第15話 魔王、ダンジョンで無双する。

 寝室にある時計の時刻は5時になろうとしているところだった。

 まだ日の上がらない時刻に起きたのはいつ以来だろうか。

《フルララ、起きるぞ。》

「… … …」

 当然、声だけで起きるはずもないから、俺は重力魔術でフルララを揺り起こす。

「んぅ~ ディムさん、そんなところにいたのですか…」


 いつもと変わらず、ベットの上だが?


「ん? ディムさん…」

《起きたようだな。朝食を取って出発するぞ。》

「はぁ~い…次は負けませんからね…」

 そう言ったフルララが俺に抱き付いて、寝息をたてはじめる。

 それから、フルララが目を覚ますまでに5分が掛かった。  


「パパ、もういくの?」

 フルララを起こしている間に、俺の上で寝ていたリリアナが目を覚ましていた。

 俺は、眠らせたまま母の部屋に連れていくつもりだったが、フルララの寝言で起きてしまったようだ。

《ああ、朝食を食べたら出発する。リリアナは母の部屋で、もう少し寝るか?》

「ううん。パパといっしょにごはんたべる。」

 リリアナは、俺にしがみ付くように顔を埋めている。

 


 朝日が昇ったばかりの時間、俺はフルララと共にダンジョンに向かっている。

 早めの朝食を済ませた後、リリアナが寂しそうにしていたから、出発する時間を少し遅くしたが大丈夫だろう。

 この時間なら、ダンジョン入り口まで誰にも出会う事はない。

「ディムさぁんー! ちょっ! ちょっと、早いー!」

 完全武装のフルララが、その身一つでダンジョンまでの道を飛んで行く。

  そして、歩いて30分ほどの距離を、2分かからずに到着する。


 遺跡の入り口のようなダンジョンの入り口は、朝の静けさの中でも不快な気配を放っていた。

《どこのダンジョンも変わらないな。》

 俺も魔王になる前は、魔族領のダンジョンで遊んでいたのだった。

「はぁ…はあ…はあ~。ディムさん…いくら安全だと思っていても、怖いものは怖いんです!」

《そうか。慣れればどうってことないぞ。仮に岩壁に激突したとしても、無傷だしな。》

「そういうことじゃないんです!」


 ん~リリアナは楽しんでいたんだがな…

 

《わかった、わかった。ここからは人目もあるから、飛ぶことは程々にするから、頑張って走ってくれよ。》

「…はい。魔物はお願いします。」

《ああ、任せておけ。》


 ここのダンジョンは、下層に下りるほど広くなる山頂型のダンジョンだった。

 そして基本的に、1層から徐々に魔物が強くなる。

 それぞれの階層から下層に下りる通路は一つしかなく、その下層に下りる通路に、人族は光剛石を設置して安全地帯を作っている。


《6層入り口まで一気に走っていくぞ。だが、慌てて案内標識を見落とすなよ。》

「はい。がんばります。」


 俺の魔力感知は、ダンジョン特有の発光と魔力を吸収する壁に遮られて、壁の向こう側を視ることが出来ない。

 だから、全体の構造を知ることが出来ないから、今回はフルララ任せになっている。


 1層から3層は迷路になっている洞窟で、狩りをする者は日帰りで済む距離だから、この時間はまだ誰も居ない。

 なので、身体強化で速度を上げたフルララが洞窟内を爆走しながら通り抜けていく。

 時々、壁にぶつかりそうになる度に、小さな悲鳴を上げながら。


 普通は、襲ってくる魔物を処理していくことになるから、もっと時間がかかるのだが、俺が体長1メートルほどの鼠や蝙蝠を魔力感知で見つけ次第、ウィンドショットで倒していくので、数分で2層目に降りる通路に到着する。


 2層目と3層目は一層目よりも広い洞窟で、中型の魔獣が立ち塞がることになるが、そんなものは俺にかかれば全て瞬殺だから、一層目と同じように走り抜けることに変わらない。

