夏・第7話 ゆしかは真心に恋をする③戦場でひとを殺しながら『愛』
(ハートじゃないのかよ!)
と突っ込んだ。心の中だけで。
スマホを受け取る途中の姿勢で固まり、眼前の男を、まばたきを繰り返して二度見する。
目つきが悪い。
あとは……目つきが悪い。
てゆーか、とにかく目つきが悪い。
何人か殺ってる、と言われても多分信じただろう。湾曲刀のようにしなった細い目は極めて尖っており、しかし刃と違って光を全く反射していない。つまり目が死んでいる。
可愛さを追求する女子で言えば、愛され目を演出するためにつけまつげやアイシャドウ、コンシーラー等々を駆使することで『可愛さを盛る』ことが多々あるが、彼の場合、色濃い隈や、両側の鼻筋に伸びる傷のように鋭角な線によって『恐ろしさを盛る』状態だ。
顔立ち自体が醜いわけではないが、とにかく目の印象が強い。眉は適度に太く、吊り上がっている。薄めの唇は真一文字で感情が読み取りにくく、顎には無精髭が散らかる。
髪は短髪で、全体的に跳ねている。眉にかからない程度の短さの前髪だけ、軽く下りていた。
そして首から上は強面なのに、服装は白いTシャツにイエローの短パン、レザーサンダルというラフさ加減で、しかもそのTシャツには
『愛』
が主張されている。ギャップ萌えの失敗例としては他の追随を許さぬクオリティだ、と確信したところでゆしかは我に返る。
確かめなければ。まだこのひとがTHさんだと決まったわけじゃない。
「あ、あなたが」
覚悟を決めて目を合わせ……ようとして僅かに逸れる。
「
「は?」
男が不思議そうに首をかしげた。
(違う違う違う! なに言ってんだわたし。
確かに戦国武将・直江兼続と言えば兜にでっかく『愛』を掲げていたわけだけど。てゆーかよく考えれば戦場でひとを殺しながら『愛』って、ギャップは似たようなものか……?)
などと直江兼続論に現実逃避しかけて、首を激しく振って両頬を叩く。
男は外見の割には丁寧な口調で、困惑している。
「ええと……これ、あなたのですよね?」
(そりゃそうか。突然戦国武将呼ばわりして自分の頬を叩き出すとか、不審者だわ)
「わたし、『鹿』です」
今度はちゃんと目を見て言った。
(これでこのひとがTHさんじゃなかったらいよいよ変態だな。いきなり自分を動物と言い張るって、不思議ちゃんにもほどがある)
幸い勘違いではなかったようで、男は一瞬だけあっけに取られ、
「あ、あなたが『鹿』さん? あ、あの、俺、『TH』です」
と名乗った。慌てる様子と目つきの悪さのギャップが可笑しくて、ゆしかは微かに笑った。
ゆしかはそれからTHさんとカフェに入って話した。
多少導入でビビったものの、実際に会話をしてみれば確かにこれまでやり取りを重ねてきたTHさんで、ぎこちなさはすぐにどこかへ行った。作品の感想を言い合うと、あっという間に二時間経っていることに気付いた。今日始めて会ったとは信じられないくらい、しっくり来た。
「あの、THさん。ひとつ提案なんですけど」
既に大分気安さを感じていたゆしかは、そんな風に切り出した。
「なんでしょう?」
「敬語、やめませんか? わたしのほうが明らかに年下なのに、失礼かもしれませんが」
THさんはゆしかの姿を見ても、態度が不躾になるようなことはなく、ネット上の印象のとおり丁寧な物腰だった(ただし外見とのギャップは凄い)。
「ああ、はい。もちろん……喜んで」
だからそんな答えが返ってきたのも、期待どおりだった。
「ありがとう。でもさ、その返事がまだ丁寧なんだけど?」
早速普段の口調にしてゆしかが笑いかけると、THさんは照れたように口を歪め、言い直す。
「あっ、はい……うん。うん、そうだな」
