を感じたのだった。
ガトラは、大きく深呼吸をする。
「で、俺に会いに来たって事は、援軍を頼みたいって話で良いのか?」
「はい。領主連盟として、動けないのなら、有志を集めるしかないと思いまして。」
「いえ! それだけではないのです。」
アネルの言葉を遮るようなカルミアスの声だった。
そして、ガトラに深く頭を下げたカルミアスは言葉を続けた。
「アネル様とお子様達を匿って欲しいのです。」
「えっ? お父様はそんな事を言っていませんでしたよ。」
「これは、内密に託された話なのです。でなければ、王都までアネル様やお子様をお連れすることなど致しません。」
カルミアスの言葉にガトラは納得し大きく頷く。
「そうだな。俺の私邸なら安全だし、気兼ねなく住めると思う。今から案内しよう。」
「いえ、そんな…お父様やプリアムの方々が危険な目に合うかも知れないのに、私達だけが安全な場所にいることなんて出来ません。」
「それは少し違うかも知れない。」
ガトラの言葉にアネルの表情が変わり、疑問を浮かべる顔になる。
「プリアムを攻めるかも知れないのは、あなた達が居るからだ。だから、王都に亡命したと判ればプリアムに攻める理由が少なくなる。それに、失うものがなければ、降伏する事も出来るからな。」
「仰る通りです。デオドラ伯爵様も、そのようにお考えになられていました。」
カルミアスは、敬意を込めた一礼をガトラに見せる。
「そうなのですか…でしたら、私達はガトラ様のお世話になるのが、お父様やプリアムの為になるのですね。」
「はい。それが親父殿の願いでしょう。」
ガトラはリタニアとの結婚の時に、義理の父親になったデオドラ・プリアム伯爵から託された言葉を思い出していた。
「娘と、プリアムの民を守ってくれ。」
そして、病床でのリタニアが願った言葉。
「私の代わりに、家族を見守ってください。」
約束だからな。
ガトラは胸の内で呟き、リタニアに思いを馳せるのだった。
プリアムから宿場街などに泊まらず、馬を換えての強行軍で王都まで来たアネル達親子を気遣うガトラは、副隊長のコヴァルに若い騎士2人と後の事を任せて、貴族たちが住む区画にある私邸にアネル親子とカルミアスを案内する。
客室としての部屋数が12部屋ある中規模の屋敷は、リタニアとの生活の場として建てたのだが、今は主のガトラと、3人の使用人だけが住んでいる。
屋敷の大きさに対して使用人の数が少ないのは明白だったが、日中は騎士団で過ごし、魔獣討伐の遠征などに出かけるガトラだけになった屋敷には、3人で十分だった。
その使用人達の長でメイド長のカーリーは、主の帰宅に気付いてエントランスで独り待っていた。
そして、少し皺のある笑顔と美しい礼儀作法でガトラと客人達を出迎える。
「おかえりなさいませ。旦那様。」
「ただいま、カーリー。長い留守になって済まなかったな。帰ってきて早々で突然だが、リタニアの妹のアネルさんと二人の子供達を、この屋敷に住む事になった。」
「承知いたしました。では、客室にご案内で宜しいでしょうか? それとも、応接室にて、お飲み物をご用意いたしますか?」
「長旅で疲れている様子だから、客室に案内してくれ。後の事も頼む。」
「はい。では案内しますので、よろしいでしょうか。」
カーリーの視線に頷いたアネルは、娘を抱いたまま息子の手を引いて階段を上がっていく。
「カルミアスさん、俺達は応接室に。」
二人だけになった応接室で、ガトラはカルミアスに訊ねる。
「実際のところ、プリアムは今後どうするおつもりなのですか?」
「テオラ・ガザルドがどういう政策を掲げようとも、デオドラ様は離領するお考えです。」
「やはりそうか…」
プリアムという街は、元々は領土争い時代にオールスト領からの侵攻を食い止める為に作られた城砦で、当時のレボルク領主から高い信頼を得ていたプリアム伯爵がその地を任されたと、ガトラは聞かされていた。
「コヴァルが騎士団全員に声を掛けているが、出発は明後日の朝になるでしょう。」
「はい、ありがとうございます。」
喜ぶカルミアスに、ガトラは思い口調で言葉を続ける。
「だが、相手は数千の兵団。 プリアムの戦力は数百だと聞いてる。 誰だって命は惜しいから集まっても数十名かもしれないですが、そこは諦めてもらうしかありません。」
現実に戻されたような顔になるカルミアス。
「そうですね。ですが、地の利はこちらに有ります。数千の兵であっても、一度に攻め入る事は出来ません。」
カルミアスが自信たっぷりに言葉を伝える。
「勿論知っていますが、それは相手も知っているのではないのですか?」
ガトラの疑問は当然の事だったが、カルミアスの自信気な顔は変わらなかった。
「いえ、相手の騎兵団はガザルド領出身の家系なので、プリアムの事を知りません。首謀者のテオラ・ガザルド公爵もレボルク領都から出た事がないとの事ですので、おとぎ話程度の情報しか知らないはずです。」
プリアムは渓谷の中にある街で、過去、ここオールスト領からの侵攻を完璧に退けた。
その武勇伝はレボルク領民なら皆が知っていたが、2000人の軍勢にわずか300人戦った英雄譚の話は、今ではおとぎ話として語られているだけだった。
「ならば、勝機はあるかもしれないな。」
その夜の夕食時、ガトラはアネル親子に質問などをすることはせず、静かな食事を心掛けた。
そして、食後に一言だけ声を掛ける。
「俺は明後日の朝に、プリアムに向かう予定です。だから、後は俺達に任せてください。アネルさんには、心配するなとは言いませんが、子供達の為に疲れを取ることに専念してください。」
「…はい。お兄様、ありがとうございます。」
「お兄様か…言われたことのない言葉だったので、少し照れるな。」
そう言ったガトラは頭を掻き、頬を緩める。
ずっと悲痛な表情を見せていたアネルだったが、ガトラの素直な仕草を見て、少しばかりの笑みを浮かべていたのだった。
そして、それに気付いたガトラもまた、小さな笑みを浮かべていた。
翌々日の朝、ガトラの前に集まったのは、騎士120人と魔術士35人の総勢155人だった。
「思った以上に集まったな。」
ガトラの素直な感想だった。
王立騎士団に勤める者達は、国王の指示の元で活動するのが規約になっているのだが、他の領地からの入隊者も多く、生まれ故郷の災害時などには、各自の判断を咎めない事になっている。
だから集まった155人の殆どは、プリアム出身かレボルク領の出身者だった。
「で、なんでお前達までここに居るのだ?」
それは、ガトラが隊長を務める小隊の仲間達だった。
「それは、我々は隊長の部下であり、戦場を共にする仲間ですから。」
副隊長のコヴァルが真剣な面持ちでガトラを見ている。
「…判った。誰一人とて、死ぬなよ。」
「「「はい!」」」
冗談でこの場に居る訳がないことはガトラにも判っていた。
そして、ガトラが隊長を務める40人の隊員を加えた195人がプリアムに向かった。
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