第2話
トビーの目が覚めたのは夜になってからであった。長旅の疲れと魔力不足、最後のトドメが重なり、長時間の気絶となってしまった。
布団から起き上がると、そこは見慣れない場所。まるで入院した事のある病院のような白を基調とした部屋であるが、医薬品の並んだ棚があるので違うだろう。
「……ここ、何処ゴフかな」
トビーがそんな呟きを漏らしていると、扉が開かれた。部屋に入ってきたのは、見覚えのある魔族。スクラドであった。
「おお、今丁度呼びに来たところだ。どうだ、調子は良いか?」
ニコリと笑いながら近寄ってくるスクラド。ぶっ飛ばしたので敵意があるかと思いきや、そんな事はないらしい。トビーは素直に答える。
「全然、もう大丈夫ゴフ。寝させてくれてありがとうゴフ」
「いやいや、私こそ無茶な事を言ってすまなかった。先の一撃、あれは見事だったぞ。魔王様への謁見は無事に通した。丁度これから時間が空くから呼びにきたのだが、どうだ、話を出来るか?」
「本当ゴフか! 行くゴフ! ありがとうゴフ!」
びょんとベッドから飛び降りてトビーは返事をする。それから、忘れる前にスクラドに謝ることにした。
「スクラド、弱いって知らなくてごめんゴフ。死ななくて良かったゴフ」
そんな言葉を聞くと、スクラドは大きく口を開けて笑う。何も気に掛けていないようで、実に楽しそうである。
「はっはっは、私こそ弱くてすまない。私は強者を知ることが好きでな、強いと思った者には一撃を放ってもらいたくなるのだ。身体は心配無用、これでも龍人の血だ。頑丈に出来ておる」
胸を叩いてそう言うスクラド。確かに、風華繚乱を直撃したにしてはやけに調子が良さそうである。龍人は伊達ではないのだろう。
「それでは、謁見の間へ向かおうではないか。私が案内しよう」
「ありがとうゴフ。行こうゴフ!」
スクラドを先頭にしてトビーが歩く。どうやら魔王城の一角にある医務室だったらしく、扉の外に出るとうって変わって豪奢な造りとなっていた。
トビーにとっては二度目の魔王城だが、前回はまともに見る暇が無かったので初めてと変わりない。辺りをキョロキョロと見ながら、はぐれない様に着いて行く。
血が流れず綺麗な状態の魔王城は、居るだけで偉い気分になる場所だった。至る所によく分からない鎧や壷が置かれていたり、窓硝子ですら高そうだったりするのだ。
謁見の間は、トビーも知っている場所だった。長い廊下の先に巨大な扉、そこは、
勇者と戦った場所に他ならない。
ゴクリとトビーは唾を飲む。場所が場所だけに、というのもあるが、魔王と会うのだ。一介のゴブリンからすれば、身に余る栄誉だろう。
「さあ、入るぞ。衛兵、魔王様への謁見だ。扉を開けてくれ」
スクラドが扉を守っている魔族へ声を掛ける。すると魔族はトビーには理解できぬ難しい文言を叫び、扉を力技で開け始めた。魔法で開けるかと思ったが、どうやら何の力も働いておらず、完全に力でだけ開けられる扉のようだった。
扉が完全に開く。その中は、トビーは初めて見る光景だった。
部屋は広く、余裕で戦えるとトビーは思う。赤いカーペットが長く伸びており、数段の段差を登った先には椅子がある。豪華絢爛、金や宝石で装飾されたその椅子は、座れる魔族がただ一であることを示している。
椅子に座れる只一つの存在、魔王は口を開く。
「スクラド、貴様が話したのはそのゴブリンか」
荘厳な、重い声色でそう言う魔王。対して、スクラドは平伏して答えた。
「はっ。そうでございます。名を名乗れ、ゴブリン」
先程までとは全く違う雰囲気でスクラドがトビーへ言う。畏まる方法など知らないトビーは、何となくスクラドの真似をした姿勢で言った。
「オレはトビー、ゴブリンゴフ。魔王様に聞きたい事があって来たゴフ」
「と、トビー! 口が多いぞ! 魔王様に聞かれてから答えるんだ!」
慌ててトビーの口を閉じるスクラド。魔王は手を上げてそれを止める。
「よい。トビーと言ったな、何を聞きたい」
そう言われ、トビーは告げる。
一個、確実に聞いて起きた事があったのだ。それは、家族に聞いても、長老に聞いても分からない事。世界の謎。
