第29話「白は青に染まる」

 朝日は昇り、二人の部屋にも新鮮な光を届けます。

時間は朝8時、暁月は既に起きていますが、エスメラルダはまだスヤスヤと眠っていました。

 しかし、朝食の提供終了時刻が地道に迫っていたので、起きていた暁月はエスメラルダを起こそうとします。


「エスメラルダ、朝だよ。朝食の時間も終わっちゃうよ?」

「ん──……………」


 エスメラルダは声に反応して、寝返りを打つと眩しい光が彼女の目に届きます。

暗い視界に染まっていた瞼の下は白く染まり、その白さと眩しさが脳に伝わって、朝という事を認識させました。

瞼は一度起きる事と眩しさに抵抗して、一層強く閉じましたが、頭の中が起き始めた為、その抵抗虚しく瞼は開かれました。


「………」

「おはよう、エスメラルダ」

「ん……おはよう……アカツキくん……」


 エスメラルダは上体を起こして、体の中の空気を吐き出します。

髪はボサボサで所々に毛が跳ねていました。

今朝のエスメラルダは何処と無く力が無く、ぼーっとしている様子からも、疲労の余韻があるようにも見えます。


「はは、エスメラルダ。髪凄いことになってるね」

「………ほんとだ」


 自身の髪を触って、その状態を確認して手で頑張って直そうとします。

アカツキは立ち上がって、机の上に置いていたポーチから折りたたみ式の櫛を取り出し、エスメラルダに近寄ります。


「髪、解いてあげるよ」

「────ありがとう」


 エスメラルダは掛け布団を腰周りに集めてから、暁月に背を向け、暁月はエスメラルダのベッドに腰掛けて、その髪を丁寧にくしで解いていきました。

櫛で固まった髪をきめ細かく分けて行き、手櫛で大雑把に髪を掻き分けて行き、櫛と暁月の手櫛でエスメラルダの髪は徐々に自然に戻していきます。


「……上手だね。アカツキくん」

「へへ、ありがとう!」


 櫛だけでは解けない跳ねた毛は僅かにありますが、全体的にボサボサだった髪は自然に下を向いて流れています。


「これくらいでいいかな。あとは顔洗ったりする時に少しだけ水で濡らせば直りそうだね」

「ありがとう…アカツキくん」

「どういたしまして!」


 暁月は腰を上げて、櫛を折りたたみポーチに戻すと、部屋の扉に向かいます。


「エスメラルダ。朝食、食べに行こうよ」

「う…うん。アカツキくんは先に降りててくれる?私もすぐ降りるよ」

「わかった!じゃあ待ってるね」


 暁月は1人で部屋を後にしました。

エスメラルダはそれを見届けて、少しだけ待ってから身を動かします。


「…………」


 布がなく、素肌同士で触れ合う太腿。

布の感覚は足首にあり、そこで塊となって纏まっていました。

エスメラルダは掛け布団の下に手を入れて、その布に両脚を通して腰まで引き上げます。


「……………危なかった」


 ──昨夜。

エスメラルダは溜まりに溜まった性欲を晴らす為に、自慰行為でそれらを晴らしました。

 しかし、あまりに執心してしまった為、それが終えた頃には、瞬き1つで眠りに落ちてしまうほどに疲弊してしまいました。

その結果、掛け布団以外に下半身を守る物はなく、そのまま朝を迎えました。

暁月が起こして来たり、髪を解くために近寄って来たり、朝食に誘ったりなどの行為がエスメラルダを焦らせていましたが、それも難なく終わりました。


「早く行かなきゃ…」


 掛け布団を退けてから靴を履いて、エスメラルダも足早に部屋を後にします。


 * * *


 朝食はパンにベーコンにスクランブルエッグとコーンスープというシンプルな構成です。

量は少々少ないですが、パンとスープのおかわり制度でお腹は満たすことが出来ます。

2人はもう他のお客が居ないロビーで静かに朝食を取っていました。


「ねぇ…アカツキくん」

「どうしたの?」

「今日は何しようか…。商品がまさか一日で売れるとは思ってなかったから……」

「昨日、話した通りでいいと思うよ!朝食を食べたら、街を散歩しよう?」

「そうだね。へへへ…」


 エスメラルダはパンに向いていた視線を上げて、暁月を見ました。

相変わらずの綺麗な長い髪に整った顔立ち、青い瞳はいつ見ても変わりません。

 ただ、目元はやつれているようにも見えます。


「アカツキくん、疲れてる?」

「え?うーん…。確かに体は少し重たいかな?疲れてるように見える?」

「うん…」

「あはは…これでも身は休めてるつもりなんだけどね。でも、大丈夫だよ!」


 暁月はにっこりと笑います。

その笑顔もまたいつも通りで、本当に元気で大丈夫であると、信じてしまいそうです。


「………」


 しかし、ここ数日。

暁月の笑顔を何度も何度も見てきたエスメラルダにとっては、それは少々疑わしく感じてしまうものでした。

街までの山越えの際なども、暁月はエスメラルダよりも確実に体に負荷をかけています。

『僕は皆と違うから』という言葉は事実ではありましたが、そのやつれた目元を見て心配しない人など居ないでしょう。


「今日はね、アカツキくん。朝は街を歩いて、午後は公園で休もうよ。良いかな…?」

「うん!良いよ!」


 少し予定は変わりましたが、暁月はそれを受け入れました。

エスメラルダも暁月の返答に、ほっとしました。

エスメラルダの頭の中では、1つの作戦が思い浮かんでいたのです。


 * * *


 街全体が起き始めて、多くのお店が開かれ、沢山の人々は各々の目的の場所へ向かいます。

暁月とエスメラルダはゆっくりと街を見て歩き回っていました。

集落とは比にならない広さと整えられた道、規則的に並ぶ建物。

普段とは違う世界にエスメラルダの目は、輝いていました。


「何回も来てるはずなのに…やっぱり凄いなぁ…」

「エスメラルダ。前来た時と変わってる所ってあるの?」

「まずは、あの塔かな…前来た時はまだ途中だった気がするよ」


 エスメラルダが指差すのは街の何処にいても見れるであろう、街で一番の桁違いの高さを誇る電波塔です。

 あの電波塔が出来たからこそ、ラジオで様々な音声が1つの発信元から多数の受信元にリアルタイムで届けられ、それぞれが別の場所に居ても同じものを共有するという事が出来るようになりました。


