第21話

 聖剣『一心』を強く握る。白の刀身が持ち主の心を読み、その真価を発揮する。

 僅かに発光していただけの聖剣が光に包まれた。トビーを助けたいという純粋な気持ちが、思いを力に変換させた。


「私とティーアで何とか抑える。その間にベルチェはお願い」

 紗利奈は黒髪をかきあげ、凛とした瞳でベルチェとティーアを見る。様子が変わったと気づいた二人はニッと笑って答えた。

「もうっ、やっとマシな顔になったわね。アタシに任せなさい!」

「紗利奈さん、頑張りましょうです!」


 躊躇いは霧散した。紗利奈はそう己の心を感じ、笑みを二人へ返す。

 勝ちに来たのだ。だから、立ち止まる事は許されない。

 輝く聖剣を携え、紗利奈は進む。トビーを助ける、今はこれだけを考えれば十分だ。頭の中をただそれだけで充満させる。


「トビー! お待たせ!」

 紗利奈は駆け出し、戦い続ける小さな背中へと声を掛ける。トビーはその声を聞き、大きく後退して背後を見た。

「待ってたゴフ! 皆で倒しちゃおうゴフ!」

 その目は希望で輝いていた。仲間が絶対に来てくれると純真に信じて、ただ一人で強大な敵と対峙し続けていたのだ。


 そんなトビーを見て、紗利奈は自信を再燃させる。思ったとおり、何があっても諦めない目だ。決して後ろ向きにならない進み続ける者の瞳。

 この目があったから、自分は勇者を辞め、一人の人間として進もうとしたのだ。それを思い出し、紗利奈は自信満々に答えた。


「あんな外面だけの塊、私達の敵じゃない! ベルが全力で魔法を撃つから、私とティーアが抑える。トビーは少し下がってて!」

「助かるゴフ。流石にキツかったゴフな」

「お任せ下さいです! 後はわたし達がやっつけるです!」


 トビーと入れ替わるように紗利奈とティーアが前へ出る。

 真正面から見れば、やはり想像以上の凶悪な敵だった。紗利奈は巨大な白鎧を見上げ、しかし目は逸らさずに聖剣を構える。

「ティーア、一緒に行くよ!」

「はいです! 力を合わせるです!」


 ティーアが魔剣『宙割り』を強く握り締めると同時、敵の長大な剣が振るわれようとした。大きく天へと掲げ、両手で以って即死の一撃を放とうとする。

 単純なる力の塊。その強大な膂力によって、理論の欠片もない渾身の暴虐が振り下ろされる。


「いくですっ! オルド流【戦舞】御形ですっ!」

 圧倒的な暴力、辛うじて視認出来る一撃へ、ティーアは受け流しを敢行する。正面から完全に受け止める訳ではない。横へ流し、致命を逸らすのだ。


 神殿の柱の如き白鎧の剣と、ティーアの魔剣が刹那触れ合う。

 瞬間、ティーアの足元が陥没した。

 尋常ではない破壊の一撃は、ただの瞬間だけ触れただけでも総身を押し潰す。

 力を抜けば剣ごと分断される。ティーアはそれが分かるからこそ力を振り絞るが、耐えられるのは瞬きの隙間だろうと理解する。

 正面からは流せない、そう思った時。


 突如横から剣閃が放たれた。

 白鎧の剣の腹へ、光に包まれた剣が叩きつけられる。甲高い音を鳴らして衝突した二つの剣は、互いに弾かれあって力の方向を変化させる。

 その隙を突いてティーアは御形での受け流しを成功。僅かに逸れた剣筋を利用し、自身の横へと剣を振り下ろさせる。


 謁見の間に亀裂が走った。磨かれた黒色の石で作られた床は容易く砕かれ、人間など丸呑みするような規模の割れ目が生まれる。

 地を叩いた剣が元の位置へと戻っていく。それを脇目で見ながらティーアは言う。

「紗利奈さん、助かりましたです!」

「二人でなら正面からいける! 合わせるから受け流し宜しく!」

「わかりましたです! いくですっ!」


 ティーアが先に剣を瞬きの間受け止め、それに合わせて紗利奈が剣を放つ。

 一人では不可能な行動でも、二人一緒ならば可能に変えられる。

「トビーさんと戦ってるみたいです!」

「そりゃ記憶を見てるからね! ティーアのことは何でも知ってる!」

「わたしもっ、紗利奈さんのこと知りたいです!」

「戦いが終わったら幾らでも話が出来る! 全部終わらせよう!」

「はいです! ベルさんも一緒に、ですっ!」


 声を合わせ、気持ちを合わせ、二人は剣を振るい続ける。初めて共に戦うというのに、不思議とそれが当たり前の様にさえ思える。

 金属が衝突する轟音を放ちながら、火花と雷光、光の残滓を周囲へ撒き散らしつつティーアと紗利奈は白鎧と打ち合い続ける。


 幾十と剣戟は重ねられ、ついにその時が訪れた。

「紗利奈、ティア! 準備できたわよ!」

 ベルチェが衝突音に負けじと大声で叫ぶ。それを聞き、二人は間を取って射線を通す。準備が終えた、それはつまり勝利に等しい。


「残りの魔力と魔石、全部ぶち込んでやるんだから!」

 ベルチェは右手を前へ突き出し、その魔法を唱える。

 全身から炎が唸った。体の端で燃える、炎の精霊の象徴である火が一段と輝きを増し、血に宿る熱が顕現する。

原初の灯火オリゴー・イオーアスッ!!」


