第2話
昼食のスープとパンを食べ終え、ティーアとトビーは居間で寛いでいた。片付けも済ませ、後は少し休憩した後に午後の修行だ。
「美味しかったゴフな。流石はティアの教えてくれた料理ゴフ」
満腹の腹を撫でながらトビーは感想を言う。それを見て、ティーアは微笑んだ。
「いえいえ、そんな事ないです。それにしても今日もトビーさんは素敵です……です!?」
はっと、ティーアが口を抑える。それから何度か瞬きをした後、一気に顔が真っ赤に染まった。
「い、今の聞いたです!? 恥ずかしいです、いつもこんな事考えてるなんて知られたらって、なんでです!?」
ブンブンと顔を振るティーア。かなり混乱している様子で、自分に一体何が起きているのかと焦っている。
一雫の愛よ永遠に。それは、非常に端的に言うのであれば自白剤だった。
飲んだ者の考えている事を暴露させる薬であり、無味無臭、液体に溶かすと無色になるという、悪辣極まりない物。しかも作った当人は『人の為になりたい』と考えているので始末が悪い。
たった一滴で通常の魔族を暴露状態にさせる危険な薬だが、何も知らないトビーは一瓶を投入。現在、全ての感情を発露してしまう危険な状態に両者は陥っている。
ちなみに、副作用が一切無いのだけは良い点だろう。作り手の技術力の高さを示しているが、暴露効果の危険性に比べれば塵芥である。
「どうしたゴフ? なんか変ゴフよ?」
トビーは心配そうにティーアを見る。その表情に嘘はない。
そう、トビーはいつも、いつでも心に素直。
なので薬の効果が発揮されようと、何も変わりがないのである。
「み、見ないでです! でももっと見て欲しいー!? 何を言ってるです!?」
「本当にどうしたゴフ!? 何か悪い物でも食べたゴフ? 隠し味が悪かったゴフかな――あ、言っちゃったゴフ」
唯一、トビーが心に秘めていた事を暴露してしまう。巨人に効く薬はゴブリンにも効果覿面だった。
ハッハッハ! と言いながらトビーは立ち上がり、
「じゃ、ちょっとオレは行くゴフな。バレると怒られそうゴフ」
「待ってトビーさん、隠し味ってなんです?」
部屋を出て行こうとしたその時、ガシリと肩を掴まれる。
恐る恐る、ゆっくりと振り向くと、そこには悪魔がいた。
笑顔ではあるが、確実に悪鬼羅刹の類である。
暴露状態なトビーは隠す事も出来ずに事情を説明した。怪しい魔族に変な薬を渡され、それをスープに混ぜた、と。
それを聞いたティーアは納得と怒りを半々に混ぜた感情で言う。
「何が起きてるかは分かったです。愛情を入れてくれるのは嬉しいです、でも物理的に入れるのは間違ってるです!」
「そ、そうなんゴフか?」
「そうです。愛情なら毎日しっかり入れてるですーーっ!?」
もはや会話もままならない様子の二人。さてどうしようと悩み始めたところで、ティーアが言った。
「修行しましょう、です」
「修行……って、大丈夫ゴフ? 今日は休んだほうが良いゴフ」
「いえ、こんな時こそ修行です。何も考えずに体を動かせば、喋る事も無くなるです。悩んだらとりあえず修行しろって師匠も言ってたです!」
そう言ってティーアは立ち上がり、庭の方へと歩いていく。トビーも急いでその後を追い駆けた。
ティーアは今、巨人の雷の習得真っ最中だ。まだ微かに電気を帯びる事しか出来ず、実用には程遠い練度である。
武闘大会まであと少し、休む暇など無い。トビーの邪魔にならない、守れるだけの力を得るならば、努力し続けないといけないとティーアは思っていた。
庭に出たティーアは、よしと意気込み、そして「あ」と声を出した。
「……トビーさん、魔力を空にしてもらっても良いです?」
「分かったゴフ。満タンから雷出すのは難しいゴフからな」
トビーは頷いて、庭の端まで移動する。それから一歩分の勇気を使って反対側まで一瞬で移動。へとへとになりながらティーアの元に戻ってくる。
「じゃあ、
「よ、宜しくお願いします、です」
トビーが手を出すと、おずおずとティーアも手を差し出してくる。その様子は普段と違い、何か気にしているような雰囲気がした。
「どうかしたゴフ?」
「いえなにも! 手を繋げて嬉しいですっあーあーやっぱりこうなったです!」