 むしろ壁に衝突する事が無くなったので、フルララにとっては走りやすくなっていた。



《たしかに、人族の気配がある。》

 4層目に繋がる通路には泊り込みの冒険者がいると聞いていたから、フルララは少し速度を落として通路を走っていく。

「話しかけられても無視ですよね?」

《ああ、声で女性だと知られない方が良いだろう。それと、これを装備しておけ。》

 俺は、勇者リリーアナリスタが所持していた剣を1本取り出して渡す。

 白い鞘に入った細身の片手剣。

 それは自らを刺そうとした3本目の剣で、神の剣ではなかったが純ミスリルで出来た特級品だった。

《武器も持たずにダンジョンにいると、怪しすぎるからな。》


 4層に下りる通路の中間地点を、大きな部屋のように広げた場所が野営地になっている。

 そこには荷車とテントが数十ほどあり、冒険者相手に商売している露天まであった。

 まだ早朝からそんなに時間は経っていないが、ダンジョン内だと関係ないから起きている者が沢山いる。


「皆さん、私を見ているのですが…」

 小さな声で訴えるフルララ。

《まあ、単独でダンジョンに来ている時点で、十分怪しいか。》

「ディムさん…」

《もう少し速度上げて、駆け抜けるぞ。》

「はい。」


 4層からは、大地が広がる大きな空間になる。

 数十メートルはある高い天井に、ダンジョン特有の植物が生え、虫系や鳥系の魔物まで生息する『ダンジョン界』と言われる場所だ。

 外の世界とは、生態系がまったく異なり、様々な物が手に入る世界。

 ダンジョンの価値は、この場所にあると言っていい。


 そして、壁のない空間になった事で、俺の魔法探知が十分に使える事になり、5層への通路と魔獣の分布もすぐに判った。

《ちょっと、寄り道するか。》

 俺は、フルララの手を動かして方向を示す。

《この先、2kmほどに魔力が高い魔獣がいる。魔石が欲しいから倒すぞ。》

「え? あっ、はい。」

 フルララの返事を聞いた俺は、人族が周囲に居ない事を確認し、フルララを浮かせて飛ぶ事にした。

 地上を走るには、木々を避ける必要があり、それと余計な魔物との戦闘を避ける為でもある。


「ディムさん、もっ、もしかしてあれですか?」

《あれがどれか判らないが、たぶんそれだ。》

 まだ距離は離れているが、フルララにも見えているはずだ。

 林の中にある岩場の上。 

 体をぐるぐるに巻いて丸くなっている巨大な蛇だけが、林の中で唯一、俺の魔力感知に反応しているのだから。


「ディムさん、止まって! お願いですから止まってぇー!」

 フルララの声は小さいが、切羽詰った叫び声を聞いて俺は空中で停止する。

《どうした? もう少し近付くつもりだったが。》

「大き過ぎます! 蛇はダメなんです! あの肌とかダメなんです!」

 ドクンドクンドクンと、明らかに早くなっているフルララの心音が俺に伝わる。

《そうか。なら、ここから仕留めてみるか。》


 魔石に傷が付くと、その価値が無くなるから、魔石がある場所を避けないとならない。

 だが、今は体を巻いている状態だから、頭がどこにあるのか判らない。

 獣系は胸辺りにあるが、蛇やトカゲなどは頭の中にあるのだ。


 フルララには悪いが、起こすか。


 俺はウインドショットを撃ち込み、蛇の反応を確かめた。

 数秒後に、ゆっくりとした動きで蛇の体が動き出す。

 俺は、さらにウィンドショットを連射して蛇を怒らせる。

「ディムさん! 蛇が! 蛇がこっちに!」

 俺の攻撃に気づいた蛇が高速で迫って来たので、フルララを少し上昇させて、蛇を見下ろす位置に移動する。

 その瞬間、蛇の頭が地面から飛び上がるように口を開けて襲い掛かる。

「ひぃ!」


ドォオオオーン!


