第10話
トビーの喉元を狙った突きが放たれる。普段なら移動してかわす所だが、今は鎖が邪魔をして自由に動けない。自身の力で受け流すしかない。
「オルド流【戦舞】御形、ゴフ!」
オビーから貰った分厚いナイフは、普通のものより耐久度が優れている。呪いの剣だとしても、後方へ受け流す分には破壊される事無く役割を果たした。
「完璧な受け流しにカウンターも持ってるって、卑怯じゃん。でも、こういう攻撃への対処は、オルドンは教えてくれなかったでしょ」
言いながら、勇者は右足をぐっと後ろに下げた。
鎖で繋がれているトビーは、嫌でもそれにつられて勇者へと引き寄せられる。じゃらりと音を鳴らしながら、つんのめる様にトビーは移動させられた。
そうして、良い感じの位置まで来たなと勇者は思い、蹴りを放った。
右足で、トビーの鳩尾を目掛けて全力で。
ドスンッ、と肉を叩く音がトビーの腹から響き渡る。
「ゴフッ、けど、分かってる攻撃なら流せる、ゴ、フウッ!?」
あまりにも分かりやすい蹴り。その程度ならば、強化されていたとしても致命傷にならないように受け流す事がトビーには可能だ。
でもそれが、何度も続けば? 蹴りだした足を即座に引き戻し、繋がれたゴブリンを引き寄せて蹴る。離れたらまた戻し、蹴る。蹴る、蹴り続ける。
それを何度も、鎖が自壊するまで。トビーが死ぬまで延々と続ける。
まるで縁日の水風船みたいだ、なんて勇者は考えていた。比喩でもなく直接的にゴブリンを蹴り続けながら思う勇者は、悪逆非道なんて言葉ではとても足りないだろう。
全身を揺さぶられながらの蹴りは、御形を習得したトビーとて簡単に流せるものではない。命に至る怪我ではないが、確実に身体の芯へと痛みが蓄積される。
これは、このままでは確実に死ぬ。そう感じるトビーは、決死の行動をした。
小石のように弄ばれるが、無理やり意地でも体勢を整える。直立に、ではない。蹴り飛ばしに来る足を迎撃できるようにである。
「グ、ガ、山茶花、ゴフッ!」
ナイフを振るう暇は無い。トビーはその全身を使い、鎖に引き寄せられる力を利用して勇者のつま先へと力を一極集中させる。
傍から見れば体当たりと蹴りがぶつかり合った様に見えただろう。球を蹴飛ばすように見えたかもしれない。
だがその結果は、蹴った側が後退させられるという、普通に考えれば意味不明な戦績として現されたのであった。
「……チッ、やっぱ厄介ね、山茶花は」
「あ、危なかったゴフ。とんでもない事するゴフな、勇者」
互いに鎖の長さギリギリ、一メールルの距離を離して睨みあう。
トビーは自身の状態を感覚で把握した。致命傷ではないが、治療を受ける必要のある怪我を負っている。肋骨は折れ、内臓にも負荷が相当に掛かっている。
痛みは関係ない。トビーはそう判断し、現状を打破する方法を模索しようとする。
「……最悪、ゴフな」
主力である高機動は鎖で封じられた。膂力は勇者に敵わない。一撃で必殺をしようにも、腹は一度切ったので鎧で塞がれているし、一歩分の勇気は――、
「この鎖で繋がれてる以上、一歩分の勇気は使えないでしょ? 踏み込むか唱えた時点で先に蹴り飛ばせばいいだけだし、そもそも短い距離じゃ発動そのものが大変。そんな事考えてるんじゃない?」
