第5話
いつも通り目が覚める。採取生活は早起きが肝心、日が昇る頃には目が覚めた。
意識が浮上し、目を開け、くぁと欠伸。そうしてから、トビーは今日やることを考える。開始から四日目、以前なら城下町に最短で到着する日だ。
「……オルドンに弟子入りする、ゴフか」
時間は限られている。前と違って、繰り返して最善を探す事はできない。
やれる事をやるしかないのだ。動く事しか、トビーには出来ない。
「行こうゴフ。オレには、それしかないゴフ」
支度を整え、トビーは部屋から出る。手には二つに分けた酒の実の内一つを持っていた。もう一つは、八日目に紗利奈に売ってもらう手筈になっている。
扉を開けると、通路には人影があった。
「あ、えと、おはよ。トビー」
待っていたのか、壁に背を預けて紗利奈が声を掛けてくる。昨晩の事が脳裏を過ぎるが、頭を振って意識を戻す。
「おはようゴフ。もう起きてたゴフ?」
「うん、何となくね。……トビーはもう出かけるの?」
「オルドンに弟子入りしてくるゴフ。時間が無いゴフからな」
「……そっか。朝ごはんは食べなくて平気?」
「大丈夫ゴフ。昨日いっぱい食べたゴフ」
「そだね。……えと、頑張って、って言うのも変かな。んと、えーと、……やっぱり、頑張ってね、トビー。無茶はしないようにね」
「分かったゴフ。八日目まではオルドンのとこに泊まるから、酒の実は任せたゴフ」
「大丈夫、任せて。……じゃあ、私は魔王と出来そうな事を話したり、用意できるものとか探してみるね。魔族領じゃ、私の出来る事少ないし」
「ん、助かるゴフ。……それじゃ、行ってくるゴフ」
「行ってらっしゃい。気をつけて」
紗利奈との会話は、少し下手くそだった気がした。それでも、トビーは歩き出す。
城を出て、早朝の城下町を進む。いつもより、ちょっと空気が寒い気がした。
オルドンの屋敷は魔王城からそこまで離れていない。上位魔族の住まう区画にあるので、走らなくともすぐに見えてきた。
見慣れた道だ。走りこみで何度も通った覚えがある。
懐かしい感じがしながら白い塀に沿って歩けば、入り口に到着する。
「……あ、ティア、ゴフ」
屋敷の入り口を見ると、そこには青髪の女の子が居た。背はトビーよりもずっと高く、けれど物腰は柔らかで、いつも気を遣ってくれて優しい性格。
ショートカットの髪を揺らしながら、静かに掃き掃除をしていた。
考えてみれば、朝早くは掃除をしているのは当然だった。
それすら忘れてしまうほど、今のトビーは考えが纏まっていない。
「おはようございます、です」
トビーが近づいていくと、ティーアはペコリと礼をして挨拶をする。通りかかる魔族には、いつもやっていたのだから当たり前だ。今はまだ知り合っていないのだから。
「あ、おはよう、ゴフ。……あの、えと、オルドンはいるゴフか?」
トビーにしては珍しく、歯切れが悪い喋りだった。考えていたはずなのに、どうしてか言葉が出にくかったのだ。
「師匠、です? はい、道場に居ます、です」
「……弟子入りしたい、ゴフ。会わせてもらっていいゴフか?」
「で、弟子です!? わ、分かりましたです。こ、こちらへどうぞ、です」
ティーアに案内され、トビーは屋敷の道場へと向かう。知っている場所だが、自分から進んでは不審だ。だから、トビーはあえて後ろを歩く。
道場の中には、赤い肌で大柄なハイオーガが居た。普段と同じく真ん中に座り、目を閉じて集中力を高めている。
「師匠、あの、弟子になりたいって方がいらっしゃった、です」
「弟子ぃ? お、ゴブリンか。こりゃあ珍しいな、ゴブリンの弟子希望なんて」
「……オレ、トビーゴフ。これ土産ゴフな」
トビーは手に持った袋を渡す。オルドンは中身を見ると嬉しそうな顔をした。
「ん? おいおい酒の実じゃねぇか。俺の好物分かってんなぁ! んで、弟子入り希望ってこったぁ、強くなりてぇのか?」
強くなりたい、のだろうか。強さは、ある程度は身に付けたとトビーは思う。
少なくとも、試練のダンジョンを踏破し、武闘大会で戦う程の強さはある。
そうしたら、一体自分は何をする為に鍛えるのか。トビーは分からなかった。
「オレ、ゴブリンの中では強いと思うゴフ。もっと強くなれるゴフ?」
「はっ、自分で強ぇ言う奴ぁ多いぜ。ま、俺が鍛えりゃもっと強くなれるな」
「強くなったら、その先って何があるゴフかな。自分でやれるだけ強くなったら、それ以上の強さって、何だと思うゴフ?」
「……悩める若人って奴かな。答えるのは簡単だ。だが、そりゃあ自分で見つけるのが一番だ。お前さん、ええと、トビーだったか。トビーの力は何の為にある?」
トビーは即答した。
「それは、大切なやつを守る為ゴフ。その為に強くなったゴフ」
それを聞くと、オルドンは笑った。嘲笑うのではなく、面白そうに。
「なんだ、分かってんじゃねぇか。……いいぜ、その答え探しを手伝ってやらぁ。迷った若人を導くのも、先達の役目ってな」
会話が違っていたからか、攻防のやり取りをせずとも弟子入りを許可された。
