第17話 魔王、リリアナと狩りに出かける。
書物店の家族が家族旅行に出かけた次の日、俺はリリアナと久しぶりに森の中を疾走していた。
《パパ、あっち!》
俺の上に乗ったリリアナが楽しそうに獲物を探しをしている。
《あれは鹿か? 山羊か?》
一匹の獣が岩場の上で地上を見下ろすように立っている。
螺旋模様の長い2本の角に、白くて長い体毛。俺の知らない動物だった。
《あれ、たべれる?》
《ああ、大丈夫だろう。角や毛も利用価値がありそうだし、縄で絞め殺して持って帰ろうか。》
《うん。わかったぁ》
俺達の接近に気付いた獣が岩場を跳ねるように駆け出す。
俺はその動きに合わせながら追い掛ける。
そして、取り出した輪縄を首にかけて縄を上に持ちあげて、獣を首吊り状態にした。
《つかまえたぁ。》
リリアナの楽しそうな声が、俺の気持ちを満足させる。
《リリアナ、次はどこに行く?》
《んとね、あっちぃ!》
俺とリリアナは、クラリムから数百km離れた山脈に来ていた。
理由は、フルララと二人でダンジョンに行ったことで、リリアナが寂しくなっていたからだ。
留守番が嫌だったとかではなく、単純に、俺と一緒に狩りをしたいだけの話だった。
一歳を過ぎた辺りから、俺とリリアナは毎日のように森を駆け抜けて狩りをしていた。
それが、フルララ達と出会ってからは見ていることが多くなり、人族の領地に来てからは、狩り自体も行っていなかった。
だから、リリアナは寂しくなったのだ。
リリアナにとって、俺に乗って森を駆け抜けて狩りをしたり、遊んだりする事が、一番好きな事だと気付いたらしい。
もちろん、俺もだ。
フルララとのダンジョンも楽しかったが、あれは鎧の中だったしな。
やっぱり、リリアナを乗せての狩りは楽しい。
《リリアナ、もっと速度を上げるか?》
《うん! あげるぅ。》
森の中に戻った俺は、木々を縫うように移動していたが、徐々に景色が流れはじめる。
《うわぁー!》
リリアナが歓喜の声をあげる。
これも改めて思ったが、アンジェ達と遊んでいる時とは、また違う喜び方だと俺は気付いた。
《パパ! おっきいのがいるぅ。》
《ああ、大型の魔獣のようだぞ。やるか?》
《うん! やるぅ。》
森の中を駆け抜けると、広い草原に出る。
その草原のほぼ中央で、王者の如く座っているのは巨大な牛『ミイノモウス』だった。
体長12メートルほどの、赤茶色の肌と巨大な巻き角を持つ魔獣。
《こいつかぁ…》
俺は溜息を漏らす。
《パパ? どうしたの?》
《ん。こいつは肉が硬くて美味くないんだ。まあ、魔石が目的だから問題ないけどな。あとは、あの角ぐらいだな。》
ミイノモウスが俺達に気付いて立ち上がり、魔素を漂わせながら威嚇の目を向ける。
その姿を見れば、普通の者なら恐怖で逃げ出すだろうが、狩る気満々な俺には、脅しにもならない。
もちろん、リリアナも恐怖を感じることは無い。
そして魔獣相手なら、やることは変わらない。
破壊級の『エアカッター』で首を切り落とし、魔石を腹の中から取り出す。
ただ、それだけだ。
ミイノモウスも、例に外れず瞬殺だった。
《うわぁ! パパ、おっきいね!》
取り出した魔石は、直径60cmはあった。
《これも無属性だから、光剛石の材料になるな。》
俺は、リリアナに一度触らせてから、次元倉庫に入れる。そして、2メートルほどの太い角を切り落とし、それも倉庫に入れた。
《ここで、昼ご飯にするか。》
《うん。するぅ。》
ミイノモウスの縄張りだったのだろう、辺りには魔獣などが居ない事と、ログハウスを出すのに適した広場になっていたから、少し早いが昼休憩をすることにした。
まあ、人目を避ける為、朝早くにクラリムを出たので、丁度いい時間だとも言える。
俺とリリアナは、守護兵『アトラ』にログハウスを守護させ、昼食を食べながら次の遊び場所を決めていた。
《うみ! うみがいい!》
《海か。そうだな、この前は見ただけだったしな。海の魚を捕って帰るか。》
《うん! えびもぉ。》
《ああ、もちろん捕るぞ。》
クラリムからほぼ西に移動してきた俺達だったので、南下して海岸に出る事にした。
人族の目を避ける為、低空飛行で森を抜けて林の中を進んで行くと、3kmほど先の街道沿いに人族の集団を俺は感知して、注意を払っていた。。
海に向かう方向とは違うから気にする事では無かったが、どうにも動きがおかしいと感じていたからだ。
一台の馬車を追い掛ける馬に乗った騎兵が30名ほど。