 身を屈めて拒否を示すフルララの姿とは対照的に、吹き飛ばされた大蛇の頭が地面に崩れ落ちていく。

 そして地面に落ちた瞬間、頭は胴体から離れて体だけがうねうねと動いていた。


《フルララ、もう大丈夫だぞ。》

「え? はっ…はい…」

 巨大な圧縮空気魔術『エアボム』で叩き落した後、俺はエアカッターで頭を切り落としていた。


《あとは頭から魔石を取るだけだ。》

 俺は少し離れた場所にフルララを下ろすが、頭だけでも3メートルはあるその姿に、フルララの足は固まったままだった。

《死んでいても駄目か。》

「はい…足が竦んでしまって…」

《判った。無理はしなくていいぞ。俺が取りに行ってくる。》

 ヘルムとプレートアーマーを外して、俺は蛇の頭に近づく。

 そして蛇の頭から直径80cmほどの魔石を取り出し、フルララの所に戻ると、疲れた表情のフルララがへたり込んでいた。


 そういや、蛇は北の大地に居なかったな。

 リリアナはどうなんだろうな…


《フルララは、蛇以外で嫌な物はあるのか?》

「小さい物なら平気なのですが、トカゲや蛙などの…こう…ヌメっとした肌がダメなのです。」

《なるほどな。》

 少し身震いをしたフルララ。

 さっきまでの緊張で、体温が上がっていたし汗も少しかいていたから、喉が渇いていると思った俺は、一息入れて貰う為に次元倉庫から紅茶の入った水筒を渡す。


「ありがとうございます。でも…場所を変えませんか。」

《ああ、そうだな。》

 俺は、自分に対して苦笑いを浮かべていた。


 ほんと、俺は詰めが甘いな。

 まあ、スライムだから表情は無いんだけどな…



 完全武装に戻ったフルララに指示を出しながら林の中を進む。

 魔力感知で魔獣が邪魔をしない道を、フルララは慣れた足取りで駆け抜けて行く。

《身体強化の違和感が無くなったようだな。》

「はい。力加減が判ってきました。凄く体が軽いです。」


 寄り道から戻り、5層に下りる通路をフルララは走る。

 野営地になっている場所に入ると、そこは小さな村のようになっていた。

 木造の建物に、多くの人族が居たが、フルララは速度を落とすことなく、視線も向けずに走り抜ける。

 下手に止まると、面倒な事になるのはフルララも判っていたからだ。


 5層目に降りると、すぐ目の前に大きな湖があった。

《さっきの野営地が、村になっていた理由はこれか。》

「そうなんですか?」

《大量の水がすぐ手に入るからな。》


 しかし、ダンジョンの中に村を作るか…

 その発想は無かったな。


《さて、6層へ行く洞窟は渓谷だったな。》

「赤い岩壁の向こうが渓谷でしたよね。」

《ああ、情報通りならそのはずだ。》

 そこら辺にいる冒険者に聞くことが出来ないから、俺達は自分の目で確かめなければならない。

《ここから見えるか?》

「はい。左に見えるのがそうだと思います。」

 俺の魔力感知は空気中の魔力も感じる事が出来るから、地形や建物などの存在も知ることが出来る。

 だが、色は判らないのだ。


《あっちの壁か。フルララの足なら、1時間ほどで着きそうだな。》

「はい。頑張ります。」

 身体強化魔術を施している状態のフルララの身体能力は、鍛え上げた戦士と同等か、それより少し上辺りになる。

