第6話
それからの行動を、トビーは自分自身でよくやった方だと思う。
八日目夜のベルチェとの会話をして、仲良くなるのは成功した。
そこから、昼間はティーアと修行をし、夕方からはベルチェと図書館で勉強、アパートで寝泊りをして朝にはオルドンの屋敷へ向かう。
今やらなければならないことを、最低限以上にこなした。十分に、果たした。
選択すべき未来を、正しく選んだ。そのはずだと、トビーは思う。
一三日目、夜。トビーはベルチェとアパートに帰っていた。
翌日は大切な日だ。一四日目は、昼間にイミヤとの遭遇があり、夜中にはティーアの暗殺を阻止しなければならない。重要な一日となる。
トビーの頭の中では、一四日目の計画が綿密に練られていた。
「――ねぇ、トビー。聞いてる?」
「……あ、すまんゴフ。ちょっとぼうっとしてたゴフ」
「もうっ、仕方ないわね。明日はアタシ第一分館に行くけど、トビーはどうするの? いつもみたいに出掛けてる?」
「……んと、それじゃオレも一緒に行くゴフ。第八じゃ無い本もあるゴフな」
「ん? なに、第八分館に文句でもあるわけ?」
「や、全然ないゴフよ。静かでいいとこゴフ」
これで、明日は第一分館に連れ立っていく事が確定した。そうしたら、後は同じようにイミヤとの言い合いがあり、試練のダンジョンの話に繋がる。
間違ってはいない。
それなのに、どうして心が不安なのだろうか。
トビーは、自分が良く分からなかった。
そうこうしている内にアパートに到着し、ベルチェが部屋の鍵を開けようとする。
「……あれ? なんだろ。紙切れ?」
扉を前にして、ベルチェが何かを摘まみ上げる。それは、小さな白い紙だった。
「え、そんな物あったゴフ?」
トビーの記憶に、そんな物が存在した事はない。この日は、何も無く普通に部屋に入っていたはずだ。
繰り返しは必ず同じ事が起きる。それが変わったということは、理に縛られない存在が介入したという事でもある。
「……何この文字、アタシでも知らないやつね。どこのだろ。ウチに用事があるんだろうし、読んでみよっかな。
トビーが止める間もなく、ベルチェが魔法で翻訳を行う。頭痛がしたのか、頭を少し押さえて読み上げた。
「『トビーへ。中央広場で待ってる』……これ、アタシじゃなくてトビーに宛てたやつみたい。誰か知り合い?」
「心当たりはあるゴフ。……じゃあ、ちょっと行ってくるゴフな」
「ん、わかった。鍵は隅に隠しておくから使ってね」
ベルチェは扉の脇にある荷物の影へと部屋の鍵を隠した。無用心ではあるが、他に知られなければ問題はないだろう。そういった存在も、トビーの覚えている限りでは付近にいないはずである。
トビーは急いで指定された場所へと向かう。中央広場は、城下町に来て最初に買い物をした通りの先にある場所だ。誰でも使える憩いの場になっている。
魔力灯の赤みのある光に照らされ、トビーは夜の街を走る。あまり出歩く機会の無い時間だからか、見慣れた町が普段とは違う風景に見える気がした。
暫くして、中央広場に到着する。円形で、中央に魔王の石像が飾られているのが目印だ。その周囲を囲むようにして魔力灯が点々と立っている。
トビーを呼び出した人物は、魔王像の前で待っていた。
白のシャツに紺のスカートで、黒いコートを羽織った姿。見覚えのある服装ではないが、明かりで照らされた煌く黒髪は見間違えるはずも無い。
コートのポケットに両手を入れ、スラリと立つ姿は一振りの剣の様にも見える。端正な顔立ちを含めて、綺麗だなとトビーは思った。
「あ、来た。ごめんね、急に呼び出して」
気づいたのか、視線をトビーへと向ける。いつもなら鋭い眼光だが、今日はふわりとした雰囲気で、柔らかな印象を受けた。
「サリナ、どうかしたゴフ?」
トビーは呼び出した当人、東雲紗利奈に問いかける。
そうすると、紗利奈は微笑んでこう答えた。
「ね、トビー。デートしない?」
「でぇと、ゴフ?」
「そ、デート。ちょっとした夜のお散歩だけどね」
「……でもオレ、明日もやらないといけない事があるゴフ」
「大丈夫、遅くならないから。ね、少しだけ歩こ」
そう言って紗利奈は歩き出す。少し進むと振り返り、歩いていないトビーに向かって「ほら、こっち!」と言った。
仕方ないのでトビーも小走りで紗利奈に追いつき、その隣に並んだ。紗利奈はゆっくりと歩き出す。
「夜も意外と歩いてる魔族っているんだね。夜行性なのかな」
