第9話
「……けど、オレもやられるだけじゃないゴフ!」
服のポケットから、用意していたものを取り出す。それを準備して――と、手元を動かしていると、勇者はこんな事を言った。
「生命の実さえあれば、呪術だって何度でも使えるんだよね。『邪鬼の封縛』!」
直近で身に覚えのある魔法が発動された。トビーの全力でも振りきれない速度で目標物を永遠に追尾し、その身動きを封じる呪いの魔法。
負の効果として発動者は耐えがたい苦痛と傷を受けることになるが、傷は生命の実で上書きし、苦痛は気合で無視する勇者には何てことは無い。
「捕まれば、そこで終わり! 私の勝ち!」
紫の魔力が勇者の左手に集い、悪しき縄が意思を持つかのようにくねり、生まれる。
勇者の体中から血が飛び出るが、痛がる素振りも悶える様子も全く無い。構わず、生み出した縄をトビーに向けて放り投げる。
尋常ならざる速度で縄は飛翔する。まるで蛇のように宙を泳ぎ、瞬きの内にゴブリンを締め上げる事だろう。
だが、トビーも使われる事を考えていない訳ではない。その上、勇者の記憶で使用側の感覚も理解しているのだ。対応策は用意してあった。
風の球を三つ作り出し、一つを破裂させて急加速。後ろ跳びの様にして縄を視界に収めつつ距離を調整し、二個目を背後で破裂させる。
ほぼ停止に近い状態となったトビーは、縄が寸前に来るまで待つ。掴まれる、そう感じる直前に最後の風の球を破裂させ、下を潜り抜た。
邪鬼の封縛は対象に触れた瞬間、巻きついて動きを止める。対象よりも明らかに小さな物には反応しないので、枝で変わり身をするのは不可能だ。
だが、大きなものならば問題ない。例えば今、縄が突撃しかけている大木なんて、まさに丁度良い。
高速追尾の捕縛は、使い勝手が物凄く良い。だからこそ乱用したくなるが、障害物の多い森の中では無効化もされやすい。対処を知っている者ならば、尚の事。
「オレのすばしっこさはお前も知ってるゴフ。それくらいじゃ甘いゴフ」
言いながら、トビーは風の球を補給する。自身の周囲に五つ、勇者を囲むように五つ散らばらせ、戦いの準備を整える。
「私も、お前の戦い方は知ってる。一歩分の勇気、アレを使われても良いように考えてあるしね」
血茨の剣鞭を剣状態にして、勇者はそう告げる。だが、トビーは無視した。聞こえていないかのように、全神経を集中させる。
そして、飛び出した。二個の球を使い、猛烈な速さで勇者へと接近する。
鞭を使われると近寄れない、剣を使われると受け流せない。
ならば、高速で翻弄し、隙を作る。トビーに出来る事はそれだけだった。
勇者の剣は間合いが約一メールル。その範囲に入る前にトビーは手元の風の球を爆ぜさせ、剣を持たない左手側へと駆け抜ける。
地面にほぼ接地せず、半ば宙を浮くかのように小柄な者が移動。それは勇者といえど視界に収めるのを気を付けなければ見失うほどだ。
その為、突然に背後から飛んできた風の球に注意が向けられない。
「ッ、不意打ち、か!」
寸前で気づいた勇者は、左手で風の球を受け止める。大した威力の無い初級の魔法であるが、素手で受ければ多少の血は流れた。
怪我をしたことで戦士の崩鎧の能力が発動。手首を少しだけ守っていた飾りのような装甲が、ぐちゃぐちゃと音を鳴らしながら変形し、左手の手甲となる。
勇者の視線が逸れた事で、トビーは好機と見た。残っている二つの内、一つの風の球を後ろで追い風に変え、勇者の頭を目指して飛び上がる。
「これでどうゴフか!」
右手で持った大型ナイフを左から右へと切り払う。けれど、勇者もたかが初級魔法で止められる存在ではない。その膂力を活かして体の向きを迅速にトビーの方へと直し、ナイフを受け止める位置に剣を構える。
だが、ナイフは剣に当たらなかった。
そもそも、トビーはそこまで近寄っていない。
「残念、こっちゴフ!」
ナイフを右に振り払うと同時、左手を同じように動かす。途中、勇者の顔の前辺りで手を開き、握っていた物を浴びせた。
「っ、つ、土!? ぺっぺっ、最悪、目潰しなんてする!?」
先程、草むらに入って準備していたものうち、一つがこれだった。目潰し用の土を手に握っておく事。オビーから習った目潰しの方法だ。
ゴブリンに卑怯なんて言葉は無い。最終的に勝てばよいのだ。
だからこそ、勝つ為には重ねて悪辣な手段を講じる。
「もいっちょ、これも食らえゴフ!」
一端着地したトビーがもう一度ジャンプする。右手に大型ナイフ、そして左手には対魔コーティングのナイフを持ち、勇者の顔寸前まで寄る。
「見えなくたって、適当に振れば!」
「遅いゴフ!」
勇者が黒剣を乱雑に振り乱す、その直前。トビーは左右からナイフを交差させた。
勇者の首を刈り取るため、ではない。ゴブリンの力では、強化されたその肌や骨を一瞬で断ち切るのは不可能だからだ。
だから、切るのは別の物だった。
勇者の耳元に移動させた、ふわふわと浮く球体。
トビーが手元に残していた、最後の風の球である。