 『ゾイル』を使う前のガトラとオリファを基準にしているから、間違いではないはずだ。



 冒険者から距離を取りながら、渓谷を目指すフルララ。

「やっぱり…見られてます。」

《まあ、その装備に単独行動だからな。》

 俺は、フルララの進行の邪魔になる魔獣だけを、ウィンドショットで倒していく。

《あと、騎士の格好で魔術使ってるしな。しかも瞬殺だ。》

「ディムさん…」

 なんとなく、フルララの言いたい事は判る。

《今回の目的は、6層の魔獣を倒すって事だから、目立つ方が良いんだ。》

「え? そうなのですか?」

《ああ、倒した魔獣は目立つ所に置くが、誰かが倒したって言う噂が必要だろ。だから、目立つ事は大前提なんだ。》

「そう言われると、そうですね。でも、目立ち過ぎてませんか? もう、勇者が現れた。とかになりそうです。」

《ああ、正体不明の勇者か…良いかもな。》


 実際にフルララが着ている防具は、リリーアナリスタが着ていたやつだからな。

 …しかし…胸の隙間か。

 いや、忘れよう。


《それなら、その剣を使って、それらしく見せるか。》

 フルララの腰には、鞘に入ったミスリルの剣がある。

「えっ! 私が剣ですか? むっ! 無理です!」

 走りながらだが、手をブンブンと振っている。

《実際に戦うわけではないぞ。それらしく見せるって事だ。》

「どういう事ですか?」

《実際にやってみるのが早いな。右に見える森に入ってくれ。》

 もちろん、冒険者が居ないのは確認済みだ。


 俺は木々に囲まれているが足場が平らになっている所にフルララを誘導する。

《目の前の木に向かって剣を振ってくれ。》

 鞘から剣を抜いたフルララが軽く構える。

「えっと…こうですか?」


 片手で振り下ろされた剣から「シュッ!」っと音が出たあと、目の前の木が斜めに切断され、ずり落ちるように木が倒れる。

「えっ?」

《という感じで、俺がエアカッターを合わせる。あとはそうだな…突きの時はウィンドショットにするか。》

 それから、合図となる予備動作をフルララと決めて、少し練習をする。


「なんか、楽しくなってきました。」

《ああ、俺もちょっと楽しいぞ。》

 フルララの動きに合わせて魔術を撃つだけなんだが、タイミングが完璧に合ったときの充実感というか、達成感というか、なんとも言えない喜びみたいなものがあった。




 森を出た俺は、早速獲物を見付ける。

 この5層は、体長2メートルから4メートル前後の中型魔獣が主体で、数匹から数十匹の群れになっている。

 そして俺の魔力感知で、既に数km先の数匹の魔獣を見つけていたのだ。

《フルララ、魔獣が4匹。犬型だな。》

「はい。向かいます。」

 フルララの気合が伝わってくる。

 


 フルララの接近に気付いた1匹の魔獣が、唸り声を上げて仲間に知らせる。

 そして、立ち止まったフルララを瞬時に囲む。


 フルララが鞘から剣を抜いて、大きく息を吸い込み、構えた。

 体が密着している事で、フルララの緊張した胸の鼓動と筋肉の強張りが直に伝わってくる。


 実際に魔獣を相手にするのだから、緊張するのは当然だ。


《気負わなくていいぞ。防御魔術で守っているからな。》

「はい。じゃあ、行きます。」

 