それは嬉しいのだが、やはりトビーは自分の中に靄が掛かっている気がする。先が見えているはずなのに、不安な気持ちが抑えられない。
「えっと、わたし、ティーア・フログマです。宜しくお願いするです、トビーさん」
「あ、ティーア、ゴフな。よろしくゴフ」
名前は、言い間違えない。まだ知り合ったばかりだから、略して言わない。
そんな事を考えてしまい、実行してしまう。それが、正しいのだから。
それからは、繰り返しの時と同じ流れだ。屋敷の掃除をして、修行をして、たまにティーアと話をして、また修行。全て終えたら、いつもの部屋で寝る。
五日目も、六日目も、七日目も、変わらない。全部、同じだ。
そして八日目、その日は重要な日になっている。
朝早く起きて掃除を終えたトビーは、ティーアに話し掛けた。
「ティーア、オレちょっとやる事あるから少し出かけるゴフな」
「あ、はいです。どちらまで行くです?」
「……会わなきゃ、会いたいやつのとこゴフな」
自室に戻り、胴着から着てきた服に着替える。持ち物は必要ない。
屋敷を出ると、そこには見知った顔があった。
「サリナ、どうしたゴフ?」
「えっと、元気にしてるかなって、気になって」
あはは、と紗利奈は軽く笑う。そうしてから「やっぱ嘘」と言った。
「ほんとは、トビーのこと隠れて見てたんだ。この四日間。ずっとじゃないけど、たまに来て様子を見てた。……悩んでるよね、やっぱり」
「……そうゴフな。色々と考えてるゴフ」
「ごめん。私、余計なこと言った」
そう言って、紗利奈は頭を深く下げる。トビーは慌てて止めに入った。
「いや、全然悪くないゴフ。オレのほうが、ちゃんと考えて無かっただけゴフ。ただ、考えたら、どうしたらいいか分かんなくなったゴフ。また、同じように仲間になれるゴフかな……」
「大丈夫だよトビーなら。無茶ばっかりするけど、絶対に諦めないのがトビーの良いとこでしょ?」
紗利奈は優しく微笑んで、トビーを見つめる。
トビーは信頼の眼差しを感じた。偽り無く、心から信じていると無言で語っている。
「……ありがとうゴフ。そう言ってくれると嬉しいゴフな」
「ほら、今日はベルと最初に会う日でしょ? やる気出さないと!」
ペシペシと紗利奈はトビーの背を叩く。元気を出させようと頑張ってくれているのが、察しの悪いゴブリンでも分かる。
「そうゴフな。やんないと、ゴフ!」
「私も遠くから見てるから、ね。行こ、トビー」
紗利奈に促され、トビーは歩き出した。目指すのは王立図書館第一分館。目的は、ベルチェと初めて会い、蹴り飛ばされる事だ。
酒の実は既に売った後らしく、真っ直ぐに第一分館へと向かう。
ベルチェと面と向き合って会うのは、久しぶりの事だ。トビーは若干の緊張を感じていた。
荘厳で立派な建物を前にして、踏み出そうとする足が重くなる。失敗は出来ない、間違えないようにと考えると、足が鉛のようになる。
「……行く、ゴフ。やる事は少ないゴフ」
会って、少しだけ話して、蹴りを受け流す。それだけだ。
図書館の中に入り、深く息を吸う。懐かしい、本の匂いで包まれるようだった。多少は気持ちが落ち着くと思っていると、声が掛かる。
「ちょっとアンタ、ゴブリンでしょ! ゴブリンなんかがここに来ていいと思う訳? さっさと出て行きなさいよ」
声のする方向を見ると、そこには金髪の少女がいた。
髪を両サイドで縛り、強気で真っ赤な瞳が印象的な姿。体の端で煌く炎が、幻想的で美しく思えた。幼そうに見えるが、意外と発育は良く大人びた雰囲気をしている。
ベルチェ・フランが、そこに立っていた。
「聞いてるの? ここは王立図書館の第一分館よ。ゴブリンが来ていい場所じゃないのよ!」
腕を組んで堂々と言うその姿。当たり前だけど変わらないなぁ、とトビーは思う。
「オレ、入っちゃ駄目ゴフ?」
以前と同じ言葉が口から吐き出された。そうすれば、返答は確定する。
「当たり前じゃない! アタシくらい優秀じゃないとね!」
自慢げに胸を張り、声高にベルチェは言う。高飛車なその口調は、初めて聞いたときは怖かったが、今となっては可愛く思えてくる。
会話はスムーズに行われた。
測定魔法でトビーの能力を測り、それに憤慨して蹴り飛ばすのも同じ。
爆発の煙を引いてトビーは吹き飛ばされ、図書館の外へと転がり出る。御形のお陰で痛みは無いが、やはり服はズタボロになった。
影で見守っていた紗利奈は、ベルチェの姿が見えなくなるとトビーに近寄る。
「うわぁ、もうボロ布じゃん。流石はベル、良い火力してるね」
「いつもの事ゴフ。もう慣れたゴフな」
トビーは笑って見せようとしたが、口元だけで、目は上手く笑えなかった。
夜にはベルチェと再び会い、会話をしなくてはならない。
それなのに、どうしてか心が働いてくれない。元気に接しなければ、その先の展開と噛み合わなくなってしまうのに。
トビーは、答えが出せずに悩み続けた。
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