第27話「不変の夜空、変わったひと時を」

 街の中は夕陽で更に温かな色を放っていた。

暖色だったものは更に色濃くなり、色が薄いものは光で白みを増し、緑や青といったものは、その上から橙色を被せられて、街から彩りを奪っていく。

 されど、この色を嫌うものは居ない。

その光が、安らぎの時間が訪れる事を告げる。

消えゆく光が、各々の時間を過ごす事を表す。

 自身の身を休める者、家族と時間を共にする者、恋人と過ごす者、仲間と酒を飲み交わす者、友人と出掛ける者、それらは彼らにとって安らぎのひと時です。

 例え、それが街の人間でなくとも、それは同じです。




「ここなの?」

「うん、そうみたい。名前も合ってるよ…」


 地図の通りに辿り着いた二人は宿屋の前に立ち止まります。

 3階建ての他の住宅と隣接して立っている宿屋は、一見住居にしか思えませんが、『宿屋ですよ!』と親切な看板まで立てられているので、間違いなく宿屋なのでしょう。


「じゃあ、入ろうか」

「うん…!」


 二人は両開きの扉を開いて、中へ入りました。

中からは夕食の支度をしているのか、美味しそうな匂いが漂って来ます。

入って右側にはカウンターがあり、左側にはテーブル席が3つほど設けられています。

広いロビーがある訳でもなく、そこがロビー兼レストランのようで、カウンターには一人の女性が立っています。




「いらっしゃいませー!」


 "カラン カラン"とドアベルを合図にして、中の女性店員さんは私達に元気な声を届けてくれた。


「2人泊まりたいんですけど……」

「いいですよー!ちょうど個室の部屋が空いてますよ!」

「個室……たまには良いかな。とりあえず………」

 そこで、ふと気づいた。

いつもは1週間は泊まるけれど、それは屋台の商品を売る為。

けど今日はそれらが一日で消えてしまったのだ。

何泊するかを考えていなかった。


「…………途中で延長って出来ますか?」

「ええ、構いませんよ!1週間までなら大丈夫です!」

「えっと……なら今は2泊3日でお願いします」

「はい!それでは代金を先に頂きますね」


 肩にかけている荷物の袋に手を入れて、金銭の袋から指定された代金を支払う。

個室の2泊3日の割には、安い値段だった。

ナイフ1本分の収入分でも2人分の個室、食事付きで2泊3日なら、正直優しすぎる値段設定に思う。

──私たちの商品を『安い』と思った人の気持ちが、別の形で今、感じた。


「はい、丁度頂きました!それでは、簡単な説明の方させてもらいますね」



 ────────────

・食事は朝6~9時、夜18~21時の間、提供可能。パンとスープのおかわりは3回まで。

・シャワーは無いので、徒歩7分程の近くの銭湯を利用する事。

・外出の際はカウンターの店員に部屋の鍵を預ける事。

・外出中、店員が部屋の掃除をする為、鍵を使い入室する事。

・カウンターには5時から23時まで店員が交代交代で勤務している事。

・ベッドの位置や机の位置を変えたい場合は、追加料金がいる事。

 ────────────



 店員が言った事を纏めるとこんな感じ。

部屋で危険な事をしない限りは、まるで家のようにのんびりしてくれてもいいとの事。

……と言われても、私の家よりは豪華なはずだから、むしろ宿屋だからのんびりする感じ。


「こちらが鍵になります。お部屋は階段を昇って3階、階段側から奥の部屋です」


 そうして、カウンターの机の上に1つの鍵が置かれた。

…………1つだけ……?


「あの、すみません。彼の分の鍵もください…」

「……?申し訳ありません…、一部屋につき1つしか鍵はありませんので…。」

「え?」

「?」


 頭の中が白くなる。

つまり、どういう事だろう?

私は…私とアカツキくんの分の部屋を取って……お金を払ったはず………。


「お客様、もう一度確認しますね?」

「─はい」

「後ろの彼もお泊まりになるのですよね?」

「はい」

「ここは『二人で一部屋』の宿屋ですので、『一人に一部屋』はご用意出来ないのです……」

「─────」


 なるほど……。

 なるほど………。

 なるほど……………………?