「……そう、ゴフな。日光が苦手な魔族もいるらしいゴフ」
「へぇー、人間とは違うなぁ。あ、屋台も出てるみたい。行ってみよ」
二人は市場へと移動した。昼間は生活用品を売る店が多く立ち並ぶ区画ではあるが、夜になると様変わりしている。
「吸血鬼族用の血が売ってる……。買い食いするのかな、吸血鬼も」
「ホントだゴフ。値段の差って何だろゴフな」
「んー、地球基準ならうら若き少女の血だけど。え、私の血って高く売れるの?」
やだなー、と呟きつつ紗利奈は瓶を見つめる。トビーも見てみるが、赤々とした液体を見るのは気持ち良くない。
「違うとこ行かないゴフ? オレには美味しく見えないゴフ」
「あ、お腹すいてる? 何か食べよっか」
一瞬で興味を失ったのか紗利奈はパッと違う屋台を見る。料理屋が多く並んでいるので、どれにしようか迷い始めた。
「ご飯は意外と人間と変わんないね。城で出てくるご飯も普通だったし」
「確かに、サリナの記憶でも同じだったゴフな。味は違ったゴフが」
「あ、それは思った。魔族のって薄味が多いよね。味覚が鋭いのかな」
「人間は逆に濃すぎるゴフ。もっと食材を大事にするべきゴフ」
森の美食家たるトビーは自信を持ってそう言う。採りたての木の実を主食にしているゴブリンは、味付けなど必要が無いのだ。
食べ物について議論しつつ歩いていると、見つけたのは串焼き屋だ。見覚えのある人狼族が売り子をしている店である。
「ここ見たことあるゴフ。夜もやってるゴフな」
「お、いらっしゃいガウ。昼も来てくれてるお客ガウ? 俺は昼のやつの兄貴ガウ。兄妹でやってるガウな」
「……わあ、全然見分けつかない。魔族って見分けつけるの大変ね」
美味しかった記憶があるので購入し、二人して食べながら歩く。味は昼夜変わらないらしく、トビーは嬉しそうに噛み付いた。
食べ終えて、串をどこに捨てようか迷っていると、ふとトビーは思う。
「……あれ? そういえばサリナ、顔隠さなくて平気ゴフ?」
「…………やーっと気づいた。トビー、何か分からない?」
むすっとした顔をする紗利奈。トビーに視線を合わせるのに屈み、頭の左側をチラチラとわざとらしく見せてくる。
「なんか頭についてるゴフよ」
「ゴミみたいに言わないで! これ、魔王から貰ったの」
紗利奈は頭に付けた飾りを指す。白い蝶の髪留めで、明かりを反射してキラキラと輝いていた。
「認識阻害のアイテムみたいでね、これ付けてれば人間だってバレないんだって。匂いも誤魔化すから、結構凄いやつなんじゃないかな。知ってる人には通じないらしいけど」
「だからオレには効果が無いゴフな。魔王様は色々持ってるゴフなぁ」
凄いゴフ、とトビーが納得していると、紗利奈は更に不機嫌な顔になった。じいっと半目でトビーを睨み続ける。
「オレ、なんか悪い事したゴフ?」
「何もしてないから問題なの! 女の子がオシャレしてるんだから、何か言う事は?」
「……スゴイ物もあるゴフなぁ」
「はい〇点。恋愛レッスンは落第ね」
「いきなり酷いゴフ!?」
まったく、と紗利奈は立ち止まり、トビーを見下ろして言う。
「似合ってるとか、可愛いねとか言うのが正解なの! はい、何か言う事は?」
「スゴクニアッテルゴフ」
「超棒読み! 全然嬉しくない!」
「冗談ゴフ。サリナはいっつも綺麗ゴフよ。広間で待ってるのも綺麗だったゴフ」
「は!? え、あ、……うん、ありがと」
モニョモニョと小声で呟く紗利奈。俯いて顔を赤くしていた。
「なんでそういうのは素直に言うかなぁ。これだからゴブリンは」
「ゴブリンは正直者ゴフ。オレも嘘は言わないゴフな!」
腰に手を当てて自慢するトビー。その様子を見て、紗利奈は笑った。
「やっとトビーらしくなった。ちょっとは気が抜けた?」
「ゴフ?」
「広場に来たときのトビー、難しい顔してた。ゴブリンらしくない感じにね」
そう言われると、トビーは認めるしかない。ずっと、ここ数日は特に考え事ばかりが多かった。次に何をするべきか、何をしなくてはならないか。
だから、頭より先に手が出るゴブリンとしては変だっただろう。集中が散漫だったせいで、修行では受け流しをミスしたり、図書館では上の空になったりしていた。
「……上手くいかないもんゴフな。考えすぎちゃうゴフ」
「あ、また難しい顔してる。ほらほら、今は楽にしてていいの。まだ時間も遅くはないし、もう暫く遊んでこ!」
