第7話

 オビーの行う訓練は、手心の一切無い組み手がメインだった。

 朝早くから採取に出かけて、その日分の食料を手に入れたらすぐに戦闘開始。日が暮れるまで延々と戦い続ける。

 木刀を使って安全に、なんて考えは全く無く、常に刃引きされていないナイフを使ってのやり取り。気を抜けば大怪我で、一瞬も気の抜く暇は無かった。


 ゴブリンの戦いは力ではない。手練手管を使い、正面から、背後から、死角からの一撃を狙っていく。

 押し切る事はしない。当てたら引き、またチャンスを伺う。悪辣な手段だが、それこそ弱者の戦法。最後に勝てば良いのだ。


 トビーには、最終的に達成したい事があった。その為には、勇者を倒す必要がある。だから、どんな手を使ってでも勝つ。オビーはその為の理想的な師匠であった。

 敵の目を眩ます手段、不意を突く方法、危険な時に引くやり方、様々な生きる知恵を授けてくれるのだ。

 汚い生き方だと言われるかもしれない。だが、それこそゴブリン。弱き者の生き残る術である。


 繰り返しから七日目、明日には勇者との戦いを控えたその日。

 トビーはオビーとの本気の戦いをしていた。手加減など欠片もない、完全な命のやり取り。負ければ死ぬ、甘さを捨てた師弟として最後の決戦だ。


「もっとゴブ。意地でも最後に勝つ気でやるゴブ!」

「くっ、これならどうゴフか!」

 ちょこまかとトビーは動き回り、加速と減速を織り交ぜながらオビーを錯乱させる。一直線だけではない、オビーから習ったフェイントの掛け方だ。


 一気に接近したかと思えば風の球を使っての不意打ち、一瞬の間を空けてから再度風で加速して突きを見舞う。

「良いゴブ。その調子でもっと来いゴブ!」

 トビーの突きを、オビーは寸でのところでナイフを使って弾く。

 が、それもトビーの目論見通り。次の技への布石だった。


「オルド流【戦舞】速雨、ゴフ!」

 飛び出した体勢から一転、地面に吸い付くように足を止めてもう一度突きの体勢に入る。オルド流でも最速の構えの変更だ。

 トビーは訓練の中でオルド流を何度も練習した。模倣でしかなかった型を、記憶を頼りに繰り返したのだ。


 そうして、覚えのある型は模倣ではなく一人前の技へと昇華した。ティーアやオルドンに比べれば鋭さが足りないが、立派な技術を手に入れたのだ。

 トビーによる突きが、オビーへと迫る。一度弾いた後のナイフは、オビーだとしても引き戻す事は不能。腹へ一直線に刃が走る。


「やるゴブな。けど、まだ終わらせないゴブ!」

 オビーは空いた左手でトビーの手首を掴んだ。そして、身体を一回転させて放り投げる。身体の小さなトビーは逆らえず、空中を舞ってしまう。

 オビーは即座に動き出す。地面へ落ちたトビーへ追撃を加えるために、ナイフを逆手に持ち直した。


 しかし、トビーもまた、もしもの時の用意は万全。落ちながらも口を動かす。

「オレだってまだゴフ! 風よウェンゴフ!」

 事前に展開しておいた風の球を破裂させ、勢いを殺して地面に叩きつけられる事を回避する。着地し、迫ってくるオビーへと身体を向けなおす。


「勇者の前に、まずは親父に勝つゴフ!」

「そう簡単に越えられると思うなゴブ! 行くゴブ!」


 刃が交差する。一撃離脱を繰り返し、何度も、何度も。

 両者の決着がついたのは、日が暮れてからであった。


 ぜいぜいと息を切らせ、オビーは座り込んでいた。獲物の大型ナイフは地面に突き刺さっており、その身体には浅い傷が幾つも刻まれている。

 トビーは立っていた。息は切れている。全身が疲労で一杯だ。それでも、切られた跡や殴られた形跡は一つもない。全て流し、避けきったのだ。


「親父、オレの勝ちゴフな」

 トビーがボロボロのナイフの先端を、オビーへと突きつける。その刃はもう殆どが零れ落ち、短い鉄の棒と言っても差し支えない。

