第23話

 トビーは目の前で起きた現象を理解できなかった。

 あの絶大な力を持つ鎧が、瞬き一つの合間に消滅したのだから。どれだけ力を振り絞ろうとも一太刀すら届かなかった相手が、たったの一瞬でだ。

 それを巻き起こしたのは、仲間達。紗利奈、ベルチェ、ティーアの三人が、力を合わせたのだろう、尋常ではない威力の一撃を以って敵を消失させた。


「な、何が起きたゴフ?」

 知恵の実を食しようと処理不可能な現状を目の当たりにして、トビーは呟く。手からはポロリと折れた嵐帝の剣が落ちたが、使い物にならないのでそのままにした。

 ゆっくりと仲間達がトビーに歩み寄る。最初に口を開いたのは紗利奈だった。


「トビー、ちゃんと聞いてた?」

 聖剣を鞘に仕舞い、にこりと微笑みながら紗利奈は言う。隣に並ぶベルチェやティーアも、言葉にはしないが同じ事を言っているとトビーは感じた。

 聞いていたか、と聞かれれば答えはイエスだ。三人は剣を振り下ろす直前に叫んでいた、トビーが好きだ、と。

 その声はしっかりとトビーの耳に入っており、意味も理解できる、はずだった。


 それなのにどうしてか。トビーは不思議な気持ちが胸の中を渦巻いていると思った。

 トビーは皆が好きだ。強く優しく、頑張っている皆が好きだ。

 けれども、その『好き』と、先程の『好き』は違う気がしたのだ。気持ちの込め方が、伝わる思いが、トビーの思うそれとは別種だと思えた。


「オレ、皆が好きゴフ。でも、皆の好きと、オレの好きって違うゴフ?」

 分からないなら直接に訊く。ゴブリンの素直な点だ。

 それを聞いて、紗利奈たちはキョトンとした。想定外の言葉が返ってきたので、身構えていた側としても不意を突かれたのだ。


 三人の少女達は互いの顔を見て、それから視線で会話をする。知り合って間もないはずが、不思議と意思を共有できていた。共通の思いがあるからかもしれない。

 無言で談義していた三人だったが、暫くすると「やれやれ」といった顔になる。


「んー、ちゃんと詳しくは全部終わったらにしよ。今は戦いの真っ最中だし」

「そうね。相手はトビーなんだから、しっかり言い聞かせないと!」

「ですです。仕方ないんですから、トビーさんはです」

「何かオレが悪いみたいゴフ!? どういう事ゴフ!?」


 トビーがぴょんぴょん跳ねて異議を唱えると、少女達は揃って笑みで返した。

 和やかな雰囲気が周囲に充満する。崩壊しかけた謁見の間ではあるが、そこだけが昼下がりの公園のようであった。

 けれど、それを壊す声が鳴り響く。

 空から降り注ぐように、淡白な声がトビーたちへと投げられる。


「集めるの大変だったんだけどなぁ。あの玩具、世界中の神器を集めて人型に成形したんだけど、流石に構造が無茶だったかな」

 声と共に、何も無い空間から白が出現した。瞬きの合間ですらなく、最初からそこに居たように、神ナレアスは存在していた。


 即座にトビーは三人を守れるように立ち位置を変える。武器は折れてしまったが、その身一つでも戦い続ける覚悟はある。心は折れていないのだから。

 それを見て、ナレアスは無表情で言った。