紗利奈は駆け出して先に進んでいく。トビーは少し迷ってから、それから追いつくために走り出した。
夜の城下町を二人は並んで歩いていく。市場の通りだけではなく、色々なところを見て回った。
芝居小屋のような所だったり、飲み屋で賑わう区画だったり。うっかりと花街に入り込んでしまい、紗利奈が全力疾走することもあったが。
そうして歩き続け、なんとなく最後には集合地点だった中央広場に到着した。
端に備えられているベンチに腰掛け、並んで会話をする。
「知らないとこいっぱいあったゴフな。面白かったゴフ」
「だねー。もう二度と行かないとこもあったけど」
「ああ、あの妙な雰囲気のとこゴフ?」
「トビーも行っちゃ駄目だからね。行ったら殺す」
「わ、分かったゴフ」
一瞬殺気を感じたトビーは慌てて首肯し、それを見て紗利奈は満足そうな顔をする。
色々な場所の話をしていると、トビーは欠伸が出そうになった。早寝するゴブリンとしては、十分に夜更かしといえる時間になっていたのだ。
「そろそろお開きかな。トビーも眠そうだし」
「そう、ゴフな。眠くなったきたゴフ」
そう言いつつも、二人とも動かない。遠くに見える魔王城を見ながら、無言で座っていた。
「……なんか、名残惜しいゴフな。楽しかったゴフから」
「そう言ってくれるなら嬉しい。呼び出して良かった」
「サリナ、ありがとうゴフ。心配してくれたゴフな」
「そりゃあ、ね……。心配するよ、沢山」
目は合わせずに、隣同士で会話をする。ポツリポツリと、途切れずに話は続く。
「こうやって何が起きるか分かんないって、いいゴフな。魔王様も同じこと言ってたゴフが、オレにも分かった気がするゴフ」
「そっか、魔王も同じだもんね。変えられない分、もっと大変そうだけど」
「それ言ってたゴフ。ずっと同じ会話しかなくて飽きたってゴフ」
ゴフフッ、とトビー笑い、言葉を続けた。
「それに比べたら、変えられるだけオレは楽なのかもゴフ。ベルとティアと仲良くなるのに、ちょっとだけ会話は変えられるゴフから」
「……私は仲良くなんなくていいの?」
顔は見ていないが、トビーには紗利奈がむすっとした顔をしているのが分かった。急いで誤魔化さなければと、頭を回転させる。
「わ、忘れてないゴフよ! でも、サリナは繰り返しの中にはいなかったゴフ。だから、これからもっと、色んな事をして仲良くなるゴフ」
トビーは先のことを考えてみる。神を倒せば、今のように時間に追われることは無くなるだろう。そうすれば、余裕をもって遊ぶ事も出来る。
決着を付けて、神と戦うと決めて。それからまだ、一三日だ。
きっと、今まで以上に仲良くなれる。
そんな風に、トビーは思う。
「あれ、ゴフ」
今、脳裏を過ぎった言葉が、引っかかった。
トビーは俯いて、考える。
何だろう、何を思っただろうと。
急にトビーが黙ってしまったので、紗利奈は戸惑って隣を見た。
「と、トビー? どうかした?」
声を掛けると、トビーは紗利奈の方を向く。
それから、口を開いた。
「サリナ、オレ忘れてたゴフ」
トビーは、一拍置いて言う。
「大事な事を忘れてたゴフ」
「大事な事?」
紗利奈が聞き返すと、トビーは頷いて答えた。
「オレ、前と同じく仲良くなろうって、思ってたゴフ。けど、それって違うゴフな。繰り返してる時って、もっともっと仲良くなろうって思ってたゴフ。同じになればいいなんて、思ってなかったゴフな」
だから、とトビーは言う。
「オレ、ベルとティア、勿論サリナも、もっと仲良くなりたいゴフ。前よりももっと、いっぱい話して、いっぱい遊んで、そんでもっと仲間になりたいゴフ」
トビーは決めた。
これからどうするのか、否、どうしたいのか。
「前と同じなんて嫌ゴフ。皆と、もっと仲良くなりたいゴフ!」
トビーは笑っていた。ずっと忘れていた、笑顔だった。
それを見て、紗利奈も笑う。
「そっか。それでこそトビーだね」
「当然ゴフ!」
ニカッと笑い、トビーは言う。
「オレはゴブリン、思ったことはやるゴフ!」
「ゴブリンの良いとこ、ごふ?」
「オレの真似するなゴフ! でも、その通りゴフな!」
トビーは頷き、しっかりと紗利奈を見て宣言する。
「まずはベルに話をするゴフ。オレが、何を思ってるのかを、ゴフ」
その目は輝いていた。希望を灯し、進み続ける意思を燃やして。
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