【閑話】やっぱりゴブリンに恋愛は早いのだろうか

第1話

 魔族領と人間領の境目、酒蛇の森と呼ばれている森の中で、静かに音が鳴っていた。

 プチリプチリと、音がする。一つではない。少し離れた位置からも、同じような音がしている。

「…………トビー」

 片方から、少女の消え入りそうな声が発せられる。グラスを叩いた時の様な、澄んだ綺麗な声。けれど、明らかに疲れの色が出ている声色だった。


「どうしたゴフ? 何かあったゴフ?」

 ひょこっと草むらから顔を出して、こちらは元気そうな声で返事がある。緑で保護色になっているゴブリン、トビーのものだった。

 プチリプチリと作業を続けながらトビーは応じたのだが、しかし相方は話しかけてこない。慣れない作業で疲れているのかと思い、トビーは駆け寄る。


「サリナ、どうかしたゴフ?」

 トビーと同じ作業をしている人間、東雲紗利奈は手を止めていた。左手には大きな皮袋を持ち、右手には今もぎったばかりの酒の実が摘ままれていた。

 そんな紗利奈は、ジロリとトビーを見て言う。


「…………地味!」

 紗利奈は現代っ子である。農作業など学校の体験学習でしかやった事はないし、地道な作業というのも簡素化されている現代日本ではそう多くない。

「神を倒すって意気込んで、それで木の実集めってやっぱり変じゃん!」

 紗利奈はもうとっくの昔に飽きていたのだ。それでも、トビーが必要としているから頑張って集めていたが、その我慢も限界。


 異世界に来てから力で解決する事しか学んでこなかった紗利奈は、細かい作業が大の苦手なのだ。やるなら力ずくで森を切り開いたほうが性に合っている。

 そんな紗利奈を見て、トビーはふぅと息を吐く。


「サリナ、地味な事も大切ゴフ。こうやってちょっとずつでも進めていくのが、先に行く為には重要ゴフよ」

「……なんかゴブリンに正論言われて悔しいんだけど。分かってるけど、でもつまんないのはつまんない! もっとこう、派手な事したい!」

 大型動物の映像を見るのが趣味な紗利奈の趣向は、完全にパワー型。地味な事でもコツコツとやるトビーとは根っから違うのだった。


「しょうがないゴフなぁ。それなら、ちょっと休んでるといいゴフ。大体は集まったし、あとちょっとで終わるゴフ」

「んー、そうしよっかな。それじゃ後は任せたー」

 ペタンと紗利奈は地面に座る。それを見たトビーは「勇者だったときはもっとツンツンしてたゴフ」と紗利奈の変わり様に驚いていた。


 殺意が完全に抜けた紗利奈は、普通の等身大の女の子に戻っていた。異常な繰り返しを経験して精神が変異しなかったのは、それはそれで信じがたい事ではあるが、そもそも強靭な精神をしていないと繰り返しに耐えられないので当然ではある。


