【2】

 ジュブナイル・シンドローム【少年期症候群】

 僕らは自分たちの病気をそう呼んでいる。誰が呼び始めたのかは分からない。それに、これは医者が決めた名前でもなければ、正式な定義があるわけでもない。多分、医学的には病気にも当たらない。

 でも僕たちは間違いなく、病に冒されている。それだけは事実だ。


 僕らは十代のうちに死ぬ。そしてそれがいつなのか、僕らは知っている。

 それが僕たちの抱えた、誰にも治せない病の全て。


 僕も彼女も、定期的に検査入院をしなくちゃならない。何も見つからないと僕たちは知っている。僕らの体はいたって健康だ。ただ、いつ死ぬのか分かっているってだけで。

 けれど大人は、そんな僕や彼女の体から何かを掴もうと必死になる。きっと僕らの為じゃない。偉大な発見とか、後世に残る名誉とか、そんなものの為だと思う。

 多分この病は、僕らとは違うどこかにある。あの青空の向こう側の、真っ暗で冷たい世界みたいに。




 彼女が三日間の検査入院から退院して、学校に戻ってきた。

 僕は学校が好きじゃなかった。クラスメイトを見ていると、決定的で、圧倒的で、果てのない気持ちになる。

 今日も変わらず、学校は皆の「やめたい」にあふれている。部活をやめたい、勉強をやめたい、テストをやめたい、補習をやめたい、生徒会をやめたい、学校をやめたい、彼氏をやめたい、彼女をやめたい、友達をやめたい、兄弟をやめたい、親子をやめたい、バイトをやめたい、ラインのグループをやめたい、etc、etc……


 例えば、人生をやめたい。とか。


 そんなことを言って、何者でもない自分をやめたいと思っている。それこそが「何者でもない」ってことなのに。

 周囲と同じような顔をして、心の底では自分は特別だと思っている。それこそが、凡庸だってことなのに。


 そんな日常が、僕と君だけを置いて学校の中にあふれていく。

 鋭い言葉を投げ合ったりしながら。


 前にクラスの奴から「彼女とケンカした、仲直りしたい」みたいな、げんなりする相談を受けて、見せられたラインにもっとげんなりしたことがある。


 お前ら、もっと相手のこと考えろよ、って。


 そこに並んでいたのは、まるでナイフみたいな言葉だった。前にしか切っ先の向かない――決して自分の方に刃の向くことのない、安全で危険なナイフだ。

 それを一本ずつ、交互に投げ合って、投げ合って、ドン、ドンって、見当違いの壁に突き刺さっていく。それを見て彼らは言う。「なにすんだ、危ないだろ」じゃない。


「もっと、私に向けて、ちゃんと投げろ」


 そういう、ぞっとするような会話だった。

 そいつらは別れた。そのあと、彼女の方は一か月後に、彼氏の方はその一週間後に、もう別の奴と付き合っていた。後は知らない。


 既読をつけて、スルーするとか。既読をつけないで、スルーするとか。ライン見れませんって、宣言しておくとか。


「言いたいことがあるなら直接言えよ」


 そう、全然関係ないやつに言ったりとか。


 結構、苦しいよな。余命いくばくもない僕が見ていると。

 結構、苦しいんだ。息が止まりそうなくらい。


 だってそうだろう。特権なんだ。僕ら、持ってない権利だ。


 やめられるのは、今やっているやつだけ。死ねるのは、今生きているやつだけ。

 私にナイフを投げてみろって、そう叫べるのは、今心臓が動いているやつだけ。


 僕の心臓は、動いているんだろうか。


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