8、ゴブリンと魔王と

第1話

 世界は繰り返された。

 あらゆる出来事が無に帰し、決められた地点まで巻き戻ったのだ。


 酒蛇の森、雪がまだ微かに残る木々の間を、トビーは歩いている。自ら望んで、ではない。運命の強制的な力によって、そうせざるを得ないのだ。

 だが、その目は。

 ゴブリンらしく釣りあがった目は、言葉を必要とせずに語っている。

 諦めない。絶対に、勇者を止める。そう言っていた。


「……あともう少し、もうちょっとだったのに…………」


 呟きと共に、影から染み出るようにして木の裏から旅装束の人間が現れる。名も知らぬ女、勇者だ。

 疲れきったような、よたよたとした歩み。繰り返しの前の状態を引きずっているのか、健全とは言い難い。明らかに不調な様子だ。


 けれどそれを無視して、トビーはこう言う。

「オレは勝つゴフ。絶対に、勇者を止めるゴフ」

 その言葉に返答は無い。無言で勇者は駆け出し、トビーへ接近する。


 そしてトビーの両肩を掴み、身体強化の類を付与した強烈な膝蹴りを腹に叩き込んだ。ドゴムッと異様な音が発せられ、それを受けたトビーの身体が飛ぶ。

 けれども、トビーは苦悶の表情をしていない。寧ろ、笑っていた。

「オルド流【戦舞】御形、もう完璧ゴフ!」

 受け流しの極致を、トビーは完全に修めている。それは度重なる繰り返しの世界で、徐々に積みあげてきた努力の結晶だ。


 掴まれたままでは状況が悪いので、トビーはあえて吹き飛ぶように調整していた。軽い浮遊感の後、スタリと地面に着地する。

「これ、必要ゴフな。持ってくといいゴフ」

 そう言いながら、トビーは腰のナイフを抜いて勇者へ放り投げた。対魔コーティングされた特殊なナイフ、勇者が必須としているアイテムの一つを。


 地面に突き刺さって止まったそれを、勇者は抜き取る。訝しげな、何をしているのか分かっていない表情だ。

 トビーは、勇者に向けて言う。

「魔王城で会おうゴフ。オレは、負けないゴフ」


 腰に挿してあるもう一本の、ボロボロのナイフを取り出し、勇者へ向けた。これは宣戦布告だ。ゴブリンが、勇者を倒す為の。

 それを聞き、勇者は口を開いた。

「ゴブリン、絶対に殺してやる。魔王も、全部、それで終わらせるの……!」

 全てを、世界すら憎むような声色で勇者はそう言い、立ち去った。きっとスライムを狩り、金を稼ぎに行くのだろう。トビーは知っている。攻略本の通りだと。


 勇者が居なくなるのを見届けた後、トビーは呟く。

「オレも行こうゴフ。魔王様に会わなくちゃ、ゴフ」

 トビーは歩き出す。準備をしなくてはならない。魔王城へ行き、魔王に会い、そして話をするのだ。

 勇者を倒す。そして魔族を、家族を、また仲間になりたい友を守るために。



 トビーは考えた。一介の、ただのゴブリンが魔王様に会えるだろうか? と。

 普通に考えては無理だろう。前回の繰り返しで騎士に取立てられたのですら常識外なのに、魔族の王にそのまま会うなんて不可能だ。

 どうすればいいか。

 それならば、会えるだけの『何か』を持っていけばいいのではないか。


「……まさか、またココにくるとはゴフ」

 トビーはとある洞窟に来ていた。そう、龍蛇ナーガが守る知恵の実の洞窟だ。

 話によれば、龍蛇は魔王ですら一撃で倒せなかった怪物。それが守る知恵の実は、食べた物の話を聞かないような伝説の物。

 これを手に入れて魔王城まで持っていけば、魔王に会えるのでは。そう考えたのだ。


 方法は分かっている。随分と昔に感じるが、一度は知恵の実を食べているのだから。

 酒の実の準備も万全。あとは、一度も失敗しないことだけが条件。

「……行くゴフ。まずは、ここを成功させるゴフ」


 予想通りではあるが、知恵の実の奪取は上手くいった。

 そもそも何の能力も持たない状態で成功できたのだ。今や各種魔法を使用できるゴブリンなのだから、前回以上に楽になっていた。

 身体強化べラーク風よウェンの魔法によって速度は向上し、突進も御形で受け流し可能、暗い道は目星アイズと事前に使った帰還の導リレインによってほぼ無効化。


 龍蛇が寝た後は急いで知恵の実を回収して、走れるとこまで走ったら最後は一歩分の勇気を使用して全速離脱。

 酒の実が全身に回る頃には、ギリギリで家に到着することが出来た。


 一番の問題は、起きた時に知恵の実が無事かどうか。

 美味そうな木の実なので、家族に食われていないかだったが、全身で抱えるようにして眠ったので大丈夫だったようだ。

 

