第20話

 龍蛇は巻きついていた巨大な白鎧の拘束を解き、急いでその場から離れる。全身は浅くない傷が幾つも走っており、流れる血の量から相当な深手であることが知れた。

 その身に宿す多量の生命力によって龍蛇は命からがら逃げ出す事に成功するが、代わりに拘束していた鎧はその力を発揮する。


 ズン、と衝撃音が響く。それは巨大な白鎧がその手に持つ、身の丈に相応しい長大な剣を振り下ろした音である。

 烈風がトビーたちの頬を撫でる。彼我の距離は二〇メールルはあるはずなのに、ただ剣を一振りしただけで豪風が届いたのだ。


「……あれはマズイゴフな」

 トビーの口から言葉が漏れる。有象無象の白鎧は既にほぼ殲滅したというのに、あの巨大な塊はたった一体で全てを凌駕する力を持っている。

 別格だと、生存本能が悲鳴を上げていた。敵うはずがないから逃げろと、繰り返しは出来ないのだから死ねばそこで終わりだと叫ぶ。


「でも、ここで逃げるわけにはいかないゴフ。オレは戦うゴフ!」

 地面に縫い付けられたように両足が重い。持ち上げようとしても、意思に反して身体が言う事を聞いていない。

 だが、それでもトビーは右足を持ち上げた。ガチリと固まった足を、理論など必要なく、ただの気合だけで強引に。


「サリナ、ティア、ベル! オレはアレを食い止めるゴフ。その間に残ったやつを倒してくれゴフ!」

 嵐帝の剣を強く握り締め、眼前で一振り。迷いと躊躇いを切り裂き、また一歩と足を進める。目指す先は言うまでもない。


 トビーが戦闘の準備を整えていると知った仲間達は声を荒げた。

「無茶だよトビー! 一人であんなの止められない!」

「待っててくださいです、今すぐに残ったのを倒して一緒に行くです!」

「アンタ死にに行くつもり!? 無謀よそんなの!」

 表現は違えど、全員がトビーの歩みを止めようと声を掛ける。

 しかし、トビーは首を横に振った。


「先に行って待ってるゴフ。オレじゃ倒せないから、皆の力を待つゴフな!」

 風よウェンと唱え、風の球を作り出したトビーは背後で解放して加速する。

 怖くないわけが無い。それでも、信じているから未練を断ち切れる。


 自分の力、ではない。ゴブリンは弱いと、自身が一番知っている。

 仲間達の存在を、その絆を信じているのだ。時間さえ稼げば、自分じゃ出来ない事を可能にしてくれると、そう確信している。


「さあ、ここから先は行かせないゴフな。ゆっくり付き合ってもらうゴフ」

 トビーは巨大な白鎧を見上げる。フルフェイスの兜を付けている為、相手の視線を見ることは出来ない。そもそも、視線を感じない。

 他の兵と戦って分かっていたが、中身は生物ではないのだろう。神が作り出した偽物の人型をしただけの空ろな塊。


 魂の無い、気持ちの存在しない相手に負けたくない。その思いがトビーの中で燃え上がる。武力で勝てなくとも、心では大勝利だと自分に言い聞かせる。

 始めようゴフ、そう心の中でトビーは呟く。

 きっと、これまで力を得たのはこの為だったのだ。大切なやつらを守り、勝つ戦いへと赴くのに必要な、力の結晶。


 今までで最難関の敵。それを目の前にして、トビーは吼える。

「かかって来いゴフッ!!」

 聞こえていたのかは分からない。言葉の返答は無い。

 返されたのは、大地すら一刀両断する一振りであった。


「オルド流【戦舞】御形ゴフッ!」

 全力で剣筋から身を回避させながら、振り下ろされた剣の腹を叩いて力を完全に明後日の方向へと逸らす。風を纏わせた嵐帝の剣は唸りを上げ、トビーの心に呼応するかのように猛烈な切れ味を放った。