「前は高さも半分くらいで、こんなに高くなるとは思わなかったなぁ……」

「あの塔の先端からだと街の全体を見渡せそうだね!」

「確かに…いつかあの高さまで登れるようにならないかな…」

「いつかきっと登れるようになるよ。街の人だって皆思った事があるはずだからね!」

「ふふ…そうだね」


 その歩みを止めることなく続ける二人。

暁月はその変わった箇所をエスメラルダから色々教えて貰い、その物の未来や過去を想像しながら街を歩きます。

エスメラルダはこれからまた変わっていくであろう街の景色を目に焼き付けながら、今と前との間違い探しをしてみたり、見るだけでも2人は楽しんでいきます。

 電波塔。

 増えた花壇。

 減った空き地。

 建設中の家。

 改装された老舗。

 空いた土地には美しい花を、人が住める場所を。

 進歩した技術と景色に合わせる為に、新しくなる建物。

この街は徐々に『過去』から『現代』に向かい始めていました。


 * * *


 ふと、歩いていると屋台がありました。

女性が営んでいる小さな屋台で、台の上には鮮やかな色の布達が並んでいます。

エスメラルダは足を止めて、その屋台に立ち寄りました。

暁月もそれにつられて、その屋台に近寄ります。

布はマフラーのような見た目であり、少し薄目の生地ではありますが、目を奪うのはその布の色のグラデーションでした。

 水彩画等の絵画での色のグラデーションに近いほどに上手に作られていました。


「こんにちは、興味がおありですか?」

「は…はい。凄く綺麗な織物だと思ったので……」

「ありがとうございます。こちらはストールと言いまして、お1つ羽織ってみますか?」


 エスメラルダが頷くと、女性は折り畳まれた赤色のストールを手に取り、屋台から出て来ました。


「羽織り方は分かりますか?」

「いいえ…わかりません……」

「これは肩に羽織るのです。このように……」


 赤色のストールが広げられ、それはそのままエスメラルダの肩に被さるように掛けられました。

両端は赤色で真ん中に向かうにつれて黄色くなるグラデーションのかかったストールは、黒と白だけの服装のエスメラルダに新たな彩りを増やしました。


「いかがですか?」

「良いですね……少し慣れないですけど……」

「マフラーほど厚く無いので、軽く羽織るだけでも適度に体温を保ちながら、風を防ぐ事もできますよ。素材も軽いので、重みもありません」

「確かにそうですね……」


 エスメラルダは屋台にある値段表を確認します。

値段は意外にも高く、エスメラルダたちの持ってきたナイフ以上の値段。

それほどにこの色合いと素材、如何なる季節でも使えるという利点での値段なのでしょう。


「エスメラルダ、それ欲しい?」

「え……まぁ…欲しいかな……。山の中だと風も少し冷えてるし……私はこれの上に着るものを持ってないから」

「お姉さん1つください!」

「え!?待って待って!」


 エスメラルダは大慌てで手を振って、暁月の行動を止めます。

エスメラルダは値段表に指を指します。


「値段高いよ…?」

「でも、値段には見合ってると思うけれど…?」

「そうだけど………」

「それにオシャレな色達だから、エスメラルダが身に付けると似合うよ!」

「────」


 いつもの暁月のさり気ない一言は、人から判断力を奪います。

値段が高く、大きな出費になるとものの、『似合う』という言葉は普段着飾らないエスメラルダにとっては少し意識が向いてしまいます。

