やっぱりゴブリンは勇者を殺せないのだろうか?

月下ミト

1、始まりの森

第1話

 雪解け間近の森の中は、まだ薄らと冷気が漂っていた。吐く息はもわっと白く、ちくりと肌を刺すような風が肌を撫でる。

 キラリキラリと緑の中で、白く視界に映るのは溶けかけた雪の輝き。


 それは、普段と同じ日常だった。


 いつも通りに朝早く家を出て、近くの狩場へと向かう。家族はまだ寝ているようで、こっそりと足音を立てないように忍び出た。

 少し違うところがあるとすれば、腰に下げている昨日拾ったナイフだろうか。どうも対魔のコーティングがされているようで、ちょっぴり頑丈なナイフだ。


 早くこのナイフで試し切りがしたい。出来れば薬草の採取ではなく、早春になって出てきた動物を狩りたいところ。冬の間は貯めた食料があったとはいえ、やはり新鮮な肉が恋しくなるのだ。

 そんなことを考えていると、ふ、と気づいた。


 この場所を、いや、この時間を知っている気がする。


 草むらを掻き分け、大樹を左に曲がり、獣道を沿って歩いていく。

 いつも通りの道のはずだ。運が良ければ鹿や猪なんかの動物が草むらから出てくる、自分なりのベストスポットへと向かう道順。


 そう、そうすると出会うはずだ。

 思い出した。


 如何にも旅人ですと言わんばかりの外套を纏い、フードで顔を隠した人間が、木の陰から出てきて視界に映った。

 覗く長い黒髪から、恐らく女だと思われる。

 そいつとはもう何度も、いや何百と出会っているはずだ。


 知っているのは何故か。当たり前だ。

 何百と殺され、気づけば自分はこの場所に居る。

 幾度と繰り返しているうちに、身体のどこかが覚えていたのだった。


 人間が向かってくる。腰を落とし、獣のように駆け、低い体勢のまま右足を放つ。

 決して動きは速くない。だが、体が反応していない。避けるための両足も、防ぐための右腕も、カチリと枷が掛かったように動かない。

 いつもなら容易く避けるはずの攻撃は、直後モロに眉間へと突き刺さった。


 痛い。蹴られた。そう思った瞬間に意識は飛び、


 また、森の中にいた。


 いつもの変わらない日常。

 昨日拾ったばかりなのに、妙になれた気のするナイフ。

 何百と一回目の、日常が始まった。





「な、ナニがオきてるゴフ!?」

 シンと静まり返った森の中、そんな心からの叫びが木魂こだました。

 何所を見ても、いつも通り。木の陰で溶け残った雪も、ボロ布を通して突き刺さる冷たさも、全てがデジャヴではなく現実だ。


 その中で、歩みを止めないのは一匹のゴブリン。

 人間の子供のような体躯に、緑の肌を持つ魔族。彫りが深いゴブリン族にしては柔らかい印象を受ける、可愛らしい柔和な顔をしている。

 名前はトビー。ゴブリン家七兄弟の三男だ。年齢は三歳で、人間で言えば一五歳程度の一人前ゴブリンである。


「まずいゴフッ。このサキにはあのニンゲンがいるゴフ!」

 舌っ足らずで『ゴブ』と言えないトビーは、ゴフゴフと呟き続ける。

 そう、トビーは既に草むらを掻き分け、また同じように大樹を左に曲がろうとしていた。

 このままでは、また人間に殺されるのは間違いないだろう。


 トビーは慌てて足を止めようとするが、何故か体が思うように動かせない。

 なにか、大きな力・・・・に流されるように、両足は左へと歩を進めていた。


「どうしよ、どうしよ、アッ!」


 獣道を進むこと数分。眼前に人影が現れた。

 そして数瞬後、顔面に蹴りが突き刺さったのだ。



 またもや森の中で気が付いたトビーは、あたふたと自分の身体を確かめる。


「か、からだがウゴかないゴフ!? それに、ゼンゼンいたくないゴフ!」


 ペタペタと顔を触るが、腫れも凹みも全く無く、綺麗な状態のまま。それに蹴られた瞬間には顔に焼けるような痛みがバチンと走ったはずが、それも今は残っていない。

 全く以って理解できない状況に、『脳は大きいくせに使い方がヘタクソなせいで馬鹿』と言われているゴブリンの脳みそは悲鳴を上げた。


「とりあえずニげないとゴフ! キアイでイくゴフ!」

 グギギギギとトビーは両足に力を込める。だが、何も変わらない。意識とは無関係に、足は目的地へと向かっている。まるで水に流されるように、身体は目的地へ向かっている。

 格闘すること数分、またその場所へと着いてしまった。


 当然のように目の前からは人間が現れ、同じような体勢で蹴りを放つ。

「よ、ヨけるゴフ! よし、せーのゴフッ!」

 ふんぬっ! そんな掛け声が聞こえるかのように、ふんっとトビーは身体を横へ飛ばすように転がろうとする。

 が、ちょびっと顔がつんのめっただけで、特に変わることは無かった。

 顔面に蹴りはぶち当たるし、一瞬痛いし、目が覚めると森の中。


「これは・・・・・・ここでゴフセイ、オわったゴフか?」

 これが永久に続くのではないかという恐怖がトビーを襲う。

 何度も目が覚めて、また殺され、目が覚める。それをきっと、終わり無く続ける。そんなのは、母親に聞かせてもらった昔話の地獄のようではないか。


 しかし、トビーはここで挫けるゴブリンではなかった。