「魔王様、世界が繰り返してるって、知ってるゴフ?」
ぽかん、とスクラドが口を開ける。何を言ってるんだ、と言わんばかりの顔で、トビーからすれば、やっぱり分からないゴフか、といった感じ。
一方で、魔王は、
「スクラド、下がれ。我輩はこやつに話がある」
そう、端的に言ったのであった。
「はっ。……真ですか、魔王様」
「下がれ、他の者もだ。我輩が指示するまで一切の入室を禁ずる。聞き耳を立てるのも無しだ。良いな」
「……御意。トビーよ、くれぐれも口には気をつけるのだぞ」
スクラドや控えていた魔族たちが部屋から出て行く。それを見ていたトビーは、まさかと思うのだった。
本当に、繰り返しを知っているのかもしれない。何度も意識を白く塗りつぶされるあの状態を、魔王ともなれば気づいているのかも。
心臓が一段と高く跳ねる。どう転ぶか分からない。けれども、一歩進む事はできそうだ。勇者を止める、その結末を手に入れるために。
「トビー、我輩の元まで来い。近くで話そう」
「わ、分かったゴフ」
トビーは立ち上がり、赤いカーペットの上を進む。威圧力が半端ではない。今までに見たどの魔族よりも、圧倒的な力を感じる。
段差を上がり、魔王まであと数歩のところまで辿りつく。そこで、魔王を見た。
魔王とは、そういう種族の魔族が居るのではない。ただ力を持ち、覇によって魔族を統べられる者がそうなるのだ。
現魔王、七〇〇年もの間を最強としている存在は、純血ではなかった。
亜人族、悪魔族、龍人族、屍族、四つの血を持った混血である。
ただの混血ならば蔑まれ見下されたであろう。だが、魔王は違う。全ての血を等しい割合でその身に宿し、それらの高い能力を一身に持っているのだ。
悪魔の魔力、龍人の鱗や膂力、屍の殺されねば死なない力、亜人の適応力。魔王は、それらの力を完全に扱える。欠けの一つもない、完璧なのだ。
その上で、身体能力などは各種族の良いとこ取り。欠点といえる部分が存在しないのだった。
だからこそ、トビーはその姿に納得した。肌は鱗で覆われ、背には悪魔の羽、しかし人のような表情を持ち、けれども至る所に何故か包帯を巻いている。見た目も四種族の合体した姿なのだろう。
巨人ではないので背は普通で、身長は一七〇セルチといったところ。だが溢れ出る圧によって、それ以上の大きさに見えてしまう。
そんな魔王は、トビーを見て、こう言った。
「はははっ。近くまで来いと言ったら普通は階段の下だろう! 我輩、初めて見たぞ! 流石はゴブリン、常識が通じぬな! はははっ!」
「…………ゴフ?」
ん? と、トビーの頭が真っ白になる。はて、今何か聞こえただろうか。
何だか、さっきまで重々しい口調とは一転、ノリの良い溌剌とした声が聞こえた気がしたのだが……トビーはもう一度耳を済ませてみることにした。
「いやー、まさかだな。我輩も繰り返しには飽き飽きしてたところだが、まさかゴブリンが繰り返ししているとは! ちょっと話を聞かせてみよ。どうやってここまで来た。普通のゴブリンでは無理であろう」
「……魔王様、何かさっきまでと違うゴフ?」
トビーがそんな事を聞くと、魔王は明快に答えた。
「そんなの、部下が居たら当たり前であろう。我輩は純血の出ではないが、それくらいは長く魔王をやってたら分かる。我輩は偉くなきゃならんのだ!」
ふんっ、と腕を組んで魔王はそう言った。なんとも威厳の無い台詞だ。
「で、トビーよ。お主はどのような事をやってきたのだ。最初から聞かせてくれぬか?」
「わ、分かったゴフ。えと、最初はゴフな――」
魔王に言われたら仕方ない。トビーは最初の、この繰り返しの連続の、一番初めの記憶から話し始めた。
龍蛇の事、ベルチェの事、ティーアの事、そして勇者の事。今までで知った全てを魔王へ、思い出語りのように聞かせたのだ。
それを聞いている魔王は表情豊かだった。おおっ、とか、ふぅむ、等と展開が変わるごとに一喜一憂している。
「――で、力が足りなくて魔王様に会いに来たゴフ。繰り返してるとは思ってなかったゴフがな」