 そして、いつもの苦渋の決断の末、今回のエスメラルダはそれを買う事にしました。


「どの色にしますか?」


 女性が好みの色をエスメラルダに聞きます。

エスメラルダは並べられている数種類の色の中から『青色』を選びました。

濃い青から水色になっている色合いのストール。

その色にした理由はひとつしかありません。


「それでは、先にお代を頂きます」

「僕が払います」


 暁月と女性の間で金銭が移動すると、青色のストールが暁月の手に渡りました。





 屋台から少し離れた所にあるベンチに私たちは座った。

アカツキくんの手には青色のストールが握られている。


「アカツキくん、お金払うよ…。代わりに払ってくれてありがとう」

「ううん。大丈夫だよ。僕が買いたかっただけだから」

「え?」


 アカツキくんはそのストールを横に広げて、縦に3回織ると私の首に回した。


「肩に掛けてもいいけど、こうすれば………」

「マフラー……みたいだね…」

「うん。この方が気にならないでしょ?肩に掛けてると腕挙げる動作で落ちそうになっちゃうもんね」


 アカツキくんは私の首の周りにグルグルとストールを巻いていく。

程よく隙間が空いて、苦しくはない。


「出来た!………うん!似合うよ!エスメラルダの雰囲気にあってるね」

「そうかな……?」

「うん。白色と青色、水色は凄く合うよ。落ち着きがあって、おとなしい印象があって、より女性らしく見えるよ!」

「女性らしい………」

「うん!エスメラルダにぴったりの色だよ!」


 ──私にぴったりの色……。

アカツキくんの瞳の色に魅入られて、青色を選んだけれど、『より女性らしい』……か。

私は女の子というより女性として見られてるのかな…?

可愛いとかじゃなくて、落ち着いた雰囲気のある大人な女性のイメージをアカツキくんは持ってるのかな。


「………アカツキくんは私の事、どんな風に思ってるの?」

「好きだよ!」

「──────え!?」


 予想外の答えに、慌てて周りを見ると、道行く人は私たちを見て、ニコニコしていた。

あわわわわわ───………。

昨日の今日でアカツキくんは私のことを恥ずかしさで殺してしまうつもりなのかと思ってしまう。

 でも…………嬉しい。


「え、えっと………そうじゃなくて……、印象というか…雰囲気というか……少し詳しく教えて欲しいな……」

「えっと、そうだね~。エスメラルダは僕みたいに大はしゃぎする感じじゃないでしょ?だから落ち着いてる大人な雰囲気があるよ。僕の好みだよ」

「あ………」


 なんだか、今日のアカツキくんは凄く緩い。

サクサクと思っている事を言ってる気がする。

『好きだよ』『僕の好みだよ』

アカツキくんは…私に気があるような……そんな口ぶりな気がする。

昨夜も…素直な印象だった。

今まで私が見ていたアカツキくんと同じようで何かが違う気がした。


「えっと…ありがとう!これも巻いてくれてありがとうね!」

「うん!僕からのプレゼントとして受け取って欲しいな」

「───うん…!大事にするね……!」



 プレゼント。

『僕が買いたかっただけだから』っていうのはこういう事だったらしい。

これらの思い出は、これと一緒に……。

そして、いつか、彼と一緒になれたら……。

これは生涯、手放すことのない物になると思う。






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