10、ゴブリンと皆と

第1話

 酒蛇の森と呼ばれる森の中、二つの影が移動する。

 一つはゴブリン。子供のような体躯と緑色の肌を持ち、一般的には粗雑とされている種族。けれども、世界を繰り返すという異常事態に巻き込まれた普通ではない存在。オビー家七兄弟の三男、トビーだ。


 もう一つは人間。神によって意思を無視して異世界へと飛ばされ、魔王を倒すためだけに奔走した。けれど今は、魔王ではなく神を倒すために進んでいる。元はただの女子高校生、元勇者、東雲紗利奈。


 トビーを先頭にして二人は歩いている。目的の場所はハッキリとしており、迷う事無く進み続けていた。

 そんな中、紗利奈はトビーに声を掛ける。

「やっぱり、繰り返しの力は無くなってるみたい。意識しても何も出来ないや」

 パチリパチリと紗利奈は左手で指を鳴らす。


 紗利奈には、神から与えられた『繰り返し』の力があった。決められた日時まで強制的に世界を戻すという、規格外の能力。それが、今は完全に失われていた。

「それはそうゴフな。倒すって言っちゃったし、仕方ないゴフ」

 トビーは振り返りながらそう言う。一応確認のために紗利奈に使ってもらってみたが、予想通りといった感じだ。


 トビーと紗利奈は、神と敵対した。尋常ならざる力を持っているはずなのに、人の心を何とも思わない存在。魔王が神になってほしくない為だけに、誰かの人生をすり潰す事を是とする異常。

 ナレアスという神を許せない。その気持ちだけで、二人は神と戦うと決めた。


「……ねぇ、私から聞くのも変だけどさ。トビーは良かったの? ナレアスと戦うって言ってさ。トビーのメリットってある?」

 紗利奈はトビーに質問する。それは、心の奥に少し残っていたモヤモヤだ。一緒に戦ってくれるのは嬉しい、けれども得が無いのに無謀な事をするのは気が引けた。


 それに対し、トビーは笑って答えた。

「勿論あるゴフ。魔王様が居なくなったら魔族は大変ゴフし、オレだって繰り返しに巻き込まれて大変だったゴフ。殴んなきゃ気が済まないゴフな!」

 空いた片手でぐっと握り拳を作るトビー。ついでとばかりに空を殴る動作をして、神の顔面にパンチを入れる練習をした。


「やっぱり変なゴブリンね、トビーは」

「オレはゴブリン、当然ゴフ。それに、魔王様が神になったらお願いしたい事があるゴフ」

「お願い? 何か叶えてほしい事でもあるの?」

 初めて聞いたトビーの言葉に、紗利奈はキョトンとして聞く。あまり欲深くない性質のトビーだから、お願いがあるというのは妙な気がした。


 トビーは紗利奈の顔を見て、素直に言う。

「魔王様が神になったら、サリナを元の世界に戻してもらうゴフ。神なんだから、きっと出来るはずゴフな!」

「え、って、本気? 私の為なんかに?」

「当たり前ゴフ。前の世界……えっと、ニホンっていうゴフ? それに戻れるなら戻ったほうがいいゴフな。家族もいるゴフし」


 トビーと紗利奈は記憶を共有している。トビーの精神を破壊するために発動した魔法が原因なのだが、結果としてはお互いを深く理解する事に繋がった。

 だから、トビーは紗利奈の元の世界を知っている。信じられないほど整った石だらけの世界だったが、あの場所が紗利奈の故郷なのだろうと。


 なのでトビーは、魔王が神になったらその世界に紗利奈を戻してもらおうと思っていたのだ。家族と居るのが一番なのは、きっと魔族も人間も変わりないだろうから。


「……ありがと、トビー。でも、出来なくたっていいからね。無茶して死んだらもう繰り返せないし、私もこっちで暮らす決意くらいしてるんだから。ゴブリンの集落で住むのもありなんじゃないかなーってさ」


 紗利奈はさっき訪れたゴブリンの集落を思い出しながら言う。汚いは汚いが、思った以上に優しいゴブリンたちで驚いたのだ。敵対していない人間を見るのは初めてだったのか、戸惑いつつもトビーの友人だと知ると挨拶もしてくれた。

 実際に触れ合ってみると、ちょっとお馬鹿なだけで人間と大差ないようにも思えた。下手に陰謀や策略がない分、人間よりも付き合いやすいかもしれない。


「ゴフフッ。そうなったら、誰がサリナを嫁にするか大変ゴフな。サリナは綺麗だし、皆が取り合ったら大騒ぎゴフ」

 トビーは笑いながらその姿を想像する。ゴブリンは増えるのが大切。嫁探しには躍起になるのが目に見えているのだ。

 そんな事を言われた紗利奈は「ふぇ!?」と素っ頓狂な声を出す。


「や、う、綺麗って、…………トビーそんなこと思ってんの?」

 長い黒髪を指で弄りながら、紗利奈は恥ずかしがった。少し頬が紅潮し、視線は定まらずにキョロキョロする。

「? それはそうゴフ。ゴブリンだって綺麗とか思うゴフよ」

「うー、いや、それはそうだろうけどさ、でも人に対して簡単に綺麗とか、あー、もう、これだからゴブリンは!」


 ゴブリンは心に素直。思うことをそのまま言ってしまう魔族なのだ。紗利奈はそれを知りつつも、やっぱり恥ずかしかった。誰かに容姿を褒められるのは、相手がゴブリンだろうが慣れるものではない。