薬の影響でさらっと本音が漏れるティーア。それを聞いて、トビーも安心させるためにこう言った。
「大丈夫ゴフ。オレも手を繋げて嬉しいゴフよ。ティーアの手はすべすべで気持ち良いゴフ!」
そんな事をさらりと言うトビー。薬の事など関係なしに言うのを理解しているティーアは、恥ずかしそうに耳まで赤くして言った。
「うぅ、トビーさんはズルいです。そんなに喋って、恥ずかしくないです?」
「何も恥ずかしくないゴフ。心に素直、ゴブリンの良いとこゴフ!」
胸を張って自慢するトビー。心に素直、つまり欲望にまっしぐらなのだが、トビーは性根が良いので大事には至っていないだけである。普通のゴブリンはもっと食欲等に一直線なので、大抵は野蛮とか粗暴と呼ばれている。
仕方ないと割り切ったのか、それともやけくそか、ティーアは巨人の雷の修練へと入るようだ。呼吸を整え、軽く身構えて発動を行う。
普段ならば暫くしてようやく発光する程度、しかし今日は違っていた。
パチリと弾ける音がしたと思えば、すぐに全身を電気が流れ始める。特有の低周波音を鳴らしながら、ティーアは驚きの表情をした。
「え、うそ、わたし出せるようになりましたです! 今日は調子が良いみたいです!」
今までの恥ずかしがっていた姿は何処やら、晴れやかな顔でティーアが喜ぶ。もちろん見ていたトビーも大はしゃぎで、手を叩いて感動を分かち合う。
「やったゴフな! これなら魔力が空じゃなくても出来そうゴフ!」
「はいです! やってみてもいいです?」
「分かったゴフ。魔力の循環、ゴフ」
ティーアの手を握り、魔法を発動。トビーからティーアへと光の線が生まれ、徐々に魔力が流れていく。
そして、ティーアはある程度の魔力がある状態でも雷を発動する事に成功した。トビーの繰り返しの記憶でも、初めての高出力だ。
「どうしてこんなに上手くいったゴフ?」
順調すぎる展開に、トビーが不思議そうな顔をした。それに、ティーアが答える。
「多分、気持ちが正直だからだと思うです。何となく、心から直線で身体の外まで出てる気がして、それで出来てるです」
「それって、薬の効果ゴフか?」
そう聞いたトビーの言葉に、ティーアは微妙な顔で頷いた。
「はい、そうです……。いつもは抑えてる気持ちが正直になってしまって、それで、だと思うです」
まさか劇薬かと思われた物が、本当の薬になってしまうとは。トビーは驚くしかない。これは使えるかもしれない、と考えているとそのまま口に出てしまう。
「あの薬があれば雷を自由に使えそうゴフな。もっと貰ってこようかな、ゴフ」
「それは! 絶対に! だめです!」
ティーアが一際大きな声で止めに入る。トビーとしては次の繰り返しの時にでも、という気持ちだったのだが、こう言われてしまうと断念するしかない。
ティーアの修行が上手くいきそうなので、トビーも自身の修行に移る。ただ、今のところ目立った成果は無く、
もっと力があれば、と思うのだが、そう簡単にはいかない。
うーん、と悩んでいると、ふとティーアが話しかけてきた。
「あの、少し思っていた事があるですが、言ってもいいです?」
「ん、なにゴフ? なんでも聞くゴフ!」
ティーアにしては珍しく、自分からの提案だった。いつもならば自ら主張する事は無いのだが、薬の効果なのか今日は一味違っていた。
「トビーさんのすごい魔法、あれ、ぶつかる時に力を相手に流せない、です? もし出来たら、強そうだなぁって思ってたです」
「力を流す……山茶花ゴフか?」
「はいです。きっと師匠くらい上手くないと、難しいと思うですが、成功すればトビーさんのとても強い武器になりそうです」
そう言われて、トビーは想像してみる。
一歩分の勇気、その衝突の力は途轍もない。下手に使えば自分の身体を破壊してしまう程に。もしそれを無傷で、相手に痛みを押し付けられるのならば、最強の技が出来上がるのではないだろうか。
「……面白そうゴフ。ちょっとやってみるゴフな!」
トビーはササッと庭の端に移動する。ティーアから最初に貰った分の魔力は、返した分を引いてもまだ残っている。練習には丁度良いはずだ。
「いくゴフ!
