『閑話』やっぱりゴブリンに料理は難しいのだろうか

第1話

 それは七度の繰り返しの途中、日付けは二〇日目の事だった。

 唐突にトビーはこんな事を言う。

「ティア、オレ料理がしてみたいゴフ」


 タンタンタン……タン。調子良く振るわれていた包丁のリズムが途切れる。台所に立ち、朝御飯を作っていたティーアは、そっとトビーを見て言った。

「トビーさん、物事には得て不得手というものがあるです」

「そうゴフな。好き嫌いは皆あるゴフ」

「です。なので、お料理はわたしに任せてくださいです」


 そう言うと、またティーアはまな板の方へ向いてしまう。話は終わりだ、と言われているようで、トビーは食い下がった。

「待つゴフ! オレの話を聞いてほしいゴフ!」

「……トビーさん、暫く一緒に生活していて分かるです。トビーさんはお料理できないでしょう、です」


 それは紛れもない事実だった。ゴブリンに調理の概念は殆ど存在しない。煮るか焼くかが精々で、調味というのは別次元の問題だ。

 よってトビーも全くと言って良いほど料理が出来ないのだが、どうしてもここは引く訳にはいかなかった。

「それでも料理がしたいゴフ! オレも飯作って、ティアに食べさせたいゴフ!」


 そう、トビーはティーアにご飯を作ってあげたかったのだ。いつも貰ってばかりだと気になってしまい、たまにはあげる側になりたい。そんな思いから、料理を作りたいと言い始めた。

