第三節
第34話「残る違和感」
私が目覚めたのは、夕方頃だった。
外の夕焼けの光が射し込んでいて、部屋は暖かな色に覆われていた。
いつ眠ってしまったかは覚えていないけれど、最後の記憶は光さんやアウロラさん達が左眼を痛めていたことぐらい。
「っ……」
頭に電気が走るように、痛みが駆け抜ける。
目も眩んで、明るい部屋は一瞬、暗闇に覆われた。
けど、それが最後。
頭と体が少し重く感じるくらいで、他に異常なことは特に無い。
深呼吸して、少し気持ちを落ち着かせる。
「ふぅ………」
───あの後どうなったんだろう…?
私が部屋のベッドに運ばれてるって事は、皆も同様に部屋で眠っているかもしれない。
あの左眼の痛みを経験した事が無いけれど、この前は皆、気が動転したり、気を失ったりしていた。
それほどの痛み………想像するのも怖くなる……。
だって、普段痛みを感じるのは身体の方だ、目なんて一生経験しないと思う。
───左眼が疼く。
痛みという想像から罪の炎が反応して、力を使おうとしていた。
「………怪我も痛みもない。大丈夫だよ……」
罪の炎に言い聞かせるようにしながら、私にも言い聞かせる。
左眼の疼きが落ち着いてから、もう一度深呼吸する。
あまり…変な想像をするのは良くない。
"コンコン"
部屋のドアがノックされた。
私の返事を待たずに開かれると、美雪さんが居た。
「あ、イアちゃん。起きてたの?」
「はい。さっき起きたところです」
美雪さんは部屋に入ってくると、傍にある机の椅子に座った。
「体は何処かおかしいところある?」
「いえ…少し頭と体が重たいくらいで、特別痛い所は無いですよ」
「良かった…本当にごめんね、イアちゃん。ルナさんの勝手で辛い思いさせちゃって…」
美雪さんは深々と頭を下げた。
なんだか、凄く申し訳なかった…。
「大丈夫です。むしろ強引だった方が、変に触れる前の覚悟が要らなくなって、良かったと思います。それに…それで何が起きるかを見ることも出来たので、勉強になりました……」
「イアちゃん……」
でも、本当にそう思った…。
美雪さんから『嫌なものを見る』と言われてはいたけれど、どんな風に見えて、何が起こるのかはまるで想像していなかったから。
それをあの時、触れる前に思い返していたら、あんな風に怪我を治すこともそれ以前に触れる事も出来なかったと思う。
「やっぱりイアちゃん、心が強いね。むしろ感心しちゃうよ!うん!」
「あはは……」
いつもの明るい美雪さんが戻ってきた。
美雪さんには、暗い雰囲気は似合わない。
「美雪さん、あの後どうなったのか、教えてくれませんか?皆が左眼を痛めていた所までは覚えているんです」
「そうだね……あの後、皆が痛みが治まると部屋に戻って行ってね。今はもう元気だよ。ルナさんが言った能力発動による鎮痛作用が活きたみたい!」
「そうなんですか……」
となると、私はただただ罪の炎の反動が大きかったのかもしれない。
能力使用中は《憤怒の罪》や《怠惰の罪》《強欲の罪》に匹敵するほどの情報量が発生して、それを私に耐えられるか、とルナさんは言っていた。
それに私は………耐えられていなかった。
最深部の時点で私の意識は無かった。
ただ………力不足だった………。
「あとは、私がイアちゃんを一階で介抱していたら、ルナさんが暁月くんを背負って帰ってきたんだ!」
「暁月くんを?」
「うん。どうやら右眼の罪の持ち主と対峙したらしくてね。攻撃を受けて気を失ったみたい。あの子、目立った怪我はなかったけど、顔が酷くてね?目の下はクマが凄いことになってたの」
「クマ……?寝不足ですか……?」
「珍しい事じゃない……って言うのも変な話だけどね。あの子は三日三晩平気で起きている。今回だと……1週間以上は寝ていないかな?」
「え………」
1週間以上寝ていない……?