右足に嵐が巻き起こる。トビーはその足で地面を踏みしめ、消えた。
たった一歩で庭の反対側にある塀にまで到達する。その直前、もう一つの技を身体に命じる。
「さざん――ゴフゥッ!?」
山茶花を身体に命じた、と思った瞬間には壁に到着。真正面から激突し、トビーは仰向けになって地面に倒れた。
「と、トビーさん、大丈夫です!?」
ビックリしたティーアが纏っていた電気を消し、急いでトビーへ駆け寄る。それから怪我は無いか慌しく確認して、意識があると分かると、ほっと息を吐いた。
「し、失敗したゴフ……」
「全く、無茶しすぎです! 大怪我したらどうするんです?」
ぷんすか怒るティーア。トビーは、ハハハと乾いた笑いをして答えた。
「やー、成功したら凄い技になると思ったゴフ……。これ、なにか名前って無いゴフ?」
「名前、です?」
「そうゴフ。カッコいい名前で成功したら、なんか強そうゴフ」
そうトビーに言われて、ティーアは考える。トビーの新しい技なのだ、真剣に考えなくてはならない。
「……我流、【戦舞】、風華繚乱、とか、どうです?」
「おお! 強そうゴフ! それって何か意味ってあるゴフ?」
「ええと、オルド流じゃないので『我流』、でも山茶花は使うので『戦舞』、風の魔法なので『風華』で、…………格好良いので『繚乱』です」
ちょっと頬を赤くしながらそう告げるティーア。オリジナルの技名を説明するのは、どうやっても羞恥心が出てしまうのだ。人間でも魔族でも、そこは変わりない。
「気に入ったゴフ! それじゃあ成功したらその名前ゴフな――あ、」
気持ちが昂ぶったのか、パッと起き上がったと思ったら即座に倒れるトビー。魔力を全て消費したのと、激突のダメージで限界を迎えていた。
「もう、仕方ないです。少しお休みしましょう、です」
そう言いながら、ティーアは膝を崩して座り、トビーの頭を膝に乗せた。
柔らかく微笑み、そっと起こさないように頭を撫でる。不思議と気持ちが落ち着く感じがして、ティーアは気持ちがよかった。
「すぐ無茶するんですから、です。……でも、そんなところが羨ましいです」
突然に現れてオルド流に入門したかと思えば、知らないはずの暗殺を止めに来て、それで賞金の為にと頑張って修行をして。
トビーはいつでも突っ走る。でも、それが心に素直な結果なのだろう。ティーアはそう思っていた。
優柔不断になってしまう自分とは、まるで違う。
一歩が踏み出せない自分とは、進む速度が違いすぎる。
でも、だからこそ、そんなトビーを、
「あぁ、好きなんだなぁ、です。――あっ!」
声に出してしまった。薬のせいで言わないように、頑張って我慢していた言葉が、ついに漏れ出てしまった。
一瞬、頭が真っ白になる。
だが、問題は無かった。トビーを見ると、すぅすぅと寝息を立てているのだから。
「あ、危なかったです……。うっかりで言ってしまうところだったです……」
ぜーぜーと呼吸を荒げつつ、ティーアはもう一度トビーを見る。穏やかに目を瞑って寝ているゴブリンは、目の前で起きた事態に気づいていない。
「……いつか、ちゃんと、しっかり言うです。それまで、待っててください、です」
薬の力に頼らずとも、自分だけの力で気持ちを伝える。
一歩進める魔族になろう。勇気を持って、未来に進める。そんな魔族に。
ふわりと風が吹く。その日は、早春にしては暖かな陽気の、気持ちの良い日だった。
ティーアは日の光が眩しくないように自分の頭で影を作り、トビーを眺めていた。
その顔は、日差しに負けぬほどの、花より可憐な笑顔であった。
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