ギィイイイン!! と金属が衝突する甲高い音が鳴り響いた。それも、勇者の鼓膜を破裂させる大音量で、だ。
発想の元は闘技場での司会が使っていた風魔法だ。風に乗せて声を闘技場中に響かせていたが、それを妨害用にしてみたのである。
一度食らったオビー曰く、脳みそから弾けたかと思った、とのこと。その時はまだ手加減をしていたが、今回は全力の爆発。威力は比べ物にもならない。
耳から血を噴出し、勇者が狼狽する。攻められては危険だと感じたのか、剣を振り回しながら適当な方向へと飛び退った。
傷を付けられたと気づいた戦士の崩鎧は、顔を守る兜を生成する。ぐじゅりぐじゅりと、触手のように顔を覆っていった。
気持ち悪い様子だが、だからと言って攻め手を抜くようなゴブリンではない。深く踏み込んで勇者へと駆ける。
「まだ、もっとゴフ!」
周囲に散らせておいた四つの球を、勇者の周囲へと近寄らせる。それに自ら突っ込み、破裂させて追い風に乗った。
身軽さを活用した高速移動で勇者の背後へと迫る。そして、まだ鎧で守られていない右脇腹へと大型ナイフを一閃。
「オルド流【戦舞】霧雨、ゴフ!」
身体を一回転させながらの切りつけ。その一撃が服を裁ち、肌へ真一文字の傷を作った。強化の術と鎧の付与効果を受けている勇者の身体は硬い感触がしたが、噴出す血を見るに浅くない傷跡を残せたはずだ。
「……ッ、それなら、『瀉血治癒』っ!」
トビーがもう一度剣戟を行おうとした時、勇者は下がりながら剣を左腕へと向けた。
そして、撫でるように軽く引く。左腕から、少なくない量の血が流れる。
だが、その血は地面へと滴らず、粒子となって舞う。勇者の顔付近に赤い煌きとなって漂ったかと思うと、その耳や眼に吸い込まれていった。
自ら傷つき流した血液の分、他の部位を治癒させる魔法『瀉血治癒』。
ごく一部の治癒術師が使う特異な治癒魔法であり、死ぬよりマシな状態の患者の為に使われる呪術である。腕を落として内蔵を再生させる、といった使い方が良く知られているか。
その為、破られた鼓膜や異物の入った眼を治療する、なんて簡単だ。無論、通常の治癒魔法でも十二分に治せるが、即効性の差で勇者はこちらを優先した。
閉じられていた眼が開き、耳が音を再び取り入れる。
流血は多少あるが、生命の実によって無に等しい。失血死など有り得ないのだ。
「よくもまぁ、色々とやってくれたじゃない」
黒剣を構えなおし、勇者はトビーへ怒りの声を向ける。けれども、トビーはキョトンとした顔で反応が無かった。
「…………あ、忘れてたゴフ」
いそいそとトビーは両耳に指を突っ込み、ポンッと何かを取り出す。それは、黄色い艶々とした木の実だった。
「音でオレも危ないから、木の実を突っ込んでたゴフ。や、忘れてたゴフな」
ぴょいっと木の実を口に放り込み、咀嚼して飲み込んだ。舌が痺れるような甘さがあり、それなりに美味しかった。
「……本当、馬鹿にしてくれるじゃん。じゃあ、今度はこっちから行くからね」
こめかみに青筋を立てながら、勇者が怒りの声を発する。それを聞いたトビーは、やっぱり怒った、と思いつつもまた『邪鬼の封縛』を使われない為に再接近して攻め立てようとする。
三つほど風の球を補給しながら、トビーは勇者の死角に回るようにして移動。何が来ても良い様に、と体勢を整えていると、勇者はニヤリと笑う。
「どうせ近寄ると思った。『連鎖緒死』そのゴブリンを捕まえて」
「なっ、なんでその呪具を持ってるゴフッ!?」
ズルリと、勇者の腰に付いた皮袋から金属の鎖が出てくる。生を感じさせる動きで一方の端を勇者の右足首に、もう一方をトビーの右足首に巻きつけると、何事も無かったように沈静化する。
それは、トビーの記憶では【二〇日目】に手に入れるはずの呪具だった。
一メールルの鎖であり、相手を指定する事で自身と強制的に結びつける呪具。どちらかが死ぬと自壊し、それ以外の手段では絶対破壊不可能な、呪いの鎖だ。
「連鎖緒死は、本当なら二〇日目に『寂れた魔法具屋の店主と会話し、欲しがっているアイテムと交換する』と手に入る呪具。そうよね?」
「……オレはそう覚えてるゴフ。八日目じゃ手に入らないやつゴフ」
「でもさ、仕舞ってある場所は知ってるよね? なら、堂々と貰いに行けばいいだけって、そうは思わない?」
そう、勇者は『この繰り返しの世界では魔王は倒せない』という部分を逆手に取り、『何をしても良い』と考えて行動していた。
だからこそ、王国兵に追われるとしても、やり直すのだから盗めば良い。
近くにあるのならば、力ずくで手に入れれば良いだけなのだ。
「……お前、本当に勇者ゴフか?」
「私のいた世界ではね、昔から決まってるの」
勇者は黒剣の刃先をトビーへと向けながら言う。
「勇者は村人の物を盗んでも良い、ってね」
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