「君らを消すのは簡単だ。けど、今はそれをしないでおこう。怖い怖い、とっても恐ろしい魔王が睨んでいるからね。そっちを始末してから相手になってあげるよ」


 ちらりとナレアスが視線を向けると、その方向には玉座に座りじっとナレアスを見つめている魔王の姿があった。身動きはしていない、だが異様な圧を放っていた。

「皆の者よ、感謝する。手を出さずに信じて正解であった。数多の言葉で褒めてやりたいが、今は時間が無い。後は我輩に任せて、皆は退避すると良い」

 そう言って魔王は立ち上がる。瞬間、トビーたちに重圧が掛かった。


 魔王が放つ魔力の迸りが原因だ。魔族であるトビーやベルチェ、ティーアは魔王の持つ魔力に安らぎを感じるはずが、異様な濃さの魔力に当てられてしまっていた。

 人間である紗利奈は言うまでも無く、勇者の頃に比べて貧弱な装備では耐え切れない。全身に倦怠感を受け、思わず足元が揺れた。


「トビー、お主は残ってくれぬか。我輩はお主に見せなくてはならない。魔王とは何か、何を成す者なのかをな」

「オレ、ゴフか?」

「ああ、お主しか居ない。他の者は急ぎ城を離れ、周囲の民に離れるよう伝えてくれ。これより、魔王城は戦場となる」


 魔王は言い終えるとナレアスへと近づく。足を止めたのは距離にして一〇メールル。そこで腕を組み、目の前に立つ存在を睨み付ける。

 トビーが困惑している時、ベルチェとティーアもまた迷っていた。

 魔族の頂点である魔王に命令されたとしても、トビーを置いて逃げてもいいのか。相手は絶大なる神の力。その戦いの場に、トビーを残しても良いのか。


 一方で、紗利奈は二つ返事で了承した。

「分かった。魔王、後は任せるから」

 頷き、謁見の間を出て行こうとする紗利奈。それを引き止めるのはベルチェとティーアだ。慌てて手を掴んで制止する。


「ちょ、紗利奈。アンタそれでいいの?」

「そうです、トビーさんが危ないかもしれないです!」

 その言葉に、紗利奈は即答した。

「最初から魔王に任せるって話だったでしょ? それに、私たちじゃ邪魔になっちゃう。悔しいけど、それは仕方ない。魔王がああ言うんだから、任せるしかないよ」


 そう言われ、ベルチェとティーアは掴んでいた手を離した。理性では分かっているのだ、神を相手に自分が何も出来ない事を。

 それを見て、紗利奈は微笑んで口開く。

「大丈夫、トビーなら死にはしないって。私たちが信じなくてどうするの。それに魔王ならトビーのこと守ってくれるでしょ?」


 紗利奈が視線を向けると、魔王は鷹揚に首肯する。

「任せろ。魔王の名に誓ってトビーは守る」

 それを見て、紗利奈もまた頷く。そしてベルチェとティーアを見て言った。

「魔王の強さなら戦った私が良く知ってる。だから大丈夫、あいつは滅茶苦茶強いから。それに、トビーが残ってくれるなら任せたい事もあるしね」


 トビーはそれを聞いて紗利奈を見上げる。視線の先の少女は、ニッと笑って拳をトビーへと突き出した。

「隙があったらナレアスをぶん殴っといて! 思いっきりね!」

