第30話「青は黒に溶ける」

 午後2時頃。

 そこはクライスマーケット近くの公園で、木や葉の匂いが漂う心地よい空間です。

公園の中央には噴水があり、中心の一筋の水が下の水溜まりにそのまま虚しく落ちて行きます。

街を訪れた際に見た、淡い白色のタイル張りの公園ほどの豪華さはありませんが、木製のベンチと固められた土の地面はより自然な雰囲気がありました。

 そこのベンチに2人は座っていました。


「───」

「………」


 ただただマーケットからの賑わい声と風の音、噴水の水が延々と水溜まりに落ちる音が公園には流れています。

あまりに平凡で、流れる時間は徐々に長く遅く感じる一方でした。

 そんな中、文字を読む事による行為でその遅さも増します。

道中、『新聞』が売られていたので、暁月は街の情報を得るべく1つ買いました。

新聞に書かれた事に1つ、暁月にとって引っかかる見出しが書いてありました。



 ────────────────────

『硬直死被害 再び……』

 昨晩、パトロールをしていた兵士がその遺体を発見。外傷は一切なく、ただただ石のように硬く固まった体の様子を見た限り、死後硬直ではなく、以前あった『硬直死』では無いかと推測された。

 結果、全身の筋肉の収縮や麻痺による、心肺停止状態による窒息が死因と判明。

 窒息死ではあるが、不可解な経緯の死と遺体の特徴から『硬直死』と呼称をしている。

 外傷の無いことから、以前と同様に『毒物』によるものとして検査や捜査を進めている。

 発見場所は………

 ───────────────────



「硬直死……街でも変な事は起きるんだね…」


 暁月の横から覗き込んでいるエスメラルダがそう呟きます。

その『』が寸前まで迫っていた事をエスメラルダは知る由もありません。

筋肉の収縮や麻痺、毒物によるもの。

それらは暁月には見当がついていました。

街の門前で待機していた時、焚き火を囲んでいた人達の中に居た細く痩せた商人。

 彼が温かいミルクに混ぜ込んだものが、暁月の人差し指を強ばらせ、感覚をズラしたことは事実でした。


「……アカツキくんどうしたの?」

「ううん、怖いな〜と思って!」

「そうだね…。────って違う!」

「うわっ!?突然どうしたの、エスメラルダ?」


 暁月は新聞を折り畳んで、エスメラルダを見ます。

 エスメラルダもハッとして、即座に我に帰りました。


「あ……ごめん。思わず声に出ちゃった……」

「エスメラルダは何かしたかったの?」

「う うん。アカツキくんが疲れてそうだから、ゆっくり休んでもらおうと思ったんだ…。それが公園に来た理由…なのに、アカツキくんは新聞を読み始めて、全然休む気配が無いから……」


 それを聞いた暁月は苦笑いで申し訳なさそうな顔をしましたが、あどけなさが消えていて、青年のような顔をしていました。


「ごめんね、エスメラルダ。僕、その意図に気付けなかったよ。本当に、疲れてるのかもしれないね」

「うん……」


 暁月は新聞をベンチの空いている場所に置いて、正されていた姿勢を崩します。

少しの沈黙が流れると、エスメラルダが口を開きました。


「ア…アカツキくん」

「ん?」


 エスメラルダは顔を赤らめながら、自身の腿辺りを手でポンポンと叩きます。

膝枕を催促しており、それが暁月に対する作戦でした。

膝枕をする事で、暁月の行動を制限して、休む事に徹底させるという安直な作戦です。


「その…寝心地は良くないかも知れないけど……」

「───」

「これくらいしか出来ないから………」


 普通は、休む事に徹底させるなら宿屋の部屋のベッドで休んだ方が良いのですが、そんな事はエスメラルダも分かっています。

ですが、彼女にとっては彼を休ませるという事も思い出にしたいのでした。

 普段、いつ休んでいるのかも分からないような人を、彼女の目の前で何もせずにただ目を瞑って休んで欲しいのです。


「じゃあ、その好意に甘えさせてもらうね。僕の為にありがとう。エスメラルダ」


 暁月は座る位置をズラし、ゆっくりと倒れ込むと、エスメラルダの腿へと頭を乗せました。


(あわわわ…………)




 太ももに感じた重みは、ちょうど良い重さだった。

その重みは彼が私を信頼して身を預けているようで、嬉しかった。

とても穏やかで………綺麗な横顔。

その眩しい、青い瞳を閉じてしまう。


───その青い瞳が向けられなくなる。


 ついつい、寂しくて、彼の体に触れる。

服越しに彼の体温が手のひらに伝わる。

………彼は嫌そうな素振りを見せない。

本当に素肌だけは触れられたく無いんだ。

 それくらい、その服の下には、酷い惨状があるのかもしれない。

こんなに優しい人が…そんなに傷付いているのは………どうしてだろう……?