 フルララが踏み出そうとした時、背後の犬から、先制の『ウィンドショット』がフルララを襲う。

 俺はそれを、マジックミラーで跳ね返す。

 魔力感知で風属性なのを知っていた俺は、犬型の魔物で風魔術を使うなら『ガスティウルフ』かと考えていたのだ。


 やはりガスティだったか。


「きゃっ!」

 先手を取られ、少し慌てたフルララだったが、直ぐに立て直し、襲い掛かかろうとする3匹のガスティウルフを牽制するように剣を振る。

 そう、普通なら届かない距離で剣が空を切る動作なのだが、結果は全く違う。

 ガスティウルフから血が噴出し、体が二つに分かれているのだ。


 仲間が倒された事に気付いた背後の1匹が逃げる。

 それをフルララは追いかけることはしなかった。

《なかなかサマになってたな。これなら、遠くから見ている者は剣で倒したように見えるだろう。》

「次はもう少し剣士らしく、がんばってみます。」

《ああ、そうだな。待ち構えるよりも、走り抜けながらすると、それらしくなるぞ。今は、パーティーの前衛としての剣士ではないからな。》

「はい。やってみます。」


 そこからの渓谷までの道中は、冒険者の視線を受けながら、魔獣を討伐して行くように、道を選ぶ。

 獲物を探して徘徊しているパーティーや休憩しているパーティー。

 その視線に入る魔獣の群れを通り抜けながら、殲滅していく。


「ディムさん、直接剣を当てても大丈夫ですか?」

 魔獣の動きに慣れたのか、フルララがそんなことを言った。

《ああ、ならエアカッターを飛ばさずに剣に重ねるか。だが無理はするなよ。》


 3メートルほどの熊型や牛型に、2メートルほどの猫型や犬型。その魔獣の攻撃を見切れるようになったフルララが、一撃離脱のような動きで次々に切り倒していく。


《だいぶサマになったな。そろそろ渓谷に入るが、少し休憩するか?》

 普通なら2時間くらいかかる距離を、フルララはその殆どを走ることで、1時間で済ませていた。

「そうですね。一度、汗を拭きたいです。」

《判った。ちょうど目の前の林の中には誰も居ないから、そこで休憩しよう。》



 ダンジョンに入ってから3時間ほどが過ぎていた。

 アンジェとティエスの両親は、夕刻前に6層に着いて問題の地底湖の洞窟を探索すると言っていた。

 なので、まだまだ時間的には余裕がある。

 とはいっても、昼には片付けて、夕刻にはリリアナが待つ家に帰るつもりだ。


《体を拭くだけだと、あれか…少し時間もあるし、少し休むか。》

 林の中で、汗を拭いて少し休憩をするだけだったが予定変更だ。


 俺はフルララに、林の奥で渓谷の目印になっていた崖の前まで来て貰った。

《ちょっと、待ってろよ。》

 目の前にある雑草と木々をエアカッターで綺麗に刈り取り、ログハウスを設置する。

《よし、中で風呂に入るといい。》

「あっ、ありがとうございます。」


 家に入り、装備をリビングで外して、フルララを風呂に入れる。

《時間は十分にあるから、ゆっくりでいいぞ。俺はリビングで食事の準備をしているからな。》

 フルララの嬉しそうな「はい。」が浴室から返ってくる。

 お茶の準備はすぐ出来るので、俺はその間に装備品をいつものように洗って乾かす。


「ディムさん、お風呂ありがとうございました。」

 部屋着に着替えたフルララが戻ってくる。

《ちゃんとした食事と、お菓子。どっちがいい?》

「お菓子でお願いします。」


 予想はしていたが、即答だった。

 まあ、疲れた時は甘い物が欲しくなるから、フルララなら必然なことだ。


 いつものように紅茶はフルララに任せて、俺は買い溜めしたケーキやクッキーなどをテーブルに出す。

「まさか、ダンジョンでこんな休憩をするなんて思ってませんでした。」

《俺も考えていなかったが、予定より早く来れたからな。フルララが頑張った結果だ。》

 フルララに持たせていた時計は、9時を示していた。


「よかった。私ちゃんと出来てたみたいで。」

《ああ、助かっている。謎の勇者としても十分に目撃されているし、後は6層の魔獣を倒せば勝手に噂が流れるだろう。》


 フルララなりに、役に立ちたいとか思っていたのだろう。

 その思いは十分に果たしてくれている。

 俺一人で魔獣を処理すると、魔獣がなぜ死んでいたのかと、新たな問題が出て『魔力視』を持つ母親がまた駆り出されるかもしれないからな。


 蜂蜜をたっぷりと入れた紅茶とお菓子で、終始笑顔を見せているフルララに、俺は自然と言葉を出していた。

《そうだな…これが終わったら、俺に出来ることなら何か一つ叶えてやろう。》

「えっ! ほんとですか!」


 あ…フルララの願いってあれか…俺の角か?