 その言葉を聞き、トビーはコクリと頷く。忘れていない、最初の森で約束したのだ。ムカつく神を殴りに行こうと。


 ニカッと笑い、トビーも同じように拳を前に出す。

「任せろゴフ。皆の分も、全力で殴ってやるゴフな!」

 コツンと拳を合わせるトビーと紗利奈。見ていたベルチェとティーアは、真似をして突き合わされた拳へ自分の手を合わせた。


「絶対に無茶しないでね、アンタはすぐ飛び出すんだから」

「帰ってきてくださいです。約束です」

 言葉を聞き、トビーは頷く。最後に紗利奈が口を開く。

「言いたい事いっぱいあるんだからね。忘れないこと!」

 それを聞いてトビーは三人の目を順に見た。信頼を感じる優しい瞳。だからこそ、トビーは心に誓って答える。 

「皆のとこに帰るゴフ。そんで、オレも聞きたいことあるゴフな。『好き』の意味、ちゃんと教えてくれゴフ」


 トビーが言うと、三人は妙に息の合った調子で「もちろん」と言った。今までの不安感を払拭する、可愛らしい笑みで。

 それから紗利奈たちは龍蛇と共に謁見の間を出て行く。その背を見て、トビーも移動を開始した。ナレアスを避け、大回りで魔王の背後へと走る。


「トビー、玉座の裏に隠れていろ。あれは決して壊れぬように作ってあるからな」

「分かったゴフ。魔王様、頑張ってくれゴフ」

「ふっ、良かろう。魔王の力、その目に焼き付けるといい」


 そそくさとトビーは駆け、段差を登って玉座の裏へと隠れる。この場で戦力にならないのは重々も承知。生き延びる事を先決に、影から様子を窺った。

 どうして自分を残したのだろう。そうトビーが思っていると、今まで口を閉じていたナレアスが言葉を発した。


「はは、あんなゴブリンを残して、気でも狂ったかい? 魔王と名乗ってはいても所詮は星の畜生。ボクには一切理解できないね」

 嘲るようにナレアスは言う。魔王は表情を変えずに答えた。

「トビーを残した意味、神ならば言わずとも解るであろう。そもそも、静かに待っていたが、逃がしてよかったのか? 紗利奈も貴様の敵対者のはずだが」

「有象無象は何時でも消せるさ。ま、そこのゴブリンは放っておくとしようかな。何があろうと結末は変わらない。さあ、始めようか」


 ナレアスは両手を広げ、その手にナニカを収束させる。玉座の裏のトビーからは、それが何なのかは知り得ない。

 ただ、魔力とも生命力とも違う異質なモノが集っている。それだけが分かる。

 指先一つ触れただけで存在を消し飛ばされそうな力。それを前にして、魔王は悠々とした雰囲気で言った。


「まあ待て。我輩は初めて神と会うのだからな、少し話をしたい」

「小細工でもする気かい? ボクと比べれば、亜神とは言っても塵芥。何をしようとも隔絶した力の差は埋められないよ」

「逃がした者達の安全を確保する為、と言って貰おうか。そもそも、我輩は小細工など生まれて一度も行った例がない。我輩は強いからな」

「言うじゃないか魔王。いいよ、何の話をするつもりだい?」


 ナレアスが集わせた力を霧散させる。一気に謁見の間の空気が緩んだようで、トビーは息を吸う暇を見つけられた。魔王と神、両者が立ち会っただけで生を忘れてしまうかのようだった。

