第22話

「バカ紗利奈! 死んじゃうかと思ったでしょ!!」

 紗利奈がトビーの戦う姿を見ていると、突然に頭の上に衝撃が落ちてきた。ゴスンッと頭の内部に響く痛みを感じ、恐る恐る背後を見る。

 そこには拳を振り下ろした姿のベルチェが居た。怒り心頭な表情で、体の端で燃えている火は轟々と熱を放っている。


「ご、ごめん。死ぬつもりはなかったんだけど」

「でも死ぬとこだったじゃない! トビーが助けなかったら危なかったのよ!?」

「うん、……分かってる。ごめん、ベルチェ」

 俯いて紗利奈は謝罪の言葉を口にする。けれど、ベルチェはそれを受け取らない。


「謝るならティアに言ってあげなさいよね。アンタを助けるのに危なかったんだから」

「ティーア、ティーアは無事なの!?」

「巨人は頑丈ですっ。ちょっと痛かったですけど、大丈夫です!」

 咄嗟に声のする方向を見れば、そこには青のドレスを着た姿が。流石は伝説級の品と言うべきか、傷一つ無い様子を見て紗利奈はほっと息を吐いた。


「よかった……。ありがとうティーア。お陰で助かった」

「大切な仲間だから当然! って、トビーさんなら言うです。わたしもそう思いますし、紗利奈さんが居なくなったら悲しいです」

 ティーアはそう言って微笑みかける。仲間と言われ、紗利奈は心がトクンと跳ねた。意識では仲間だと思っていたが、言葉にされると嬉しさが込み上げて来るのだ。


「ほんとに、ありがと。……二人は調子どう。戦えそう?」

 紗利奈は立ち上がってベルチェとティーアを見る。それに対する返答は、気まずげな表情であった。

「正直、魔力はもう限界ね。魔石も使い切ったし、怪我は無いけど戦力になれないわ」

「わたしは、その、身体は無事です。ですが、武器が……です」


 戦闘開始から高位魔法を連発し続けたベルチェの残存魔力は残り僅か。そしてティーアは、先程の一撃を受けた際に魔剣が欠損していた。

 無事であるのは紗利奈のみ。しかし、ただの人間に何が出来るのか。


 このままでは全滅だ。仮に魔王が助けてくれたとしても、その後の神との戦闘に支障が出れば結局は変わりがない。神が勝利し、関わった者を消すだろう。

 紗利奈は考える。何が可能か、手段は残っていないのか。

 トビーはまだ戦いを続けている。決して勝利は近くないのに、それでも諦めずに立ち続けている。


 せめてトビーの補助だけでも、一助となれれば。

 思考は巡るが、答えは出ない。時間だけが無為に過ぎるだけ。

 そう紗利奈が思っていると、唐突にベルチェが声を発した。


「一つ、方法があるわ。多分、これしか無いと思う」

 静かな声色でベルチェが言う。すぐに反応したのはティーアだった。

「ベルさん、もしかして、です?」

「そうよ。そもそも出来るか分からないし、アレが相手に効くどうかも不明。でも、それしか無いでしょ?」

「……確かに、です。そうしたら必要なのは、です」


 ベルチェとティーアは無言で頷きあう。それから、二人で同時に紗利奈を見た。

「紗利奈、大切な話があるの。嘘は吐かないで、真面目に答えて」

「そうです。とても、重要なことです。きちんと答えてくださいです」

「わ、分かった。ちゃんと答える」

 二人の雰囲気に押され、紗利奈は慌てて首肯する。何を言われるか皆目見当が付かないが、状況を打破できるのならば何だってやると心に決める。


 紗利奈が頷いたのを見て、ベルチェとティーアもまた首を縦に振る。

 そうして、赤と青の瞳は真っ直ぐに黒の目を見て、言った。


「「トビー(さん)のこと好き(です)?」」


 ぽかん、と。紗利奈は口を開いた。

 はて、今は何をしていたのだったっけと。状況すら曖昧になる。