「で! これからどうするの! このまま進むとあそこじゃない?」


 話を変えようと紗利奈は大声を出す。それを聞いたトビーは「そういえば言ってなかったゴフな」と説明を始めた。

「サリナの思ってるとこで間違いないゴフ。龍蛇ナーガに会いに行くゴフ……と、見えてきたゴフな」


 トビーが足を止め、視線を正面へ向ける。岩壁に空いた天然の横穴、龍蛇の住む洞窟だ。知恵の実という伝説の実が奥にあり、それを龍蛇は守っている。

「龍蛇って、トビーどうする気なの? 知恵の実を食べて強くなる気?」

 知恵の実は食した者の知力を大幅に上げる効果を持っている。前の繰り返しでも、トビーは食べて魔法の同時展開数を上げていた。


 けれど、トビーは首を横に振る。

「違うゴフ。用事があるのは龍蛇ゴフな」

「龍蛇に用事って……まさかだけど、仲間にしようって言うの?」

「当たりゴフ! あいつは魔王様の攻撃も耐えた凄いやつゴフ。きっと仲間になったら頼りになるゴフな!」


 知恵の実を守る龍蛇、その保有する力は底が知れない。

 魔王の全力でも倒せなかった逸話を持ち、その巨体も持ちうる膂力も、ゴブリンや人間では比べ物にもならない。神と戦うのならば、役に立つだろうとトビーは思った。


「そう言うってことは、何か方法があるんでしょ? 仲間になってくれって言って、分かりましたって答えてくれるわけ無いもん」

 トビーの記憶で龍蛇を知っている紗利奈はそう考えてしまう。知恵の実にしか興味を持たない龍蛇は、言葉を持つとはいえ単純に説得できるような魔物ではない。 


「当然ゴフ。オレに任せろゴフ!」

 ドンッと胸を叩いてそう宣言するトビー。

 大丈夫かなぁ、と紗利奈は心配になるが、きっとトビーにしか出来ないような事があるのだろうと思い、止める事はしなかった。



 作戦は単純だ。今までの繰り返しと同じく龍蛇を酒の実で酔わせ、その間に知恵の実の場所へと行く。紗利奈は洞窟の入り口で隠れていて、トビーが合図したら一緒に突入するのだ。

 今回は紗利奈が解毒の魔法を使えることもあり、トビーは酒の実でノックアウトされる事は無かった。少しだけふらつくが、作戦に支障はない。


「……で、知恵の実のとこまで来たけど、どうしよっか」

 紗利奈は木に生っている知恵の実を見上げながらそう言う。トビー曰く龍蛇を仲間にするらしいが、その様子は今のところ無い。

「そうゴフな……。それじゃサリナ、龍蛇に解毒魔法を使ってくれゴフ。暴れても大丈夫なように気をつけてゴフ」

「解毒って、いいの? 起きちゃうと思うけど」

「話し合いをしたいから仕方ないゴフ。オレはここから動けないから、お願いしたいゴフな」


 言いながらトビーは知恵の実の木に登っていく。森の住む種族だからか、するすると猿のように器用である。

「正面から戦ったら死にそうなんだけど……うーん、しょうがない。トビーに任せるしかないかな」

 動きはそこまで速くないし、全力で身体強化すれば逃げられるかも。そんな事を考えつつ、紗利奈は龍蛇の尾に近づく。


「『聖銀の祝杯』っと」

 両手で水を掬うようにして、紗利奈は魔法を唱える。人間の国であるアルラウン王国の聖騎士団に伝わる魔法であり、呪具を扱う為に繰り返しの中で覚えた解毒魔法だ。

 手の平から溢れるように生まれる白銀の光が、まるで水のように零れだす。それを垂らすようにして龍蛇の尾にかけた。


 変化はすぐに起こった。ピクリとも動かなかった龍蛇の全身が、震えるようにして活性化する。長さ十数メールルはある白磁の体が、ズルリズルリと音を立てて動き出した。


「よし、魔法は成功。トビー、私はどうすればいいの?」

「こっちに来てくれゴフ。身体強化を使って、何があっても大丈夫にしてほしいゴフ」

 洞窟に頭を突っ込むようにしている龍蛇は、顔を内部に戻すまで時間が掛かる。その間に、紗利奈は『覇道の宣誓』を使って身体を強化、知恵の実の木の下に移動した。


 待つこと暫く、龍蛇が顔を覗かせる。ゴブリン程ある大きな瞳をギョロリと動かし、ここに居る目的、知恵の実が無事か確かめる。

『……子鬼、何をしておる。そこから退け、殺すぞ』

 知恵の実のすぐ脇、太い木の枝に腰掛けているトビーを見つけた龍蛇は、怒りの感情をそのままに吐き出す。


 それを聞いたトビーは、ニヤリと笑った。その笑顔は、明らかに悪役。トビーを見ている紗利奈にはそうとしか思えなかった。

 そんなトビーは、声高に宣言する。


「龍蛇! 知恵の実を取られたくなかったらオレの仲間になれゴフ!」

 あ、やっぱり悪役じゃん。紗利奈は呟きを漏らすが、その声は誰にも届かない。

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