「つまり、私とアカツキくんが一緒の部屋ですか?」

「えぇ、そこの彼と一緒ですね!先程からずっと手を繋いでいるので、仲睦まじいはずです!」

「え…………」

 よくよく考えるとさっきから左手は、まるでそれが普通であると、もはや体の一部なくらい鈍感になっていた。

何かを握っているのに、そこだけが蕩けて1つになってしまったような感覚。

 それに、今気づいたのも酷い話だけど、何より凄いのは気付かないほどにアカツキくんが私の動作に合わせていたこと。

歩く速度に歩く歩幅、腕振りに手首の捻り。

地図を見ていていたからとはいえ、それでも普通に歩いてるのと変わらないくらい自然だった。

そんな考えが一瞬で駆け抜けていく中で、私に合わせていたものが、自我を取り戻すように違う動きをした。


「エスメラルダ、今日はここに泊まろうよ。今から探すと時間も掛かっちゃうよ」

「う うん………」


 私の代わりに鍵を手に取って、アカツキくんは階段へと私を連れて行った。




 暁月が鍵を使い、扉を開けて中に入ると、二人分のベッドと机、タンスの最低限の家具が揃っていました。

部屋はベッドが部屋の殆どを占めているので、そこまで広く感じません。

部屋の壁や机、ベッド等の感触を確かめる為に、撫でるように触れる暁月に対して、エスメラルダは机に荷物を置いて、深呼吸していました。

 実はエスメラルダは3階までに昇る途中で、集中が切れてしまったのです。

街に入るからこその振る舞いを演じていたのもありますが、何より彼女が意識して集中していたのは暁月でした。

 いえ、『意識して意識しないように集中』していたのです。

深夜と今朝の一件、暁月へ色んなことを暴露した挙句、暁月の体に触れて、その感触と温もりを忘れられず、彼女の心奥底では顔を真っ赤にするほどに悶えていました。

 そこへ追い討ちの如く、自身で発したセリフ。


『時間が空いたら、一緒に街を歩こう?』


 という、街の風景に圧巻されて、心の欲望が現れた言葉に再度彼女は欲を抑えようとしました。

しかし相変わらず、暁月はエスメラルダの為に食事を買ってきたり、商品を売るためにエスメラルダ同様に積極的だったり、とさり気ない優しさのオンパレード。

 ほぼ常に真横に居て、時間があれば話し掛けられたり、そよ風で彼の匂いが流れてきたり、挙句の果てには手を繋いで街を歩き、ひとつ屋根の下で、同じ部屋で、一緒に寝泊まりするというのですから、もう彼女が抑え込んでいたものは、弾け飛びました。

今の彼女なら、集落のどの女の子よりも暁月との逸話を話せるでしょう。

 けれども、欲には羞恥心をぶつけて、落ち着きを保ちます。

それでも、止まらぬ妄想は頭の中を駆け巡ります。


「エスメラルダ?」

「はい?」


 そんな事は暁月が知る由もありません。

暁月は既にいつも纏っていたマントを壁に掛けて、腰に着けていたベルトやポーチを机に置き、ベッドに腰掛けていました。

服装は相変わらず真っ黒ですが、任務時と違って少しラフな格好をしています。


「ベッドふかふかだよ!ほら!エスメラルダも寝転んでみなよ!」


 そして、この子供っぽい所もまた相変わらずです。


「……うん…!」


 しかし、彼にこの一面が無ければ、彼女も彼にここまで惹かれることは無かったのかもしれませんでした。





 19時頃~

 少し身を休めてから二人は再度ロビーに降りてきていました。

そこにはここの宿に泊まっている人達が、夕食を楽しんでいます。

若い人達ばかりで、身なりを見るにエスメラルダ達と同じく遠方からやってきた者ばかりでしょう。

男友達同士で街に遊び来た者は、何処かの店で買ったアクセサリーに対して感想を言い合っています。

指輪をはめている新婚の夫婦は、机に地図を広げながら、明日の行先について話し合っています。

男女のカップルは、食事の味に感想を言いつつ、目線は相手ばかり見つめています。

暁月達は時々会話をしながらも、静かに食事を嗜んでいました。

店内に流れる音楽に二人は耳を傾けてたのです。

 この音楽の出先は、電波を受信して発せられているもので、いわゆる『ラジオ』と言うやつです。

電波塔のおかげでこの街には『無線通信』の技術が浸透しつつある時代でした。

 しかし、その点を考えるとエスメラルダの集落とは文明レベルがかけ離れ過ぎていました。

時折街へ来るエスメラルダでさえ、『電気』というものを知らずにランタンを使っています。

 数多の世界を知っている暁月にとっては、この現象は珍しくありませんが、こうして身近に発展途上の電気がある場所と火を主とする場所を感じれる事は、仮にもこの世界の住人として、違和感はあるようでした。





 食事を終えて、二人は銭湯へ向かいます。

夜の歩道は街灯で明るく照らされて、目を凝らしたり、自ら灯りを持たずとも、その道で彼らを導きました。

銭湯は中々に広く、ロビーには大勢の人がいました。中は大浴場と個室のシャワールームがあり、手短に済ます人とゆっくり湯に浸かる人で棲み分けが出来るようになっています。

 二人は着替えやタオル等を持って来ていなかったので、銭湯内のバスローブとタオルを借りて、着替えの服は銭湯内の売店で買い揃えます。

暁月は真っ黒な服から紺色の長袖に灰色の長ズボン、エスメラルダはヨレヨレのワイシャツとズボンから少々大きめの白い服と黒い半ズボン。

 そうして二人は、男女別々の浴室へと入りました。



 暁月は個室のシャワーで素早く済ませ、エスメラルダは大浴場での長風呂を楽しみました。

元々の服は男女それぞれの脱衣所にいる店員に頼むと洗濯や乾燥をしてくれるので、洗濯の待ち時間はロビーでバスローブを羽織って待つ人もちらほらといます。

 暁月はロビーでエスメラルダを待つと同時に洗濯の完了を長く待っていました。

 反面、エスメラルダが風呂を上がると、ロビーには暁月がおり、バスローブの羽織り方を教えて貰った後、少しの待ち時間で服は返ってきました。

二人は再度脱衣所に戻り、買った服に着替えてから、銭湯を出ていきました。




 22時頃~

 明日の予定や動きを話してから、部屋の電気を消します。

暁月はそもそも眠れない為、せいぜい瞼を閉じて目を休める程度で、エスメラルダの寝息に近い呼吸に気づいた後、窓から屋根に登り、夜空を眺めるのでした。




 結果的に夜明けまで彼は外に居ました。

変わらぬ暗い空、変わらぬ白い月であっても、それを眺めるのは、眠るに近しいほどに意識を無くすことが出来るからでした。


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