 脳を整理する。現在は、絶体絶命。一刻を争うはずだ。トビーを助け、あの災禍の権化を倒さなければならない場面。


「えと、もう一回言ってくれる?」

 聞き間違いだっただろうか、紗利奈は繰り返しを要求した。焦って言葉を聞き間違えた可能性があると、己に言い聞かせる。

「だから、紗利奈はトビーのこと好き?」

「好きです? ちゃんと答えてくださいです!」

「間違いじゃなかった!? え、このタイミングで!?」


 紗利奈は大慌てで手をブンブンと振り、それから二人へ言葉の意味を求めた。

「いきなり好きかって、どういうこと? 今はそんなところじゃないでしょ」

「今だからよ。この時だから、必要なの」

「です。紗利奈さん、どうなんです、答えてくださいです」

 言い終えると、二人は黙って紗利奈の答えを求める。

 その目は真剣で、冗談を言っている様子は無い。トビーを助ける為には必須だと、そう言っているのだ。

「それは、えと、その……」


 紗利奈は考える。自分がトビーを好きなのか。

 確かに、悪い印象は欠片もない。いつも純粋で、立ち止まる事無く強大な敵へも果敢に挑み、そしてピンチの時は助けてくれる。

 トビーは周りをいい奴だ、優しいやつだと言うが、実際はその当人が一番当てはまっているのだ。根っからの善で、ゴブリンという種族だとしても好意を持てる。

 好き、なのだろうか。紗利奈はトビーとの思い出を脳内で蘇らせる。


 最初の印象は、勇者の頃に出合った謎の存在。繰り返しの中に紛れた異物。

 そこから魔王城で遭遇し、立ち向かうと宣言された。勇者とゴブリン、力の差など歴然と知りつつも、トビーは諦めなかった。

 最初の森での戦闘。心を折るつもりが、逆に感化されてしまった。

 常に一所懸命、必ず全力。ただのゴブリンは、勇者を殺した。殺しきれないと言っていたが、実際は殺したのだ。呪いの勇者に終止符を打って。

 そうして、神と敵対。悩む事もあったが、答えを見つけ出してまた前進。


 対等な立場で正面から、または横並びに立っていると紗利奈は思っていた。

 しかし、それは違うと考え直す。決して同じではない。武で対等だったとしても、心の強さは比較にもならない。

 今もゴブリンは、圧倒的な強者へと立ち向かっている。身を挺して紗利奈を助け、オレに任せろと言い、勝ち目も無いのに戦いへ挑んだ。


 大きな背中だった。

 子供のような体躯のはずなのに、頼りたくなる後姿。

 その目はいつも輝いていた。

 揺ぎ無い心を常に宿し、希望に煌く純粋な瞳。

 憧れを感じてしまった。

 進み続けるその姿が、決して折れない生き様が、紗利奈には光って見えた。

 だから紗利奈はここにいた。

 彼が一緒なら何でも出来ると、そう思ったから。

 一緒にいたいと、そう感じたから。


 ずっと見ていたい、共に進みたい、出来る事なら隣に居てほしい。

 そう紗利奈は考えてしまい、自分の頬や耳が熱くなるのを感じた。不快な熱ではなく、込み上げた気持ちが火山のように噴火して生まれた感情の昂ぶり。

 気づけば心臓は早鐘を打っていた。どうしてだろうと紗利奈は思うと、その脳裏にあるのは彼の姿。小さくて大きい、トビーの存在。


「好き、なんだ」

 自然と口から言葉が出る。意図せずの発音は、しかし不思議と気持ちに馴染んだ。

 初めての感情が、紗利奈の胸の中で花開く。

 頭の中が快晴となる。広々として、温かい。曇りの一つもない大空。

「好きって、こういう気持ちなんだ」

 紗利奈は少し恥ずかしげに、けれど自信を持って言う。

「ベルチェ、ティーア。私、トビーが好き。凄く好きみたい」


