第8話
互いに飛び出しての剣戟、最初の一幕は勇者の勝利であった。圧倒的な膂力で黒剣は薙ぎ払われ、トビーは大型ナイフで迎え撃つも跳ね飛ばされる。
三メールル程の距離を浮かされたが、トビーも勇者も別段気にはしない。
予想通り、といった顔でトビーは着地する。力試しにかち合ってみたが、勇者の装備は想定の範囲内だ。だからこそ、初撃で殺されなかった。
勇者が収集した呪いのアイテムは、恐らく五つ。鎧、剣、それと細かな呪具だ。どれもトビーは記憶の中で見ていたし、対策も考えてある。
『戦士の崩鎧』アルラウン王国、その城の下層に封印されていた呪いの鎧。現在、勇者が纏っている物。関節や臓器を最低限守れるように、小さな黒い装甲が幾つかに分かれて付けられている。
その能力は『筋力上昇』『狂化』をベースに、面倒な力を一つ備えている。
そして武器である剣『血茨の剣鞭』も厄介であった。柄に薔薇の意匠が付けられ、刃渡り八〇セルチの黒い長剣。そのまま振るっても大量生産の剣など比べ物にならない切れ味であり、使い勝手も非常に良い。
手に入れる方法も死した刀匠の墓を掘り起こし、亡骸が装着しているのを奪うだけなので、特別な手段を用いる必要も無く簡単な部類だ。
そして、問題はその特殊能力。
その力が今、発揮されようとしていた。
「この剣を使うのは予想出来てても、避けるのは難しいでしょ!」
勇者は言いながら、黒剣に魔力を注ぐ。ドクリと鼓動するかのように飾りの薔薇が脈動し、封じられていた所以である能力を開花させる。
ブシュリと薔薇から蔦が、いや茨が生まれる。トゲを無数に携えたそれは何かを探し求めるかのように宙をうねり、そして目的の物を見つける。
勇者の腕だ。軽鎧では隠しきれていない前腕部に巻きつき、抱き締めるように茨を絡ませる。トゲによって腕から血が滴り、茨を潤していく。
同時、剣本体にも変化が生まれた。
赤い線が幾つも刀身を走り、昆虫の節のように分かれる。勇者はそれを一瞥すると、大きく振りかぶった。
勇者が黒剣を一閃する。だが両者の距離は三メールルで、その刃は明らかにレンジ不足だ。しかし構わずに、勇者は剣を振るう。
「……逃げるゴフ!」
トビーは背を向け、敏捷に任せた速度で大きな木の後ろへと回る。太さ八〇セルチはある立派な物で、良い斧でもそう易々と倒れないだろう。
だが、そんな巨木はトビーがしゃがみ込んだ瞬間、異音を立てて両断された。
「やっぱり森だと扱い難いかな……。まあ、切れば問題ないけど」
一瞬で切り株となった巨木を背に、チラリとトビーは勇者を見る。自信満々といった顔で、こちらに歩み寄っていた。
手には、その身長よりも明らかに長い鞭を持って。
『血茨の剣鞭』その能力は、魔力を込めて血を捧げる事で解放される。
通常ではただの剣の姿をしているが、その本性は鞭。蛇腹のように分かれ、五倍ほどの長さに伸びて相手を切り刻むのだ。相応に技術が求められるが、何度も繰り返しの中で使っていた勇者には問題が無い。
勿論、呪いの品なので欠点もある。求める血の量があまりにも多すぎて、普通の人間では干からびてしまうのだ。剣は満足するまで茨を離す事が無く、確実に失血死してしまう曰くつきの剣。
けれど勇者は生命の実を食している。溢れ出る生命力によって血は補填され、血は流れたとしても死ぬ事はない。痛みはあるが、そんなもの勇者には些事だ。
使われる事は分かっていたが、だからと言って回避する方法がある訳でない。トビーにとって、血茨の剣鞭は天敵であった。受け流しをしようにも鞭は柔軟に相手を絡めとり、巻きついたと同時に切り刻むのだから。
射程は長いが、弓のような長さは無い。トビーは急いで立ち上がり、森の中を木々を縫うようにして走り出した。
