2、世界の始まり

第1話

「おう、トビー。今日は早かったじゃねぇかゴブ・・・・・・って、その頭どうしたゴブ」

 喜びに痛みも忘れ、急ぎ足で家へと帰るとそんな言葉がトビーを待っていた。

 粗雑な板とわらぶきの屋根、ゴブリンが九匹も入るとギュウギュウな建物がトビーの実家である。その家のど真ん中で胡坐をかき、武器であるナイフの手入れをしていたのは父親のオビーだ。

 トビーよりも頭一つ分大きなオビーは、一家の中で一番の武闘派である。とはいっても身長一五〇セルチなので、ゴブリンの中ではちょっと大きい程度だが。


 研いでいたナイフを傍に置き、オビーが近づいてくる。


「なんだ怪我してんのかゴブ。起き立ての熊にでもやられたゴブか! ガッハッハ」

 トビーの頭の大きなタンコブを見てそう言うが、トビーなちょっと言い辛そうに口を開く。


「いや、そうじゃなくてゴフね、ジツは――」

 と、トビーは事のあらましを話し始めた。


「・・・・・・ふーん、そんな話聞いたことが無いゴブな。夢でも見てたゴブ」

「ユメじゃないゴフよ! ナンどもやられたのオボえてるゴフ!!」

 息を荒げに言い返すトビー。だがオビーはやれやれといった感じで受け流している。

 そして、さて、と言葉を切って話しかけた。

「トビー、ところで今日の狩りはどうするでゴブか。早いとこ見つけないと飯抜きでゴブよ」

「げ、それはまずいゴフ! イソいでイってくるゴフ!」

「今日は見つけたナイフ使うって言ってたじゃねえかゴブ。日が暮れる前に帰ってくるでゴブよ」


 オビーの言葉を背に受けながら、トビーは急いで家をでた。日はもう頭の上を過ぎていて、普段なら狩りの途中で見つけた木の実を食べて凌いでいた腹の虫も、ぐぅと情けない音を鳴らしている。

