第11話
トビーは意識が元に戻ると、まずは自分の身体を見た。繰り返しが起きたとは言え、ほぼ真っ二つに切られたので心配になってしまうのだ。
「……無事、ゴフな。やー、良かったゴフ」
痛み止めの実を食べての無謀な特攻。どうにか成功したものの、一歩間違えれば頭から両断されていたかもしれなかったからだ。
けれども、賭けには勝った。最後の一瞬、ナイフは勇者の首を完全に断ち切り、胴と頭を永遠の分かれにさせた。生命の実があろうとも、あの高さの落下と斬首には耐えられない。
勝利した。その気持ちを胸にトビーは歩く。自分の意思ではないけれども、運命に流された動きだとしても構わなかった。
勇者と会い、そして話すのだ。
これからの事を、未来の事を。
いつもと変わらぬ道順で、トビーは目的地に到着する。そして視線を左へと向ければ、そこには人影が現れる。
旅人風のボロを着た、人間の女。黒髪黒目、ギラリと強い眼光が特徴的なその者は、しかし普段と違って目尻を下げ、呆然とした顔をしていた。
「私……負けちゃったんだね」
ポツリ、と勇者は漏らす。目の前にいるゴブリンに向かってなのか、それとも自身に向けてなのか、投げ掛ける先が分からぬ言葉だった。
トビーは少し迷い、それから答えた。
「そうゴフ。オレ、勝ったゴフ」
勇者の姿があまりにも弱々しく、本当にただの少女なのだと認識させられる様子をしていたから、慰めをしようかと思いかけた。
けれども、それは違うとトビーは自分に言い聞かせる。
勝者は勝者らしく、堂々と振舞えばいい。それに、勇者に必要なのは慰めなんて甘ったるい果実ではないと。
「そっか、そう、だよね。はは、首と身体がバイバイしちゃってたもんね……知ってる? 人間って頭が取れてもちょっとだけ意識があるんだ。実体験しちゃった」
「……どう言えばいいか困るゴフよ」
グロテスクすぎる体験談を語られ、トビーも返答に困惑する。何を言えばいいか考えていると、から笑いしていた勇者は、突然ぺたんと地面に座ってしまった。
それから、「あーあ」と空を見上げながら言い、少ししてからトビーを見る。
「負けちゃった。これで……これで、もう、私帰れないのかな。……もう家に、帰れないんだよね。最後の、戦いだったもんね」
勇者は泣いていた。目から大粒の涙を流し、手で拭う事も無くポロポロと落とし続ける。鼻水も垂れて、鼻声になりながら勇者は言う。
「……でも、何となく思うんだ。これで良かったのかもって。家に帰りたいって、気持ちは本当だけど、でも疲れちゃった」
勇者は、語り続ける。
「立ち止まったら、心が壊れちゃいそうで、だから走り続けて……。でも、さ。本当はさ、誰かに止めて欲しかったのかも。呪いの装備なんて使うなって、無理やり走り続けなくて良いって、言って欲しかったのかも」
勇者は涙を流し続ける。嗚咽は無く、言葉も止めず、ただ涙を零している。
けれど、トビーには悲しいようには見えなかった。あんなにも、美人な顔がぐちゃぐちゃになりながら泣いているにも関わらず、綺麗に見えたのだ。
晴れ晴れとした空の如く、汚れきった窓硝子を拭きあげた様に、勇者の顔は曇りの無い美しい顔をしていた。
「だから、えと、その、ね。なんて言うか、……うん」
勇者は言葉を探す。キョロキョロと、あちらこちらに視線を向けて、最後にトビーの目を見る。
そうして言った。
にっこりと、一人の少女の顔で。
「ありがとね」
そう言われると、トビーとしても言いたいことが生まれてきた。
「オレこそ、ありがとゴフ。繰り返しのお陰で色んなやつと知り合えたし、戦えるようになったゴフ。だから、ありがとうゴフ!」
ニカッとトビーは笑って返す。それを見て、勇者はぽかんと口を開けた。まさかありがとうを返されると思っていなかったので、予想外の変化球に驚いたのだ。
けれど、それも束の間。ぷっと勇者は吹き出し、口を抑えて笑い始めた。
「ぷ、くく、何でそっちがありがとうって言うの、変なゴブリン。ふふっ」
可愛らしく、本来の少女に戻ったように勇者は笑う。
涙はまだ枯れていない、しかし気にせず勇者は笑い続ける。
ひとしきり笑い終えると、勇者はゴシゴシと袖で涙と鼻水を拭く。
そうすると、そこには瞳に光が戻った少女が居た。女の子座りをして、ふぅと気を抜いている。
こう見ると、本当に普通の人間なんだなぁとトビーは思った。最初に出会ったときは、この世の者とは思えない恐怖の化身だったが、今は何てことは無い。
ただの弱い人間。ゴブリンよりちょっと強いだけの、同じ生き物だ。
そんな少女は、「あ」と言い、口を開いた。
「そうだ。私、言いたい事があるんだった」
「言いたい事、ゴフ?」
トビーが頭にハテナを浮かべていると、勇者はじっとりとした視線を向けてくる。
「殺されたことは怨んでないけどさ、女の子の首を切るってどういう事!? ゴブリンには優しさとかそういうの無いわけ!? それに、目に土入れるとか最低! 女子に土ぶつけるとか小学生じゃん! 鼓膜も破るし、何すんの!」
今までの雰囲気は何処に行ったのか、一転して怒号を浴びせてくる。
トビーも言われっぱなしなゴブリンではない。寧ろ喧嘩は言い値で買うのがゴブリンである。負けじと言い返す。