その通りゴフ、とトビーは心の中で呟く。
一歩分の勇気、その魔法は加速するしか取り得が無い。そして、踏み込んで蹴りだす動作が必要なので、一メールル以下の状況では発動が難しい。
勇者の反射神経ならば、踏み込もうとした瞬間に蹴り飛ばされて終わりだ。無防備なところにまた蹴りを受け、さっきと同じ状態に持ち込まれる。
記憶の共有が悪い面で出ていた。トビーは勇者の弱点を知っているが、勇者もまたトビーの欠点を把握している。
出来る事といえば、不意打ち。そして事前に準備した物のみ。
その悉くは使ってしまい、今のトビーに残されたのは、普通のゴブリンには無い魔力量、そして魔法のみ。
勇者を殺すには、首を一瞬で飛ばすか、鎧を貫通して胸を貫くしかない。
そのどちらにも最大の加速が必須となり、それが封じられているのでは必殺のしようがない。
もはや、青空を見上げて降参するしかないのか。
そんな事をトビーは考え、
「あ、ゴフ」
ふと、思いついた。
「そうゴフ。それなら、どうにかなるゴフ」
刹那の閃き。ただの偶然ではあるが、一つだけ、方法を思いついた。
「……なら、気合でどうにかするしかないゴフな」
右手にオビーのナイフ、左手に対魔コーティングのナイフを持ち、勇者に攻め入る姿勢を取る。それを見た勇者は、ゆらりと黒剣を正眼に構える。
「連鎖緒死を使った時点で私の勝ち。ホントならもっと早く使いたかったけどね」
「言ってろゴフ。勝つのはオレ、ゴフ」
「そっちこそ。絶対に、私が勝つ。それで全部終わらせる」
「違うゴフな。これで終わらせて、それで始める、ゴフッ!」
言い終えると同時、トビーが動く。左手に持った対魔コーティングのナイフを、勇者へと乱雑に投げつけた。
飛び込んでくると予想していた勇者は当てが外れ、若干の戸惑いが生まれる。
けれど、対応が少し遅れるだけ。左手の手甲で軽く弾き、トビーへと黒剣で斬りかかった。
「攻める、ゴフ! オルド流【戦舞】銀竹ゴフ!」
身長差によって振り下ろし気味に放たれた勇者の斬撃を、トビーは下からの振り上げでかち合わせる。両手で大型ナイフを握り締め、三連撃で勇者の一振りを止める。
「そんで、蹴らせないゴフな! 霧雨、ゴフ!」
装甲の無い部位、太ももを狙って回転切りを放つ。鎖が身体に巻きつくが関係ない。全力で、この一振りで足を切り落すかのように振り抜いた。
「それなら、こう!」
鎧や魔法で膂力を向上させようとも、勇者は生まれつき運動が得意な訳ではない。
よって瞬発力に欠け、紙一重で回避するなんて芸当は不可能なのだ。
それでも、多少の遅れならばピンチをチャンスに変える方法がある。
戦士の崩鎧、その能力を活用すれば良いのだ。
ほんの少しだけ、勇者は足を引いた。寧ろそれが限界で、突発的な動きとしては勇者の最大限であった。
ナイフは太ももを撫で切る。付与能力によって硬化した肌は、ゴブリン程度の力で断ち切れるほどか弱くない。浅く入った程度ならば、骨まで達するなんて有り得ない。
分厚いナイフだからか、幅の太い線が右太ももの真ん中辺りに描かれた。だが、そこまで。戦士の崩鎧は傷を感知して新たな装甲を生み、成長した事によってより強力な身体強化のエネルギーを勇者に与える。
「これくらい、私には通じない!」
「まだまだゴフ!