 だが、一突きする程度ならば十分。座って隙だらけのオビーには致命傷だ。


「……よく、ここまでやるようになったゴブな」

「親父のお陰ゴフ。オレだけじゃ、絶対に無理だったゴフ」

 トビーはナイフを下ろす。父親を越えられた、その気持ちで一杯になりふぅと一息を吐く。気が抜けると、疲れがどっと出てくるようだった。


「それじゃ、帰ろうゴフ。もう真っ暗になるゴフ」

 森の夕暮れは短い。木々で遮られ、影が落ちるのが平野よりも早いのだ。急に寒くなってきたように感じたトビーは身を縮ませ、家の方向を向く。

「トビー、トドメを刺すまで気を抜くなゴブ」

 突然、鋭い気配が背後から生まれた。


 座っていたオビーは急に立ち上がり、ナイフを手に取る。そして、それをトビーの背中へと当てた。

 ぞわりとトビーの背筋が悲鳴を上げたが、それに対するオビーの声は優しかった。

「……冗談だ、俺の負けゴブ。でも、いざという時に気は抜くなゴブ。勝ちきるまで勝負は続いてるゴブからな」

 ナイフの背を摘まんで持ち、柄をトビー背中に当てながらオビーはそう言った。


「…………今、オレ死んだかと思ったゴフ」

「ガッハッハ、油断もトビーの悪いとこゴブ! ほら、このナイフをやるゴブ。俺に勝った記念と、そのナイフじゃ戦えないだろうゴブ?」


 トビーが振り返ると、差し出すようにしてナイフを持つオビーの姿があった。

 ボロボロナイフよりも大型の、鉈に近い物だ。いつも手入れしている逸品で、昔オビーが死んだ冒険者の死体から手に入れたらしい。

「これ、いいゴフか? ずっと大事にしてたゴフ」

「明日は大切なんだろうゴブ? それならこれを使うといいゴブ。良く切れて頑丈なナイフだから、きっと役立つゴブ」


 そう言って、オビーは大型ナイフをトビーに渡した。ずしりと重さを感じ、トビーは落としそうになるのを慌てて持ち直す。

 試しに一振りしてみた。手に馴染む木の持ち手で、ピタリと吸われている様だ。空を切る感触も素晴らしく、かつて持った聖剣よりも性に合う気がした。


「ありがとうゴフ! 明日は頑張るゴフ!」

「おうよゴブ。俺に勝ったんだから、人間なんかに負けるなゴブ」

 ニカッと笑いあうトビーとオビー。その様子は、まさに親子といった感じだった。


「お、帰ったゴブ? もう飯食う時間だゴブ!」

 家に帰ると、出迎えたのは一番上の兄であるコビーだった。小さな弟たちが暴れるのを抑えながら、他の兄弟ゴブリンに指示を出している。

「おいノビー! つまみ食いするなゴブ! ソビーはロビー持っててくれゴブ、そっちの手伝いおれがするゴブ」

「にーちゃんはらへったごぶ!」

「あーもう、モビー大人しくしろゴブ! もう飯にするゴブ!」


「く、ゴフフ。良いゴフな、こういう家ってゴフ」

 騒々しい家の中を見て、トビーは思わず笑ってしまう。ずっとベルチェやティーアと暮らしていたから、見ることの無かった景色。

 ゴブリンの家庭とは、こうなのだ。五月蝿くて喧しくて、それで何処か温かい。トビーにはそう感じられる。


「いつかオレも、こんな家が欲しいゴフな」

「なんだいトビー。あんた嫁でも見つけたゴブ?」

 トビーの呟きを聞きつけ、母のトトノが近づいてくる。げ、面倒な事を聞かれたゴフ、とトビーが逃げようとすると、むんずと肩を掴まれる。


「嫁が見つかったらすぐ連れてくるゴブ! 母ちゃんが見極めてあげるゴブ。変な奴だったら承知しないゴブよ!」

「そんなの居ないゴフ! 嫁なんてオレには早いゴフよ!」

「なに言ってんのゴブ! 隣の家ではトビーと同い年の子がもう子供作ってるゴブ! 早い遅いなんて言ってたら結婚できないゴブ!」


 ああなんて雌は面倒なのだろう。トビーは精神的に疲れる気がしてきた。

 適当な生返事をしておいて、逃げるようにして団欒の中に潜り込む。妹のホビーが構ってほしそうに近づいてきたので、膝に乗せておいた。