 対話する意思を確認した魔王は、腕を組んだままに話し始める。


「神よ、何故に我輩を殺そうとする。新たに神が生まれる事が、そこまで邪魔か」

「邪魔だね。ボクは自由に存在していたい、だから同格の存在が生まれるなんて許容するはずが無いさ」

「心の狭い神だ。貴様が神と知ったら無辜の民は嘆くだろう」

「箱の中の小人が騒ごうが神には関係ないね。世界は面白おかしく在れば良い。言ってみればボクも力の強い存在の一つ、強者が弱者に何の価値を見出すんだい」

「我輩は見つけたぞ。たかが弱小、最弱と呼ばれる者の中から現れた希望を」

「へぇ、それがあのゴブリンって訳か。何にしろ、この場ではもう関係ないんじゃないかな。神と亜神の間に、矮小な子鬼が立ち入る隙がある?」

「ふっ、何時の世も驕る者が寝首を掻かれるものだ。神であろうとな」

「神は絶対だから神なのさ。試してみればいい。君の全ての力を、ボクは難なく退けて見せよう。それだけの力がボクにはある」

「最早語る意味は無し、か。力に溺れる神よ、最後に問おう」


 魔王は腕組みを解き、ナレアスを右手で指差して言う。

「神の使命とは何だ。その力、得た権能を何に使う」

 ナレアスは表情を変えず、飄々とした口調で返した。

「ボクが楽しむ為。これでいい?」

 その言葉は、混じり気の無い本心なのだろう。トビーには嘘を吐いている様には思えず、そして嘘である必要も無いと考えた。


 あの神は、ただ邪魔だから魔王を殺し、ただ楽しむ為だけに紗利奈を繰り返しに叩き込んで愉悦していたのだ。それを理解すると、トビーははらわたが煮えくり返りそうだった。

 神とは何だ。狩りの前に祈りを行う程度のゴブリンには、神の存在とは、なんて命題の問いに答えられるわけが無い。

 それでも、一つだけ正しいと思えることはあった。

 あの神は、ナレアスは邪悪だ。世界で唯一在ってはならない異物だと。


 魔王は短く、そうか、と呟く。

 それから、指差していた手を開き、何かを掴み取るような形にした。

「トビーよ、魔王は魔族の王だ。玉座に至るには力さえあれば良い。だが、それだけでは王としての責務を全う出来ん」

 魔王の全身から魔力が噴き出た。荒々しくも全てを包み込むような黒の魔力。魔族の魂の奥底を揺さぶる、純粋な力が。


 腹の奥まで響き渡るような振動が、謁見の間に充満する。桁違いの魔力が世界を揺らしているのだと、トビーは理解した。

 魔王も元は普通の魔族のはずだ。それなのに、底が知れない。神と同時に存在しても尚、その力の強さは圧倒的だと思えた。


 その様子を見て、ナレアスは微かに笑う。

「はは、準備は終わりかな。それじゃあ見せてあげよう、神の力を。幾千の魔法の槍でも、万を超える剣戟でも、ボクは全てを叩き折ろう。策を練れ、感情は捨てろ、血を吐き心の最後まですり減らし、振り絞った一撃を、ボクは容易く壊してあげるよ。君の努力は無駄だ。ボクに殺される運命なんだ、ってね」


 ナレアスは両手にナニカを収束させる。先程がただの児戯かのような、密度も濃度も桁違いの力が、その手に集まっていく。

 今までトビーは、格の違う相手を何度も見てきた。龍蛇やオルドンは、進化を重ねた先にある、実力の位がゴブリンとは比べられない存在だった。

 けれど、神の力は一体どういう理屈なのか。

 位が違う、では到底足りない。大元の本質から、何もかもが自身とは比べられるモノではないと、トビーは本能で理解した。


 ナニカは集い、光を放ち始める。それは紗利奈たちが振り下ろした聖剣にも似た輝きだったが、ナレアスの力は光を歪ませている。

 白い泥が空中で捻れているかのように、何故か光にしては粘着質を感じた。蠢く虫の如く触手を伸ばし、獲物を今かと待ち侘びている風に見える。


 魔王様、とトビーは呼ぼうとした。呼び止めて、何を言うかも決まっていない。勝てるのか、負けないで、逃げよう、どれも違うように思える。

 しかし、トビーが言葉を発する前に、魔王が言う。


「トビーよ、お主には我輩の本気を見せたかった。魔王の力を、その根底にある我輩の矜持をな。だから残したのだ」

「矜持、ゴフ?」

「そうだ。力とはただあれば良いものではない。如何にして使い、何を心に宿して振るうのかが肝要だ。お主には言うまでもないかもしれんがな」


 魔王は言葉を区切り、ナレアスの目を見て続ける。

「神よ、貴様にも教えてやろう。我輩が心に刻む、最強の魔法を」

「いいね。見せてみなよ、魔王の誇る最強魔法。ボクが壊してあげるから」

 楽しそうにナレアスは言う。それを見て、魔王は溜息を吐いた。

「何も分かっておらんな。貴様の言う魔法とは、所詮は技術よ。術を知り、力さえ足りれば誰にでも扱える手遊びに過ぎん。本当の、本物の魔法とは別のところにある」


 魔王は言う。心を込めて言の葉を紡ぐ。

「大切な時に一歩踏み出す勇気、我輩はそれを真に魔法と呼ぶのだ」


 それから起きたのは、刹那で説明するには余りにも遅すぎた。

 トビーは魔王が言い終えた瞬間に玉座の裏で小さくなる。魔王が何をするのか理解したのだ。何故なら、それは自らも知った力だから。

 踏み出す勇気とは、即ち――、


 魔王は一言だけ唱える。

一歩分の勇気ウム・フォルティ・トゥード

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