 まあ、それだけだと対価としては少ないが…


《…ああ、約束だ。》



 休憩を終えた俺達は、渓谷に入る通常の道に戻らずに、休憩場所の岩壁を飛んで渓谷を上から進むことにした。

 上がって見て判った事だが、渓谷の上にわざわざ登る冒険者は居ないようで、人目を気にせずに飛行で移動することが出来た。

 魔力感知で調べているが、渓谷の上は魔獣も居ない。

《この先の渓谷の下に鳥がいるな。》

「鳥ですか?」

《ああ、この大きさだと、ロックバードかもしれないな。》

「どんな鳥なんですか?」

《体長2メートルほどの丸い水鳥みたいな鳥なんだが、羽が岩で出来ていて硬い。そして肉が美味い。》

「え?」

《肉が美味い。》

「いえ、そういうことじゃ…狩るんですね…」

《そういう事だ。まあ、1匹だけだし、すぐ終わる。》


 周囲には冒険者も居なかったから、俺は300メートルほどある崖を一気に飛び降りる。

「だからぁああー!」

 周りに誰も居ないと判っていても、小さな声で悲鳴を上げるフルララ。

 そしてフルララの声が響く中、無事に自由落下で地面に着地した。

 もちろん、物理防御魔術で少しの痛みも与えていない。

《重力魔術でゆっくり降りるより楽だったからな。》


 俺とフルララの会話を待たずに、目の前に居た岩を体中に貼り付けたような鳥が慌てた様子で走りだしている。

 鳥だけど飛べないロックバードは、見た目と反して走る速度が速い。

《フルララ、急いで追いかけてくれ。首のところを一撃で切り落とさないと駄目だからな。》

「はい。行きます!」

 なんだかんだと言っても、普段出来ない剣士を楽しんでいるフルララに、俺は指示を出した。

 崖の上から、ウィンドショットで頭を撃ち抜けば済んだ話だったんだが、そんなフルララに気付いた俺は、フルララに任せることにしたのだ。


「えい!」

 ロックバードに追い付いたフルララが、大きく跳躍しながら剣を首に振り下ろす。

 それに合わせて、俺はエアカッターを剣に纏わせると、フルララの剣が硬いロックバードの首を切り落とす。


 ドドドド…ドォーン


 首が落ちたロックバードは、そのまま走り続けて崖に激突した。


 それを見届けたフルララが、剣を一振りしてから鞘に収める。

《もう、目の前で見られても誰も剣士だと疑わないな。》

「本当ですか?」

 フルララの嬉しそうな声に俺は《ああ、保障する。》と答えた。


《少し処理をしておく。このままだとゴミが多くなるからな。》

 ロックバードの岩のような羽は調理の邪魔になり、捨てるのも面倒になるから、俺は血抜きのついでに、全部毟り落とし『次元倉庫』に入れる。


《6層への洞窟は、丁度この先にある。洞窟の外には何も居ないようだ。中に人族は居ないはずだから、飛行で飛んでいくか。》


 5層から6層へ降りる通路を見つけるのに80年ほどの歳月が過ぎたらしい。理由は地竜が住んでいた洞窟だからだ。

 地竜に挑もうと思うなら、魔族でも数百人規模になる。魔術の使い方を知らない人族だと果たして何人が必要になるのか。どれほどの犠牲者が出るのか。

 だから、命知らずの行動に出る者達は居なかった。

 ならどうして、6層への通路が使えることになったのか。

 その理由は、地竜が何故か居なくなったらしい。

 5層のどこかに住みかを変えたのか、6層に降りたのかさえ判らない状態なのだそうだ。

 だから、戻ってくる可能性があるため、ここを休憩場所にはしなかった。

 竜族は魔獣じゃないから、光剛石の結界が使えないからな。


 地竜の棲家だった、十数メートルほどの大きさのある横穴を少し早い飛行で進んで行く。

 そして、長い下り坂を抜けると突然視界が広がる。


「うぁあ! なんですかここ!」

 俺の魔力感知でも、その凄さは伝わってくる。

 5層から6層に繋がる場所は、2000メートル級の外壁になっている山脈の山頂だった。

 だからフルララの目には、6層の世界のほとんどを上から見下ろしているのだ。

《俺も6層の事は聞いて無かったが、ここまで広い階層は滅多にないぞ。》


 フルララが景色を眺めていたので、俺は魔力感知を最大にして索敵をかける。


 地下湖のある洞窟は岩地帯だったな。…あの辺りか。

 …それらしい洞窟は全部で5つか。

 


《フルララ、目的の洞窟は全部で5つだ。速攻で確認しに行くぞ。》

「えっ? あっ、はい! って、あぁあああ!」

 その場から飛び上がり、空を滑空するように飛行して一直線に洞窟に向かう。


「飛ぶなら、そう言って下さい。」

 速度を考えて飛行しているので、フルララはすぐに景色を眺めるほどの余裕を取り戻していた。

《人族が居なかったからな。それに、この景色を空から見るのはもう無いだろうからな。》

「そうですね。こんな体験は二度と出来ないです。」


 森と林が転々が広がる草原に、5メートルを超える大型の魔獣が王者のように闊歩する世界。

 俺は直接見ることは出来ないが、昔見た景色を思い出していた。

《ダンジョン界は、理も違う異世界だからな。》



 岩石地帯の目的の洞窟に、俺はゆっくりとフルララを降ろす。

「ここですか?」

《ああ、まずは一つ目。奥に行けば地底湖が見えるはずだ。フルララは見える場所まで進むだけでいい。倒すのは俺がするからな。」


 フルララがゆっくりと洞窟に入って行く。

《もう少し奥だ。あの壁の向こうに行ってくれ。》

「はい。」と小さく返事をしたフルララは、足音を立てないように静かに歩いて行く。


 指定した場所にフルララが立つと、地底湖が見える空間が見えた。

《ここでいい。》

 魔力感知で洞窟の天井に巨大な何かが居るのが見える。

《一番目で当たりを引いたみたいだな。》

 俺は魔力を込めて、ウィンドショットを破壊級まで引き上げる。

 それは1メートルほどの風の弾丸となって目標に撃ち放たれた。

 

 ドォオオオオン!