「いやぁ、久しぶりに変わった話を聞けて我輩は嬉しいぞ。お主も知っているであろう、繰り返しは同じ行動をすれば、同じことが起きると。我輩、自由に動けないから毎回同じ話ばかりなのだ! もう飽きたぞ!」
椅子に背を預け、上を向いてそう吼えるように言う魔王。けれどトビーとしては、どうしてそんな思いになるのか不思議に思った。
「同じが嫌なら別のことをすればいいゴフ。繰り返しに気づいてるなら、出来るゴフよな? なんたって魔王様ゴフ」
トビーがそう言うと、魔王は急に真面目な顔となる。それから、こう言った。
「それは無理だ。我輩は理の中の存在、お主とは違う。幾ら亜神の力を持つとはいえ、世界の理を捻じ曲げるには神ほどの力が要るのだよ」
「理、亜神、ゴフ?」
トビーの頭上にハテナが浮かぶ。それを見て、魔王は説明した。
「いいか、理とは世界の運命。繰り返しする度に同じ事が起きるのはそのせいだ。世界に決められた事は、そう簡単には変えられない。お主が最もよく知ることだ」
「そう……ゴフな。メチャクチャ死んだゴフ」
「そうだ。そして我輩は、その理の中にいるのだ。繰り返しから三〇日後に必ず再誕の儀を行うように、世界に決められているのだよ」
そう言って、魔王はトビーをじっと見る。睨むのではなく、見守るように。
「だが、トビーよ。お主は違う。理から外れた存在になっている。だからこそ、他の者の理を変え、世界を変える事が出来るのだ」
「理から外れた……なんでそんな事になったゴフ?」
トビーには理解できない。たかがゴブリンが、魔王でも破れない世界の運命から脱出してしまうなんて、凄い力でも持っているはずが無いのに。
それに対し、魔王はこう答える。
「一番最初だ。お主は森で勇者に殺されたであろう、それも何回、いや何百と。本来の運命ならば、おそらくお主はそこで死ぬ。だが、何かしらの事があってお主は繰り返しに気づき、理から逃れるために努力した。結果、死という運命から外れ、理からも出てしまった、と我輩は思う」
ふむ、と魔王は一考。それから、もしかすると、と言った。
「神しか分からぬ事だが、お主は世界で最も殺された生物なのではないか? お主の言う勇者の攻略本とやらには、ゴブリンを殺すように書かれていたのだろう」
その言葉にトビーは頷く。一度読めば忘れられない、あの忌むべき本には、ゴブリンを殺してナイフを手に入れると、そう書いてあったのだ。
「でも、それならスライムも殺されてるはずゴフな。毎回、金稼ぎの為に核を取られてるゴフ。スライムも繰り返しに気づいてるゴフ?」
「それはないな、奴らには知性が無い。……となれば、そうか。知性を持った生物で、一番多く殺されているのが、お主なのだ。きっと、魂のどこかにでも死の記憶が残っていたのだろう。知性のあるお主はそれに気づいたと、そういう事かもな」
それは、ゴブリンだからこそ起きた悲劇なのかもしれない。脳みそだけは立派な物を持っているので、考える力は一応持っている。だからこそ、死を記憶してしまい、それに気づき、理から出てしまった。
けれど、それはトビーにとっては幸運だった。そう、トビーは感じる。
「オレ、繰り返しに気づけて良かったゴフ。気づかなかったら、ベルにも、ティアにも会えなかったし、助ける事もできなかったゴフ」
彼女らは、世界の理に殺されてしまう存在だ。試練のダンジョンへ向かう、暗殺に行くという、確定された運命によって死が訪れる。
それを防げたのは、理から外れた自分があったからこそだと分かる。となれば、これは幸せだ。繰り返しに気づけたのは、それを利用できたのは、幸運なのだ。
よかったゴフ、とトビーは頷く。にかっと笑うその表情は、幾度の死よりも幸せのほうが大きいと、表していた。
「……お主は強いな。きっと、勇者よりも強き力を持っているであろう。我輩は何度も奴と戦ったが、奴にその強さは無い。ただ、乗せられるしかない道化よ」
「うーん、勇者はとんでもなく強かったゴフがな」
「違う強さだ。身体の強さなど高が知れている。心はそうではないと、我輩は思うぞ」
何だか難しい話になってしまい、トビーの理解から離れてしまった。