 トビーは作業に戻っていくのだが、残された紗利奈はやる事がなくなって暇だ。ぽけーっと座るのも数秒で飽き、視線を彷徨わせる。

「……こうしてみると、この世界ってやる事無いなぁ」

 今まで止まる事無く走り続けていた紗利奈は、ようやく自由な時間を得た。呪いの装備を手に入れる為に奔走していた時間を有意義に使えるのだ。


 だが、元は日本に住んでいるただの女子高生。その上で頭より先に身体が動くタイプなので、何もすることが無いとウズウズしてしまう。

 そんな紗利奈が興味を持ったのは、手元にある小さな木の実。酒の実と呼ばれるアルコール分を多量に含んだ物だ。

「トビーの記憶では見たし感じたけど、私が食べたらどうなんだろ?」


 『記憶の同一』という魔法を使い、紗利奈はトビーと記憶を共有した。経験も感情も、全てを理解し合った。

 けれど、自分の身体ではないので差異が気になる。ゴブリンと人間の身体では、感じ方が違うのだろうと、何となく思った。


 ゴブリンは人間の子供程度の大きさだ。一方で、紗利奈は十二分に大人と変わらない体格をしている。酒の感じ方も違う、かもしれない。

「……一粒くらいならいいかな?」

 興味を持ったら即行動。ゴブリン的発想なのだが、紗利奈が気づく事はない。

 パクリ、と酒の実を口に放り込む。それからベリーを食べるように口の中で潰して味わった。


「え、美味しい! 感覚は共有してたけど、自分で食べると違う!」

 パァッと紗利奈の表情が明るくなる。口にしたことの無い芳醇な果物の香りと、濃厚な味わい。甘みが強く、口の中一杯にジャムが入っているかのようだった。

「も、もう一つ、いや二つくらいならいいかな?」

 持っている袋の中から酒の実を取り出し、トビーにバレないようにこそりと食べる。二度目も変わらずの美味しさで、舌がとろけてしまうような感覚になった。


「これは売れるのも分かるねぇ。こんなのが森にあったら根こそぎ採りたいもん」

 言いながら、もう一粒口に放り込む紗利奈。癖になったのかまた一つ、もう一つと次々に酒の実を口に入れていく。


「……あれ? そういえばお酒なんだっけ? んー、まあいっか!」

 日本では未成年な一七歳の紗利奈だが、異世界ならば問題ないかとスルー。酒そのものすら未経験なので、好奇心が法令順守に勝ったのだ。

 けれど、酒の実はアルコールが主体の不思議な木の実。その効果が徐々に出てくる。


「んん? なんか、熱くなってきた気がする? 気のせい?」

 ポカポカと身体全体が温まり、頬や耳が熱を持つ感覚がしてくる。紛れもなくアルコールのせいだが、自分の身体では初体験の紗利奈は「変なの」と思うだけ。


「んー、酔っ払うってどうなのかな? あーでも気持ちよくなってきた気がする。わーなんかたのしいなー!」

 くらんくらんと頭を揺らし、にへへと顔を緩めながら紗利奈は独り言をする。傍から見ればただの酔っ払いだが、生憎それを注意する者は居なかった。


 トビーが気づいたのは、それから暫く後。紗利奈が完全に出来上がってからだった。



 木の実の採取を終えて戻ってきたら、何か大変なことになっていた。

 トビーは目の前の光景を、どうやって受け取れば良いのか困惑した。慣れない作業だから休んでいろと言ったのだが、まさかこの様な事になっているとは。

「……サリナ、酒の実食ったゴフな」

「ふぇえ? なんのことー?」


 長い黒髪をゆらゆら揺らし、真っ赤な顔でにへらと笑う紗利奈が、そこには居た。脳みそが溶けているのかと思うほどに表情は緩み、呂律も行方不明。あの恐怖の化身だった勇者は、完全に死んでいた。

「しょうがないやつゴフなぁ……。ほら、終わったから一回家に戻るゴフ。全部持ったまま動くのは大変ゴフからな」

「えぇー、まだここにいるー。美味しいやついっぱいあるしー」


 そう言いながら、紗利奈は近くにあった酒の実を摘み、口に投げ入れる。あ、とトビーが声を発する暇すらなかった。

「……どんだけ食べたゴフ?」

「んー…………いっぱい?」

 あははっ、と紗利奈は笑って答える。とても楽しそうで、明らかに理性の箍が外れているようだ。


「いっぱいって、あの実をそんなに食べて、よく起きてられるゴフな」

 卒倒した経験のあるトビーからしたら、紗利奈は異常にしか思えない。

 けれどその考えは非常に正しく、若手の冒険者が一粒で泥酔する酒の実を大量摂取して記憶があるのは、ある意味で天性の才能だ。ウワバミの類だろう。


「まだやる事あるんゴフが……今日はもう駄目ゴフかな」

「やることー? へーきへーき、よゆーよゆー! 解毒の魔法使えるし、どうにかなるんじゃない?」

「あ、そういえば『聖銀の祝杯』の魔法があったゴフな! 酒に効くゴフ……?」

「んー多分? まー、あとで使うからだいじょーぶ!」


 紗利奈は呪物から受ける悪影響を抑えるためとして、繰り返しの中で解毒魔法を覚えている。主に毒を治癒する為の魔法だが、二日酔い対策として騎士が使用する場合もあった。効果はほどほど、といった程度だが。