トビーは初級の風魔法を雑に発動、いつもの風の球を周りに漂わせる。ついでにオルド流の連撃技、五月雨を身体に命じる。
振り下ろしからの左右へ四回の振り払い。それに対して、勇者は剣を縦に構えて防御姿勢を取った。全てを打ち返す必要は無い。少しだけの傷ならば、鎧を成長させる餌になり得るのだから。
鎧で守られていない部分に傷が生まれる。少々深く入ったが、生命の実を食べている勇者は掠り傷で死ぬ事はない。
傷が出来たので鎧は宿主を守る為に成長、ほぼ全身を固める鎧へと成り上がった。
「戦士の崩鎧、大体は成長しきったかな。これでお前の攻撃、もう私に届かないんじゃない?」
完成形の戦士の崩鎧、その姿は気色悪いとしかトビーには思えなかった。そもそも、戦士の崩鎧が最後まで成長しきるなど勇者の記憶でも数が少ない。怪我をすれば繰り返しをしてしまうし、それ以前に次の鎧へと乗り換えてしまうのだから。
触手が全身に取り付いているとしか思えない、異様なその全体像。身体の上に別の生物が寄生しているかのような、
装備者を精神ごと汚染する鎧を着込んだ勇者は、しかし正常な意識を保ったままに言葉を紡ぐ。
「殺して欲しければ楽に死なせてあげる。さあ、死に方を考えて」
血茨の剣鞭を構え、勇者は悠々としていた。それは当然で、もうトビーには出す手など無いのだから。ゴブリンが身体強化の魔法を使っても、鎧は壊せない。
「まだ死ねないゴフな。
トビーは圧倒的な力を持つ勇者を前にしても、決して臆さない。諦めず、風の魔法を唱え続ける。風よ嵐よと、暴風を巻き起こすかのように風の球を作り出す。
「そんな初級魔法、耐性が無くても無意味。お前が諦めない奴だって、私も知ってる。だから、そう、一息で殺してあげる」
勇者の頭の中には、トビーの繰り返しの記憶が入っている。その中で、このゴブリンはずっと諦めなかったのだ。どんな強敵を前にしても、死が目の前にあったとしても、絶対に勝つまで繰り返し続ける。
しかし、今は違う。繰り返しは意味を成さない。
これが、お互い最後の戦いだ。
勇者は剣を頭上に高く掲げた。一刀で頭の先から股まで切り裂く太刀筋。それを行う為に、全身の力を刃へと集中させる。
けれど、それを前にして、トビーはこの場にそぐわない妙な行動をした。勇者には、そうとしか思えなかった。
大きく手を広げ、ギュッと勇者を抱き締めたのだ。鎧を両腕で抱えるようにして、決して離さないぞと言うかのようにトビーは勇者を掴んだ。
「え、いきなり何?」
勇者の思考が止まる。今まさに下ろそうとした剣の事を忘れ、つい胸の辺りに抱きついているゴブリンへ問い掛けた。
答えは、こうだった。
「勇者、空ってどういう気持ちなんゴフかな」
トビーはにっこり笑顔で上を向き、そして言う。
「ちょっと行ってみようゴフ」
「へ?」
素っ頓狂な声が勇者から漏れる。それは可愛らしい、勇者ではなく少女の声だった。
瞬間、猛烈な爆風が生まれる。周りから、先程トビーが作り続けていた風の球から。
「お、お前、まさかでしょ!?」
焦りの声が奇妙な兜の中から聞こえてくる。それを聞きながら、トビーは唱える。
「多分その通りゴフ!