目つきは相変わらず鋭いが、ゆしかはそれをなんとなく微笑ましいと感じた。
その日のことを誰かに話せば、きっと呆れられただろう。
なにせ周囲が薄暗くなるまで移動もせず、一カ所で数時間ひたすら話し続けていたのだ。飽きないどころか、ゆしかには一時間が一分くらいに思えた。
「ええっ、なんで外暗くなってるの!?」
「おお……俺もびっくりした」THさんは軽く笑って続けた。「そろそろ帰る?」
「えっと……なにか用事ある?」
「や、特には」
「なら、もし迷惑じゃないならもうちょっと。飽きてきたとか、実はわたしだけ楽しいんだったら、もちろんお開きでいいけど」
「俺が無理して合わせてるように見えたなら、心外だ」
「一応、気を遣ったの。初対面だし」
「それが信じられないね。凄え不思議な感じだけど、ずっと前から知ってた気がする」
「そう! そうだよね」
こんなやり取りをもう何度も繰り返していた。意気投合、って本当にあるんだと思った。
THさんは首を回して肩の力を抜くと、おもむろに立ち上がった。
「ちょっとトイレ行ってくる。あと、飲み物追加しようか。ついでに買うよ、なにがいい?」
「お金は払うよ?」
「別にいいよそのくらい」
「払わせてよ。生意気に思うかもしれないけど、対等でいたいから」
「……解った」
THさんは嫌な顔ひとつせず、むしろ好ましいものを見たという目になった。
まるで夢の中にいるようだった。いつも身体に張り付いていた所在のない感覚がまるで嘘のようだ。思ったことをありのまま口にするのにプレッシャーを感じない。
普段誰かと交わす言葉は、キャッチボールにたとえるなら野球のボールを投げて、バスケットボールが返ってくるようなものだ。しかもあさっての方向へ投げられ「こんなのも取れないのか」と言われてる気分になる。「君はバスケの選手であるべきなのに、どうしてそもそも野球のボールを投げてくるんだ?」とも。
THさんは、たとえゆしかがラグビーボールを投げても、不規則なバウンドの軌道を読んでキャッチし、真正面に返してくれる。もしくは少しだけジャンプすれば届くところへ投げ込んで、「ああ、わたしって跳べるんだ」と気付かせてくれるみたいだった。
とても心が弾むのに、それでいて落ち着く。
大袈裟ではなく、こんな時間は生まれて初めてかもしれない、と思った。
そんな、満たされた思いをひとり噛み締めていたゆしかに、
「あれー? ゆしかちゃんじゃん」
と、無遠慮な声が浴びせかけられた。真顔に戻ると、見覚えのない同年代の男が立っていた。
「随分楽しそうな顔してたじゃん。なに? デート?」
「……誰?」
不審者を見る目を向けると、男の顔が引きつった。
「嘘だろ? スイーツまみれにした男の顔を覚えてないとか」
「ああ」
思い出したわけではない。言われて「そういうことか」と思っただけだ。
「なんか用?」
「なんか用? じゃねーだろ。詫びはねーのかな?」
「詫びって、なんの?」
心底不思議そうに首を傾ける。男の眉と眉の間に深い皺が刻まれた。
「調子乗んなよ」さっきまでTHさんが座っていた正面の席へ乱暴な様子で座り、足を組む。「許してやるから、謝れよ。あと、今から俺に付き合え」
「そこ、空いてないけど」
「ハァ? あのおっさんとどういう関係? もしかして老け専? だから俺の誘いに乗らなかったの? あのおっさんも君みたいな色気のない若い女が好みって、ヤバくない? ロリ?」
「……ふっ」
ゆしかは笑った。可笑しかったわけではない。
おもむろに椅子を引いて立ち、顎で店の外を示して言った。
「表へ出ろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます