第28話「止まぬ熱」
眠れるわけが無いじゃない!!!!
と内心、大声で叫ぶ私はベッドに横たわっている。
夕食までは平気だった。
なんにも無かった。
ただ銭湯での一件がまた私を引き戻した……。
* * *
大浴場にやって来た。
数個のドラム缶風呂で入浴を楽しんでいる私達には1つの大きな湯船に複数の人が浸かる姿はとても新鮮な景色。
湯気が全体をぼかすようにハッキリさせないけれど、人の多さはぼかされていても分かる。
近くの椅子に座って、蛇口を捻ってシャワーを浴びる。
集落はこんな風に簡単に浴びれない。
集落だとシャワーと湯船は別々じゃなくて、湯船で髪を解いたりするのが普通の事。
体を洗うものも無いから、湯船を出て潤った身体に湿らせた布で擦って汚れを落とす。
それに、湯船に浸かるのも時々で、基本は川の水を掬って浴びる。
顔を洗ったり、髪を解いたり、汚れた所を擦って落としたりするくらい。
だから、あまりお風呂に入るというのは習慣的じゃない。
あらゆるものが違う街でお風呂に入るのはいつもながら緊張する。
『シャンプー』で髪を洗って、『リンス』で髪をコーティングする。
その間に石鹸の泡で身体中を覆ってから擦るように洗った後、頭からリンスと一緒にシャワーで洗い流す。
こういう流れくらいは時々街へ来るから知っている。
その後は湯船に体を浸ける。
色付きのいい匂いのする湯船。
匂いが頭の中をふわふわさせて、リラックスさせてくれて、湯船の温かさが体の中の疲れをじんわり溶かしながら、染み入ってくる。
このまま湯船に溶けていきそうなくらい、身体の力が抜けていく……。
「ふぅ…………」
ぼーっとした頭で周りを見る。
同い年くらいの女の子かな、その友達らしい人も居る。
湯船の縁側で座ってお喋りしているけれど、本当に同い年かなと思うくらい胸がある……。
それに比べて私は……魅力的でない。
貧相な体、肉付きが良いわけでも無いから、尚更だ。
あんな風に丸みがあって…、程よい肉付きで…、髪質も綺麗で……。
つくづく、恵まれていない。
唯一恵まれていると感じるのは、刃物を磨く事くらい。
───あとは私を見てくれるアカツキくんに出会えた事くらい。
ついつい時間を忘れて、湯船に入り浸ってしまった。
アカツキくんを待たせてるといけないから、早く出よう。
……湯船に浸かりすぎて、体と頭がふわふわする……。
浴場の出入口で体の水を払った後、脱衣場に向かう。
脱衣場で皆が着ている『バスローブ』というものを着ることにした。
…………その着方がわからない。
これは……私が以前街に来た時には銭湯には無かった物。
とりあえず、濡れた髪と体をタオルで拭いていく。
拭き終わったあと、バスローブを軽く羽織る。
1本の帯みたいなものがバスローブに付いていたから、それでお腹周りを締めるんだろうと、周りを見て学んでいく。
そうして、何とか巻けた。
少し緩いけれど、お風呂上がりだからこれくらいゆったりしている方が楽で良い。
それに…バスローブが凄く私から出る熱を留めてくれて、温かい。
そのまま、アカツキくんが待つであろうロビーに向かった。
やっぱりロビーにはアカツキくんが待ってた。
脱衣場の出入口からすぐそこにある長椅子に腰掛けて、私を待ってる。
アカツキくんはバスローブを羽織っていなくて、さっき買った服を着ていた。
アカツキくんの服はいつも真っ黒だったから、青色と白色という明るい色があると印象が変わって、とても新鮮な気持ちになる。
「アカツキくん」
「あ、エスメラルダ。お風呂気持ち良かった?」
「うん。ごめんね、待たせちゃった」
「気にしてないよ!結局は長い間、待たないと行けないからね。エスメラルダの方が時間を上手に使えてるよ!」
「うん…。アカツキくんもお風呂気持ち良かった?」
「うん!久しぶりに温かいお湯に触れると気持ちいいね」
「そうだね。私もついつい長く入っちゃった…」
「ははは、今日は疲労も取れて良く眠れるね!」
「うん…!」
私はアカツキくんの座る長椅子に向かう。
その時、男性の脱衣場から小さな男の子が全裸で走って出てきて、その男の子のお父さんも脱衣場から焦って追いかけて来た。
髪はボタボタで、バスローブを羽織って男の子を追いかけ回る。
「こら、待ちなさい!他の人に迷惑だろう!」
「キャハハハ!」
でも、男の子は上手に逃げ回って、お父さんは申し訳無さそうに色んな人に謝りながら、追いかけ続ける。
ロビーを1周して、脱衣場辺りに戻ってくると、明らかに男の子の進む先には私が居た。
そう、男の子はお父さんの方を見ていて気付いていないが、その先には私がいる。
「前!ぶつかる!」
「ふぇ?」
それに対して私も避けようと体を動かすと、男の子の反応も早くて進路を変えた。
その進路にも私が居た。
「「あ」」
お腹あたりに衝撃が走ると、男の子の速度は落ちて止まった。
「あうう……」
「──大丈夫?怪我はない?」
「うん!大丈夫!」
男の子は笑顔で答えた。
……こう、本当に小さな男の子の笑顔を見ると、すぐそこにいる人と変わらないくらい良い笑顔をしてる。
それほど、そこにいる人は私と同い年なのに、子供っぽいんだなって、ふと思ってしまう。
「ごめんなさい!お怪我は?」
「あ、はい。私は大丈夫です」
「すみません、本当に……。ほら、お姉ちゃんに『ごめんなさい』しなさい」
「──ごめんなさい……」
「うん。いいよ。お父さんの言うことしっかり聞くんだよ?」
「うん…!」
男の子はお父さんに連れられて、脱衣場に戻って行った。
それを見届けて、アカツキくんの方に向き直る。
その時だった。
男の子とぶつかったからか、バスローブを縛っていた帯がさらに緩んで解けた。
「あ」
男の子とぶつかる時と同じような声を出した。
解けた帯の先端を掴もうとしたけれど、帯自体もそこそこの重みがあって、その重みで私の周りをグルリと回る。
焦っても、もう遅かった。
帯は私を一周してきて、前で力なくぶら下がる。
そして、帯の重さに引っ張られて、バスローブの片側も開かれようとした時。
………アカツキくんに抱き締められた。
私の顔も埋まるくらいに密着して、強く抱き締められた。
「エスメラルダ、このままゆっくり、後ろに歩いて」
「……………うん」
アカツキくんの後ろでは歓声がわずかに上がる。
ロビーで大胆に抱きしめられているのだ……。
大勢の人の前で………。
多分、アカツキくんもこのバスローブが解けるのを見ていたんだろう。
だから、私の体が晒されるのを防ぐ為に、こうして……。
それに私の髪は乾いていないのに加えて、バスローブ自体も湿り気があって、アカツキくんの服をどんどん湿らせていく…。
そうして、アカツキくんの歩みが止まると私を抱き締めていた腕が解けて、私に自由を与えた。
でも私の背には壁があって、壁とアカツキくんに挟まれている状態だ。
「エスメラルダ、壁の方に向いて」
「うん………」
挟まれた中で向きを変える。
「体に触れちゃったらごめんね」
「え?」
アカツキくんの声は私の耳元で囁くように届いた。
そうして、アカツキくんは私のバスローブの襟を掴んで、一度開いた。
「!?」
一度私の体が露わになる。
首から足まで何一つ前が守られていなくて、胸もお腹も全部が晒されている。
反射的にアカツキくんの顔を確認した。
………目を閉じて、ただ手を動かしていた。
感覚でバスローブをしっかりと整えてくれようとしていた。
「ふふ…エスメラルダ、いい匂いするね」
「あ、え、あ……ありがとう………」
顔が……近い………。
アカツキくんも……いい匂いがする……。
「────────」
アカツキくんが着方を教えてくれているけれど、耳には届かない。
────アカツキくんの唇がすぐそこにある。
私がもう少しでも顔を動かして、近づけば触れてしまう距離。
その考えに下唇を噛む。
けど……、今の私じゃ、アカツキくんの魅力に負けてしまった。
震える唇をアカツキくんに近づける。
すると、腰周りがキュッと引き締められた。
「よし、出来たよ。エスメラル……」
「え、ん…………」
唇が触れた。
触れてしまったのだ。
アカツキくんの唇に……。
柔らかい。
───越えてしまった一線を。
重なる唇。
───好きな人を穢してしまった。
優しい感触。
───冗談みたいに軽い。
理想みたいな現実。
───。
唇が離れる。