トビーは、今日一番の大声で叫んだ。
「
トビーは大地を踏みつけた。いつもならそれは、前に突き進むための大きな一歩。
けれども、今回だけは違う。
広がる空へ、飛び立つ為だ。
トビーの右足に嵐が宿る。躊躇わずしゃがみ、跳ねるように地を蹴り飛ばす。
音すら遅い世界が生まれた。星の加重が掛かり、生物に制限をかけるかのようにミシミシと全身に軋みを与える。
けれど、もう遅い。既に飛び出しているのだから。
視界は緑から一気に青へ。高く高く、トビーと勇者は空を目指す。
トビーの力では超加速しつつ勇者を持ち上げ続けるなんて不可能。だが、今は鎖で繋がれた状況。手を離していても、無理やり運ぶ事ができる。
次第に速度は落ち着き、ついには加速が終わる。一瞬の、それこそ瞬きする間すらない時間で、二人は大空に移動した。
風の魔法を受け、一歩分の勇気を使い、到達したのは高さ一〇〇メールル。勇者の記憶を頼りに計測すると、三〇階建てのビルに相当する。
眼下に映るは森の景色。所々木々がなぎ倒されている部分もあるが、殆どが緑一色だ。そして、落ちる予定の場所は土だけ。木のクッションなど存在しない。
「お、おま、このゴブリン! お前馬鹿でしょ!?」
「さ、後は落ちるだけゴフな」
勇者の絶叫には耳を貸さず、トビーは空中で器用に体勢を変える。そうは言っても宙に浮いているので、大した事は出来ない。
精々が、勇者の首筋、鎧と兜の間に刃を入れる程度だ。
落下のエネルギーを使い、刃へ一極集中で首を断つ。これが、トビーが思いついた勇者殺しだ。踏み出せないのなら飛び立てばいい。
三〇階建てのビルから落下し、地面に到達するには約二秒掛かる。そんな情報を勇者は持っていたが、果たしてそれがどれだけ役に立つのか。
いや、意味はあった。二秒あれば、先にゴブリンを殺すなど造作も無い。
「先に、お前が死ね!」
勇者は力を振り絞り、黒剣をトビーへと無造作に振るう。頭の上に掲げたままの剣を、思い切り下へと振り抜いた。
臓器が持ち上がる気色の悪い感覚に苛まれながらも、勇者の行動は成功した。
トビーの身体の左側、左腕と左足を綺麗に切り飛ばす事が出来たのだ。
もはや肩口から股まで裂くような太刀筋で、黒剣はゴブリンを切り裂く。
生物ならばあまりの痛みにショック死しかねない大怪我だ。
勝った、と勇者は僅かに口角を上げる。
トビーはそれを受け、
笑顔で、こう喋った。
「痛くないゴフ。オレ、さっき痛み止めの実を食べたゴフな」
それは、艶々した黄色い木の実だった。
以前、集落から城下町へと移動するのに、強行軍をするためにロロノから貰った事のある木の実だ。
少し前に、トビーが耳栓代わりに耳に入れ、そして食べた木の実でもある。
痛くない、は半分嘘だった。本当はかなり痛い。麻酔効果のある木の実とは言え、所詮は精製されていない物。痺れと共に灼熱の感覚が脳を支配する。
それでも、何も問題は無い。
もう、結末は目の前まで来ているのだから。
「変則、我流【戦舞】風華繚乱ゴフ!」
上空からの落下。時速一五〇キロにも及ぶその速度の力を、トビーはナイフの刃へと集中させる。落下の衝撃も加え、例え鉄であろうと切り裂く一撃。
砲が着弾したかのような爆音が、森に響き渡った。
両者を繋いでいた鎖が、役目を果たして崩れていく。土塊に還るように、ボロボロと表面が砕け、音も立てずに消滅する。
一陣の風が吹き、さらりと鎖だったものを運んでいった。花びらのように、高く空へと運んでいく。
勝者は絶叫する。
「痛ッッッたいゴフ!! 滅茶苦茶に痛いゴフ!!」
大の字に寝転がり、いや半身が欠如しているので文字通りとはいかないが、空を仰いでゴブリンは咆哮した。
空は青い。先程までそこに居たのが嘘かのように、一点の曇りもない。
意識が薄くなっていくのを、トビーは感じていた。それは怪我のせいもあるだろうが、きっと違うと思った。
だから、目を瞑る前に、トビーは声高に宣言するのだ。
「オレ、勝ったゴフ!」
世界が白に包まれる。意識も飲み込み、全ては繰り返される。
目が覚めれば元通りだ。だが、変わるものもある。
始めるのだ。ここからが、トビーの戦いの結末。
その終着点で、始発の場所。
終わりで、始まりだ。
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