Case2

Case 2-1.Teacher(Club advisor)

宵山よいやま君、ちょっといいかしら」


 降り続く雨もようやく陰りを見せ始めた日の放課後。天体観測ができる季節になって少しばかり勇み足で部室に急ぐ俺に、背後からの声がブレーキをかけた。


「どうかしたんですか? 七海ななみ先生」


 はやる気持ちを抑えるようにリノリウムの床がきゅっと鳴って、振り返る。すぐ後ろには、スーツをかっちりと着込んだ小柄な女性教諭――七海かすみ先生。


 身長の低さや幼い顔立ちのせいで他の生徒からはしょっちゅう「かすみちゃん」とあだ名でからかわれているが、俺も同じようにあだ名で呼ぶわけにはいかない。なにせこの人は、天文部の顧問なのだ。


 七海先生は、申し訳なさそうに眉根を寄せて、訊いてくる。


「最近、吹奏楽部の方が忙しくてそっちの様子を見に行けてないんだけど、どう?」


 真面目だなあ。部活の顧問なんて、興味のない先生からしてみれば面倒事以外の何物でもないだろうに。吹奏楽部の顧問だけでもきっと大変に違いない。それなのに気にかけてくれるのはおそらく、この人がまだ熱意あふれる新米教師に分類される教師だからだろう。

 そんな風に心配してくれる先生が顧問なんだ。俺も誠意をもって答えないと。


「はい、順調ですよ」


 もちろん嘘だ。


 ロクに活動出来てません。なんなら部長が率先して関係ない活動をしてます。なんて口が裂けても言えない。真面目な七海先生のことだ。もしバレたら部活動の休止、部費削減、最悪の場合は廃部なんてことにもなりかねない。


「そう? ならいいんだけど……部長の東雲しののめさんに聞いても『問題ありません』って素っ気ない返事がくるだけだから」


 はは、そりゃそうでしょうね。


「何かあったら先生にいつでも言ってね。あんまり力にはなれないけど、顧問として精一杯がんばるから」


 七海先生は左右で握り拳をふたつ作る。


「かすみちゃーん。ばいばーい」

「こらー! 先生って呼びなさいっていつも言ってるでしょー!」

「あははー、ごめんごめーん」


 すれ違いざまに手を振ってくる女子生徒をしかるが、全く効果はないようで女子生徒は笑ってその場から離れていった。教師業も楽じゃなさそうだ。


「まったくもー……あ、そうだった。それで、今から天文部の様子も見に行こうと思うの」

「え」


 なんだって?


「ほら、さっきも言ったとおり、ぜんぜん部室に行ってないでしょ? 顧問として、ほったらかしはよくないもの」


 七海先生はふんす、と意気込む。顧問の責任感からか、やる気に満ちている。


 まずい。今来られたら色々と面倒なことになる。どうせ部長は今日も悠々自適に過ごしているだろう。部室で優雅にお茶しながら読書する姿なんて、到底見せられたものではない。


「い、いやいや。先生もお忙しいでしょうし、無理して俺たちに気を回すことないですよ」

「でも顧問だし、そういうのはちゃんとしておかないと……」


 七海先生も中々引き下がらない。まったく、部長がもう少しうまいこと言っておけばこの人も心配することなんてなかっただろうに。


「そ、それより先生、そのストラップ、かわいいですね」


 これ以上話していると押し切られそうだったので、先生のポケットから顔を出していたサメのストラップを見て適当に話題を変えた。この間夕月ゆづきの家で見たクッションと同じキャラクターだ。


 すると七海先生は途端に表情を輝かせて、


「宵山君、『しゃーく君』知ってるの!?」

「え、まあ……」


 まったく知らない。名前も聞いたこともない。自分で言っておいてなんだが、あんまりかわいいとも思えない。部活のことと言い、さっきから嘘ばかり言ってるからなんだか罪悪感が芽生えてきた。


「これ、限定品で手に入れるのすっごい大変だったんだよー」

「へ、へえー」

「まさか宵山君が知ってるだなんて、先生うれしいなー。あ、実は他にも持っててね? これなんだけど――」


 しまった。そう思った時には無邪気な笑顔に捕まり逃れることはできなかった。

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