「よし、それじゃあ飯を食うゴブ!」

 オビーも座り、食べる掛け声をする。そうすると、一斉に九匹のゴブリンたちは籠に入れられた食材を奪い合う。テーブルマナーなど何も無い、食欲への全力疾走だ。

「お、オレの飯返せゴフ!」

 長いこと飯の争いから離れていたトビーは、この七日間負けっぱなしであった。欲に駆られた生活から遠ざかると、どうしても一歩遅れてしまうのである。


 今日こそ負けない。そんな気持ちでトビーは手を伸ばす。春先はまだまだ食料が少ない。明日の活力の為にも、食わねばならないのだ。

 飯戦争は四半刻と持たなかった。とりあえず最低限は食べられたトビーは、満足そうに横になる。


「明かり消すゴブよ! 明日も飯を頑張って探してくるゴブ!」

 トトノが家の端で点けられた火を消す。ゴブリンに夜遅くまで起きている習慣など無いから、日が落ちて飯を食ったら寝るのみ。燃料が勿体無いのだ。


「家って良いゴフな。……勇者は、今頃何してるんだろうゴフ」

 両脇にまだ小さなヨビーとホビーを抱えながら、トビーは目を瞑って考える。

 自分には、帰る家がある。家族もいる。温かい場所がある。けれど勇者にはそれが無く、ただ一人で強さを求めて進み続けるのみ。


 それは寂しくて、冷たくて、悲しい事だ。記憶を共有したからこそ、その気持ちが痛いほどに分かる。繰り返しの中、勇者は泣くことも出来ずに走っていた。

 思い出すのも辛い、永久の牢獄。誰かに救われることもない、一人だけの記憶。

 勇者の異世界での思い出は、それしかない。それ以外に、手に入れた物など一つもありはしない。


「……勝つゴフ。絶対に、俺は勝つゴフ」

 自分に命じるように、トビーは呟いた。自分自身との契約だ。違える事の無いように、深く心の奥まで刻んでおく。

 日が中天に昇った時、全てが始まり、終わる。これまでの長い旅路の終着点が、漸く訪れる。


 そして、始めるのだ。勇者を繰り返しから解き放って、そして――。


 気づけばトビーは眠りに落ちていた。オビーとの訓練が相当にきていたのか、瞳を閉じているとスルリと意識が無くなっていく。

 魔王城の時とは違っていた。翌日に勇者と戦うとしても、気持ちが違う。

 トビーの胸は希望で膨らんでいる。負けなど、微塵も有りはしない。


 日が昇り、兄弟たちがザワザワと起き出す頃になってトビーは目が覚めた。

「……ふぁ、よく寝たゴフ。それじゃ、準備するゴフな」

 勇者との戦いは昼丁度。それまでに、トビーは最後の下準備を行った。

 行くべき所、やるべき事を済ませて、念入りに武装を身に着ける。


 鎧などないから服のまま、足元は万全にしたいから壊れていない靴を履き、オビーから譲り受けた大型ナイフを腰に着ける。

「よし、行くゴフな」

 日がそろそろ真上に来る頃、トビーは家を出た。連れ立つ者など誰も居ない。トビーだけで、その場所へと向かう。


 道順など、考えもしない。もう数え切れないほど通った道なのだから、目を閉じていても辿り付ける。

 草むらに入り、大樹を曲がり、獣道を歩く。


 そう、そうすると出会う。

 思い出す、なんて必要ない。


「来たゴフな、勇者」

「そっちこそ、逃げなかったんだ」

 ゴブリンと勇者が対面する。

 片方は着の身着のまま、もう一方は黒の軽鎧を着て、向かい合う。


 契約が達成され、両者の胸に刻まれた魔力が解けた。宙に伸びるようにして魔力の糸が浮き、早春の目が覚めるような風に乗せられ端から消えていく。

 それが、合図だった。


「勝つゴフ!」

「私が勝つ!」

 両者が駆け出し、大型のナイフと、黒の長剣が交差する。

 ただのゴブリンと、ただの少女、全てを賭けた戦いが始まった。

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