 次の日、家にある袋を幾つか無理やり縫い合わせて知恵の実を運ぶ準備が完了。背負いながら食料用達をして、父親であるオビーに暫く出かけると声を掛ければ、旅立ちの準備は終了する。


「……さて、ゴフ。ここまで来たけどどうしようゴフ」

 そして四日後、もう何十回と通った城下町までの道のりを走破し、トビーは魔王城の正門前まで来ていた。 

 大きな、城下町の入り口以上に巨大な門がある。塀は黒の石、扉は木で出来ており、巨人族のグラットよりも高くそびえている。


 門は閉じられており、その両隣には揃いの鎧を着た憲兵が立っていた。片方はオーク族、もう一方は魔蟲族の魔族である。左に盾、右に槍を持って見張っている。

 明らかに怪しいと思われているのか、トビーの方をじっと見ている憲兵たち。もちろんトビーとしては悪いことはしていないのだが、居心地が悪かった。


「話してみるしかないゴフな。……ちょっといいゴフ? 魔王様に会いたいんゴフが、どうすればいいゴフ?」

 トビーはオーク族に話しかけた。何故なら魔蟲族は怖かったからだ。触覚があったり目が無数についていたり、口は横開きだし身体全体は緑の甲殻で覆われている。おまけに腕が四本もあると、ゴブリン的には恐ろしい存在に見えるのだ。