 出来るだけ早く獲物を見つけて、ああその前に木の実探して腹を満たさないと、そんなことを考えながらトビーは走り出すが、ん、と思い出す。


 腰の辺りが軽い気がする。そこには昨日拾った対魔のナイフが下げてあったはずだが――。

「・・・・・・あれ? ナイフがナいでゴフな。どこかにオとしてきちゃったゴフ?」

 折角のお宝だったのにとても残念だ。そう思いつつも、まずは今日の飯が最優先だと頭を切り返る。ゴブリンは基本的に短絡思考。目の前のことしか頭に入らないのだ。


「よーし、いっちょサガしてやるゴフ。ゴウセイなメシにするでゴフよ!」

 声高らかにトビーは走る。飯を食い寝て増える。それがゴブリンの原則なのだった。






 あれから一つの月が経った。

 成長期のトビーは若干身長が伸びていた。髪はゴブリン族特有で、成長の早いゴブリンは髪が生えるのも速すぎるので、退化して無くなっているので変わりない。

 今日はトビー家も、周りのゴブリンの家々も浮き足立っていて、そわそわとした雰囲気が辺りを包んでいる。皆家から出て、何処かへと出立の準備をしていた。


「オヤジ、キョウゴフな。マオウサマの『サイタンビ』ってやつゴフ」

 出来るだけ一番良い服を着ろと言われ、落ちていた人間の死体から奪ったそこそこ上等(穴が空いていないだけでボロ)な服を着込んだトビーが父親に話しかける。

 父のオビーも自慢げにオシャレをしており、小動物の頭蓋から作ったネックレスをして嬉しそうだった。


「おうよ。トビー、今日は魔族全員で魔王城に行くんだぞ。なんたって魔王様が神になるための『再誕日』だからなゴブ。コビー、小さいのの面倒は任せるでゴブよ」

「任せるゴブ。ヨビー、ロビー、ちゃんと兄ちゃんに着いて来るでゴブ」

 一番上の兄であるコビーが自信満々に頷く。周りの弟や妹ゴブリンたちは、はぐれないように服のすそを掴んで離さないでいる。


「さあさあ、お隣さんも行くみたいだから、ウチも行くゴブね」

 母親のトトノが手を叩いて皆を注目させる。気が強くてたまにオビーも尻に敷かれる事のある肝っ玉母ちゃんだからか、家族全員言葉に従った。

 先頭は大黒柱のオビー、続いてトトノ、二番目の兄のソビーと続き、その後にトビーは歩いていく。


「すごいゴフなぁ。しらないやつらがいっぱいゴフ」

 キョロキョロと周りを見渡すと、別の集落に済むゴブリンだけではなく、人狼族やトレント族、上位種であるオーガ族までもぞろぞろと歩いていた。

 トビーは話に聞いただけだが、どうも全ての種族に魔王からの命令が下ったらしく、曰く『再誕の日に全ての種族は魔王城へ集え』とのこと。

 それに従って、魔王国中の魔族が一挙に魔王城へと押し寄せているのだ。


 お祭りのようではしゃぎたい気持ちはあるものの、トビーはちょっと気後れしていた。なんせ他の種族と関わる事が少なくて、こんなにも多くの魔族を見るのが生まれて初めてだからだ。