そして、 馬車を止めて取り囲む。
そこからは、流れるような動きで、一人の騎兵が馬車の騎手に剣を突き刺し、別の騎兵が馬車の扉をこじ開けようとしている。
まあ、俺には関係の無い事だが…
馬車の中の人族は…親にしがみ付いている子供と、その親子を守ろうと身構えている子供か…
気に入らないな。
《リリアナ、ちょっと寄り道するぞ。それと、会話は俺との念話だけにしておけよ。》
《うん。わかったぁ》
俺は速度を上げて、襲われている馬車に向かった。
《パパ? あれ?》
《ああ、あれだ。》
高度を上げて、空からウィンドショットの射程内に入ったが間に合わず、身構えていた子供が騎兵の剣を受けて、馬車の外に投げ捨てられる。
俺は、その騎兵の頭をウィンドショットで撃ち飛ばす。
そして、馬車の近くにいる他の騎兵を次々と撃ち飛ばしながら、馬車と倒れた子供の前に出る。
《おい。弱い者をいたぶるのは楽しいか?》
仲間が次々に頭を飛ばされ、混乱していたところに魔物が登場。
そして、念話で話しかけられる。
動揺しない方がおかしい。
だが、俺は言葉を続ける。
《俺は気分が悪い。だから死ね。》
残っていた騎兵が恐怖で逃げようとしたが、振り返る間も与えず、頭を撃ち飛ばす。
それから、胸を突かれて死んでいる子供にエリクトラを一本使った。
死んで間もない生き物は、心臓が止まっていても肉体的な治癒行動は残っている。
その十数秒の間なら、治癒力を神的なまでに引き上げる『エリクトラ』で生き返る事ができるのだ。
「あれ? 僕…え!」
「ハリスタ!」
馬車の中で小さな子供を抱きしめていた女性が、少年の声を聞いて顔を上げる。
「お母様!」
二人は、小さな女の子を挟むように涙を流しながら抱き合った。
《リリアナ、待たせたな。》
《うん。あのこ、よかったね。》
《そうだな。母と妹を守ろうとしたんだ。死ぬには惜しいからな。》
まだ子供だが、その姿に俺の心は動かされた。だから、エリクトラを無償で使ったのだ。
「あの…ありがとうございます。息子が助かったのも貴方様のおかげですよね?」
明らかに貴族だと判る母親が、恐る恐るといった感じで俺を見ている。
《ああ、エリクトラを使った。》
俺は空になったエリクトラの小瓶を母親に渡す。
《少し残っているから、そっちの子供に飲ませてやれ。精神安定剤にもなるからな。》
「あっ、はい。」
母親が、抱き付いて離れない子供に小瓶に残った数滴のエリクトラを口に含ませる。
2歳前後の女の子だろうか? 恐怖で体を震わせていたのが止まる。
《さて、リリアナ待たせたな。》
《うん。もういいの?》
俺はその場から立ち去ろうとすると、
「あの! あの…」
何かを言いたいようだが、魔物相手だ。言葉が出ないんだろう。
俺は、そのまま無視して立ち去っても良かったのだが、リリアナも気になっているようだし、立ち去るのを止める。
《どうした? 俺は見ての通り魔物だ。この場を直ぐにでも離れたいんだがな。》
母親と少年が、すがるような目で俺を見ていた。
「私達を救ってくれてありがとうございます。それで…図々しいお願いなのですが…」
そこで、母親の言葉が止まったので、俺は《言ってみろ。》と返す。
「レボルク領のブリアムという街まで、護衛を頼めないでしょうか?」
魔物の俺に頼むぐらいなんだから、当てが無いのだろうな。
それに、襲っていた騎兵は揃いの装備だったし、どこかの軍か隊に追われている感じか。
《リリアナ、どうする?》
《ん~、たすける。》
《判った。》
《俺が助けたのは、抵抗出来ない弱い者を襲うやつが許せないからだ。だが、頼み事となると話は別だ。そもそも、魔物が護衛とか無理があるだろ。》
俺なら問題ないが、魔物の護衛をどういうつもりで頼むのか、それが気になった。
「娘だけで良いのです。私の両親に娘を託して欲しいのです。」
《俺に、娘を乗せて運んで欲しいって事か。》
「はい。」
《お前と息子は?》
母親と少年が顔を見合わせて、覚悟を決めたような顔を見せる。
「私とこの子は…運に任せます。」
《パパ…》
リリアナが不安そうな顔を向ける。
《ああ、心配しなくていい。》
《俺が、その娘を連れていくとして、街の場所も知らないし、お前の家族も知らないぞ。それに、どうやって魔物の俺が街に入るんだ?》
「手紙を書きます。それと、この指輪を。」
母親は自身の指から指輪を外し、娘に渡して話を続けた。