 それを聞くと、ティーアはふぅと息を吐いた。

「……その気持ちは、とても嬉しいです。ですが、これでもわたしはこのお家のお台所を預かっている身、変なお料理は作らせません、です」


 ふんす、とティーアは台所を守るように仁王立ちする。片手に包丁を持っているからか、妙な圧を放っていた。

 しかしトビーは諦めないゴブリン。それでもと言い返す。

「なら、ティーアの作りたい料理をオレが作るゴフ。一緒に作れば問題ないゴフ!」


 自分だけじゃ問題なら、ティーアとなら大丈夫。そんな子供のような発想だが、じっと見つめる小動物のようなトビーの目を見たティーアはついに折れた。

「……分かりました、です。一緒に、わたしの言う通りに作る、です?」

「約束するゴフ。頑張るゴフ!」


 そうして、トビーの初めてのお料理がスタートしたのだった。



 まずは買い物から。ティーアと共に市場へ買出しに出かける事になった。

 いつもティーアは暇さえあればトビーの手を握っているのだが、今日はその手が一段と力が入っている。変な物は買わせないぞと、暗に示しているようだった。


「それで、何を買うゴフ?」

「うーん、そう、です。今日は温かいスープにしましょう、です」

 人差し指を唇に当てつつ、ティーアはそう言った。その表情は可愛らしく、家を預かる母、もしくはお嫁さんのようだとトビーには見えた。

「なんか母親、いや、嫁みたいゴフな」


 そんな突拍子も無い事を言われたティーアは慌てて首を振る。

「お、およよよ嫁さんです!? そんな、まだ早いです!?」

「なに慌ててるか分からんゴフが、さっさと買い物終わらせようゴフ。ちゃちゃっと作るゴフよ!」

 立ち止まってあわあわやり始めたティーアをトビーがぐいと引っ張って進める。凸凹なコンビを見ている周りの魔族は微笑ましげだった。


 家で足りない食料を買っていくのだが、そこでトビーの審美眼が発揮される。何故か一発で一番美味しそうな野菜や果物、肉類を当てていくのだ。

「……トビーさんすごいです。どうして分かるんです?」

「森で採取してたら何となく分かるゴフな。美味しそうっていうか、不味そうなのは食べても嫌ゴフ」


 意外とグルメなトビーの一面を見てしまい、ティーアはより一層料理に気合を入れなくてはと意気込むのであった。

 食料の買い物はすぐに終わり、さて帰るかとトビーが歩こうとすると、ティーアが足を止めているのに気づく。


「どうかしたゴフ? もう買い物は終わりゴフよな」

「えと、その、ちょっと自分の、買わないといけないものがある、です」

「分かったゴフ。じゃあ行くゴフ」

「いえ、えと、その、」


 ティーアはもじもじと、ハッキリせずに言う。

 曖昧はゴブリンの苦手とする分野だ。トビーは直接的に聞いた。

「どうしたゴフ。何を買うゴフ?」

 すると、観念したのかティーアは小声で言った。


「お、女の子の買う物です! トビーさんはそこで待っててください、です!」

 言い終えると、ティーアはトビーの手を離してパタパタと駆けて行った。残されたトビーは突然の大声に驚き、雌って不思議ゴフなぁと思うのだった。


 さて、トビーはただ待ちぼうけするようなゴブリンではない。

 今日のご飯、それについて深く考えているのだった。

「うーん、料理ってもっと色々あるんじゃないかゴフ。なんかこう、パンチの効いた何かが欲しいゴフよなぁ」


 優しい味付けを主とするティーアの構成とは随分離れた思考なのだが、トビーは全く気にしていない。周囲を見渡し、何か良さそうな物が無いか探し始めた。

 と、その時。不意に横から声が掛かる。


「おや、何かお困りかい、そこのゴブリンや」

「む、誰ゴフ?」

 トビーは声のする方向を見る。そこは市場の裏路地で、細い脇道が幾つも分岐する道への入り口であった。捨てられたゴミが散乱する、お世辞にも綺麗とは呼べない場所である。


 そこに立っていたのは、小柄な魔族。全身を大き目のローブで隠し、薄汚い杖をついている。明らかに、怪しさ満点な魔族であった。

「お困りのようなら、ウチ、ゲフンッ、ワシがお役に立てると思うがね」

 咳で何かを誤魔化しながらそう言ってくる魔族。トビーは訝しげな顔をしながらも、今考えていた事について話してみた。


「料理を作るゴフが、なんか足りない気がするゴフ。なんだと思うゴフ?」

 それを聞くと、なるほどのう、と魔族は頷く。言い方は老婆のそれだが、声の明るさが幼子のようなので、何か一癖ありそうだとトビーは感じる。


「その料理はお前さんが食べるのかい? それとも、誰かに食べさせるのかい?」

「ティアに食べさせるゴフ!」

 トビーがそう言うと、キラリとローブの奥の瞳が光った気がした。


「そうか! なら、足りない物がワシには分かるのう」

「ほ、本当ゴフか! 何が足りないゴフ!」

 食い入るように聞くトビー。それを見て、怪しい魔族はこう答えた。

「愛情じゃよ」

「アイジョウ、ゴフ?」


 はて、とトビーはハテナを浮かべる。そんな食べ物あったゴフ? と色々と木の実やらを想像していると、魔族はこう言った。

「愛情とは気持ち、お前さんの相手への愛じゃ」

「愛、ゴフ?」


 うむ、と魔族は大きく首肯する。そしてこう答えた。

「愛。しかしそれを料理に入れるとなると難しい。そんな時にこれじゃ」

 言いながら、魔族は懐から小瓶を取り出す。青色の液体の入った、見るからに怪しげな代物だ。


「入れられる愛情。名づけて『一雫の愛よ永遠にア・トレリーヴィ・ヒカイト』じゃ!」

 ちゃぽんっと小瓶の中の液体が揺れた。微妙に粘度があるのか、内側に薄くへばり付いているのが気味が悪い。

 が、そんな事トビーは気にもしなかった。

「そんな物があるゴフか! ……あ、でも金が無いゴフ。買えないゴフ」


 しょぼん、とトビーは落ち込む。買い物のお金はティーアが管理しているので、トビーは無一文。ゴリンの一個も買えやしないのだ。

 しかし、それを見越してか魔族はこう言う。


「心配するでない、お代は不要じゃ。お前さんが幸せになってくれればそれで良い」

「本当ゴフ!? それは助かるゴフ!」

 警戒していたのが嘘のように、トビーは魔族に信頼の眼差しを向ける。それを見て、魔族はほっほっほ、と笑った。


「ほれ、割れぬように気を付けるのじゃぞ。使い方は簡単、料理の最後にちょいっと混ぜれば大丈夫じゃ。くれぐれも、相手に気づかれてはいかんぞ。隠し味じゃからな」

「分かったゴフ。隠し味ゴフな!」

 トビーは小瓶を受け取ると、大事にポケットの中へと仕舞った。

 と、丁度その時。名を呼ばれたような気がしてトビーは振り返った。


「トビーさん、お待たせしましたです。帰りましょう、です」

「お、お帰りゴフ。……あれ、もういないゴフ?」

 慌てて声を返して、背後にいる魔族を気づかれては大変だとちらりと見る。すると、そこにはもう誰も居なかった。最初から、何も無かったかのように。


 けれどポケットの中に入っている感触は本物で、まるで夢でも見ていたかのようだ。

 首を傾げながらも、トビーはティーアと共に屋敷へ戻る。頭を切り替え、料理をするのだと意気込んで。



 調理は順調に進んだ。それはティーアの教え方が上手いとか、そもそも難しい料理で無いから、というのもあるが、トビーの手際が良かったのだ。

「トビーさんすごいです。包丁の使い方が上手です」

「ナイフと似たようなものゴフな。最近は使ってないゴフが」


 見事な包丁捌きで野菜を一口大に切っていくトビー。元々は森でナイフを使った採取を得意としていたので、ナイフの扱いは一日の長があるのだ。

 作る物はスープだけで、あとは買ってきたパンがある。野菜を切り、少しの肉を入れれば後は煮込むだけだった。


 これはティーアの作戦である。下手に凝った物を作らずとも、料理であれば問題ない。それも軽く味付けするだけのスープならば、失敗は無いだろうと。

 それは見事に成功し、四半刻もしない内にスープは作り終えたのであった。


「……ん、美味しいです。これで完成です!」

「やったゴフ! 上手くできたゴフな!」

 初めての料理を作り終え、大はしゃぎのトビー。オルドンは既に何処かへ旅立ってしまっているので、後は盛り付けて二人で食べるだけだ。


 ティーアがスープを取り分ける皿をどれにしようか探す。

 その時、トビーは思った。今こそ、隠し味を入れるチャンスなのではないかと。

「(よし、入れるゴフ!)」

 ゴブリンは手先が良い。素早くポケットから小瓶を取り出し、蓋を開け、中身を一気に鍋の中へと投入。ぼちょんっ、と音がして、全てスープに溶けた。


「あれ? 何か音がしましたです?」

「何も無いゴフよ? スープ美味しそうゴフな!」

 あまりにも下手くそな嘘を吐きつつスープを混ぜるトビー。しかしティーアも素直な性格、トビーが言うのだから気のせいかと納得した。


「(危なかったゴフ! でも、これで隠し味は成功ゴフな!)」

 青色を入れたというのに、不思議と色の変わらないスープを見ながらトビーは呟く。

 昼食は、あともう少しで始まる。

 何が起きるのか、誰も知らない。


「あ、一滴で良いと伝えるの忘れたのう。はっはっは!」


 どこか遠くでそんな声がしたが、誰も聞いていなかった。

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