 その瞬間、変化が起きた。紗利奈の右手で、握る聖剣に。

 白の刀身が光を放つ。それは今までよりも明らかに、強く輝く。持ち主の心に呼応する剣は、その純粋な思いを読み取り力を顕現させる。

 優しい光だった。悪意を全て清め払う、正しく神々しい光。

 それを見て、ベルチェは微笑んで言う。

「ほら、やっぱり好きなんじゃない。ね、ティア」

「はいです。剣を見なくても一目瞭然です!」


 二人はにこやかに笑っていた。それを、紗利奈は嬉しくも恥ずかしい気持ちで見返す。口元を少し緩ませ、視線を彷徨わせながら言う。

「だって、好きとか分かんないんだもん……。こういうの初めてだし」

 もじもじと、くすぐったい様な感覚がして紗利奈は身じろぎする。柔らかい何かが胸の中を触っているようで、妙な感じがした。


 それから、「あっ」と紗利奈は声を出す。

「っていうか、なんでこの話になったの! その、えと、好きなんだけど、それでこの状況をどうするの!」

「紗利奈、アンタ自分の持ってる剣を見て分かんないの?」

 呆れたような顔でベルチェは言う。


「その聖剣は持ち主の心に反応して強くなるんでしょ? なら、誰かを好きって気持ちを込めたって良いじゃない。純粋な気持ちに間違いないでしょ」

「そ、そんな理由でいいの!? そりゃ確かに凄い光ってるけど!」

「『世界を救うなんて考えなくてもいいぜ』って師匠は言ってたです。わたし、すぐに意味がわかったです。きっと、こういう事なんだろうなって、です」

「聖剣なのに、そんなんでいいのお前……」


 紗利奈は握る聖剣をじっと見つめる。輝く刀身は何も答えず、ただ分かるのは莫大な力を放っている事だけ。先程までとは比べ物にならないエネルギーだった。

 そうしていると、ペタリと紗利奈の手に何かが触れる。手元を見れば、それは柔らかな火を宿した細く綺麗な手。ベルチェが手を重ねていた。


「いいじゃない、好きって気持ちで世界を救ったって」

 ベルチェがそう言うと、更に手は重ねられた。

「そうです。好きは最強なんです!」

 紗利奈とベルチェの手を包むように、ティーアが上から手を握る。小さな巨人の手は、温かみのある触れていて気持ちの良い手だった。


 三人の手で聖剣を持ち、その状態でベルチェは言った。

「アタシもトビーが好き。いつも諦めないで走ってく姿が、とっても好き。一緒に走りたくなって、それで幸せな気持ちになるの。アタシはトビーが好きなのっ!」

 言うと同時、聖剣の光が更に高まる。刀身では抑えられず、輝きを外へと放出しても尚、その輝きは衰えない。煌きは強くなり続ける。


 続けるように、今度はティーアが口を開く。

「わたしもトビーさんが好きです、大好きです! 優しくて頑張り屋で、いつも笑ってる姿がわたしを励ましてくれるです。わたしは、トビーさんが好きなんですっ!」

 光はより強くなる。ティーアの強い思いを糧に、その輝きを増大させる。天へ掲げればそれは光の柱となり、謁見の間を強く照らした。


 そして、紗利奈は言葉を紡ぐ。

「私だってトビーが好きだもん。憧れるくらい純粋で、自分に素直で諦めなくて、そんなトビーだから私はここまで来れたの。この気持ちは絶対に負けない!」

 もうこれ以上は無いと思えた聖剣の光は、しかし思いを力にして一層の赫々たる力を帯びる。魔王城の屋根すら突き抜け、高く空へと立ち上る。


 感情を力に変える聖剣は、その真価を発揮した。神の作りし物ではない。魔力で得られた産物でもない。人と魔族の思いが生み出した、世界で唯一の心の結晶。

 三人の心は同じだった。同じ相手へ、同じ気持ちを持っていた。だから聖剣はそれを汲み取り、思いを光へ変換した。