 毎日地道に森を探索し、ごくたまに見つかる人間の死体からアイテムを奪うのが趣味なゴブリンは、ちょっとやそっとでは諦めないのだ。

 一度や二度の失敗で折れるほど、柔な心はしていない。


「ニげられないなら、どうにかケられてもイきればいいゴフ。えーと、たしかどっかでキいたゴフな。ウケナガシとかいうワザがあるらしいゴフ」

 確か、父のオビーが前に語っていたはずだと思いだす。攻撃される時に逆に飛べば痛みが減るゴブ! 俺の得意技ゴブ! と。


 これしかない、とトビーは確信する。

 逃げようにも逃げられないのなら、全力で受け流して生き残ればいいのだ。生き残った後どうすればいいのかは、全く想像もつかないが。

 けれどもゼロよりはきっとマシだとトビーは思う。どうせ何度も繰り返されるのなら、少しずつでも生き残る方法を見つけてやるのだ。


「よし、イくゴブ。ウシロにトべばいいゴブな」

 目の前からやってくる旅人風の女。既に腰を落とし、こちらへ駆けてきている。

 ぐわっ、とトビーは両目を開く。何度も蹴られた覚えがあるから、タイミングは何となく記憶がある。それに合わせて、後ろに飛べば良い。

 女が走り出して、一、二、三、踏み込み、蹴りを放つ!!


「いまだゴブフゥッ!?」

 ズバゴンッ! と蹴りがトビーの眼を潰す。下手に仰け反ってしまったばかりに、当たり所が悪くなってしまったのだ。

 過去最高の痛みを感じ、意識が消失。

 一回目の試みは、あえなく失敗した。


「い、いや、まだゴフ。アキラめないゴフよ・・・・・・」


 二回目、額に踵がぶち当たり頭蓋骨陥没で死亡。

 三回目、顎を蹴り抜かれ吹っ飛び、木に激突して脳挫傷で死亡。

 四回目、タイミングを誤り真正面から蹴り飛ばされる、死亡。


 死亡、死亡、死亡・・・・・・。


「まだ、まだゴフッ・・・・・・。ゼンゼンまだゴフよ・・・・・・」

 都合一七回の死を経験し、トビーの精神がガザリガザリと削れて行く。

 当然のことだ。痛みが消え、まるで夢の事のように幻となってしまったとしても、幾度となく蹴られる痛みは覚えているし、眼前に迫る靴の恐怖も忘れられない。


 心なしか、足元がふらりと揺れる感覚がした。

 精神の疲れが肉体にも作用しているらしい。しかし、足取りは衰えない。

 必ず、その日、その時間には絶対にトビーがその場所へと現れるのが運命かのように、まるで何かに引きずられるようにしてトビーは進む。


 もう足を無理やり動かして逃げようなどという気持ちは無かった。

 抗えぬのはもう十数回試して分かっている。だからこそ、あの蹴りを受け流してどうにか生き延びてやるのが、唯一の生存の道だとトビーは思う。


「でも、イッタイどうやればいいゴブか。トぼうとオモってもダメゴフ・・・・・・」

 足でジャンプは失敗した。腕で防ごうにも動かなかった。頭をどうにか動かそうと思っても、頷く程度しか動かすことが出来ないのだ。

 これでは父親の言っていたような受け流しは無理だと、諦めの気持ちが出てくる。


「ムリゴフか・・・・・・? やっぱり、ここでずっとツヅけるしかないゴフか?」

 ずんと暗い表情になるトビー。なおも両足は動き続け、目的地へと到着してしまう。

現れる人影。腰を落として、静かに駆け寄ってくる。

 トビーにとっての絶望は、あと数秒と経たずに訪れるだろう。


「ああ、イッタイどうすればいいゴフか……」


 呆然と立ち尽くす。ちょっとやそっとでは折れないつもりの心は、一七回の死によってボロボロになっていた。

 結局は、ただの一般ゴブリンなのだ。普通に家族と幸せに暮らし、たまに兄弟と喧嘩をすることはあっても、平穏な暮らしをしていた自信がある。

 魔族といえど、生物に変わりは無い。蹴り殺される恐ろしさは、何度味わっても薄れることは無かった。


 一、二、三、踏み込み、蹴りが放たれる。


 バスン! と顔面に衝撃が走る。ぐらりと頭が揺れ、蹴りの衝撃に耐えかねた身体が宙を浮く。

 小柄なゴブリンの身体は吹き飛ばされ、背後にあった木の幹に激突した。そこで強かに後頭部を打ち、目から火花が出るようだった。

 刹那で世界は白に染め上げられる。

 意識を保てるはずもなく、トビーの魂は何処ぞへと旅立った。


「――イテテテ。ああ、ヒドいメにあったゴフ・・・・・・ゴフ!?」

 いつものように、いや、いつもとは違って頭を摩りながらトビーは目を開いた。

 そこは森の中。春になって芽吹き始め、新緑が美しい草木の生えるトビーの狩場。

 そして、因縁の目的地だった。


「あれ? え、イきてるゴフ? ウマくいったゴフか!?」

 後頭部に触れると自分の手をグーにした時と同じくらい大きなタンコブが出来ていた。多少の流血はあるものの、命に別状があるような傷ではない。

 ぺたぺたと自分の身体を触り、本当に生きているのだと実感した時、


「やったアアアアアアアアアアアアアアアア!! イきてるゴフウゥゥゥウウウウウ!!」

 トビーは生涯最高の雄叫びを上げるのだった。

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