 話しかけられたオーク族は、簡潔に答えた。

「無理だフゴ。ゴブリンは田舎に帰れフゴ」

 それだけ言うと、興味を失ったようにオーク族はそっぽを向いてしまう。ゴブリン等に構っている暇は無い、邪魔だからどっか行けと言わんばかりに。


 しかしトビーとしてもここで引き下がるわけには行かない。背負っていた袋を下ろして、中身を見せて言った。

「魔王様に、知恵の実をお土産に持ってきたゴフ。渡したいから会わせてほしいゴフ」

 そうすると、オーク族はギョッと目を見張る。ついでに大きな豚鼻をひくひくとさせ、食い入るように知恵の実を見た。


「その匂い……まさか本物フゴ!? いや、まさかフゴ。ゴブリンなんかが手に入れられるはずも無い伝説の木の実フゴ」

 フンフン鼻を鳴らしながら、オーク族はそんな事を言った。トビーは負けじと知恵の実を指して言い返す。

「本物ゴフ! ちゃんと取ってきたゴフ!」


 トビーがそうやって言うと、オーク族は笑い始めた。

「フゴゴゴ! 冗談は進化してから言うフゴ。どうせ偽物で、どっかから盗んできたフゴな。捕まりたくなきゃ、さっさと帰れフゴ!」


 プッチーン! と、トビーは頭の中からの音を聞いた。嘘つき呼ばわりされたのも、弱い者扱いされたのも、非常にお冠にきた。

 ゴブリンは感情に素直。それはつまり、非常に怒りん坊ということなのだ。

「変な事言うなゴフ! そんなに言うならオレと勝負ゴフ!」


 人差し指をオーク族へ向け、トビーは大声でそう言う。道行く魔族が興味ありげに集まり始め、オークの同僚である魔蟲族はやれやれといった動きをしている。

 オーク族はトビーの言葉を聞いて、更に声を大きくして笑った。


「ゴブリンが! オークに勝負フゴ! フゴゴゴ!! 脳みそまで使えなくなったら魔物だフゴ! ゴブリン、怪我をしないうちにとっとと帰れフゴ」

 その表情は、どう見ても嘲笑っている。闘争心を煽られたトビーは、

「怪我ゴフ? それはどっちの台詞ゴフかな?」


 ニヤリとトビーは口角を上げる。まるで師匠であったオルドンのように、戦いを望む者の笑みだ。

 そんなトビーを見て、オーク族もまた気を逆撫でされたらしい。持った槍の柄を地面に何度も突き付けながら、大声で返す。

「言ったなフゴ。その言葉、後悔させてやるフゴ!」


 オーク族がトビーの前に出てくる。背はトビーより少し高い一五〇セルチ程だろうか、恰幅が良いのでそれ以上にも思えるが、トビーは脅威を感じなかった。

 今まで戦ってきたどの相手よりも弱い。そう感じるのだ。


 オーク族は右足を引き、そして蹴り出してきた。短い足ではあるが、体重の乗った一撃だ。普通のゴブリンではひとたまりも無い。

 しかし、オーク族は見誤っていた。目の前のゴブリンが、ただのゴブリンだと。


「オルド流【戦舞】山茶花、ゴフ!」

 出された右足を、左手で軽く受け止める。その勢いを流用し、身体を一回転。流れに乗せて、右肘を突き出す。

 相手の攻撃を自らの一撃へと変換する、オルド流の秘儀、山茶花。トビーが繰り返しで手に入れた切り札の一枚だ。


 ズガンッ! と音が響く。オーク族の鎧が攻撃を受け止めたのだ。

 けれど、山茶花による衝撃は受け流しきれていない。ゴブリンの数倍はある重量を持ったオーク族は、勢いに負けて尻を地面に付いた。

「……ふ、フゴッフゴッ。ど、どういう事フゴ!? 何で俺がやられたフゴ!?」


 流石の耐久力を持つオーク族。自分の攻撃を返されたのにも関わらず、咳き込むだけで済んでいるらしい。

 トビーは、鎧を殴って地味に痛む肘を撫でつつ、こう告げた。

「オレを倒したかったら、もっと強いやつを呼んでくるゴフ!」

 ふんすっとトビーは仁王立ちする。その様は、本当に師匠譲りな弟子だった。


 トビーがオーク族を見下ろしていると、

「なんだ? 呼んだか?」

 唐突に、トビーの背後から声が掛かった。

 ゴフ? とトビーが背後を振り向くと、そこには背の高い魔族が立っていた。


 銀色の鎧で身を包み、背には黒いマントを翻している。兜を被っていない事でその顔が見えるが、トビーにはその種族に見覚えがあった。

 魚のような鱗で全身を覆い、蛇のような鋭き眼光。背には翼、尻には尻尾も生やしており、吐息は炎のような熱を帯びている、その種族。


 龍人族。魔族の中でも最強格と呼ばれる、圧倒的な強者である。


 良く見れば、マントの下には隠すように翼があり、背後にはゆらゆらと尻尾がある。

 どう見たって魚人の類ではない、とトビーが考えていると、尻餅を付いたままのオーク族が声を発した。


「スクラド様! お見苦しいところをお見せしましたフゴ!」

 大急ぎでオーク族は平伏し、額を地に擦り付けた。魔蟲族も膝を地面に立てて、視線を下ろしている。集まっていた野次馬までもが、しんと静かになった。

 あ、これ危険なやつゴフ。隙を見て逃げ出そうかと考えるトビーだったが、その前にスクラドと呼ばれた魔族が声を掛けた。


「久しぶりに見回りにでもと思ったが、面白いものを見せてもらった。ゴブリンよ、何かあったのか? 良ければ話を聞こう」

 爬虫類的な顔をしているので表情の違いが分かり辛いが、おそらく笑っている。多分、友好的な方面で。そう思ったトビーは、事のあらましを説明した。


「オレ、魔王様に会いたいゴフ。知恵の実を持ってきたから、それで会えないかって聞いたゴフが、オークに邪魔されたゴフ」

「ほう、知恵の実か。……その魔力の輝き、どうやら本物だな。ゴブリン、どうやって手に入れた?」

 一転、神妙な顔をするスクラド。トビーは正直に答える。


「普通に、龍蛇のとこから奪ったゴフ。倒せないから酒の実で酔わせたゴフが」

 偽りなき事実として、トビーはそう言うしかない。何せ、本当に酔わせて取ったのだから、これを疑われては無理だ。

 オーク族のように鼻で笑われるか。そう思ったが、反応は違っていた。


「なるほど、話に聞く龍蛇を酔わせてか! 中々やるではないかゴブリンよ。いや、名を聞こうか。名うての武人とは知り合いになりたくてな。私はスーラン・ザ・スクラド、龍人族だ。そなたの名は?」