 これならば、如何なる敵も相手ではない。

 紗利奈はそう感じ、振り下ろそうと力を込める。

 その時だった。


 パキリ、と。音が鳴る。三人の方からではない。トビーの手元からだ。

 元々、トビーの持つ嵐帝の剣は攻撃特化。亜神器なのでそれなりの耐久は持っているが、柱のような剣を相手にしては分が悪い。

 その状態で回避しながらの受け流しを敢行し続けたのだ。無理が来て当然だった。


 翠の刀身が半ばから折れ、砕ける。トビーは寸での所で白鎧の攻撃を避けたが、それ以上は続かない。武器無しで立ち回れるほど相手は弱くなく、容赦も無い。

「トビーッ!!」

 紗利奈が叫ぶ。トビーにその声は届いているのかは分からない。

 理解できるのは、今まさに白鎧は剣を振り上げ、トビーへ叩きつけようとしている寸前だということ。時間は、もう無い。


 トビーは無我夢中で跳び退る。

 だが、長大な剣の一撃は回避しても避けきれるような範囲ではなく、受けてしまえば刹那で命を叩き潰す威力を持っている。

 三人は剣を振り下ろそうとした。しかし、どう考えても相手のほうが早く、そして自分達の攻撃圏にトビーが入っているので、剣を振り下ろせない。


 巨大な白鎧の剣が、トビーに迫る。致命に至るまで、あと僅か。

 その時だった。

 白の閃光が、白鎧の真横から突き抜ける。純白の、巨人族すら飲み込むような莫大な光が、白鎧に直撃したのだ。


 紗利奈たちは目を丸くして光の根元を見る。そこには、巨大な白蛇が居た。

『我を忘れてもらっては困るな、雑兵めが』

 ナイス龍蛇ッ! 紗利奈は心の中で賞賛する。白鎧は龍蛇の放射ブレスを受け、ぐらりとその身を傾けていた。剣を振るう力は無く、その隙にトビーは致死圏から逃れる。


 状況は整った。あとは、この思いを放つだけ。

 紗利奈、ベルチェ、ティーア。三人の心が重なる。言葉を合わせることも無く、視線を交わす必要も無く、真っ直ぐにその目を敵へと向ける。

「トビー!! よく聞いておいて!!」

 紗利奈の声を声を切欠に、三人はそれぞれに言う。タイミングは合わせていない。それなのに、不思議と息が合っていた。

「私は、」「アタシは、」「わたしは、」

「「「トビーが好きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」」」


 聖剣『一心』が振り下ろされる。莫大な光を、その心を一直線に。

 剣の間合いからは確実に外れていた。だが、そんな事は関係ないと三人は思う。

 思いは届く、届かせる。絶対に、この気持ちは何にも負けないと。


 魔王城を輪切りにするような一撃。事実真っ二つに城を分断した光の剣は、白鎧へ直撃した瞬間にその光を一気に拡散。城は内部から光に包まれた。

 視界を埋め尽くす多量の光波。けれど、その光は目を焼き尽くす事は無い。

 柔らかで優しい、心の奥まで温かくなるようだった。黒など一欠けらも存在しない、純真な気持ちをそのままに表していた。


 光が消える。全員が目を開く。

 そこには、もう何も残っていなかった。災禍の化身とまで思われた白鎧は、塵すら残さず消滅していた。

 聖剣は、役目は果たしたと言わんばかりにその力を収束させる。荒れ果てた謁見の間で、ゴブリンと三人の少女は顔を見合わせた。


 唖然としているゴブリン。それを見て、三人は表情を緩めた。

 可憐な乙女の笑みで、すっきりと晴れ晴れとした表情で、三人は笑っていた。

 神との決戦、その前哨戦。

 勝者は、恋する少女達だった。

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