じゃあ、私と出会ったあの日以前からも、寝ずに起きていた事になる。
それでいて、あんなに元気で笑顔を振り撒いていた事を考えると、心配になった。
「大丈夫だよ。気絶と同時に睡眠も兼ねているから、むしろ良かったのかもね。明日には元気になってるはずだよ!」
「そ…そうですか………」
「うん!とりあえずイアちゃんは今日は安静にしておくんだよ?また夕飯時に来るから、ゆっくり休んでね」
「はい」
美雪さんは席を立って、部屋を出ていった。
───とりあえず、皆は大事には至らなかったみたい。
暁月くんも戦ったとはいえ、大きな怪我をしていないのなら良かった。
どうやら、一番ひどいのは私だったようだ。
今はもう少し休もう。
* * *
陽も落ちて、時間は夜7時半頃。
"コンコン"と部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
部屋が開かれると、光さんがトレイを持ってやって来ていた。
「食欲はあるか、イアさん」
「はい、ありますよ。お腹が空いてきた頃合でした」
「そうか、なら良かった」
私はゆっくりと身体を起こす。
体が重い……いや、もしかしたら寝転びすぎたのかもしれない。
「大丈夫か?」
「ははは…少し眠り過ぎちゃったみたいです」
「あるよな、眠りすぎて体がダルいなんて事」
光さんはトレイを私の机に置いた。
トレイの上には大きな器と周りに小さな皿が3個ほど並んでいた。
「ベッドで食べるか?」
「……はい、こっちで頂きます」
「熱いから気をつけてな」
光さんは大きな器にスプーンを突き刺すと、私に手渡した。
中には湯気立つ白くトロトロなものが入っていた。
色味も無く、味気も無さそうな食べ物だった。
でも、微かに良い風味が漂っている…。
「『お
「リゾット……あぁ、ライスの……」
リゾットは確かに聞いた事がある。
チーズとかミルクと一緒に煮て、ドロドロになったライスだったはず。
口にしたことは無いけど、印象的にチーズが入っていて、油が多めでお腹には重たい料理だったと思う。
「そう、ライス。俺達は米なんて言うけどな。でも、それはリゾットより単調、米をお湯で煮ただけだ」
「そうなんですね…リゾットと聞くと重たいイメージがあったので…」
「確かにな。まぁとりあえず、それを1口食べてみてくれ」
「はい、頂きます」
スプーンを手に取って、おやゆを掬い上げる。
息を吹きかけて、冷ましてから口に運んだ。
………味がない。
いや、でも、少し甘い気もする。
口の中で噛んでみるけれど、噛む必要も無いくらい柔らかく、容易く呑み込んでしまった。
「味気ないだろ」
「あはは…味気ないです」
「一応、少しだけ出汁を入れてあるが、まぁ精々風味程度だ。甘く感じたのなら、それは米の甘み。食材本来の旨みってやつだ」
「あぁ…なるほど……」
「じゃあ、味を変えよう」
光さんは小さな器の一つを持ち上げて、おかゆに中身を少し垂らした。
茶色の液体が、おかゆの一部に色味を付けた。
その部分を私はスプーンで掬って、同じように口に運ぶ。
………少し酸っぱい。
………でも、塩っ気のある濃い味。
さっきまでとは全然違う味になった。
「ポン酢醤油だ。酸っぱいものは疲労回復にも良い。酸っぱい単体の方がいいんだが…イアさんは慣れてないと思ってな。……どうだ?」
「…美味しいです。塩っ気があって、食欲が増します」
「ははは、良かった。他にも──」
光さんは他のものの説明をしてくれた。
1つは今食べているポン酢醤油。
酸っぱく塩っ気のある濃い味は、おかゆの水分で緩和されて程よい味付け。
1つはめんつゆとカブの葉のお浸し。
めんつゆは甘めの味の調味料で、カブの葉はシャキシャキの食感、食感と甘めの味付けで2つの変化。
1つはネギとツナ。
ツナは魚の水煮らしくて、特別味付けはしてないみたい。
「好きに組み合わせるといい。食器は机に置いてくれれば、また取りに来る」
「はい。ありがとうございます」
光さんはコップに水を注いでくれてから、部屋を後にした。
* * *
味を変えたり、食感を変えたりして、お腹を満たして行った。
「よいしょ!」
「なんですか?それ」
光さんがご飯を持ってきてくれてから30分ほどで美雪さんが訪れると、何やらバケツを持ってきた。
中身からは湯気が立っている。
「お風呂のお湯だよ!体拭いてあげるね?」
「ええ?そこまでしなくても……」
「良いから、良いから!沸かし立て一番風呂のお湯だよ!」
美雪さんはタオルをバケツの中に沈ませて、タオルをお湯で浸してから、タオルを絞った。
「はーい、腕出して~」
腕を差し出すと、美雪さんは私の腕にタオルを優しく押し付けていく。
…温かい。
染み渡るように、その温かさが身体の中に広がる。
「美雪さん」
「ん?何処か痒い所でもある?」
「いえ…話していた内容で一つ気になったことがあって…」
「ん?何?」
「暁月くんがなんで三日三晩平気で起きているのかです。何か理由があるのかなと思って……」
美雪さんは悩むような素振りを見せると、答えを教えてくれた。
「分からないの」
「分からない?」
「うん。ただ分かるのは、あの子は常に何かに警戒していて、極度のリラックス状態、警戒する必要がないの時だけ眠る。でもそれは1人じゃ出来ないの」
「1人じゃ出来ない…誰かが付き添う必要があるって事ですか?」
「そう。それに誰でもいい訳じゃなくて、ルナさんだけなんだ」
「ルナさんだけ……」
最も強くて、最も暁月くんの信頼を得ているお姉さんだ。
確かにリラックス出来て、警戒する必要がないとそう言われれば、あの人しかいない。
「私もね、心配なの…。あのままじゃ、あの子は本当にいつか人では無くなるんじゃないかって」
「え…そんなにですか……?」
「……あはは!流石に気にし過ぎだね!」
美雪さんはこの後も、私の体を拭いてくれた。
会話はそれ以上、続かなかった。
ううん……続けられなかった。
やっぱり、暁月くんは何かがおかしい。
でもなんだろう…、一概に暁月くんが悪い気がしない。
明日、暁月くんに聞いてみよう。
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