第76話 衝動

「ぼくはレオ殿下の命令で、この服を着て潜入してるだけなの!趣味とかじゃないってば!」


「そう、レオンが……」


 今私は、目の前でプンスカと怒るクローヴィアから説明を受けている。



 話は少し遡り、今朝のこと。自分が寝ていた事に驚いて、思わず飛び起きてしまった私は、その時たまたま入ってきたメイドさんとバッチリ目が合った。マズイ、起きている事がバレた!と焦って固まった私と同じく固まるメイドさん。硬直から解けたのは、メイドさんの方が早かった。


 くるりと私に背を向けたメイドさんは、ガチャッと鍵をかけると、おもむろに髪の毛をズルリと取った。……え?取った?

 驚いた私がその次に見たものは、ホッとした表情を浮かべる、メイド服を着たクローヴィアだった。


「えっ!えぇ!クローヴィア!?」


「シッ!静かに、ツェツィーリエ様!屋敷の人間は、まだ貴方が目覚めたことを知らないから、まだ少しそのままでいて!」


 思わず声を上げる私に、クローヴィアは状況説明をしてくれる。


「分かったわ、クローヴィア。で、でも何でそんな格好を?」


 まさかそういう趣味が?そんな疑いの目を見せていたのだろう、クローヴィアは小声で怒るという器用な真似をしながら、今までの経緯を話してくれた。


 第二王子殿下が、良くない人達と付き合っていく内に、ギンという貧民街に住む、膨大なお金を払い契約さえ結べば何でもしてくれるという男の存在を知り、私を誘拐する計画をギンに依頼した。

 私の事をこの屋敷まで運んだ、凪いだ声だと言うのに、どこか恐ろしさを感じた人が、きっとそのギンという男性だろう。

 だが、私も聞いて知っている通り、第二王子殿下は契約を破棄した。そして、レオンはその契約を自分が代わりに履行し、私の居場所を聞き出してくれたのだと言う。


「いい?それでぼくはこの見取り図が本当に合っているかの確認と、ツェツィーリエ様の無事を確認する為に来たの。メイド服なのは、その方がより自由に動けるから。趣味とかそんなんじゃないからね!」


 何だかそこまで念を押されると、逆に怪しく感じるのだが、これ以上念押しされても面倒なので、黙って頷く。


「多分、後2時間もしない内に、レオ殿下の直属の騎士たちがこの屋敷に来ると思う。だからツェツィーリエ様、とにかく今は第二王子殿下を刺激しないで大人しくしてて」


「分かりましたわ」


 力強く頷く私。この時は、まさかこのすぐ後に、クローヴィアとの約束を破ることになるとは思ってもみなかった。



 大声と共にドカドカとした足音が近付いてくる。クローヴィアはサッとカツラを被ると、閉めていた鍵をガチャッと開けてスっと壁際に待機している。

 カツラを被っただけなのに、目を凝らさないと存在を感じることのできないクローヴィア。だが、クローヴィア曰く『髪色を隠しているのに気付かれたのは初めてで、驚いたなんてもんじゃないよ』との事。これは、美醜の価値観の違いによるものなのか、前世の記憶を保持している事によるものなのかは分からない。


 ガチャッとドアが開く音、そして近付いてくる足音に恐怖を感じながら、私は狸寝入りをする。サラサラと髪をすかれているのが分かり、勝手に触らないで!と叫びたくなる気持ちをグッとこらえる。


「ふふ、まだ寝ているのか、ツェツィーリエは。可愛らしい寝顔だな。本当に兄上なんかには勿体ない」


 私をひとしきり褒めた後、ひたすらにレオンへの呪詛のような忌まわしい言葉を吐き続ける、第二王子殿下の声に嫌悪しか抱かない。その嫌悪感と必死に戦っていると、第二王子殿下は許せない言葉を吐いた。


「あんな醜い化け物なんて、産まれてきたこと自体が間違いだったのだ。産まれてこなければ皆が幸せで居られた」


 その瞬間、私の身体は勝手に動いていた。勢いよく起き上がって、第二王子殿下に頭突きをしていた。第二王子殿下は半分乗り上げていたベッドから転がり落ちる。

 壁際に控えているクローヴィアが驚いているのを雰囲気で察したが、私もこんな衝動が自分にあった事に驚いている。でも第二王子殿下を刺激しないって約束破ってごめん、それは謝る。


 心の中でクローヴィアに謝った後、私はサッとベッドから起き上がり、第二王子殿下の傍から離れようとする。


「ツェツィーリエ、何処に行こうというのかな?勢いよく起き上がってしまったから、たまたま僕にぶつかってしまったんだね?そんな所も可愛いよ、ツェツィーリエ」


 離れようとしたが、意外と素早かった第二王子殿下に腕を掴まれる。振りほどこうとするが、力が強くて上手くいかない。


「あぁ、ツェツィーリエ。ようやく目を覚ましてくれたんだね。寝ている姿も美しいが、起きている貴女の輝きには到底叶いそうにないな、おはよう、ツェツィーリエ」


「離して下さい、第二王子殿下。離して!」


「離して?……あぁ、話してか。そうだね、ツェツィーリエ。僕と君はお互い知らない事が多いから。沢山話をして愛を深めていこう」


 何こいつ、ちっとも話が通じない。こんなの殿下じゃなくて電波じゃない!第二王子電波よ!

 以前に会った時よりさらに話が通じなくなっている第二王子殿下に私は恐怖を覚え、どうでも良い事を考えて恐怖心を和らげようとする。


 でも、なんか本当に様子がおかしい。ずっと目をつぶって声だけしか聞いていなかったから分からなかったけど、第二王子殿下の目の下にはくっきりとしたクマがあり、目もどこか虚ろだ。それなのに、ゾッとするような笑顔を見せていて、より気持ち悪さが際立つ。


「貴方と話す事なんて何も無いわ!私にはレオンっていう大事な人がいるの!貴方なんかお呼びじゃないのよ!」


 必死に抵抗する。第二王子殿下は、レオンの名前を聞いた途端、少しだけ目に正気を宿した。


「何を言っているんだい、ツェツィーリエ!兄上と呼ぶのもおぞましいあの人は、あんなにも醜い化け物じゃないか!」


「そうね、貴方達からすればそうかもしれない。でも、第二王子殿下。貴方はその美貌以外で何かレオンに勝っているモノはあるの?」


「うるさい!アイツは醜い、それだけで罪なんだ!そんな奴に僕が劣っている筈がない!」


「そんな事ないわ!レオンは醜いと蔑まれながらも、ずっとずっと努力してきたもの!そんなレオンが貴方に負ける筈なんてないのよ!」


「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!」


 ガッ!!!


 頬が焼けるように熱い。殴られたのだ、としばらく経って気が付いた。女性に手を上げるなんて最低!こんな最低野郎の前で泣くもんか、と思うけれど、生理的な涙が滲んでくるのを止められない。

 こんな最低な奴に力で敵わないことが悔しくて悔しくて、頬をつたう涙を拭う事もせず、キッとただただ睨み付ける。


 それに狼狽したのか、第二王子殿下は『おっ、お前が悪いのだからな!』と大声で捨て台詞を叫んだ後に、ドタドタと背中を向けて去っていった。


 丸まって、ただ情けなく逃げるだけの背中。

 それが、私が最後に見た第二王子殿下の姿になる。

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