 下の兄弟たちも同じような気持ちのようで、別の兄たちの裾をギュッと握り締めて必死に着いて来ている。


「ニイちゃん、サイタンビってナニをするんでゴフな?」

 気を紛らわせるために一つ上の兄、ソビーに話しかける。

 するとソビーはうーん、と唸り、

「いやー、全然分からんでゴブな。でも魔王様のことだから、なんかデッカい事でもするんじゃないでゴブか? 皆に飯をくれたりとか」


 明らかに適当な発言なのだが、それを聞いたトビーは跳ねるように嬉しがる。

「そうだったらウレしいでゴフな! オレうさぎのニクがイイでゴフ!」

 兎肉はトビーの大好物だ。それも、子兎の肉が一番。ジューシーさは他の肉には及ばないものの、柔らかくムニッとした食感が大好きなのだ。

 他のゴブリンには変な奴だと笑われるが、兎に角トビーは子兎が大好きなのだった。

 それを聞いたソビーは、はははと笑い、冗談だゴブと謝る。


「ま、再誕の日って言うんだから、何か儀式でもするんじゃないゴブかね。きっと俺たちゴブリンじゃ分からないことゴブよ」

「ギシキ、そうゴフかー。ギシキじゃハラはフクれないゴフな」

 ずーんと肩を落とし、暗くなるトビー。するとそれを見ていた父親のオビーはこんなことを言う。


「飯くらいならありつけるかもしれないゴブ。他の種族を見るでゴブ。肉やら木の実やら沢山持ってるでゴブな」

 そう言われて見てみると、確かに人狼族は猪を棒で吊るして持っているし、トレント族は多くの木の実を蔦で縛って運んでいた。

 実際のところ、それらは魔王への供物なのだが、そうとは知らないゴブリンたちだけは皆で食べる物だと勘違いして喜んでいた。


 朝早くから家をでて、既に夕刻。夕闇鳥がカァカァ鳴き始める頃になって、ようやくトビー達は目的地にたどり着いた。

 ただ、そこは魔王城ではなく、まだ森の中だった。

「ここでいいんゴフ?」

 トビーは不思議そうに辺りを見回す。他の種族たちも集まっていて、魔族でごった返していた。


「ここで大丈夫ゴブ。魔王城は遠いゴブからな。魔王様が直ぐに行ける転移の魔法を幾つも用意してるらしいゴブ」

 オビーにそう言われてみると、確かに前の方で謎の魔力の光が立ち上がっているのが分かった。おそらく、あれが転移の魔法なのだろうとトビーは思う。


 暫く待っていると、ゴブリン族の番となった。弱小の種族だからか順番は最後で、他の種族の姿はもう無い。

 ゴブリン達は一塊になって集まる。足元には巨大な魔方陣があり、淡い黒の光を放っていた。

「すごいゴフなぁ。これでマオウジョウまでイけるんゴフ?」

 トビーがそんなことを呟いている内に黒の光は徐々に輝きを増し、瞬間、

 気づけば、トビーは石造りの町の中にいた。


 魔王城の周囲には城下町があり、その街中に転移してきたのだ。

 始めてみる石造りの建物にテンションが上がり、火ではない輝きで照らされる路傍をキラキラした目でトビーは見る。

 周囲にはドンドン魔族が増えてきて、噂でしか聞いたことがないような珍しい種族までちらほらと見かけるようになっている。


「すごいゴフな。キいたことしかないマゾクがいっぱいゴフ」

「俺たちは魔族領の端っこに住んでるでゴブからなー。俺も見るのは初めてゴブ」

「ニイチャンはドコまでイったことあるゴフか? オレはまだモリしかないでゴフ」

「俺かー。そうだ、湖で魚を取ったことあるでゴブよ。あいつら陸だと死んじまうくせに、水の中だと速いゴブなー」


 そうなんゴフか、と、そんなことをソビーと話していると、妙にザワザワとした声がトビーの耳に入ってくる。

 それは楽しげな騒がしさではなく、やけに殺気立った、緊張感のあるものだ。


「ソビー、トビー、トトノや他のも。気をつけるでゴブ」

 キッと目を吊り上げ、真剣な面差しのオビーがそう言う。普段の家の中では見ない、狩りの終盤に見せるような、真剣な瞳だ。


「『人間が襲いに来た』前の方でそう言ってるでゴブ」


 それを聴いた瞬間、ザワリと周りが震えた。周囲で聞き耳立てていたゴブリンたちも聞いていたからだ。


 人間が襲いに来た。それはもう七〇〇年は無かったことだ。

 何せ現魔王がその強大な力によって人と魔族の争いに終止符を打ち、長き平穏が訪れたのが七〇〇年前。それからは一切の進行を魔王が阻み、人間と魔族は関わり合わずに生活していたのだから。


「サイタンビだからニンゲンがキタでゴフか!?」

 トビーが思わずそう言うと、オビーは少し考えてから頷いた。

「そう考えるのが当然でゴブな。魔王様はきっと忙しいゴブ。だから今、人間が襲いに来たゴブ」


 トビーは生きた人間をまともに見たことが無い。森の中で見つけるのは、油断して何かに襲われ死んだ人間だけで、自分自身では戦ったことなど――あの一つの月前にあった、あの時以外では無いのだ。

 ぶるりとトビーの全身が震える。あの時は死んでも何故か元通りだったが、今度はそういかないだろう。

 死んだら終わり。それは、どうしようもなく恐ろしい。


「ど、どうしようゴフ。た、タタカうでゴフか?」

 おろおろとしか出来ないトビー。それを見て、オビーはトビーの頭を撫でた。

「心配するなでゴブ。ここには上位の種族もいるでゴブ。いざとなったらこの小さな体を活かして逃げれば良いゴブよ」


 なんとも情けない言葉だが、ゴブリンは魔族の中でも下から数えたほうが良いくらいに弱い。戦場では邪魔にならぬようさっさと逃げたほうが良い場面があるのも事実で、オビーはそれを理解していた。