「あんな鎧着てるんだから首を落とすしかないゴフ! 目も耳も、邪魔できるもんは全部やるゴフな! 勝てばいいゴフ!」
「やっぱゴブリンって野蛮じゃん! なんでそーゆー事するのにベルとかティアに好かれるのかなぁ、全然意味分かんない!」
「なんでベルとティアが出てくるゴフか! そもそも会ったことも無いだろゴフ! 勝手な事を言うなゴフ!」
「勝手じゃない! 女子には女子なりの気持ちが分かるんですー」
「……雌って本当面倒ゴフな」
「今小声でなんて言った!? 最低、そういうのって最近は嫌われるんだからね。男女の差とか、ゴブリンには難しくて分かんないかなぁ」
静かな森には似合わない言い合いが応酬される。互いに記憶を共有しているだけに、言葉はスラスラと出続けた。
どれだけ言葉を重ねただろうか。喉が渇くほどに喋り続けてから、漸く止まった。
無言の時間が少し経ち、先に口を開いたのは勇者だった。
「…………はぁ、私、どうしようかな。結局、繰り返し自体は止められないんだよね。この力って、私の意思じゃなくても勝手に働くし」
これからの事を、勇者は考えた。もう呪いの力を使って魔王を倒そうとは思っていない。その憂いは、トビーが絶ったのだから。
けれど、問題は解決していないのだ。繰り返しは神の力。自身が行おうとしなくても、魔王が神になる前に最初の日まで戻されてしまう。
「ああ、そうゴフ。その事を言いたかったゴフな!」
勇者の言葉を聞いて、トビーは思い出す。うっかり口喧嘩に意識を取られてしまったが、本題がまだなのだ。
言うべき事、やるべき事を、伝えなくてはならない。
「勇者、オレはお前を殺した、けど殺しきれないゴフ。繰り返しの力があるから、絶対にどうやっても殺せないゴフな」
やっぱりゴブリンは勇者を殺せないのだろうか?
その答えは、是である。
繰り返しの力、その神による絶大な能力は、ゴブリン如きでは突破できない。殺しても終わりはなく、ただ最初に戻るだけ。
永久の螺旋の中を、ぐるぐると回り続けるだけだ。
「…………そう、ね。さっき殺されたけど、こうやって元通りだし」
「でも、ゴフ。オレにも出来る事はあるゴフ」
ゴブリンに勇者は殺せない。それは紛れも無い事実。
けれども、そうだとしても、トビーには一つだけできるのだ。
「勇者、いや、サリナ。オレと一緒に行かないゴフか? ずっと一人じゃ寂しいゴフ。だから、オレも一緒に居てやるゴフ」
トビーは勇者に歩み寄り、手を伸ばした。座っている少女へ、小さな緑色の手をぐっと伸ばして、その手を開く。
「それで、もし来てくれたら、」
トビーは、真っ直ぐに少女を見つめ、言う。
「あのムカつく神をぶん殴りに行こうゴフ!」
その顔は自信に満ちていた。何の躊躇いも障害も無く、それがこれから起きるのだと、事実になるのだと確信しているかのような表情だった。
諦めず、邪道に手を染めず、真っ直ぐに走ってきた者の言葉だった。
勇者には、その輝く心はあまりにも眩しすぎて、少女には、羨ましい存在だった。
だから、そんな光につい手を伸ばしてしまった。
出された右手に、少女は自分の手を重ねる。
それから、こう言った。
「……ほんと、馬鹿なゴブリン」
トビーはこう返す。
「ゴブリンはそういうもんゴフ」
そう言われると、少女は頷くしかない。
「知ってる。……ねぇ、出来ると思う? 神をぶっ飛ばすなんてさ」
「きっと出来るゴフ。諦めなければ、絶対ゴフ」
トビーは即答した。
そうされてしまうと、不思議と「じゃあそっか」と思いたくなってしまうと少女は思った。このゴブリンには、そんな妙な力があるのだ。
「……うん、行く。一緒に行く。お前……じゃないか。トビー、一緒に行かせて。私だって、あのムカつく神に一発入れてやりたい」
ギュッとトビーの手を握り、少女は、いや紗利奈はそう言った。自らの道を見つけ、これからの未来を見出した紗利奈は、もう何かに流されるだけの存在ではなかった。
「あ、でも」
立ち上がろうとした寸前、紗利奈は思い出したように言う。
それは、紗利奈にとって重要な事だった。決して言い忘れてはいけない事だ。
「私、チョロくないから。簡単に落とせるなんて思わないでね」
そう言って唇をキュッと閉じ、紗利奈は上目がちになった。先程まで泣いていたからか目は赤く、頬も朱に染まっているが、紗利奈に他意は無い。
そんな紗利奈を見て、トビーは言う。
「ちょろいって、なにゴフ?」
はて、とトビーは分からぬ単語を考えてみる。チョロチョロしてそうだからネズミの一種か? と想像していると、「なんでもないし!」と言って紗利奈は立ち上がる。
「で、これからどうすんの?」
「それなら考えてあるゴフ。まずは――」
「まずは、ボクと話でもしていかない?」
トビーと紗利奈は、何も感じなかった。
声がして、それがすぐ隣からだと気づいてから、漸くその存在に気が付いた。
白い衣装、真っ白な肌や髪、色が付いているのは青の瞳だけ。浮世離れしたそれは、微笑みながら話しかけてくる。
「どうしたのかな? 何か不都合でもあった?」
神、ナレアス。
繰り返しの切っ掛け。
全ての原因。
諸悪の根源が、現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます