夏・第6話 ゆしかは真心に恋をする②筆文字で、愛
そんなゆしかが唯一本音で語り合えるのは、『THさん』だった。
初めはネットのアニメレビューサイトで頻繁に名前を見かけ、その内容が極めて共感できたので名前を覚えた。THさんはブログでもアニメや漫画、ゲームの感想を異常なまでの本数と熱量で書き綴っており、いつしかそれを読むのがゆしかの習慣になっていた。
そしてあるとき、ゆしかはある作品のレビューに対し、コメントを書いた。
『できればTHさんの見解をお聞きしたいのですが、あなたの書かれているとおり、熊沢は柊に振られたんですよね? なのにどうしてある種のカタルシスを得たのでしょう?』
それは主人公熊沢(♂)が、大学で友人柊(♂)に惚れたことを隠し通すためについた些細な嘘から、誤解が誤解を生み、結果周囲との友人関係を破綻させてしまう物語だった。卒業してから数年後に再会し、様々な出来事の末、カミングアウトに至った熊沢に、柊は明確に言葉で返事はしない。しかしやんわりと友人として大切であることを伝え、清々しい雰囲気で物語は終わる。
THさんはそれについて『この物語は男が男を好きになることを素材としては採用しているものの、テーマにしたものではなく、本質で付き合うことの尊さを描いている』と書いていた。
ゆしかの質問に、THさんはすぐにコメントを返してくれた。
『あくまで私の個人的な意見ですが、熊沢が一番望んでいたのは拒絶されないこと、だったからじゃないでしょうか。敢えて酷い書き方をしますが、このホモ野郎、気持ち悪りいんだよ、という反応をされることが熊沢にとっての最悪でした。
柊は、同性に愛情を向けられたことについては清々しいほど反応していません。その思いに応えられないことの苦悩と共に、それでも、熊沢を友人として大切に思っている、ということを真摯に伝えようとした。
つまり柊は、熊沢をステレオタイプな同性愛者のイメージでなく、熊沢のまま接した。
それが熊沢にとっては、恋人としては認められなかったかもしれないけど、人間として認められたということになり、それがカタルシスに繋がったのだと思います』
その回答はゆしかの腑に落ちた。漠然と感じていたことを言語化してもらった気分だった。
そこから時折、やり取りをするようになった。
THさんのSNSの呟きもチェックしてリプライするようになり、やがて個人的なメッセージのやり取りをするようになるまで、時間はさほどかからなかった。
プライベートな話題はなく、あくまで様々な作品についての見解を交わし合うというものだったが、そこから透けて見える人間性に、ゆしかはいつしか気を許すようになっていた。
THさんは単なる娯楽として物語を消費しているだけでなく、そこに込められたものと誠実に向き合い、噛み砕き、制作者の生き方までもをリスペクトするようなひとだと感じた。
ゆしかは勧められた作品に次から次へと触れては、それについて語り合った。
もちろん中には好みが合わない作品もあったし、好きな作品だと思っても、その感想が全く異なることも割と多かった。互いにややヒートアップし、喧嘩のようになることもあったが、まるで全力で打ち合うテニスのラリーのように、それほど真っ向から言い合った経験は過去に覚えがなかった。
リアル生活で「コレジャナイ感」に見舞われるゆしかにとって、いつしかTHさんとのやり取りが、最も心安らぐ時間になっていった。だから、
(会ってみたい)
と、思ったのも、自然なことだった。そしてゆしかの性格上、そう思ってから、
『会いませんか』
と持ちかけるまでは早かった。
ネットで知り合ったひとと実際会う、ということに対するリスク意識はあった。
相手の性別も年齢も解らない。下心のある大人が、SNSを通じて女子小学生や女子中学生をかどわかし、犯罪に繋がるケースも多々あるという情報くらいは持っている。
だけどTHさんに関しては、まず近付いたのがゆしかからだし、向こうから会おうという話は一切してこなかった。今までやり取りした内容を考えても、本当に物語が好きで、その世界に深く潜ろうとするひとだということは疑いようもない。
ネット上の知り合いと会うのは危ない。
そう躊躇することこそ、固定観念で相手を決めつける、ゆしかが嫌う行為だと思った。
それに考えてみれば、THさんからも、ゆしかが何者なのか全く解らないはずだ。
ゆしかは『鹿』と名乗っていたし、性別も年齢も明かしたことはない。
(……てゆーか、つまり、THさんのほうが警戒するよね。むしろ)
誘ってから返事が返ってくるまでの間に、そう気付いた。
もしTHさんがそれこそ女子高生だった場合、断られる可能性が高い。ネットに公開していた感想を見て、謎の鹿が近付いてきて、段々距離を詰めてきて、とうとう「リアルで会いませんか?」と持ちかけてきた。
「もしかしたらこいつ、あたしをJKだと知ってて近付いてきた?」
とか思われてもおかしくない。
(ああだとしたらごめんなさい。でも、今の時点でこっちから素性を明かすのもちょっと怖い)
自分勝手だとは思ったが、警戒しつつも会いたい、というのが正直なところだった。
いつもはその日のうちにメッセージの返信があるのに、このときはなかなか返事がなかった。
(やっぱ引いちゃったかなあ……これで関係が切れるのは嫌だなあ)
ならいっそ会おうと言ったのを撤回するか、と思ったころ、THさんから返信があった。
『ご返信遅くなってすいません。
ひと見知りなので緊張しますが、私でよければ是非お会いしたいです』
他人から来たメッセージを見て、自然と笑みがこぼれたのは初めてだった。
ゆしかはハイテンションを隠せず、もどかしさを覚えながら返事を入力し、会う場所や時間、当日の目印などを具体的にしていった。
そしてその過程で、会う前から、運命的だと思った。
ゆしかは基本的にロマンチックな考え方をする人間ではない。だが、会う場所を摺り合わせる時点で、なんと同じ県に住んでいることが判明し、小躍りした。たとえ新幹線に乗っても飛行機に乗っても会いに行くつもりだったのに、嬉しい誤算だった。
『待ち合わせ場所には、愛、を表すものを身に付けていきます。多分すぐ解ると思います』
とTHさんから送られてきた。
(ハートかな? ってことは女の子かな)
もし同年代の女の子だったら本当に奇跡だ、と顔がにやけた。
次の週末、ゆしかは待ち合わせ場所に決めた駅前広場を見渡せる近くのカフェへ、約束の一時間前に着いた。気がはやったというのもあるし、もしTHさんが早く来ていれば、遠目から探れるかもしれないという考えもあった。
(ごめんなさいTHさん。誘っておきながら、ヘタレで)
しかし時間になっても、それらしき人影は現れない。誰かを待っているひとは多いが、ハートがひと目で解るようなものを身に付けているひとは見えなかった。
五分ほど経って、とりあえず行かなきゃ、と我に返った。
(もしやTHさんも、同じように遠目から様子を見てるのかも)
カフェから出て、広場に向かう。辺りを見回すが、やはり誰がTHさんなのか解らない。
「あの」
と声を掛けられ、振り向く。THさん!? と思いきや、そこにいたのは極めて目つきの悪い青年だった。思わず身構えたが、
「あの、スマホ、落としましたよ」
差し出されたものを見て、ポケットを探ると確かにあるはずのところにない。
「あ、すいません」
なんだ驚いた……と肩の力を抜いてそれを受け取った瞬間、気付いた。
男の着ているTシャツにでかでかと書いてある、筆文字に。
『愛』
ゆしかの呼吸が、止まった。
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