となれば別の話を聞いてみる。ゴブリンの頭は切り替えが早いのだ。
「そうそう、亜神ってなにゴフ? 亜人族とは違うゴフ?」
「亜神とは、亜種の神の事よ。我輩は思ったよりも力が強くてな、気づけば神の座まで近づいてしまった。だがまだ神ではない。神よりちょっと弱い、くらいだな」
「ちょっと弱い神様……だから理から逃げられないゴフか」
「そうだな。繰り返しが起きていることは認知出来ておる。だが、それをどうも出来ないのだよ。我輩、本当に寂しかったのだぞ。ずっと同じ事ばかり続くからな!」
そう言った魔王は、顔は大人の男だというのに、子供のようにしょんぼりした顔をしていた。それを見て、トビーは声を掛ける。
「心配するなゴフ。今度からはオレが居るゴフよ!」
「……トビーよ、色々な話をしてくれるのか? もう何度も聞いた内政やら、軍備やら、大臣のお小言を聞かなくてもいいのか?」
パッと顔を明るくする魔王。それに対してトビーは、
「話はしてやるゴフが、他のやつは話しに来るんじゃないゴフ? 運命ゴフ」
運命と聞かされて、ずーんと落ち込む魔王。強大な力を持つはずなのに、感情の上下は普通の魔族と変わらない。そんな風に感じられた。
「それで、ゴフ。勇者を倒したいんゴフが、力が足りなくて困ってるゴフ。どうすれば良いと思うゴフか?」
話を変えて、トビーは魔王に聞いた。そもそもの本題はこれなのだ。魔王の助力を得たくて魔王城に来たのである。
それを聞いて、魔王は考える。顎に手を当て、少し悩む。
「そうだな……力は貸してやれるぞ。だが、お主の本当の戦いはここではない気がする。我輩からは、そうしてくれとはとても頼めぬが」
魔王はトビーへそう告げる。その顔は魔王に似つかわしくない、困り気な表情だった。トビーは変に思って聞いてみる。
「どうしたゴフ? ここではないって、どういう意味ゴフ?」
それに、魔王は眉根を下げた困り顔で答える。
「……我輩がやれと言えば、お主はそうするだろう。だが、そうではないのだ。少し覚えてくれていれば良い。もしかして、その可能性もあるやも知れん」
そう言われ、トビーは頭の隅に覚えておく事にした。ここではないどこかで戦う、そんな、よく分からない事を。
トビーが考えていると、魔王が口を開く。
「さて、かなり長く話をしてしまったな。我輩も魔王であるから、まだ仕事が残っておる。続きは明日にしようではないか」
そう言われれば、トビーとしては従うしかない。明日も話が出来るのは好都合であるし、それじゃゴフ、と言って出て行こうとして思い出した。
「あ、オレ何処で寝ようゴフ」
「それなら魔王城に寝泊りすれば良い。部屋は空いているから、スクラドにでも案内させよう。……おぉい! スクラド! 入って来い!」
魔王が大声を出すと、即座に扉が開かれてスクラドが入ってくる。急いで御前までやって来ると平伏してみせる。
「何用でございましょうか、魔王様」
「トビーに休む部屋をやってくれ。これから魔王城で生活する事になるだろう」
「え、そうなんゴフ?」
初耳だ、と驚くトビーに魔王は言った。
「聞きたい事も、聞かせねばならん事もある。城下町で過ごしていては面倒だろうから、ここに住むと良い。な?」
最後は小声で、片目を瞑って魔王はそう言う。お茶目なところがある、不思議な魔族だなぁとトビーは思うのであった。
スクラドに案内され、トビーは客間へと通された。そこは今まで見た事が無いほどに豪華な寝室で、ふかふかなベッドはトビーを丸ごと包みそうなほどだった。
けれども、トビーの心はあまり休まらない。
魔王と話が出来たのは良かった。でも、まだ始まりだ。これから勇者を止めるために、力を付けなくてはならない。
ただのゴブリンで出来るだろうか。そんな思いが、どうしても巡ってしまうのだ。
「……やるしかないゴフ。あの勇者なら、魔族を滅ぼすくらいやりそうゴフ」
また明日も頑張ろう。そう考えながら、トビーは眠りに落ちた。
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