 生み出されたのは一抱え出来そうな大きさの火球。高純度の魔石とベルチェ自身のの魔力を糧に、その火は静かに、しかし猛烈な熱を伴って燃える。

 小さな太陽の様なそれは、まさに初めて生まれた火の如く。

 生物全てが心に抱く、郷愁の念を思い出させる輝きで飛翔する。


 魔王の生み出した最強の火魔法。原初の灯火は巨大な白鎧の胸へと着弾。

 一瞬で、その身を炎の塊へと変貌させた。


「決まった。これなら、いくら神の尖兵でも――」

 紗利奈は火達磨となった白鎧を見て、呟きを漏らし、

「紗利奈さんッ! 危ないです!!」

 突如として横から突き飛ばされ、身体を床に転げさせた。


「な、ティーアッ!?」

 咄嗟に視界を隣に立っていたはずのティーアへと向ける。

 そこには、誰も居なかった。

 火の塊となったはずの白鎧が放った一撃を剣でモロに受け止め、跳ね飛ばされていたからだ。


「ティアッ! ――紗利奈逃げて! 一人じゃ死んじゃう!」

 ベルチェの叫びが、紗利奈の耳に強く残る。残響するように頭の中でそれは跳ね回り、代わりに身体は思ったように動かない。

 マズイ、逃げないと。

 目は開いている。身体は生きている。それなのに総身は言う事を聞かない。


 白鎧が全身を捻るようにして剣を振るう。空を切り裂くその行動は、自身の身体に纏わりつく火を払うためだった。

 火が消える。その中から現れたのは、胸に小さな融け跡を作っただけの、他は何の変わりもない白い塊だった。


「嘘、あれで、効いてないの?」

 それは誰が呟いたのか。紗利奈が自分でか、それとも別の誰かか。

 それすら解らぬ頭で呆然と、紗利奈は正面を見続けていた。


 巨大な白鎧は、大きく一歩を踏む。地面に倒れた紗利奈へ、真っ直ぐに。

「紗利奈ッ、逃げて!!」

 ベルチェの絶叫が響く。それを聞きながら、紗利奈の瞳は持ち上げられた長大な剣を映すばかりで、体は一寸も動いていなかった。


 諦めた訳ではない。負けを認めたはずもない。理解不能な事象を前にして、思考が停止してしまっているのだ。

 紗利奈の身体は、ただその時を待つだけとばかりに地面に座ったまま。

 そこへ、白鎧が躊躇いの無い叩き付けを行った。


 思わず紗利奈は目を瞑る。死は幾度も経験していたが、今回は違っていた。

 繰り返しは起きない。死ねばそこまで。二度と始まらない。

 それを理解しているからこそ、恐怖が頭の中を駆け巡る。


 衝撃が身体を包む。真横へ吹き飛ばされるような感覚を全身が知覚する。

 終わってしまったのだろうか。結末を得られずに、道半ばで。紗利奈はそんな事を考え、そして思う。

 どうして未だに死の感触が訪れないのだろうか。

 その代わりに、やけに身体が温かい気がした。柔らかな感触もする。


 ゆっくりと、紗利奈は目を開く。瞳に映るは、緑色。

「危なかったゴフな。ギリギリ間に合ったゴフ」

「……トビー?」

 紗利奈はトビーに抱えられていた。お姫様抱っこのようなメルヘンチックなものではなく、脇に抱えて無理やりにだ。


 トビーは紗利奈が危険だと判断した瞬間に飛び出していた。風の魔法と身体強化を併用しての高速移動で、乱雑に紗利奈を抱えて窮地を脱したのだ。

 間に合うかどうかは賭けだった。失敗すれば自分諸共死ぬはずだったが、トビーは躊躇など無かった。

「仲間は絶対に守るゴフ。そう決めてるゴフな!」


 トビーは紗利奈を床にそっと下ろし、立ち上がって向きを変える。白の鎧へと、見上げる岩壁のような破壊の権化へと。

「オレがなんとかやってみるゴフ。サリナは下がっててくれゴフな」

「け、けど、あんなのトビーにどうにか出来る?」

「分からんゴフ。でもやってみないと分かんないゴフな!」


 嵐帝の剣を眼前で構え、トビーはそう言う。根拠の無いただの無謀な挑戦だ。トビー自身それは理解しているが、止める理由にはならない。

 魔王に手を出させる訳にはいかないのも一つある。神を倒すには、万全の状態の魔王が必須だ。雑兵などに手を煩わせては神を倒せない。

 だが一番は、仲間を死なせたくないからだ。

 特に紗利奈はナレアスに目を付けられている。逃げ出そうとも、確実に始末しようとするだろう。ならば、勝つしか手段は無い。


「ちょっと下がってろゴフ。オレに任せるゴフな」

「……死んだりしない?」

「生き延びるのは得意ゴフ! ゴブリンを舐めるなゴフ!」

 ニカッと笑い、そしてトビーは駆け出した。巨大な白鎧、強大な敵へ一直線に。

 残された紗利奈は、その背を見ていた。

 小さな背だ。けれども、とても頼もしい。憧れてしまう強さを秘めた、決して倒れる事のない背中。

 呆けるように紗利奈は見続けた。どうしてか、目を逸らす事ができなかった。

 ずっと見ていたい。そんな気持ちが、心の底から溢れてしまっているから。

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