 それなら大丈夫ゴフかな、とトビーも一応の安心をするが、やる事が変わるわけではない。早く移動して次の事をしなければならないのだ。

「それじゃサリナ、さっさと使って行くゴフ。まだ朝だから、やれる事はやんないとゴフ!」

 トビーはそう言って帰路に着こうとするのだが、服を掴まれてそれは止められる。


「ねー、なんか遊びたい」

 トビーの服をしっかりと握り締め、紗利奈はそう言った。勇者の威厳など何処にも無い、子供のような口調だ。

「オレたちは神を倒さなきゃならないゴフ。また今度ゴフ」

 遊び盛りであるトビーも、野山を駆け巡りたい気持ちは山々だ。それでも、やらねばならない事がある。知恵の実を食べたゴブリンは大人なのだ。


「うー、わかった。あいつをぶん殴んないといけないもんね」

 納得したのか、紗利奈は立ち上がって歩き始める。その足取りは意外にもしっかりとしていて、宙に浮いていそうな意識とは逆にふらつきが全く無い。

「サリナ、酒に滅茶苦茶強いゴフな」

「つよい? ふふん、わたし強いでしょ!」


 どうだと言わんばかりに胸を張る紗利奈。自信満々な様子だが、その張られた胸はベルチェよりも平らであった。

「見た目は大人みたいなのにゴフ」

「あ? 何か今、ムカつく事言われたし変な視線感じたんだけど」

「ゴフ!? や、なにも無いゴフ! ほんとゴフ!」


 唐突に極寒の睨みを放った紗利奈に、トビーは慌てて誤魔化しを行う。

 普段なら下手くそなその言葉だが、今の紗利奈は酩酊状態。まあいっか、と流すようでトビーはほっと胸を撫で下ろす。


「……ねぇ、気になること聞いていーい?」

 歩きながら、紗利奈がトビーの背に声を掛ける。トビーも妙な事を勘繰られなくて済んだので、平常心で応じた。

「なにゴフ?」

「トビーはさー、ベルチェとティーアどっちが好きなの?」


 そんな質問を紗利奈が言ってくる。答えは即答だった。

「どっちも好きゴフよ? 大切な仲間ゴフ!」

 自信を持ってトビーはそう言う。繰り返しの中で助けてもらった大切な存在だ。甲乙など付けられるものではないのだ。

 しかし、その答えは紗利奈の求めるものではなかった。角度を変え、似たような質問を浴びせる。


「じゃー付き合うならどっち?」

「…………ツキアウって、なにゴフ?」


 ここで問題。ゴブリンの恋愛観である。

 ゴブリンの本能は、食う寝る増える。大昔は今とは比べ物にならないほど野蛮で粗雑な種族であったが、魔王による七〇〇年の太平によって社会性が向上。魔族の中では最下級ではあるが、それなりの感覚を身に付けた。


 が、発展途上な部分は多々ある。その内の一つが恋愛。

 基本的に、ゴブリンの雄と雌の感情は結婚するか否か。増えられるかそうでないかなので、その前段階の付き合うという発想が定着していないのである。

 トビーは知恵の実を食べ、様々な経験をしてきた特殊なゴブリン。けれど、そこには恋愛なんてものは一切関わってこなかった。

 一般ゴブリンであるトビーには、付き合うなんて単語が存在しないのである。


「………………これだからゴブリンはさー」

「ゴブリンを悪く言うなゴフ! オレはゴブリンに誇りを持ってるゴフよ!」

 紗利奈やベルチェの真似をして、ふんすと胸を張るトビー。それを見て、紗利奈は大きく溜息を吐くとこう言った。


「じゃあさ、結婚するならベルチェとティーアどっちなの? これならゴブリンでもわかるでしょー?」

「結婚ゴフ? そんなのオレ考えてないゴフ。母ちゃんみたいな事言うゴフな」

「あぁ、ベルチェ、ティーア。前途は多難ってレベルじゃないよこれ……」


 哀れみの色を含んだ声を出し、空を仰ぐ紗利奈。きっと出会う事はあるだろうが、その時どんな顔をしていいのか紗利奈には分からなくなった。

 諦めるしかないか。

 そんな事を考えたが、いや待てと紗利奈は自身に言う。諦めない事が大切だと、トビーから学んだばかりではないか。進む為に、出来る事はするべきだ。


「トビー、恋愛の勉強をしましょう」

「レンアイ、ゴフ? 魔法か技ゴフか?」

「ぶん殴りたいところだけど止めておく。紗利奈は我慢できるもんねー」

「え、なんでオレ殴られる寸前だったゴフか!?」


 背後から不意打ちされては堪らない、急いでトビーは振り向いて紗利奈を見る。

 そこには、腕を組んで仁王立ちする紗利奈の姿があった。

「トビー。恋愛はね、最強の力なの」

「最強、ゴフ?」

「そう、最強。どんな魔法や技よりも強いの」


 最強。それはトビーにとって魅力的な言葉だ。レンアイの意味は全く分からないが、トビーは何となく強そうな響きがしてくる気がしてきた。

「オレ、知りたいゴフ。レンアイってなにゴフか?」

「ほうほう。トビーもやる気になってきたじゃん。……まぁぶっちゃけ私もよく知らないけど」

「? なんか言ったゴフ?」

「なんでもなーい! それじゃあ家に帰りながらレッスンといきましょうか!」


 東雲紗利奈、一七歳。今まで彼氏など欠片も存在しなかった系女子の恋愛談義が、唐突に始まったのであった。

 絡み酒という単語は、きっと気にしてはいけない。

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