 家長の自信に満ちた言葉を聞き、トビーは少し安心する。


「でも、カゾクはマモラらなきゃゴフな。ガンバってオトウトたちはニがすでゴフ」

 うん、と自分自身に頷き、覚悟を決める。雄ならばやらねばならない時があると、前に族長から聞かされたことがあった。今こそだろう。


 と、そんなことを考えていた時、つんざく様な爆発音が響き渡った。


 火薬と鉄の入り混じった変な臭いがトビーの鼻に流れてくる。

 武器と血の臭いだと判断するのには多少の時間がかかり、その頃には、既に絶叫が辺りで巻き起こっていた。

 『人間を殺せ』と血沸き立つ者。

 『嫌だ死にたくない』と一目散に逃げる者。

 ゴブリンは、


「皆逃げろ! 巻き込まれたら死ぬゴブ!!」

 ゴブリン族長の鶴の一声が響く。それを聞いたゴブリンたちの動きは速かった。

元より足が速く、身軽な種族だ。他の種族の隙間を、足の間をするりと抜け、全速力で駆けることが可能である。

 オビー一家も例に漏れず、兄ゴブリンは小さなゴブリンを抱きかかえ、全力で戦場から退散を始める。オビーが先頭になり、多少大きな体を使って退路をこじ開けながらの逃げだ。


「どうしてこんなことがオきるでゴフ。フツウにクらしてただけなのにゴフ・・・・・・」

 はぁはぁと息を切らせながらトビーは走る。三歳ともなれば一端のゴブリンだ。自分の身は自分で守らなければならない。

 人狼族の脇をすり抜け、トレント族の根っこをスライディングで避け、速度を落とさずにスルスルと戦場を駆け抜ける。

 時折どこかで痛々しい叫び声が聞こえて背筋が冷たくなるが、そこで足を止めていては次は自分の番。小さなゴブリンは大きな種族に踏みつけられただけで致命傷だから、安全になるまでは走り続けないと命が無いのだ。


 死にたくない。死にたくない。その一心でトビーは足を速める。


 だが、その祈りは無残にも散ると、次の瞬間トビーは理解した。


 ゴウゥッ! と風が戦場を撫ぜる。その風は容易くゴブリンを、トビーを攫い、地面を転がしていった。

 土まみれになりながらも起き上がり、ゴミが入って視界が優れない目を擦りながら辺りを確認する。


 戦場は静まり返っていた。

 戦いの音も、叫びも、駆け出す足音すら聞こえない。

 皆、空を仰いでいた。


 黒と紫。二本の光の柱が、魔王城の天辺から生えている。

 城を突き破り、空すら断ち切り、魔王城の周囲だけ雲が消し飛んでいるその様子は、剣先を鼻に突きつけられる以上の恐ろしさがあった。


 黒い柱からは、恐ろしさと共に安心するような力を感じる。きっと、魔王のものだ。魔族特有の魔力が、ゴブリンには安心感と共に興奮する薬として働く。

 だが、あの紫の光は何だと、トビーは恐れ戦く。

 魔族のものではない。うねり、時たま小さく弾け、まるで淀んだ感情に色を与えたようなその光は、正気の魔力では無かった。

 見たことは無いが、人間の魔力でもないだろう。あんなものが人の魔力だとすれば、人間とはどれだけ危険な種族なのか想像にもつかない。


 二本の柱はぶつかり合い、絡み、弾き合い、その度に豪風が当たり一面を吹き飛ばすように撫でていく。

 世界の終わりだ。

 そんな言葉がどこからか聞こえてきた。


「ホントに、イッタイ、なにがオきてるんでゴフか・・・・・・・」


 よろめきながら立ち上がり、トビーの口から弱弱しい言葉が紡がれる。

 一介のゴブリンではどうしようもない大いなる力の戦いを目の当たりにし、その余波でなぎ倒され、気圧され、もう呆然とするしかないのだ。


 一度に雷が一〇も落ちたのではないかという衝撃音が魔王城から鳴り渡る。


 決着がつくのか。


 そう思った瞬間、トビーの目の前は白くなり――



 気づけば、森の中にいた。

 早朝の少し湿った爽やかな風が吹き、布を通してトビーの肌を冷たさでツンと刺す。

 はぁと吐いた息は白く、もう残っていないはずの雪がギラギラと太陽の輝きを反射して光っている。


「まさ、か。また、ゴフか・・・・・・?」


 トビーは、またあの日の、あの時間の、森の中にいた。

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