「オレはトビーゴフ。見ての通りゴブリンだゴフ」

「ははっ、ゴブリンか。トビーよ、そなたは面白い奴だ。良ければ私が魔王様に取り次いでやってもよいぞ」

「ほ、本当ゴフか!?」


 渡りに船とはこの事。まさかの魔王へ会う道が切り開かれ、トビーは目を輝かせた。

 だが、スクラドは話を終えた訳ではなかった。

「ただし、だ。私を満足させられたらとしよう。何か技を見せてくれ。それで、魔王様に会うだけの価値があるかどうかを見極めさせてもらう」


 そう言って、スクラドは腰に差してある剣を抜いた。その様は、まるで一撃を入れてみろと言っているようで。何処かのハイオーガと似た雰囲気をしていた。

「……なんか、オルドンと同じ感じがするゴフ」

「オルドン・サーザンを知っているのか! 奴も素晴らしい武人だ。若しや、トビーは彼奴の弟子か何かか。ならば納得だ」


 まさかの知り合いだったらしい。武に秀でた魔族は繋がっているのかと驚くトビーだったが、しかし問題が一つある。

 トビーには、自分から使える攻撃技が一つしかないのである。

「すごく言い辛いんゴフが、オレ、自分から攻撃できるの一個しかないゴフな」


 トビーがそう言うと、スクラドは大きく頷いた。

「それもまた良しだ。一つの技を極める、それも武の一極であろう」

「や、そうじゃなくてゴフ。多分、それ使うとスクラドが危険ゴフ。オルドンみたいに受け流せないと、当たったら大怪我するゴフ」


 それは、トビーなりの心配だった。正面から受けてしまえば巨人すら打倒する必殺なのだから。

 けれども、スクラドは、

「面白い。私に当ててみよ、その技を」

 どうやら、オルドンと同じ種族らしい。血ではなく、性格的な意味で。


「……どうなっても知らないゴフよ」


 トビーは軽くスクラドから距離を取り、走り出すような構えを取る。

 それから、こう唱えた。


一歩分の勇気ウム・フォルティ・トゥード、そんで山茶花ゴフ!」


 超加速からの、その衝撃を相手へ一方的に叩きつける大技。

 我流【戦舞】風華繚乱、その技が放たれた。

 トビーとしては威力の高い技を使いたくは無いのだが、山茶花を使わないと自爆してしまうので仕方ない。頑張って受け止めてもらおうというつもりだ。


 全てを打ち壊す轟音が、魔王城の前で鳴り響く。トビーに痛みは無い。あらゆる力の流れは、スクラドへとぶつけてしまったのだから。

 突如発生した爆撃にも似た一撃に、土煙が巻き起こった。視界を奪われたトビーは、一体どうなったのか待つしかない。

 煙が晴れる。そこには、


「……あれ? スクラド、どこに行ったゴフ?」

 誰も居なかった。オルドンのように目の前で受け止めているとばかり思っていたので、突然の事に驚いてしまう。

 呆然としていると、背後から大声が聞こえてくる。


「す、スクラド様ああああああああ!? 早く治療師を、医務室まで運ぶフゴ!」

 ドッタドッタとオーク族が走ってくる。足取りは重いが、その表情は必死そのもの。大急ぎでトビーの方向へと駆ける。

「……ど、どういう事ゴフ?」


 トビーが意味不明とばかりに呟く。すると、目の前まで来たオーク族は答えた。

「あれが見えないフゴか! スクラド様は軍師フゴ! あんまり強くないフゴ!」

 ビシッと指をさされたので見る。そこには、というか二〇メールルほど遠くには倒れた魔族の姿があった。銀色の鎧、つまりスクラドである。


「スクラドって弱いゴフ!? 大変ゴフ、死んじゃうゴフよ!」

「だからそう言ってるフゴ! この大馬鹿フゴ!」

 オーク族は言いながら拳骨でゴスンッとトビーの頭を殴る。

 そうすると、トビーの身体がぐらりと揺れる。魔力を使い果たし、後は気力で立っていたので、ちょっとのダメージで限界に達するのだ。


「お前もフゴ!? もう仕方ないフゴ、早く医務室まで運ぶフゴ! 急げフゴ!」

 駆けつけてきた他の憲兵は、慌ててスクラドとトビーを運ぶ。オーク族は集まっていた野次馬を散らすと、元の門の前へと戻った。

「……なんだか、大変なやつが来た気がするフゴ」

 はぁと溜息。憲兵の仕事も中々大変なのである。

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