「プリアムという街は、私の両親が伯爵として治めている街なのです。ですから、門番に手紙と指輪を持たせた娘を会わせて貰えれば、あとはその方が保護してくれるはずです。場所は、この街道を北に進んだ、あの高い山を越えた先にあります。」
母親が指差した山は遥か先にあり、ここから100km…いや、150kmほどあり、それを越えるとなると200km以上はありそうな距離だった。
まあ、俺なら数十分でいけるから問題ないな。
《判った。だがそれだと、対価を誰から受ければいい? 助けたのは俺の意思だから対価は要らないが、娘を届ける事に関しては対価を貰わないとな。》
馬車は無事なんだから、数時間かけて向かえばいい筈だが、それをしないって事は、馬を操れない。
そしてあの表情だと、また襲われる可能性があるってことだろうな。
「今はこれを。もし、私達が生きてプリアムに着けましたら、出来るだけの事をさせて頂きます。」
そう言った母親が、身に着けていた宝石と、持っていた鞄から布袋を取り出して中身を見せる。
布袋の中には白金貨が数十枚入っていた。
《魔物に、そんな物が必要だと思うのか?》
「判りません。ですが、貴方様の上に乗っている少女の使い道に…なるかと思いまして。」
《ああ、そうだな。使い道はあるが、人族の金は十分に持っているから貰う意味がない。》
「そうなのですか…」
落胆する母親を少年は励まそうとして、母親の腕を支えるように掴んでいる。
《まあ、対価の事は後で決めるとして、お前の両親に会いに行くぞ。》
「え?」
俺は、目の前に木舟を取り出す。
《娘だけを俺に託すのはいい案だったが、却下だ。俺にはその選択肢は必要ないからな。いいから、この船に乗れ。》
俺が乗り込んだ後、困惑する家族3人が、言われた通りに木船に乗り込む。
《それじゃあ、行こうか。》
《うん。いくぅ。》
乗り込んだ3人に言った言葉だったが、リリアナが嬉しそうに言葉を返す。
木舟は、森の上の遥か上空を高速で飛行し、一直線に山を目指す。
空の旅は無言だった。
後ろの3人は硬直した顔のまま、ずっと固まっていたからだ。
《パパ、あれは?》
そんな中、リリアナは飛んでいる鳥を指差して楽しんでいる。
全身真っ黒、体長2メートルの魔獣の鷲。
《あれはダーグズだな。嘴と足の爪の攻撃が危険だが、動きが直線的だから倒すのは簡単だぞ。まあ、鳥全体に言える話なんだがな。》
「あの…その、お子様は?」
無言で楽しそうにしているリリアナの姿に興味を持ったのか、母親が、木船に乗ってから初めての発言をした。
《俺の娘だ。 それ以上は答えないからな。》
魔物と一緒にいるリリアナという存在を、知られる訳にはいかない。
だからリリアナには、俺との念話だけにするように言ったのだ。
その光景から、リリアナを魔族と思うかもしれないからな。そうでなくても、疑うことにはなるだろう。
言われた山を越えると、渓谷の中腹を沿うように長い城壁で守られた街が見えた。
「あれが、プリアムです。そしてあの城に私の両親が住んでいますので、城のバルコニーなら大丈夫だと思います。」
俺は、助けた家族の素性や襲われた理由など、何ひとつ聞かなかった。
母親が話そうとしたが、それも俺が制した。
これ以上の厄介事に係わるつもりもなかったしな。
だから聞いたのは、直接両親に渡す方法だけだった。
「城には、忠誠心の高い近衛騎士だけなので、私の声ひとつで、大人しく出来ます。」
《ああ、判った。》
城の建っている場所は街の一番高い場所にあり、斜面を背にしているので、渓谷の山の中を進んで、城の裏から回り込むようにバルコニーに木船を下ろす。
当然、監視をしていた兵士達が騒ぎ出すが、バルコニーから顔を出した母親が、公言通りに事態を収める。
「アネル! いったいこれは…」
バルコニーに出る扉を開けたのは、白髪が混じる男性だった。
その後ろから、護衛役だと思う4人の騎士が男性の脇に並ぶ。
木船から降りた母親達が、その者達に笑みを向ける。
「お父様。私達親子は、この御方に命を救われました。そしてここまで送ってくれたのです。」
「御方だと…」
魔物の俺を見た男は、困惑した当然の目を向ける。
《まあ、そういう事だ。それで対価の話だが、この街にツフェリアスの女神像がある教会ってあるか?》
「教会ですか?」
「魔物が教会だと?」
母親が疑問の声を上げ、その父親が疑念の声を上げる。
《スティアにあえるの?》
《ああ、ここなら教会に行けるかと思い付いた。》
《別に破壊したりする訳じゃないぞ。少し祈らせてくれればいい。》
