Case Extra-5.Into darkness
「待ってください」
一歩、近づく。まだ距離は遠い。背の低い柵が、俺たちを隔てる。
彼女が死ぬことに対して強い意志を持っているのはわかる。出会って数か月、ずっと心の一部として「死」がいたのだ。死ぬことは、彼女の望み。望みを叶えることが、幸せなのかもしれない。
でも、俺は……、
死なせたくない。
好きな人を見殺しになんて、できるはずがない。
たとえこの気持ちが、彼女自身によって誘導されて、抱かされたものであったとしても。
「……すみません」
口を開いて、言葉を投げかける。慎重に、慎重に発するべき言葉を選ぶ。俺の想いをまっすぐ届けられるように。
「部長が辛い思いをしていたのに、俺が無神経だったのは……すみません。
でも、
あなたに死んでほしいって思ってる人なんて、誰もいないと思います。
それに……たぶん弟さんだって。
きっと部長が後を追って死ぬことなんて、望んでいませんよ」
だから――
生きることを、選んでくれませんか?」
稚拙な単語の羅列。よくある言い回し。映画やドラマのように、劇的なセリフは言えない。
だけど、これが俺の精一杯。
届けたい、想いなのだ。
「……」
無言のまま、目を伏せる。
届いた、のだろうか。
「
彼女が、俺を呼ぶ。
そして、
「どう思ったと、思う?」
「え……」
「私が、どう思ったか。弟の捜索打ち切りが告げられて……弟が死んだことになったとき」
「それは……」
「〝ほっと〟しちゃったのよ!」
刹那、堰を切ったように、彼女は言う。いや、叫ぶ。
「あれだけ生きているはずだって信じて、やれることを全部やり尽くして! 希望を捨てずに待ち続けていたのに……!」
痛い。
「私は、楽になっちゃったのよ!」
痛い。
「結局私は! 弟を心配するフリをして、重荷にしか思っていなかったのよ!」
痛い。
悲痛。身体が裂かれるような。心がおかしくなりそうな。
痛みの原因は、きっと彼女自身。
自らの手で、刃物を突き立てて。刺している。身体も心も血まみれになりながらも。
何度も。何度も。
今まで、ずっと――
「はあっ……、はあっ……」
肩で息をする。その場に崩れ落ちそうに
「来ないで」
近づこうとする俺を、拒絶する。
悲しみと自責の念に満ちた表情。今まで見たことがなくて、見ている俺まで辛く、痛い。
動けずにいる俺に、小さな声で、
「晴人君は、星が好き?」
彼女は、俺の答えを聞く前に、
「私はね、大嫌い」
放たれた言葉は、ぞっとするほど冷たく感じた。
「あの子があの場所に、遠くにいて、私のことを見ているんだとしたら」
名前のない、俺たちの目に光すら届かないような、小さい星。それが彼女の心を見ているのだとしたら、
「星なんて、大嫌い」
言葉が、黒い空気に消えていく。
「私はもう、死ぬしかないのよ」
生きていても仕方ないのよ、と。
「諦めて、私の死を受け入れてちょうだい」
一歩、後ろへ下がる。すでに身体の半分は真っ黒な空間に投げ出されていた。
「最期に会えたのが君で、よかったわ」
一瞬、俺に柔らかな笑みを見せて、
「じゃあね、晴人君」
「待ってくださ――」
「ばいばい」
彼女の身体は闇に溶けた。
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