背後から樹木を切り倒す騒音が聞こえてくる。中距離を得意とする鞭は、乱雑に木が生えている森の中ではその真価を発揮できない。だからこそトビーはあっちこっちと走り回っていた。
「まだゴフ、もうちょっと、ゴフ!」
逃げ回るトビーだが、無策な訳ではない。目的場所へ、誘導しながらの逃げだ。
静かなはずの森で轟く音に、小さな動物が散り散りとなって駆けて行く。それらを飛び越えるようにしながら、トビーは走り続ける。
そして、着いた。予定通りの地点へと。
「今ゴフ!」
トビーは突如、通りがかった獣道でナイフを振る。そこにはピンと張られた長い蔦があり、切られた蔦はするすると上へ登っていく。
蔦はトビーの頭上にある木の上まで上がり、代わりに別の物が現れた。
「丸太!? く、罠なんて使うの!?」
吊るされた丸太が、振り子のようにして突然に勇者へ向かって襲い掛かる。トビーが事前に用意しておいた簡易的な罠だ。蔓を切れば落ちてくる、只それだけの物。
勇者の着ている鎧には、大した傷も付けられないだろう。それでも、勇者は丸太に眼を奪われる。
その隙に、トビーは木の裏に回り、草むらに紛れて身を隠した。緑の肌で眼を騙せる様に草を掻き分けて移動し、勇者の背後へと移る。
策は見事に嵌り、勇者は丸太を迎撃するようだ。鞭を剣の姿へと戻し、両手で構えて上段から断ち切るつもりである。
パンッ! と気持ちの良い音を鳴らしつつ、丸太は分断された。勇者は怪我一つ無く罠をやり過ごし、何時の間にか消えたゴブリンの姿を探す。
「一体どこに、ッ!?」
勇者が辺りを見回している、その時。背中に痛みが走る。気配を消しつつ、姿を眩ませて移動したトビーが、ナイフを一振りしたからだ。
戦士の崩鎧は軽鎧だ。重要な部位以外は守っていない。だから、装甲のない背中は丸裸も同然。鎧下の代わりに来ていた服は、何の障害にもならずに切り裂かれる。
「予定通りゴフ、グッ」
トビーは作戦の成功に言葉を漏らすが、その最後は呻きが混じっていた。
「……やっぱり持ってたゴフな。『共愛恋花』ゴフ」
「手の内はお互い知ってるのは当然か……その通りよ。だから、わざと薄く切ったんだ。面倒な事してくれるじゃん」
勇者は振り返りつつ、腰に付けた皮袋から一輪の花を取り出す。小さな桃色の可憐な花で、見る見るうちに萎んで枯れていった。
『共愛恋花』。魔獣の蟲毒と呼ばれる大穴の底に咲く花の名称だ。
その能力は、『害した者に同じ痛みを味遭わせる』というもの。剣で切られれば同じ部位に傷や欠損を発生させ、あたかも両思いの如くお揃いにさせるのだ。
効果は一度きりしか発生せず、複数の花弁を持つと花同士が呪いあって散ってしまうという面倒な部分はあるが、入手さえすれば扱いやすい呪いの品。
確実に勇者は持っているだろうとトビーは予測していた。だからこそ、最初の一撃は非常に重要だと考えていたのだ。絶対に外さないで、出来るだけ少ない傷を与える。その必要があるからだ。
目論見は成功し、薄皮一枚を切るようにしてナイフは振るわれた。勇者とトビーの背中には、同じ血の線が書かれている。共愛恋花をほぼ無害化できたのは大きい。
けれど、ここからが問題だ。
戦士の崩鎧、その面倒な能力が、発動してしまう。
ぐじゅりぐじゅりと黒の装甲が蠢き出す。胸を守るようにして付けられた部分が、まるで生きているかのように伸縮する。
まるで、ではない。戦士の崩鎧は、生きていた。
徐々に形を変え、装甲が背中を守るように伸びていく。あっという間に胸と背を守るプレートメイルに変貌した。
戦士の崩鎧は知性を持った鎧だ。装備者が怪我をした時、それを守る為に自らの形を変化させて最適な形状になる。二度と傷つかないように、行われた攻撃に対して絶対的な耐性を持って。