 地響きが洞窟内に響き渡り、天井が崩れ落ちる。

 砕けて地面に落ちた岩と巨大な大岩。それがうねうねと蠢き出す。

《大蛸『ベヴァロック』で合っていたようだ。》

 こいつの皮膚は、周囲の岩を取り込んで岩壁そのものになるから、千切れた足も岩壁のままになっている。

 俺は、巨岩のようなベヴァロックの胴体にエアカッターを撃ち込んで止めを刺す。


《あとは…残りの洞窟を確認するだけなんだが、ちょっと寄り道だな。》

「どうしたんですか?」

《この地底湖を少し潜った先に、魔鉱石の魔力を感じたから、今から取りに行こうと思う。》

「ディムさんが独りでですか?」

《いや、このままフルララと一緒にだ。空気の層を纏って、俺が重力魔術で移動させるから、フルララはなにもしなくていい。》

「ほんと、ディムさんって何でもありですね。」

《当然だ。》


 ベヴァロックから水の魔石を取り出した俺は、フルララを空気の玉で包み、静かに地底湖に沈んでいく。

「綺麗…水の中も明るいんですね。」

《ダンジョンの壁からの光は、水の中でも消えないからな。》


 数分ほどで、目的の底に着く。

「ディムさん! これ全部、魔鉱石なんですか?!」

 俺の魔力感知では、足元の丸い小石が全て魔力を放っている。

 フルララの目には、濃い青色の水晶石が敷き詰められた景色になっているはずだ。

《ああ、この辺りから生まれた魔鉱石が、すり鉢状になっているこの場所に集まったようだな。》

 数にして数千個。10cm以下の小石が殆どを占めるが、30cm前後の物も沢山ある。

 その魔鉱石に埋もれている一際大きい魔鉱石が、俺の目当ての物だ。

 俺はそれを引き抜くように持ち上げる。

「えっ! まさか、それも魔鉱石ですか!」

 フルララが疑うのも無理はない。

  さっき倒した、ベヴァロックから取り出した魔石の40cmに驚いていたのに、80cmほどの魔鉱石となれば、体の大きさが10メートル前後の魔獣か、魔力が異常に高い魔獣になるからだ。

《この地底湖の主だった魔獣かもな。》


 俺は、ここにある魔鉱石のほとんどを『次元倉庫』に入れて洞窟に戻る。

 割れた大岩のように見えるベヴァロックの周りに千切れた足を集めて紙と筆を取り出す。

《岩壁に擬態していた魔獣を討伐したと、書いて張ってくれ。》

 フルララが言われたとおりに事を終わらせると、俺は洞窟を出て、魔力探知で外の様子を調べる。

 山脈を下る、20人ほどのパーティー。その中にアンジェの両親がいた。


 予定より早いな。


《アンジェの両親が6層に下りてきている。見つからないように残りの洞窟を確認するぞ。》

「はい。」


 水を飲みに来ていた魔物などは居たが、俺の予想通り、残りの洞窟には魔獣ベヴァロックの反応は無かった。

 

 

