夏・第5話 ゆしかは真心に恋をする①目からおしっこが出そうなだけだいっ
「だから
椅子の上に胡座をかいているゆしかがテーブルを叩く。正面の真心も怯まず言い返す。
「
「やだやだこの幼馴染みってだけで五割増し評価する男。本人じゃなくてテンプレ的なステータスで選ぶなんて、人間としての底が見えるねっ」
「本人の性格で見ても、出穂子はあり得ねえだろ!」
テーブルの上にある四、五本の酒瓶は既にほぼ空だ。あたりめを囓りながら日本酒をあおり、かれこれ三十分は同じ内容で言い争っている。
話題は国民的RPGのシリーズ五作目である。
物語の中で、主人公は結婚相手を三人の中から選ぶ。
親の借金を背負いつつも、健気に明るく生きる幼馴染み、美杏奈。
箱入りのお嬢様だが芯は強い
そして自由気ままな行動から度々事件を起こし、親から勘当されても逞しく生きる出穂子。
物語的には誰を選んでも成り立つようになっているが、しばしばファンの間で「誰を選ぶか?」が議論になる。世間的な正道はやはり幼馴染みの美杏奈であり、次いで家柄も性格も完璧な風呂蘭、どう転んでも三番手なのが「地雷女じゃん」と揶揄されがちな出穂子だった。
「真心には解らないのか! あの、弱さを決して見せようとしない出穂子の、秘めたる弱さを。それに気付いてやれるのは主人公だけなんだ!」
「弱さを見せないっつーか、弱くないんだろ。ひとりで生きていけんだろ」
「馬鹿ぁ!」
ゆしかはチョコボールを数粒箱から出して、節分の豆撒きのように真心へぶつける。
「強く見えるひとは強いんじゃない。戦ってるんだ!」
「食い物を投げるな! そんなら美杏奈だって戦ってるわ!」
「いいんだよ美杏奈も風呂蘭も、主人公が選ばなくたってそのうち誰かが放っとけなくなって選ぶもん。出穂子はもう、誰にも……誰にも選ばれないかもしれないっ……ううっ」
言いながら嗚咽を混じらせるゆしかに、真心は「泣くなよ……」と呆れ顔を向ける。
「こ、これは目からおしっこが出そうなだけだいっ」
「誤魔化すにしても最低過ぎる」
「うるさい! もう寝る!」
ゆしかは椅子から転がるように降り、ふらつきながらリビングを出て行く。
「おいこら! 寝るなら歯を磨け! てゆーか自分の家帰って寝ろ! 送るから」
真心の怒鳴り声は無視する。廊下の階段を壁に手を突きながら上り、客間に入る。慣れた手つきで勝手にクローゼットから布団を引っ張り出すと、倒れ込むようにうつぶせになった。
「暑ぅ……」
真夏の夜は湿気も気温も高く、このままでは眠れそうにない。
しばらく我慢したが、仕方ないので這うように身体を起こし、壁に掛かるリモコンからエアコンをつけた。ついでにトイレに行って放尿し、戻ってから改めて倒れ込む。
(あ……薬飲むの忘れた……ま、いいか……)
少しずつ部屋の不快指数が下がっていくのを感じながら、
(そういえば、真心と初めて会ったのも夏だったな……)
と、アルコールに浸された脳味噌で思い出す。
△
ゆしかは激怒した。
というのはしょっちゅうだが、その当時怒りを向けていたのは固定観念だ。
なにがあったか。ひと言で言えば、合コンである。
ゆしかは異性を意識して浮き足立つ同級生たちを否定しない。自分は極めてマイペースに生きてる自覚はあるが、人並みに友達は大事にしたい。
「ひとが足りないから、合コン参加してよー」
と学部の友人に誘われて三回に一回くらい応じる度量はあった。
しかし、向かった先でいい思いをしたことは皆無である。不快になったことのほうが多い。
大抵はノリについていけない。異性を人間である前に男や女という生き物として向き合う雰囲気からして違和感を覚える。もちろんメンバーによって程度は違うし、これまで比較的まともな感覚の連中に当たることもなかったわけではない。
が、このときは間違いなく最悪回だった。
「あれ? 君女だよね? なんか、ぱっと見中学生男子みたいだね?」
からかうように言った男に、「脳味噌を輪切りにして河原に晒してやりたい」と思った。
小柄な背丈、ぼさぼさの髪型、ほぼすっぴんの顔、Tシャツに七分丈ジーンズにリュック、どちらかと言えばハスキーな声……ゆしかとて、「まあそう見られても仕方ない」という自覚はあるし、言われるのは珍しいことではない。
だからとりあえずその時点では耐えたのだ。しかしその男はそんなことを言ったくせに、
「もったいない、素材は良さそうなのに。化粧して髪も手入れすれば、見違えると思うなあ」
と色目を使い、さらに
「なんなら俺、プロデュースしようか? 一緒に服買いに行かない?」
と低音で耳打ちしてきた。とどめに、
「でもなんか、今の状態でも逆に可愛いかも。マスコットみたいな」
とほざいた時点で、ゆしかは手を挙げて店員を呼んだ。メニューのデザートページを眺め、ティラミスをホールでオーダーした。
そして何事かを喋り続ける男の声をそこから全て聞き流し、ティラミスがやって来た時点で
「わあ、でかいね。分けよう」
とナイフを掴もうとした男の手首を握った。
「ごめん。食べるために頼んだんじゃないんだ」
疑問符の浮かんだ男が口を開くより速く、ゆしかは皿ごと男の顔面に叩き付けた。
「これはわたしのおごりです。みんな、ごめんなさい。気分が優れないので先に帰ります」
と言い切り、札を数枚テーブルに叩き付けて逃げた。
(やっちまった)
と思わないでもなかったが、同じシチュエーションになれば、何度でもパティシエに土下座しながらやってやる気概はあった。
その後、合コンに誘ってきた友人からはメッセージで詫びが入った。
『ごめんね。絡まれてるの解ってたから、助けるタイミング探してたんだけど』
(まあ……むしろ謝るのはわたしだけど)
溜息をついて、猫が『ごめんニャ』と謝るスタンプだけ返しておいた。
そのころゆしかは、心のどこかで常に苛立ちを感じていた。
陳腐な言い方をすれば、「世の中に居場所がない感じ」だ。
勝手気ままに生きていたいのに、周りは「女」とか「女子大生」というレッテルを貼って、その印象と比べてくる。「中学生」とか「少年」とか、場合によってはゆしかの趣味を知って「オタク」という固定観念的な評価を下す。
たまに友人へ苛立ちをこぼしてみれば、
「誤解されるのが嫌なら、もっと女の子らしくしてみればいいじゃん」
「一回、恋愛してみれば変わるかもよ? とりあえず男の子と付き合ってみなよ」
などと返される。
きっと厚意から来るアドバイスなのだろう。だが、ゆしかはざらついた拒絶感を無視できない。上手く言い返せないが、「コレジャナイ感」が凄い。
「わたしはわたしだ! 女とか大学生とかましてや少年とかじゃなくて、如月ゆしかだ!」
と叫びたくなった。
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