大きな欠点として、『装備者の意識を奪おうとする』部分があり、その一部が『狂化』として出ているが、勇者は意地でそれを屈服させている。心が弱らぬ限りは、ゴブリンを圧倒する鎧として扱えるのだった。
下手に攻撃しては鎧を成長させてしまうし、かと言って一撃で決めようにもそのタイミングは見つからない。勇者とて長き繰り返しの中で戦い続けた猛者だ。易々と致命の隙を与えるほど優しくはない。
「今度はこっちの番ッ!」
黒剣を構え、乱雑にトビーへと切り掛かる勇者。その剣捌きは型など無く、力任せに適当に振るっているだけだ。
だが、それでも異常な力を持った勇者ならば必殺の技に足り得る。
鎧によって強化され、成長した事でよりその力を増している勇者は、技術ではなく暴力によって剣を扱う。
「グ、オルド流【戦舞】御形、ゴフッ」
大型ナイフを両手で持ち、受け流しによって黒剣を捌くトビー。
けれども力の差があり過ぎる為に、全身で流しきれず威力が総身に蓄積されていく。裂ける様に腕から血が流れ、徐々に靴裏は地面を滑る。
押し切られれば負ける。嫌でも感じるその結果を絶つために、トビーは唱えた。
「
自身と勇者との間に風の球を作り出し、即座に爆ぜさせる。指向性も無い小さな嵐は突風を生み、両者の間に隙間を生まれさせる。
刹那、黒剣が何も無い空間を切る。それを好機と見てトビーは後退し、勇者から距離を取る。離れれば鞭が飛んでくるが、接近していても良い事はないのだ。
勇者はすぐに剣を鞭へと変化させ、追撃を行う。
鞭と言う武器は、力の無い者が使ってもその先端の速度は音を越える。ソニックブームと呼ばれる衝撃波が発生し、触れていなくても破壊を起こすのだ。
それを、力を持つ者である勇者が使えばどうなるか。
振るわれた鞭が一直線に駆ける。トビーは勇者の手元を見て、どう動くかを予想して飛び跳ねるように回避した。鞭本体を見ていては、揺れ動く先端を避けるなど不可能だからだ。
直前までトビーの居た位置に鞭が到達。暴れ馬の如く跳ね、丁度そこにあった木を叩き切る。打撃と切断を兼ね備えた鞭は、森の産物など障害にもならない。
もし直撃すれば、トビーの身体など熟れた果実よりも柔らかく、そのミを弾けさせるだろう。治癒術師ですら匙を投げる肉塊の出来上がりだ。
それが分かるからこそ、トビーは必死で避け続ける。風の球を利用して急な旋回を行いつつ、直線で動かないように走り続ける。
時々用意しておいた罠を起動。先程と同じような丸太や、杭、足を引っ掛ける蔦を出すものの、それらは鞭や鎧の力任せによる破壊で無意味となった。
幾つか設置してあった罠だが、起動できれば良い方である。面倒に感じたのか、勇者は鞭を頭上で円を描くように振り回し、周囲の全てを無差別に粉砕し始める。
「本当に、滅茶苦茶ゴフな! 勇者ってそういう戦い方するゴフ!?」
技量も作戦も存在しない、凶暴なだけの嵐を避けつつトビーは現状を評価する。魔王と真っ向から戦っている時点で分かりきっていたが、勇者には精密な戦いなど皆目存在が無いのだ。
勇者が歩くたびに破壊の渦は移動し、鬱蒼としていた森は切り株だらけの土地に変えられていく。土地勘が狂う様な感覚になるが、勇者は悠々としていた。
「策なんていらない。ただ、壊せば良いだけだよね!」
鞭を剣に戻し、勇者が走り出す。上段に構えたと思いきや、振り下ろすと同時に鞭へ変更。射程を伸ばしてトビーを狙う。
「ギッ、それはマズイ、ゴフッ!」
可変する武器は厄介だ、紙一重で回避する選択肢を選び難い。横っ飛びで大きく避け、近くにあった草むらへと飛び込む。直後、立っていた場所には龍の爪かと思うほどの跡が深々と刻まれていた。
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