こんなに……冗談のように、簡単で軽い感じで、色んなものを得た気がするし、失った気がする。
私がもっと……抑えられていれば……。
「エスメラルダ、出来たよ。これで簡単に解けないし、ここを引っ張れば緩められるよ」
「う………ん……」
アカツキくんは微笑んで、いつも通りに接してくれた。
顔は離れていって、私からも距離を置いた。
「ほら、エスメラルダ。まだ時間が掛かるから、座ってよう!」
「……うん」
アカツキくんの後ろをついて行く。
そうして長椅子に座ってから、私は色んな感情がグルグルと回り続けた。
心は抜け落ちたみたいに、空っぽになった。
完結しない感情に追いつかず、色んなものを置いてけぼりにされた。
「─エスメラルダ?」
「え?」
いつの間にか部屋に帰ってきていた。
時間はもう夜10時になっていた。
「もう寝ようか?今日は疲れたもんね」
「う うん………」
電気を消して、ベッドに横たわった。
服も着替えていて、私の意識が戻った時にはほとんどの事が過ぎていたらしい。
アカツキくんのいる方から背を向けて、目を瞑る。
それほど……あれが……。
でも…………いや…………わからない。
ショックだった。
アカツキくんの唇を奪ってしまったこと。
軽い感じでその行為をしてしまったこと。
私達はちゃんとお付き合いしてないのに…。
でも、嬉しかった。
アカツキくんと唇を重ねられたこと。
私の初めてのキスが好きな人であったこと。
あの優しい感触に何度も触れたいと思った…。
頭の中は相変わらず忙しいのに、呼吸は穏やかでまるで眠ってるみたい。
「エスメラルダ」
ふと、名前を呟くように呼ばれた。
時間は夜11時。
それに対して返事をしようと口を開くと、
「返事はいいよ。僕もこの事言うのが恥ずかしいんだ。眠ってるならそのままで…」
私は口を閉じて、黙り込む。
「僕、嬉しかったよ。エスメラルダ。いつも少しの間しか会わなかったのに、今はずっと一緒に居れて、沢山の事を喋れたし、色んなものを見た。だから、僕を一緒に連れてきてくれてありがとう」
それは、感謝の言葉。
けど、いつもの『ありがとう』とは違う。
アカツキくんらしいようでらしくない言葉。
"バサッ"と布を広げる音がする。
多分、マントを羽織ったんだと思う。
「唇、柔らかかったね。エスメラルダ」
「─!?」
「おやすみ。ゆっくり休んでね」
その台詞に一気に顔が熱くなってしまう。
アカツキくんはこの部屋から消えて、私だけを残した。
* * *
それが銭湯からさっきまで起きたこと。
顔は熱く部屋の肌寒さも気にならない、頭は沸騰して相変わらず情報が纏まらない、体は火照っている。
でも、アカツキくんは答えをくれた。
何一つ嫌がったりしてなかった。
『唇、柔らかかったね。エスメラルダ』
嬉しそうな声でそう言っていた。
「ふふっ……」
その言葉が私はただただ嬉しかった。
だからこそ、眠れなかった。
アカツキくんも同じ事を思ったんだ、って感じたから。
感触を、匂いを、距離を、何度も何度も思い出す。
「………っ……」
それに加えて、隣の部屋から聞こえる女性の声。
隣の部屋には若いカップルの2人が泊まっていて、声はとても気持ち良さそうな声を出している。
甘い声が何回も僅かに壁越しに聞こえる。
手をお腹から下に滑らせる。
この体の火照りを沈めるために、自慰を促す。
こんなに火照ることは初めてだった。
感触を、匂いを、距離を、彼を、壁越しに行われている事を、想像して私の指を動かした。
* * *
───気持ち良かった。
今まで何回も同じようにした事があった。
似たような内容でした事があった。
でも、今までここまで汗をかいて、必死になって、求めるように、息を切らし続けるまでしたのは─初めてだった。
「はぁ…………はぁ……………ふふっ……」
あのキスを忘れない。
私の気まぐれと不注意であっても、キスしたのは事実で、そしてそれは、彼も嬉しくなるほどだったから…。
瞼が重くなる。
視界がどんどん暗くなる。
明日は、どんな事があるのかな……。
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