 俺達は、人族のパーティーに見つからないように森の中で通り過ぎるのを待つ。

 山脈から森までの道は見晴らしのいい一本道だったからだ。

 鎧の中にいるから大丈夫だと思うが、母親の魔力視で俺の存在が視えてしまうかもしれないからな。

「ディムさん、6層って普通の獣も沢山いるのですね。」

 洞窟から森に来るまでの間に、色々な種類の獣を確認していた。

《そうだな。ここが最終階層かも知れないな。》

「そうなのですか?」

《ああ、俺が知っているダンジョンの殆どの最下層がこんな感じだった。》

 大型の魔獣の餌としてなのか判らないが、植物も豊富で、最下層は地上と同じような生態系が出来ている。

《貴重な薬草や果物も探せばあるはずだ。》



 6層から戻った俺達は、人目を避けながら地上を目指していた。

 しかし、階層を繋ぐ通路だけは、人の目を引くことになる。

「おい! そこのお前! おい! 待てよ!」

 村になっている4層と5層の間の通路で、数人の男が声を掛けてきた。

 もちろん、フルララは無視したまま走り抜ける。


「待てっていってるだろぉ!」

 その声に感化されたのか、前方に人の壁が出来る。

《フルララ、思いっきり飛べ。》

 走りながらジャンプしたフルララは、俺の重力魔術で人垣の上を飛び越えた。


「なんだそれはぁあ!」

 ずっと声を上げていた男の叫び声が村に響く。



「さっきの、なんだったんでしょうね?」

《さあな。何にしても、無視するしかないからな。》

 4層に出た俺達は、同じように人目を避けながら駆け抜けて、3層の洞窟に戻る。


「誰か! 誰か! 一級ポーションを譲ってくれませんか!」

 迷路になっている3層の洞窟の、何処からか声が響いてくる。

「ディムさん!」

《ああ、助けにいっていいぞ。だが、声は掛けるなよ。》

「ありがとうございます。」


 フルララが声を頼りに駆け出す。

 フルララから場所を聞き出す事が出来ないからだ。

《フルララ、右の通路の先だ。》

 ほぼ直進なら遮る壁がなく、俺の魔力感知で探すことが出来る。

「はい。」



「あっ! あなたは? すみません! 仲間が! 仲間を助けて下さい! 僕達の持っているポーションじゃ無理なのです!」

 4人の人族を俺は感知していた。体の大きさと声からして10代だろうか。

「あ…あの…」


 フルララが黙ったまま、3人を押し退けるように一人倒れている人族に近付く。

 そして、魔力を込めた治癒魔術をその者に施した。

「その光って、もしかして治癒魔術…ヒール…」


 魔族の闇魔術には自己再生という魔術があるが、魔族が習得出来ない光魔術には、唯一、他者の傷を治す事が出来る魔術がある。

 それが治癒魔術『ヒール』だ。

 冒険者で光魔術を持つ者は少ない。それは、ポーションというアイテムと、教会という組織があるからだと、ガトラ達から聞いていた。


「うっ…え? 痛みが…助かったの?」

「エリス!」「よかった…」「ああ…エリス。」

 意識を取り戻した少女の声に、周りの3人が応える。


《フルララ、走れ!》

 俺の声を聞いたフルララが駆け出す。

「え!」「ちょ!」「剣士さぁーん!」



 朝のように爆走するフルララを、誰も止める事は出来ない。

 そこから、洞窟内で戦闘をしているパーティーの間を何度もすり抜けながら、地上に戻ったのだった。

「はぁ…はぁ…」

 フルララの荒い息づかいが伝わる。

《今日は、大変だったな。》

 地上に出た俺達は、クラリムに向かう街道沿いの森に入った。

《おつかれさまだ。あとは、このまま森の中を進んでログハウスで休憩だな。》



 鎧の中から開放された俺は、フルララと一緒に風呂に入っている。

 なぜか、俺の体を洗うとフルララが言ったからなんだが…

 塵一つも寄せ付けない俺の体を、洗う意味はないんだがな…

 まあ、フルララの気が済むならと、俺は言われた通りに体を洗わせている。


「色々ありましたけど、楽しかったです。」

 洗い終わったフルララが、俺を抱きかかえたまま湯船に入る。

《そうだな。俺も久しぶりに楽しんでいたな。今度はリリアナも連れて行くか。ラージュ達と一緒なら、問題ないだろう。》

「えっ? そうなのですか? 子供がダンジョンに入っても良いのですか?」

《入るなってルールはないだろ。》

「確かにそうですね。」


 

 風呂から出た俺達は、遅めの昼食を食べてクラリムの街に向かった。

 フルララはいつもの外出用の服に着替え、俺はフルララの背負いカバンの中にいる。

 そして、門番が立つ門から街に戻ってきた。

 街の者が山菜や薬草採りに出掛けることは普通なので、フルララ独りの今なら、門番などに気に止められる事もない。


「ふるららぁー!」

 小道から家の敷地に入る門を開けると、リリアナが庭から走ってくる。

「ただいまぁー!」

 フルララがリリアナを抱き上げて応える。

「リリアナ、バーチャといっしょに、おるすばんできたよ。」

「うん、凄いね。わたしも頑張ってきたんだよ。」


《判ったから俺を出せ。》

 家の敷地内には、家族しか居ない事は魔力感知で調べてある。 

「あっ、はい。今出しますね。」

 背負いカバンを下ろしてフルララが蓋を開けると、リリアナの手が俺を抱き上げる。

「ぱぱ!」

《ああ、ただいまだ。今日はどんなことをしたんだ?》

「んとね…バーチャとおさんぽしてきた。それとね…おまつり! おまつりするの!」

 リリアナが目を輝かせている。


 祭り? この街でか?


《それは誰から聞いた話なんだ?》

「えっとね…おうちをくれた、おねえちゃん。」


 …ああ! 商業ギルドの娘か。


《そうか、詳しい話を聞かないとな。》


 その日の夕食は、ダンジョンの話を俺とフルララから、祭りの事と散歩の話を母とリリアナから、途切れることのない会話で、楽しい食事となった。


 いつ以来だろう…こんな楽しい食事は…

 いや…あったのか?


 俺は思い出していた。

 魔王になってからは、職務の事だけを話していた。

 その前は、魔族領の統一の事を話していた。

 それ以前は…会話をする相手は母しか居なかった。


 ああ…そうだ。

 初めてなんだな。


 俺は嬉しさで、心の底から笑いが込み上げて来る。

 そしてそれを、必死に耐えたのだった。 

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