 だが、全くの無意味。流す事には成功したものの、相手の剣には罅一つ入っていない。寧ろ自身の剣のほうが、圧倒的な暴力を前に軋みを上げていた。

 嵐帝の剣は速度と切れ味に特化している。ゴブリンでも扱いやすい重量の刀身は、耐久度が決して高くはない。


「中々キツイゴフな。でも、諦めないゴフ!」

 相手の一振りは尋常ではない力と、そして速度を持っている。一瞬でも気を抜けば疾風のように刃が駆け、ゴブリンの身を子兎よりも柔らかく分断するだろう。

 回避には身体を動かすだけでは足りない。剣の動きを先読みし、その腹へ剣を叩きつけて反発の力を利用して抜ける必要がある。


 絶体絶命だった。自ら飛び込んだ死地は、命の保障など小指の爪ほどもない。

 それでも進み続けるトビーの原動力は、歩みを止めないという固い意思。

 勇気だろうか、それとも蛮勇なのだろうか。

 その答えはトビーには必要ない。

 歩く為の足がある限り、剣が折れない限り、いや例え折れたとしても心は決して折られる事はない。


 ただのゴブリン、進化の一つもしていない最弱の魔族。

 トビーは不敵な笑みを浮かべ、巨大な敵との戦闘を開始した。



 元々粗方の白鎧は倒していた為、紗利奈たちはトビーにそこまで遅れずに追いつくことが出来た。三人とも怪我は無く、魔力も十二分に保有している万全の状態だ。

 だが、調子が十分だとしても、繰り広げられている戦いを目の当たりにした三人は一瞬立ち尽くしてしまった。


 化け物という表現では到底足りない。

 災禍。国すら滅ぼす、個人の力を超えた存在であった。


「どう、すんのよ、これ」

 紗利奈が思わず声を漏らす。手に持った聖剣がズルリと落ちかけ、慌てて握り直す。

 明らかに自分達の力量では届かない。一目で直感的に判断してしまう。

 感覚派の紗利奈だからこそ、それは明確に捉えられていた。人がその身で空を飛び、海を片手で割る方がよっぽど可能性があるように思えた。

 出来る出来ないの問題ではない。不可能だ。そう感じてしまった。


 呆然とする紗利奈は、背後から掛かった声に思わず振り返る。

「アタシが残った魔石を使って全力で原初の灯火を撃つわ。トビーが頑張ってるんだもん、絶対にアタシも諦めない」

 声を発したのはベルチェ。体の端の火が一段と燃え盛り、赤い眼に反射して瞳が燃えているかのようだった。煌くその深紅は、彼女の心を表していた。


「そう、です。トビーさんに任せていられないです。わたしだって師匠の弟子、姉弟子なんです、良いところ見せてあげるです」

 ティーアは言いながら一歩前に出る。両手に握った魔剣『宙割り』を正眼に構え、雷を激しく瞬かせた。青の瞳は真っ直ぐに、巨大な白鎧を睨んでいる。


 ティーアが大きく見えるのは、巨人族だからだろうか。しかしそれと同じくらいベルチェの存在も、紗利奈の目には大きく映っていた。

 強い。自分よりも遥かに、進む勇気を持っている。

 紗利奈がそう思っていると、隣に立ったベルチェは言う。


「紗利奈はどうするの。ここで立ち止まる?」

「わた、私、は、」

「アンタ、トビーの記憶を見てるんでしょ。なら、尚更ここで止まる訳にはいかないんじゃない。好きな人の為に戦うって、素敵だとアタシは思うけど」

 思わず、紗利奈はベルチェを見る。

 微笑んでいた。

 柔らかく、優しさで、そして恋に焦がれる少女の顔で笑っていた。


「ベルチェは、トビーのこと好き、なんだよね?」

「もうっ、ここで嘘言うわけないでしょ! 察しなさいって!」

「それは、そうだけど、でも、」

「わたしはトビーさんのこと大好きです! 気持ちは負けないです!」

 一歩前に出ていたティーアが振り返って言う。ふわりとスカートを揺らしたその姿は、長大な剣を持っていても薄れる事無く乙女であった。


「わたしはトビーさんを死なせたくないです。だから、戦いに行くです」

「アタシも。絶対に、トビーを見殺しになんてしたくない」

 ベルチェが一歩進み、ティーアの隣に並ぶ。それから少しだけ振り返って言った。

「アンタは。紗利奈はどうする? もう時間も無いわよ」

「私、は、……」


 分かっている。紗利奈も、時間が無い事くらい理解している。

 トビーはゴブリンにしては強い。けれど、相手は神が用意した兵器だ。時間を稼げている時点で立派で、誰でも真似できる役目ではない。

 一太刀でも浴びれば、そこで終わる。その前に、助けなければならない。


 こんな時、もしもトビーが自分の立場だったらどうするだろうか。


 紗利奈は、不意にそう考え、


「ぷっ、ははっ。そんなの、考えるまでもないじゃん」


 思わず噴き出し、笑ってしまった。

 トビーなら? そんな『もしも』の話があったとしたら、即決だ。

「行く。トビーなら諦めない。私だって、諦めたくない!」

 踏み出す。トビーの事を考えていたからか、彼のように右足から。

「勝とう。そんで、神にアホ面させてやる!」

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