何の傷だろう………。

なんの為の傷だろう……。


───寝息のような呼吸が微かに聞こえた。


そんな傷は私の妄想に違いない。

私としては、そうあって欲しい。

………………。


───無防備に眠る想い人。


………………。

アカツキくんがまるで自分の子供みたいな感覚に陥る。

凄く可愛らしく見えてしまう。

だからその……無意識で頭を撫でてしまった。

 けど、彼は嫌がる素振りを見せるどころか、口が微笑んで嬉しそうだった。

アカツキくんの髪はツヤツヤで、1本1本がサラサラで、良い糸の束を触ってるみたい。

触れてる私も楽しい。



 * * *



 2時間程経った頃。

流石にエスメラルダも足がしんどくなり始めた時の事でした。

暁月はその青い瞳を開きました。


「あ、おはよう。アカツキくん」

「おはよう、エスメラルダ。いい寝心地だったよ!」

「そ そう?なら良かった……」


 暁月は体を起こすと、そのまま立ち上がりました。

すると、何かを探すように周りを見渡します。


「どうしたの?」

「ううん。何でもないよ。宿に帰ろう?」


 暁月はエスメラルダに手を差し伸べます。

エスメラルダは手を握り、ベンチにあった新聞も拾い上げます。


「そうだね、もうすぐ陽も落ちるもんね」

「また明日も街を歩こうね!」

「うん…!」


 2人は公園を出て、帰路に着きました。




 しかし、その帰路は二人のふわふわした雰囲気を壊すものでした。

宿屋の近くて人が集まり、ザワザワしている場所がありました。

そこには数名の兵士がおり、出来る限り一般人を遠ざけようとしていました。

その様子に2人は興味を持ち、近くにいた男性に話を聞きました。


「俺もさっき来たばかりで真偽は分からないが……噂の『死に方』をした人が居たらしいよ」

「そうですか…」

「…………」


 新聞に載っていた例の事件。

『硬直死』がすぐ側で起こったのでした。

 少し考えると暁月は男性に話を聞きました。


「いつ頃からここに人が集まって来たか分かりますか?」

「え?そうだな…確かに俺はここに来たのはさっきだが、この様子は20分ほど前から始まったな。俺は近くの喫茶店に居たから、徐々に人が集まり始めてて不審に思ったんだ」

「20分……」


 暁月は人混みから離れると、再度周りを見渡します。


「アカツキくん?」

「エスメラルダ、先に宿屋に戻っていてくれるかな。僕、ちょっと捜し物をしてくるよ」

「え?うん。すぐに戻ってくる?」

「それは分からないかな、でも夜には帰るよ!」


 暁月はエスメラルダに手を振って、駆け足で去っていきました。









 夜。

暗闇の中で、黒い影が揺らめきます。

その青い瞳が、対象を捉え続けたまま、延々と追い続けます。

道路は夜の為、街灯が灯っており、その対象は見やすく、人の数もまばらです。

 しかし、その黒い影は屋根を伝って、距離と視界を確保していました。

青い瞳が写すのは、痩せこけた老人。

街に訪れた際に居り、暁月達の食事の飲み物に『硬直死』の薬物を混ぜた人間でした。

その老人は何事もなく、ただただ普通に歩いているだけですが、そのは間違えようもなくその人間です。


 * * *


 その老人はとある宿屋に入っていきました。

何の変哲もない普通の宿で、人も沢山居る比較的大きめの宿屋です。

そこへ入ったのを確認した後、暁月は路地裏に僅かな音だけを立てて降りて、その宿屋に入りました。

ロビーに入ると、そこには多くの人がそこで談笑を楽しみ、交流を深めていました。

 そんな空間の中、老人は階段を登り自分の部屋に向かっています。

暁月は人や柱等の物陰を巧く利用して、階段に向かいます。

足音も気配もしないので、客は真後ろを通られようと気付きませんし、ロビーに立っている数名の店員は少しでも視線が外れてしまえば、暁月が居ることにも気付きません。

 人の多いロビーを抜けて、階段を登り、長い廊下を渡ると、老人が入っていった部屋に辿り着きます。

暁月は扉をノックしました。


「──誰だ?」


 老人は部屋の奥から答えます。

暁月は低い声色を変えて、老人を呼びます。


「落し物をされていたので、届けに来ました」

「………」


 男はしばらく黙っていると、足音が扉に近づいて来ました。




 そして、ドアノブが握られる。

扉が開かれた、瞬間。

若者はその隙間に滑り込んだ。


「───」


 老人はその行動に、声をあげようとした。

 しかし、鋭い銀光が老人の喉に突き刺さる。

声は届かず。

助けも呼べない。

突き刺さったナイフは、そのまま拗られ、横に走った。老人の絶命は、確定した。

猶予なく即座に始まる脳の活動停止。

薄れゆく意識の中。

次は茶色の線が胸に飛んでくる。

あるのは感触のみ。

斬れ味が悪く、まるで肉を掻き分けるようにそれは突き進む。

その痛みは脳を少しでも長く存命させる。

木製のナイフは老人の心臓にまで到達する。

 そして、心臓にナイフが切れ目を入れると、急速に意識が落ちる。

老人は若者の冷たい表情を最後に。

長く生きたこの世を去った。




 出来事は一瞬でした。

相手が認識するより早く、部屋に滑り込み、喉元に《望月クリップポイントナイフ》を突き刺し、首は断たれ、心臓にもとどめを刺すことで、確実に、迅速に絶命させました。

死体は倒れ、床には血が広がっていきます。

暁月は手袋を着けて、死体を漁ります。

 けれども、目的のものは無く、次は部屋を漁ります。

 そして、その中で『硬直死』のものと思われる薬物の袋が見つかりますが、暁月はそれをスルーして、机にあるナイフを手に取りました。

新月バタフライナイフ》、それが暁月の探していた物でした。

街に訪れた際の夕食のために交換された物で、集落に帰った際に再度、暁月は新たなナイフを買う事を考えていました。

 しかし、渡した人間が悪人であれば、話は変わります。

 薬物が混ぜこまれた時点で、いつかは彼を殺すつもりでした。

結果として、街で話題だった『硬直死』の犯人であり、ナイフも取り戻せたので、上手く行きました。

運が良かったのかはわかりませんが、もう終わった話です。

暁月は窓から屋根に登り、エスメラルダが待つ宿へと帰って行きます。

 その際も、屋根を伝い、走る時も足音はせず、本当に黒い影が一瞬にして1人を殺害したのでした。

黒い影は街の暗闇に溶けていきました。





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