「何を言っている…」
「お父様! 少し黙ってて下さい。」
「なっ!」
娘の言葉に、男は信じられないものを見る目になって、言葉を詰まらせていた。
《で? あるのか?》
「はい。あります。」
《なら、人払いを頼めるか? お前達は同行しても構わないが魔物が教会に入るとなると、お前の父親みたいな反応されるからな。》
「そうですね。判りました。今から教会に掛け合うことが出来ますが、ツフェリアス様の女神像ならこの城にもあるのですが、そちらでは駄目ですか?」
《なに? この城にあるのか?》
「はい。昔の領地争い時代からの城なので、教会や医療棟などが城内の敷地に建てられています。今は、城の者や私達が参拝する場になっています。」
《なるほどな。それは俺達にとっても都合が良さそうだ。数日後くらいにまた来ることになると思っていたが、今から行けるか?》
「はい。あの建物がそうです。」
バルコニーから見える中庭の、右の建物の屋根を母親が俺に示す。
《なら、早速向かう。邪魔されないように頼むぞ。》
母親は娘を抱いたまま、「はい。」と頷き、木船に乗り込むと少年も追うように木船に乗った。
俺は、困惑したままの男達の前で、木船を浮かせて中庭にある教会の前に降ろす。
中庭に集まった兵達は、母親の言葉を守り、傍観者の立場で静かに俺達を見ている。
「教会には、神父と神官がいますけど、私と一緒なら問題ないはずです。」
《ああ、10分と掛からないはずだから、頼んだぞ。》
そして、中にいた神父と神官は、少しの驚きを見せたが、すぐに母親の説明になっとくしたようで、参拝者を招く動作を俺達に示した。
俺は女神像の前に座り、次元倉庫から人形を取り出す。
《リリアナ、ツフェルアスに話しかけてみてくれ。》
《うん。スティアぁ~》
《良かった。リリアナちゃん、元気そうね。えっと…今日はディムと二人だけですか?》
《うん。パパとあそんでるの。んでね、この子とおなはしできなかった。》
リリアナが女神像に向けて、雑貨屋で買った人形を見せる。
《ああー。その子から、私と話をしたかったのね。分かりました。ちょっと待ってね。》
そう言った後、リリアナの持っている人形から淡い光が溢れ、すぐに消える。
《これで、その子から私に声が届くようになったわよ。》
《ん! ありがとう! これでフルララも喜ぶぅ。》
《え? それはどういう事なの?》
俺はリリアナに代わって、母の姉に『クラリム』の神官の話をした。
《そういう事だったのね。ずっとあなた達からの祈りが無くて気になっていたのですよ。これからは、その人形が女神像代わりになりますから、フルララちゃんの日課も再開出来ますね。》
《リリアナもいのるぅ。》
《ええ、楽しみに待ってますからね。》
時間にして、5分ほどで終わった祈りを、母親や教会の神父達は静かに見ていた。
《ありがとな。これで護衛の対価は貰った。》
「はい。ですが…この程度の事で、私達親子を救ってくれた対価には…」
《いや、十分だ。では、俺達は戻るからな。そうだな…助かった命を悔いなく使えばそれでいい。》
「はい。この日の事は、生涯忘れません。そして、感謝の気持ちも失わないと誓います。もし、私達に頼れる事が出来ましたら、この城に来てください。息子と娘にも忘れさせないように継がせますので。」
「うん。僕は誓うよ。助けてくれた恩は忘れません。」
母親の隣で、強い意志を見せた少年に、俺は言葉を贈る。
《俺も、お前の意思と、家族を守った行動を忘れないぞ。》
途端に少年の目から涙が零れる。
「あっ… うぐっ…」
その涙を何度も拭うが、溢れる涙は止まらなかった。
あの時の恐怖を思い出したのだろうか? それとも助かった事を実感しているのだろうか?
どっちにしても、あの絶望と恐怖を超えて行動したのだ。
賞賛に値する功績だ。
《パパ? あの子どうしたの?》
《そうだな…自分と、家族が生きている事に感謝しているんだろう。》
《うん。かんしゃする。》
《ああ、運命だからな。》
俺達は、涙を流しながらも気丈に立つ少年と、それを支えるように横に立つ母親に見送られながら、木舟で空に上がり、プリアムの城を後にした。
《少し遅くなったから、このまま海まで飛んで行くぞ。》
《うん。うみだぁあ》
上空高くまで上がった俺達の目には、遥か先に見える海と、青い水平線が映っていた。
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